アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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温故知新

2018年06月20日 20時58分24秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな

 

昨日の朝9時頃、強い地震があった。震源は大阪府北部で震度6弱とアラートで警報が伝わって来た。建物内でも大きく揺れ、従業員は全員外に避難した。ニュートラムも現在止まっている

今回の地震で改めて今住んでるあいりん地区の危険を知る。釜ヶ崎の旧地名からも分かる様にここは昔海だった。そこに老朽化したタコ部屋が密集。住民も身寄りのない単身者・高齢者が多い。唯一の救いは上町台地の高層ビル群がすぐ隣にある事だ。津波が来たらひたすらあべのハルカス目標に逃げるつもりだ

1973年以前の地図(出典:http://kamamat.org/map/sin-kyuu/sinkyu-msp.html、上記写真)で今のあいりん地区(西成区萩之茶屋・太子・天下茶屋北)を見ると、入船・甲岸・海道・今池・今船・曳舟と、もう海や川にちなむ旧町名だらけ。こんな所に津波が来たら一発でアウトだ

大阪は昔から風水害に悩まされて来た。昔は淀川も大和川も大阪市内に流れ込み、上町台地以外は全て低湿地だった。高度成長期には工業用水取水による地盤沈下が大問題となった。海に沈んだ工場等、当時の写真からもその惨禍が偲ばれる。大阪の代名詞である八百八橋も、洪水との戦いの中から生まれた言葉だ

 

もし大阪に津波が来るとすれば、一番ヤバいのは大正区だ。周囲を海と川に囲まれ、川も貨物船を通す為につい最近まで一本の橋もかかっていなかった。ここでは今もバスと市営渡船が市民の足として大活躍。そんな所に津波が来たら、もう区役所裏の昭和山という浚渫工事で出来た人工の山に逃げるしかない(上記写真は大正区と西成区を結ぶ木津川べりの上落合渡船場)

 

大阪府・市ダブル選挙や都構想住民投票でも防災が一大争点として浮上した。当時の反維新陣営のビラには大阪府庁移転先のWTCビル(今のコスモタワー=咲洲庁舎)が如何に震災に脆弱かがつぶさに載っていた。大阪では震度3の東日本大震災で唯一大被害が出たのがこの咲洲庁舎だ。正に橋下政治のデタラメの象徴だった(上記は当時の反維新ビラとWTCビルの遠景。WTCはビラで赤色に示された津波浸水想定地域のど真ん中にある)


※やっとパソコンの買い替えが終わりました。新しいパソコンは結局、79,800円の東芝Dynabookにしました。このブログも新しいパソコンで書いています。但し、新しいパソコンにはまだ馴染めないので、今回はツイッターからの転載になります(一部編集済)。

※昨日の大阪府北部を震源とする震度6弱の地震では、私の勤務先の建物も大きく揺れましたが、建物自体には特に被害はありませんでした。しかし、配送先には地震の影響で休業を余儀なくされた店舗もあり、物流センターへの納品も高速道路網が全て止まってしまい大幅に遅れ、欠勤者や遅刻者も多く出て、当日はその処理に追われました。

※私の住んでいる新今宮のホテルも、建物自体には大きな被害はありませんでしたが、周辺の建物の中には室内のパネルが落ちたり、水道管が破裂して冠水した所もあったようです。

※ところで、震度3の地震でも大揺れでエレベーターが止まり水道管が破裂して上層階が水浸しになった前述のWTCは一体どうだったのでしょうか?津波常襲地帯で地盤も軟弱な湾岸埋立地にカジノを誘致する金があるなら、何故、小学校プールの崩れた擁壁を補強しなかったのでしょうか?それで小学生が一人亡くなっているのですよ!

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