アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

大きな行動も小さな勇気から始まる

2010年11月18日 22時49分51秒 | 職場人権レポートVol.1
お父さんとチョンテイル(原題:아빠와 전태일)


 私のブログ仲間である「旗旗」というブログの、11月13日付の「今日はチョン・テイルさんの40回目の命日です」という記事の中で、何と私が今やっている職場改善の取り組みが紹介がされました。
 チョンテイル(全泰壱)さんというのは、今から40年前の1970年11月13日に韓国で、職場の劣悪な労働条件に抗議して焼身自殺を遂げた若者です。その命日だという事で取り上げられた記事の終わりのほうで、私の事が取り上げられました。そんな初めて聞く人の事で、何故私の事が取り上げられたのか。それを知るためにも、チョンテイルさんについて少し説明します。

 彼の自殺が22歳の時ですから、生まれ育ったのは50~60年代です。当時の韓国は、第二次大戦終結で日本の植民地支配から解放されたのもつかの間、今度は南北分断の悲劇に見舞われます。朝鮮半島の南北に、それぞれ米ソを後ろ盾とする国家(大韓民国=韓国と、朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮)が誕生し、一時は戦火を交えるまでになります。その中で、韓国では最初の親米独裁政権が学生革命で倒されたものの、再び軍事クーデターで朴正熙(パクチョンヒ)の独裁政権が誕生し、野党や労働組合は徹底的に弾圧されます。

 そんな時代に、貧しい縫製工の家庭に生まれ学校も碌に行けなかったチョンテイルさんが、首都ソウルの場末の縫製工場で働き始めます。その縫製工場は、1階を上下に区切って作られた中2階の蚕棚のような造りで、そこでは「女工哀史」さながらの搾取がまかり通っていました。その中で彼は、最も虐められていた少年少女の見習い工を庇い、通勤のバス代で見習い工に食べる物を買ってあげ、自分は空腹のまま歩いて帰る日々を過ごします。そして、労働法を独学で勉強し、見習い工の中に「バカの会」という労働法の勉強会を組織して、職場の要求を取り上げていきます。

 何故「バカの会」なんて名乗るようになったかというと、周囲の大人たちがチョンテイルさんたちに「そんな事をしても無駄なのにバカな奴らだ」と言ったのを逆手にとり、「ならばそれを会の名前にしてやろう」と始めたのだとか。長い間、植民地支配や封建・独裁政治が続いた韓国では、儒教の影響もあって、「奴隷根性」が国民に染み付いていたのです。
 韓国は今でこそ、軍部や財閥が依然強い力を持つ一方で、それに抗する学生・労働運動も盛んで、焼身自殺のニュースが伝えられてきた事もあってか、「血気盛んな国民性」のイメージが日本でも行き渡っています。しかし、その気風も実際は、国民自身が「奴隷根性」を克服し民主化を達成する中で、徐々に育まれてきたものだったのです。

 その労働法のテキストには、韓国にも日本の労働基準法に相当する法律があり、8時間労働や有給休暇・生理休暇の権利が定められていると書かれていました。あくまでも表面上は、韓国の労働者にも他の先進国なみの権利が与えられていたのです。
 しかし、それは実際には「絵に描いた餅」にしか過ぎませんでした。それどころか、形だけの「労働法」の存在によって、現実の搾取が覆い隠されてさえいたのです。
 それを知ったチョンテイルさんは、今まで勉強会で使用していた労働法のテキストも燃やして踏ん切りをつけた上で、改めて職場の実態を告発していきます。

 それでもマスコミは沈黙を続ける中で、「バカの会」もついに弾圧され解散させられてしまいます。チョンテイルさん自身も解雇され、それに抗議する集会も潰されます。「バカの会」の労働者も遠巻きに様子を伺うだけで、誰もチョンテイルさんを救おうとはしません。もはやこれまでと悟ったチョンテイルさんは、抗議の焼身自殺を決行します。そして火だるまになりながら、「労働者を人間扱いしろ!」「日曜日ぐらい休ませろ!」と、最期まで叫び続けて亡くなります。

 しかし、事態が本当に動き出すのは、実はここからです。
 彼チョンテイルさんの自殺をきっかけに、韓国の労働実態が少しずつ明るみに出てきます。それまで「奇跡の経済成長」として賞賛される一方だったのが、その暗部に初めてメスが入れられます。その動きに励まされる形で、それまで黙っていた労働者も次第に声を上げるようになっていきます。
 その影響は韓国の民主化運動にも及びます。それまでは学生や知識人だけに限られていた運動が、労働問題も取り上げるようになる中で、次第に国民の中にも広がっていきます。そうして80年代に入り、軍事政権が内外ともに追い詰められる中で、韓国民はとうとう民主化を勝ち取ります。
 更に時代は下り、2005年になってようやく、再開発されたソウルの遊歩道・清渓川(チョンゲチョン)の、元あった縫製工場の近くに、チョンテイルさんの彫像と銅板がつくられ、彼の名が通りにつけられるまでになりました。

 以上がチョンテイルさんに関する説明です。さらに詳しく知りたい方は、ブログ「旗旗」の当該記事をご覧下さい。その後の「彼から何を受け継ぐべきなのか」という所で、「一番大事な事は、チョンテイルさんのように華々しく散る事ではなく、誰も焼身自殺なぞしなくても良い世の中を、みんなで作り上げていく事なのだ」と結ばれた後に、私の事がちょこっと出てきます。

>権利の上に眠るものに権利を主張する資格はない、法律に書いてあろうがなかろうが、現実にそれが保障され、社会で貫徹していなければ何の意味もないということです。今、プレカリアートさんのブログ(注:このブログの事です!)において、職場における(たった一人での)改善要求闘争の記録が連載されています。こういう一見「小さな」勇気が、チョンテイルさんの死を無駄にしない明日を作っていくことなんだろうなと思います。(当該記事より)

 しかし・・・方や、軍事政権下で身をもって搾取の実態を暴いた殉教者、もう方や、組合に入り闘い始めたものの、ただ言いたい事をブログ・新聞に書いて配っているにしか過ぎない一介のフリーター・・・あまりにも格が違いすぎます・・・。
 おそらく彼が後世に伝えたかったのは、「大きな行動も小さな勇気から始まる」というメッセージでしょう。ならば、PCをカゴ車からドーリーに積み替えている労働者の苦悶の姿こそ、会社の門前に据えてやった方が、より鮮明に記憶されるのでは。その横に、私の団交申立書の文面でも銅板にしてくれたら・・・orz。

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