アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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株価よりも国民生活の方が第一

2019年06月26日 18時03分33秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな
 
 
先日、兄貴の家に遊びに行ったら、株式投資を勧められ売買実績のグラフや表も見せてもらった。兄貴は元銀行員で、脱サラ後はビデオ店を経営していたが、今はその店も畳み、株やFXへの投資で生計を立てている。それを聞いて、私も最初は「いつまでも働ける訳じゃないので、年金の穴埋めに自己責任で投資も有りかな」と思ったが、次第にバカらしくなって来た。
 
何故なら、ギャンブルで儲けるチャンスは誰にもある様に見えながら、実際にギャンブルに勝つのは資金力のある大金持ちに限られるからだ。確かに、数百年単位で考えれば経済発展に伴い必ず物価は上がるので、株価も上がり儲かる。しかし、その間には数百万円、数千万円の単位で株価変動の波がある。証券会社や機関投資家はその波を受けても次の株価上昇に備える事が出来るが、零細な個人投資家ではその波をしのぐ事は出来ず、資金ショートで破綻してしまう。
 
兄はまだ2500万からのストックがあるから次に備える事が出来るが、250万のポケットマネーしかない私がこんな物に手を出してしまったら、儲ける前に資金ショートで破産してしまう。競馬もギャンブルだが、まだ土日に数千円で馬券買うだけなので、仕事や趣味の合間に予想も立てられるのだ。ところが株取引は最低でも数十万円の元手がいる。実際は数百万単位で株の売買をする。ネットで売買するので毎日24時間、株価と睨めっこしなければならない。これでは依存症と同じだ。
 
国は公的年金の穴埋めに株や個人年金への投資を奨励しているが、国が損失を補填してくれる訳ではない。そもそも、国民を食わしていくのが国の仕事なのに、その責任を個人に丸投げして知らん顔では、「じゃあ何の為に国があるのか?」と言う事にしかならない。そんな無責任な国の姿勢こそ問題にしなければならないのに。そう考えると、何か株投資そのものがバカらしくなって来た。
 
 
現に経済評論家の荻原博子も言っているではないか。「年金だけでも暮らせます」(PHP新書)と。
 
確かに少子高齢化で年金財政が逼迫しているのは事実だが、それでも「腐っても鯛」。先進国で1億2千万もの人口を抱え、生産年齢人口もまだ6400万人以上いる日本で、そう簡単に年金制度が破綻する訳がない。もし日本の公的年金が破綻するなら、日本よりも更に人口が少なく、高齢化も進んでいる英・独・仏や北欧諸国は一体どうなる?もっと悲惨な事になっていなければいけない筈だ。
 
ところが、どこも日本みたいな大騒ぎにはなっていない。英国はかつて「揺りかごから墓場まで」と言われたほどの福祉国家だった。その後のサッチャー政権時代に大分骨抜きにされてしまったが。フランスも育児制度を充実させて少子化に歯止めをかける事に成功した。
 
翻って日本はどうか?折角、1961年に国民皆保険を実現しながら、長年に渡る自民党の悪政によって、福祉制度が骨抜きにされ続けた結果、「保険あって給付なし」とまで言われるようになってしまった。年金給付の伸び率を常に物価上昇率以下に抑えるマクロ経済スライド(注)の仕組みなぞ、その際たる物ではないか。
 
(注)マクロ経済スライドとは、ざっくり言うと次の様な物である。例として、ある年の物価上昇率1.0%、被保険者(将来の年金受給者)伸び率0.6%、平均余命の伸び率0.3%とすると、1.0−(0.6+0.3)=0.1%が、その年の年金給付額の伸び率となる。0.1%にも満たないマイナスの年は給付額は減らされず据え置きとなるが、次の年にプラスに転じる様なら、据え置かれた年の分も上乗せして差し引かれる。実際にはもっと複雑な計算式となるが、根底にある発想は上記の様なものである。(厚労省HP参照)
 
麻生が受け取りを拒否し、二階や菅がその存在すら無かった物にしようとしている例の年金報告書も、実際の中身は「認知症の老人にも投資させるにはどうしたら良いか」という事が臆面も無く書かれているトンデモな代物だ。報告書の6ページあたりに載っているので、少し長いが引用する。
 
 
「加齢とともに認知・判断能力が低下し、心身の機能が衰えていくことには個人差はあるものの誰にでも起こる現象である。これに起因する金融サービスにおける制限は多岐に渡るが、その一つに資産の管理が自由に行えない点が挙げられる。資金の自由な引き出しはもちろん、 これまで資産運用を行ってきた場合でも、認知・判断能力に問題があり、 本人意思が確認できないと判断された場合には一定の制限がかかりうる。
認知・判断能力に支障がある者や障害者の生活や財産を守ることを目的 とした制度の一つとして、成年後見制度がある。成年後見制度の利用は、同時期に制度がスタートした介護保険制度に比べると、 現状低調であるものの、国が策定した成年後見制度の利用を促進する計画に基づく 環境整備が進んでおり、認知症の人も含めて、今後、成年後見制度を利用する者が増加することが予想される。後述する個人の金融資産の大半を高齢者が保有する状況に鑑みれば、同制度の利用増加に伴い、同制度の枠組みに入る金融資産が大きく増加していくことが想定される中、これらをどう管理していく かは重要な課題の一つと言える。」
 
これが例の年金報告書の中で認知症患者に対する扱いに触れた部分だ。やんわりとオブラートに包んだ表現になっているが、「成年後見制度も活用して、認知症の人でも資産を引き出せるようにせよ」と、あからさまに書かれている。認知症老人を金づるとしか見ていない事がよく分かる。
 
 
国民を鴨ネギとしか思っていない安倍政権が、御用学者や金融業者に諮問して書かせた報告書なのだから当然だ。報告書の隠ぺいを図った政府も許せないが、報告書の中身も決して国民の側に立ったものではない事は、明確に抑えておく必要がある。
 
それでも、幾ら改ざんが得意な安倍政権でも、日本の総人口や生産年齢人口の数字まで誤魔化す訳にはいかない。少子高齢化自体はまぎれもない事実だ。それを国民本位に打開するにはどうすれば良いか?常識的に考えれば、欠陥戦闘機F35の爆買いや大企業優遇税制なぞ止めて、日本の福祉予算も西欧並みの比率に引き上げるしかないだろう。国民生活が上向いてこそ、初めて出生率も上がり景気も良くなるのだから。
 
ところが、安倍政権はそれをせずに、国民からもっと搾り取る事しか考えていない。その方向に沿って書かれたのが、あの報告書の中身だった。だから「成人後見制度も活用して、認知症の老人にも金融商品を売りつけろ」なんて中身になるのだ。それがバレそうになったので、大慌てで火消しに走っているのだ。
 
実は、過去に私も投資に失敗している。私だけでなく家族全員がその被害に被っている。兄貴がまだビデオ店を経営していた時に、商売で知り合いになったアダルトグッズ自販機業者に、自販機のオーナーになる様に誘われ、生協の退職金をそれにつぎ込んだのだ。最初の数年間は配当も順調に入って来て、出資した退職金の半分ぐらいは回収できた。ところが、風営法改正でラブホテルへの規制が強まり、自販機の設置もままならなくなる中で、自販機業者が夜逃げしてしまったのだ。
 
私の退職金なぞ大した額ではなかったので、数百万規模の損害で済んだが、親父や兄貴の損害はそんな物では済まなかった。幸い、自販機そのものはまだラブホテルの中に残っていた。そこで、兄貴はその責任を取る形で、夜逃げした業者に代わり、自分が直接経営に乗り出そうとしたが、ラブホテルにすっかり足元を見透かされてしまった。散々買い叩かれた挙句に、自販機も処分するしか無かった。
 
そういう事があったので、旨い儲け話にはもう一切乗らないようにしているのだ。株式投資も同様だ。幾ら堅いと言われる大企業の資産株でも、福島の原発事故みたいな事になれば、東電や東芝の株の様に、一晩で紙屑と化してしまうではないか。
 
また、経済的には幾ら優良株であっても、政府の悪政の為に、産業育成が阻まれ、逆に不良債権と化してしまう場合すらある。介護関連株がその典型だ。折角、少子高齢化で介護需要はあるのに、国が介護保険制度の充実を怠って来た為に、「保険あって介護なし」となり、低賃金で重労働の介護求人には誰も応募しなくなってしまったではないか。
 
本当に公的年金制度の存続を図るなら、単に少子高齢化に備えるだけでは不十分だ。制度の運用を見直す中で、制度設計も立て直さなければならない。しかし、安倍政権がそんな事をする筈がない。あいつらの頭の中は、「国民からいかに搾り取るか?」しか無いのだから。
 
そして、株式投資にもそんな変革の発想はない。勝ち馬に乗る事ばかり考え、「どの馬も生きていける様にするにはどうすれば良いか?」なんて事は一切考えない。競馬ならまだそれで良いだろう。しかし、国の政治や経済もそんな発想では、大多数の国民が飢え死にしてしまう。国民は競走馬ではない。たとえ「条件馬」や「未勝利馬」クラスの人間であっても、人間である以上、基本的人権があり、生活の営みがある。それを一部の支配者の都合で食い物にされて堪るか!
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鍼灸院通いのチン電小旅行

2019年06月18日 21時57分28秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

高石の実家の近くに、今も通っている鍼灸院があります。そこには今も、隔週日曜毎に通っています。

その鍼灸院は完全予約制の治療院です。私が大阪いずみ市民生協に在籍していた頃から通っているので、もうかれこれ20年以上通い続けています。当時は、確実に休めるのは日曜ぐらいしか無かったので、実家近くにあり日曜も開業している、この鍼灸院は非常に有難い存在でした。
健康保険が利かない実費診療で、費用も1回に付き6千円と割高ですが、1時間半みっちり治療してくれるので、いつも予約で一杯です。しかも、ただ治療するだけでなく、生活環境の改善にも取り組んでおられるので、職場の労働問題の相談にも乗ってもらっています。私のブログの話題も出ます。だからこそ、実家を離れた今も、こうして通っているのです。

今までは南海電車で新今宮から通っていましたが、最近では南海ではなく阪堺電車で通うようにしています。時間だけで比較すれば、南海電車で行く方がはるかに早く着きます。それでも阪堺電車で通うようにしたのは、チンチン電車の阪堺電車の方が、車窓の変化に富んでいるからです。

今や南海本線の難波寄り区間はほとんど高架になってしまいました。急行電車ではたった20分で鍼灸院の最寄り駅に着きます。しかし、車窓には何の変哲もない風景が広がるだけです。それに対し、阪堺電車の方は、専用軌道(鉄道)と併用軌道(路面電車)の区間が交互に現れ、途中にはY字クロスや車庫のある乗換駅もあります。下町の住宅街を抜け、住吉大社の鳥居前をかすめ、併用区間では老舗が立ち並ぶ商店街のど真ん中を進むので、見ていて退屈しません。

今や大阪でもここだけとなったチンチン電車に乗れて、終点の浜寺駅前では、産業遺産に認定された南海電車の駅も堪能できます。ちょっとした小旅行気分が味わえるのです。浜寺駅前から鍼灸院までは徒歩30分で、ちょっとした散策気分が味わえます。交通費も割安で、南海よりも片道120円も安いのです。前回は天王寺まで出て上町線経由で通いましたが、今回は新今宮駅前から阪堺線に乗って、我孫子道で浜寺行きに乗り換える事にしました。

(左)天王寺駅前電停 (右)新今宮駅前(旧・南霞町)電停

阪堺電車には阪堺線と上町線があります。線路の名称は、今でも恵美須町―浜寺駅前が阪堺線、天王寺駅前―住吉が上町線です。しかし、実際の運転系統は異なります。天王寺駅前方面から乗れば、全てそのまま乗り換えなしで浜寺駅前に着きます。それに対し、恵美須町方面から乗った電車は、全て我孫子道までしか行きません。我孫子道で改めて浜寺駅前行きの電車に乗り換えなくてはなりません。我孫子道は車庫や本社もある中核駅です。今や上町線経由ルートが事実上の本線です。

阪堺線に乗って進むと、我孫子道より数駅手前の住吉で、上町線の線路とY字の形に合流します。昔は、上町線の電車は、そのまま阪堺線の線路をX字形にクロスして、直ぐ横の住吉公園駅まで行っていました。その後、住吉公園駅の廃止に伴い、今のY字形のクロスになりました。

 
 
 
(左)帰り道で我孫子道車庫を望む。 (右)行き道での上町線との合流点

しかし、どの電車にも乗降口にはICリコーダーが装備されているので、我孫子道での乗り換えもタッチするだけで済みます。我孫子道から乗ったのは堺トラム(1001系低床式電車)の「紫おん」でした。紫色の線が車体に入っているのが「紫おん」、茶色の線入りが「茶ちゃ」、青色の線入りの「青らん」。この3種類の堺トラムが、浜寺駅前と天王寺駅前の間を走っています。いずれも、阪堺線の赤字対策として、堺市からの補助で導入される事になった低床式車両です。まだ一部の運用に止まっています。どの電車が堺トラムなのかは、時刻表を見れば分かります。まだ一部でしか運用されていない堺トラムに乗れたのは、滅多にない幸運でした。

(左)浜寺駅前電停 (右)同電停に停車中の「紫おん」

やがて、鍼灸院での治療も終わり、再び浜寺駅前から新今宮駅前まで阪堺電車で帰る事にしました。浜寺公園は、昔は海水浴場も併設され、海水浴客で大いに賑わいました。阪堺電車そのものも、当時遊園地だった新世界の行楽客を、浜寺の海水浴場まで呼び込むために、敷設されました。そして、並行して走る南海電車と、熾烈な競争を演じました。明治時代に、南海がいち早く蒸気機関車から電車運転に転換したのも、阪堺電車との競争があったからです。当時は、天下の大私鉄がチンチン電車と競い合っていたのです。今では到底考えられない事ですが。

阪堺電車の浜寺駅前電停の近くに、南海本線の浜寺公園駅があります。この駅を設計したのは、今の東京駅の設計も手掛けた辰野金吾博士です。その当時の建築様式が今もよく残っており、国の登録有形文化財にも指定されています。

(上)南海本線浜寺公園駅の外観

浜寺公園駅の駅舎内にカフェが併設されていたので、そこでランチにしました。メニューはそんなに多くありませんでした。セットメニューはカレー・ハヤシライス・ピザ・ピザトースト位しかありません。私は500円のピザトーストセットを注文しました。

(左・右)浜寺公園駅の駅舎カフェの様子

出てきたピザトーストセットは、はっきり言ってショボかったです。しかし、店内にはツタヤみたいに絵本や児童書が一杯置かれていたので、それを読んで時間を潰す事ができました。

(左)カフェで注文したピザトーストセット (右)ステーションギャラリーの天井

駅舎には他にギャラリーも併設されていました。昔、この駅が海水浴場への行楽客で賑わった時代に、貴賓室として使われた部屋が、そのままギャラリーとして活用されていました。そこでは有名人の似顔絵が展示されていました。

私は、駅舎カフェのピザトーストだけでは物足りなかったので、浜寺駅前電停前にある福栄堂というお店で、チン電どら焼きを買って食べました。この福栄堂は、浜寺公園の松ぼっくりをかたどった、「松露だんご」というお菓子で有名です。次来た時には、「松露だんご」も是非、食べてみようと思います。

(左)チン電どらやき (右)福栄堂の外観

しかし、浜寺公園駅の駅舎は確かに風情がありましたが、駅前広場は閑古鳥が鳴いていました。海水浴場華やかなりし頃に繁盛していた駅前商店街は、今はもう跡形もありません。店として残っているのは、前述の福栄堂だけです。後はタワマンと空地、廃屋だけしかありません。

阪堺電車(阪堺電気軌道)そのものも、堺市からの補助で、どうにか経営を維持できている状態です。それでも、上町線の方は、まだ沿線に高校や大学も多くあり、ターミナルの天王寺にも接続しているので、今でも6分おきに満員電車が来ます。

問題は阪堺線の方です。ほとんど南海本線と並行して走っているので、南海に乗客を奪われているのです。以前は南海電鉄の路線網の一部だったので、それでも良かったのですが、80年代に南海電車の子会社となってからは、南海本社からの補助も無くなり、経営に苦労する事になります。特に住吉以北は、日中でも20分間隔の不等時ダイヤで、夜8時以降ともなると、1時間に1本のローカル線並みのダイヤとなってしまいます。

大阪市西成区の、阪堺線の北天下茶屋電停前には、駅のホームから直接入れるルンバという喫茶店があり、地元のミニコミ誌にも紹介されたりしたが、そこも今日見たら事実上、閉店してしまっていました。

(左)北天下茶屋電停横の喫茶店ルンバ (右)新今宮電停の上り時刻表

でも、阪堺線が寂れてしまった原因は、単に南海本線に乗客を奪われただけではないと思います。私は、それよりもむしろ、地元商店街のシャッター街化によるものが大きいと思います。

1964年の堺泉北コンビナート造成で浜寺公園海水浴場が閉鎖になって以降も、阪堺電車はプール客輸送で賑わっていました。それが、沿線の商店街が次々と寂れ、公設市場も閉鎖されるに従い、乗客は減り続け、少子化がそれに拍車をかけたのです。

今、阪堺線の起死回生策として、難波までの路線延長が検討されているようですが、交通渋滞を恐れる地元商店街の反対もあり、そう簡単には実現しそうにもありません。今や大阪ではここだけとなったチンチン電車を、是非とも残してほしいものです。

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年金詐欺による労災、第1号

2019年06月13日 23時24分53秒 | 職場人権レポートVol.3

数日前の朝のNHKニュースで、今頃になって「政府が最賃(最低賃金)時給千円への引き上げを考えている」とw。日本以外の先進国では、もうとっくに実現しているのに。次の契約更改面談では、むしろ「時給1200円ぐらい要求してやろうか」と思っているぐらいなのに。それが可能な根拠は、今考えただけでも、これだけある!

①最賃引上げは後払い賃金。政府が後押しする企業リストラによって、結婚も出来ない低賃金の非正規労働者が激増した結果、未婚者が増え、少子化で人手不足となり、賃上げで人集めに狂奔しなければならなくなっただけの事。アベノミクスのお陰でも何でもない。むしろ政府の長年に渡る無策に対する「身から出た錆」。だから、賃上げは「お零れ頂戴」ではなく「奪われた物を取り返す」闘いだ。

②幾ら最賃が上がったと言っても雀の涙。名目(額面)賃金でなく実質(手取り)賃金で見れば、むしろ下がっている。物価も税金も社会保険料も上がっているのに、社会保障給付が切り下げられているからだ。こんな国は先進国の中でも日本だけだ。

 

③他の先進国では今や最賃時給1500円(円換算)が労働運動の賃上げ目標。米国ニューヨークのマクドのバイトも時給1500円の最賃を勝ち取った。

④ウチの会社のバイト時給の大半が、未だに時給千円にも満たないのは、生産性が低いからだ。生産性が低いのは、仕事もせずにブラブラしている名ばかり管理職が多いからだ。そいつらは、たいして仕事もせずに、現場視察ばかり繰り返している。そのくせ、副所長は複数いるのに主任・グループ長などの実働部隊は皆無。こんな「頭でっかち」な会社は他にはない。

⑤日本の中小企業対策費は先進国最下位クラス。昨年2018年度も全予算額の僅か0.2%。トランプ言いなりに欠陥戦闘機F35爆買いする金の僅かでも回せば、もっと充実できる。それを政府に言わずして、④の改善もせずに、人手不足の中でも頑張っているバイトの生産性ばかりあげつらうな!

⑥私の今の時給千円でも、フルタイムで働いて月たったの17万6千円(8時間×22日で計算)。税金・社会保険料などの控除分を引いたら手取りは15万円を切る。時給1200円貰ってようやく手取り15万円確保できる。最低でもそれぐらい貰わなければ人間らしい生活なぞ営めない。

本当は私も欧米の労働者のように時給1500円欲しい処だが、バイト労組もない中で孤軍奮闘では時給1200円が関の山かなと。だから、この時給1200円は希望額なんかでは断じてない。あくまでも最低限の死守目標だ!

先日公表された金融庁の審議会報告書にも書いてあったじゃないか。「公的年金だけでは将来の老後に2千万不足するから、不足分は私的年金や投資などの自助努力で賄えろ」と。何でも自助努力に任すなら、「一体何の為に政府があるのか?」と言いたいが。じゃあ、それに回す為の蓄えをどうやって稼ぎ出す?やはり賃上げしかないだろうw。

しかし、月15万円や20万円そこらの給与で、一体どうやって「2千万円も貯蓄しろ」と言うのか?そんな事を財務相の麻生太郎が偉そうに言えるのも、麻生財閥の遺産があったからだ。たまたま金持ちの家に生まれたから、麻生みたいな「人でなし」でも政治家になれただけの話だ。
 
そうやって、麻生は偉そうにひん曲がった口で憎まれ口ばかり叩いておきながら、世論の批判を浴びた途端に、一転「デタラメな報告書は受け取らない」と言い放ち、審議会委員に罪をなすり付けた。審議会の面々は、麻生の言い分をそのまま報告書にしたためただけなのに。これでは、駄々っ子が「0点の答案なんか受け取れない!」と、駄々をこねているのと同じだ。
 
私が残業に追われているのも、家賃の支払いだけではない。私的年金の保険料も払わなければならないからだ。雀の涙ほどの公的年金だけでは、とても食べていけないから。金融庁の報告書の内容を身を以って実践している訳だ。これで残業中に過労で倒れでもしたら、「年金詐欺による労災」第1号だ。たった時給1500円の最低賃金も実現できないくせに、「2千万貯めろ」とか、ひん曲がった口で偉そうにほざくな!
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プレカリアートの主戦場

2019年06月08日 20時00分15秒 | 当ブログと私の生い立ち
川崎殺傷事件に農水次官の息子殺し。いずれも引きこもりの息子が事件の原因みたいに言われているが、私は違うと思う。生まれ落ちての引きこもりなぞ誰もいない。それまでの生育歴の中で、家庭や学校、職場で受けたハラスメントがきっかけで、人は引きこもりになるのだ。
 
川崎殺傷事件の容疑者は、両親の離婚を機に伯父夫婦宅に預けられた。伯父夫婦宅には既に実の兄と姉がいた。兄も姉も有名私立のカリタス小学校出身だった。それに対し容疑者は公立の中卒で、身なりも兄姉よりは見すぼらしかった。
学校でも虐められて就職にも失敗し、引きこもりになった挙句に、優秀な兄姉も通っていたカリタス小学校の児童に恨みの矛先を向け、スクールバスの停留所で通り魔殺人に至ったのだ。
大量殺傷事件を犯した後、容疑者は自殺してしまう。伯父夫婦は警察の事情聴取には応じたが、容疑者の遺体引き取りは拒否したそうだ。伯父夫婦にとって容疑者は厄介者でしかなかったのだ。
 
一方、東京・練馬の農水次官による息子殺しの事件では、引きこもりになった息子が父親の次官に暴力を振るっていた。その暴力に耐えかねた父親が、息子も川崎事件の容疑者みたいになるのを恐れ、息子殺害に至ったものだ。
息子は母親に厳しく躾けられ、私立の進学校に進学した。しかし、そこで虐められ受験競争からも脱落し、アニメーターを志すようになった。
しかし、そのアニメすら母親から蔑まされた事をきっかけに、両親に憎悪を向けるようになり、父親との喧嘩の後、父親に殺されてしまったのだ。
この事件の場合は、暴力を振るったのは息子で、両親はむしろ被害者だった。しかし、両親が周囲に息子の事を一切語らなかった事から、農水次官の経歴に傷が付くのを恐れ、息子の存在自体を疎ましく思っていた事は想像に難くない。そういう意味では、息子もまた、出世第一主義の両親の被害者だったと言える。
 
私はこの2つの事件のニュースを観て、これは世間が言うような引きこもりによる事件なんかではなく、むしろ毒親(子どもに悪影響を与える親)が引き起こした事件だと直感した。私も毒親育ちなので、何故そんな事になったのか、手に取るように分かるのだ。
私の父親も学業優秀で、進学校から大阪府庁に入り、それなりに出世した。次官まで上り詰める事は出来なかったが、出世第一主義で、経歴に傷が付くのを極力怖れていた所なぞも、くだんの農水次官と非常によく似ている。
 
事件の後も、ニュースのコメンテーターが相変わらず的外れなコメントをしている。あるコメンテーターなぞは、川崎のスクールバス襲撃事件容疑者に対して、「引き取ってくれた伯父夫婦がいただけでも幸せだと思わなければならない」と訓示を垂れていた。練馬の農水次官による息子殺害事件についても、「川崎事件みたいになる前に息子を殺してくれて良かった」みたいな意見も決して少なくないそうだ。ダウンタウンの松本人志に至っては、「不良品同士で殺しあってくれ」と言い放つ有様だ。
「親が育ててくれ、農水次官の場合は有名進学校まで進学させてもらったのに、息子は勝手に引きこもりになって、両親に恩を仇で返した」と言うのが、これら識者の意見だ。
 
私はそれを聞いて非常に違和感を感じた。「普通の愛情とニセモノの愛情の区別も付かないのか?」と思った。
普通の親なら、息子がアニメーター志望だと知ったら、その志望が叶うように応援するものだ。その上で、失敗しないように、失敗しても出来るだけ早く立ち直れるようにフォローするのが、本物の愛情だ。役人もアニメーターも同じ立派な職業なのだから。息子の人生は息子だけの物で、親の物ではないのだから。
 
それに対し、息子の希望を頭から否定し、親が望む出世コースに無理やり乗せようとするのが、ニセモノの愛情だ。一見、息子の将来を心配しているようで、実際は息子の事なぞどうでも良く、親自身の出世や経歴に傷がつくのを恐れているだけなのだ。本当に息子の事を思うなら、息子が変な差別意識を持ってしまったり、人格にゆがみが生じるリスクも考慮せずに、息子に出世コースを無理強いしたりなぞはしない。
 
農水次官一家の愛情も、そんなニセモノの愛情だった。母親はアニメーターという職業を蔑み、父親も蔑んで周囲に息子の事は一切語らなかった。彼らにとっては、役人になり出世する事が第一で、息子はその顕示欲を満たす道具でしか無かったのだ。愛したのは息子ではなく自分の経歴だった。
川崎のスクールバス襲撃事件の場合も同じだ。伯父夫婦は地元では名望家として名が通っていた。息子はその経歴に傷を付ける存在でしか無かった。だから実の兄姉とは扱いに差を付けていたのだ。
 
私の実家も農水次官の家庭と非常によく似ている。私は3人兄弟の次男として生まれた。他に兄と妹がいる。私は未熟児として生まれ、体力が無かった所為か、子どもの頃はよく虐められた。勝気な母親は、そんな私に対して、「何故やり返さないのか?」とよく憤慨したものだ。
父親も、最初は父親似の息子だと可愛がってくれたものの、やがて反抗期になり、父親と些細な事で喧嘩してからは、「こんな計算も出来ないのか」と殴られるようになってしまった。
 
私は中学生になると、次第に政治に目覚め始めた。地元の堺泉北コンビナート公害反対運動の影響もあって、共産党や社会党、新左翼などに次第にシンパシーを抱くようになった。父親は、そんな私を更に疎んじるようになる。
やがて大学生となり、文学部の史学科に進学した私は、史的唯物論やマルクス経済学の本も読むようになる。幼少期に受けた虐めも、学歴差別や経済格差によるもので、階級支配による差別が無くならない限り、虐めも無くならない。それを大学で学んで、初めて私を苦しめていた物の正体が分かった時の感激は今も忘れられない。
 
しかし、そんな私に対して、父親はどういう態度を取ったか?府庁の共産党員に勧められ、嫌々取らされた「しんぶん赤旗」を、私には読ませないようにした。もう大学生で、どんな新聞を読もうと個人の自由なのに。そして、どんな本を読んでいるのか、私の留守中に一々詮索するようになった。その手法たるや、まるで今の中国の情報統制と同じだ。
いつぞや、地元中学の虐め事件で、事件の隠蔽を図ろうとする校長・教頭に抗議する教組のビラが私の実家にも投函され、虐め事件の事が食卓の話題になった際も、親父は教職員組合をアカと詰るばかりだった。それを諌めた私が「民主教育」という言葉を口にしただけで、それに異様に反応し、いきなり激昂する始末だ。
 
その後、私は父親の薦めで一時期、教職の道に進む事になる。地理や歴史が好きで、史学科に進学した私に対して、「史学科では教師になるしかない」というのが父親の見立てだった。私は、そんな親父の思惑とは別に、当時テレビ放映されていた金八先生や熱中時代のドラマに魅せられ、私も武田鉄矢や水谷豊が演じるような教師になりたいと思い、私立高校の社会科常勤講師になった。
 
その私立高校は、当時は組合もないブラックな職場だった。私はそこで意に添わぬ生活指導の教務まで持たされ、生徒の服装チェックの為に、毎朝校門に立たされた。封建的な職場で、新米教師は毎日お茶汲みするように言われた。
私はそれに反発するかのように、社会科(政治経済)の授業で、いきなり憲法9条や有事法制の解説を始めた。
しかし、教科書の漢字もまともに読めない低学力校で、いきなりそんな授業をした所で、空回りする事は目に見えている。私も、自分の価値観を一方的に子どもに押し付けているという点では、父親と同じだった。
 
一年限りで教師を辞めた私は、先輩の薦めもあって生協に就職する事になる。暮らしと平和を守る為に、食料品や雑貨の配達だけでなく平和運動にも取り組んでいる生協は、まさに私にとっては打って付けの職場だった。少なくとも当初はそう思われた。
しかし、民主的な職場だと思われた生協も、内部では軍隊式の規律で運営されていた。共同購入の配送では1コースに何十班も持たされ、帰って来ても組合員拡大や利用高アップの目標を達成するまでは、深夜になっても帰る事が許されなかった。勿論、全てサービス残業だ。
私は支所の商品管理担当(倉庫係)に物流センター勤務と、配送業務には直接関わらなかったので、目標達成のノルマや配送事故の総括会で上から詰めまくられる事は無かった。しかし、それでも虐めにもあったし、最後は人減らしの中で終電間際までサービス残業で働かされた。その中で、「このまま生協にいたら過労死させられる」と思い、生協を退職した。
 
保守的な父親は、そんな私に対して、最初はなんとか出世街道に引き戻そうとした。生協に就職して一年目の、これから仕事を山ほど覚えなければならない私に、再び教員採用試験を受けさせようとしたのだ。それも私に直接言うのではなく、母に泣き落としさせて。「あんたが受験しなければ私がお父ちゃんから叱られる」と母に泣きつかれ、教員採用試験の受験だけはする事にした。そして日曜日の受験日に、わざと白紙答案書いて出してやった。
大阪府庁勤務のコネを生かして府教委に手を回していた父親も、白紙答案では下駄の履かせようもない。それで、私の意志が固い事を知った父親は、ようやく私に干渉するのを諦めた。
 
生協退職して数年後に、私は今の運送会社に転職し、業務請負先の某大手スーパー物流センターで働く事になった。非正規雇用なので月収は生協時代の3分の2ほどしかない。私の勤務先も、世間の目からすれば、常に人手不足に悩まされるブラック企業でしかない。
私はそこでも色々あった。虐めやパワハラも受けた。しかし、そんな職場でも、何がきっかけで幸いするか分からない。
私の場合は、職場環境の悪化を機に、個人加盟の労働組合に入り、会社とサシで団体交渉に臨んだ事がきっかけだ。団交そのものは散々な結果に終わったが、これを機に、次第に物怖じしない人間に変わっていった。
 
そうすると不思議な物で、やがて仕事でも評価されるようになり、味方に付いてくれる人も増えていった。幾ら民主的と言われる職場でも、内部が腐っていたらブラック企業と同じだ。逆に、幾らブラックだと言われる職場でも、自分自身が変われば周囲も変わる。それは、もし私が順調に出世街道を歩んでいたら、決して出会わなかったであろう、貴重な経験だった。
 
しかし、私がそんな経験を積んでいる事も知らない親父は、兄妹が結婚して独立し、お袋も亡くなり、実家で親父と2人きりになった私に対して、再び干渉して来るようになった。昔は教職への道を押し付けて来たが、今度は結婚を強要するようになった。
実家の近所に住んでいるというだけで、まだ付き合った事もなく顔も知らない整体師の娘さんと、いきなり「結婚しろ」と言って来たのだ。その娘さんは目が不自由だ。私がその方を支え切れる自信も無かった。それ以前に、全く見ず知らずの人と、いきなり「結婚しろ」と言う事自体が異常だ。幾ら何でもそれは論外なので、「何故そこまでしてまで結婚に拘るのか?」聞いたら、「あほう、お前もう年幾つだと思っているのか?」と抜かしたのだ。
 
阿呆なのは一体どちらか?別に何歳であろうと、独身や非正規であろうと、そんな事で人間の値打ちが決まる訳がないだろう。どんな人間にも基本的人権はある。皆んな平等に自由に生きる権利がある。
親父に対しては他にも言いたい事がある。私の事を「ただのんべんだらりと生きてきた」と何度も言うので、社内表彰された事を言ったら、「たったそれだけしか、お前には自慢する物がないのか」と抜かしたのだ。
親父にとっては出世が全てなのだ。息子の幸せよりも、息子の出世で自分に箔が付く事の方が大事なのだ。教職の道に異常に拘ったのも、決して息子の将来を案じたからではない。自分の経歴に傷が付くのを恐れたからに過ぎない。
 
はっきり言って、ブラック企業でも労働組合に入って団体交渉も経験した私の方が、社畜の人生しか知らない親父よりも、よっほど人生経験豊富だと思っている。下手すれば私も川崎や練馬の事件と同じような事をしていたかも知れない中で、犯罪に転落する事もなく、むしろここまで人生を挽回できたのだから。別に褒めて欲しいとは思わないが、少なくとも貶されなければならないような覚えはこれっぽっちもない。遂に私は親父と衝突し、実家を出る事になった。
 
しかし、親父は何故それほどまで出世や結婚に拘るのか?その理由も何となく分かってきた。
それは、この日本においては、まだまだ「家父長制」の名残りが残っているからだ。「家父長制」と言っても今の人はピンと来ないかも知れない。そういう人は、NHKの朝ドラ「まんぷく」の中で、ヒロイン今井福子の母親が、ことある毎に「私は武士の娘なのに(あなたと来たらもう…)」と愚痴る場面を想像して欲しい。このように、ひたすら家柄や出世に拘るのが、家父長制下における家族の姿だ。
 
それに対し、映画「万引き家族」に登場する家族は、まるで正反対だ。親父は失職して万引き稼業。妻も実は子どもをさらって育ててきた。祖母も独居老人という事で支給された年金を詐取して家族を養っていた。妹は風俗店のイメクラに勤務。果ては夫婦で共謀して、亡くなった祖母の遺体を自宅の庭にこっそり埋め、年金を引き続きだまし取ろうとする。それがバレても、ケガで入院中の息子を放ったらかして自分達だけ夜逃げしようと図る。
そんなトンデモな家族でありながら、他方では捨て子を拾って家族同然に育てようと必死になる。そうして、皆それぞれが健気に助け合って生きようとしていた。
 
どちらが、より人間的な家族か?後者の「万引き家族」の方が、より人間的であるのは明らかだ。実は江戸時代以前の日本では、こんな家族の方が一般的だった。幾ら「武士の娘」と強がった所で、武士階級自体が当時の人口の1割にも満たなかったのだから当然だ。
「万引き家族」の例が極端だと言うなら、漫画「じゃりン子チエ」の家族を引き合いに出しても良い。およそ経歴や家柄とは無縁の、こんな家族が一般的だった。
 
それが何故、農水次官やうちの親父みたいな家庭ばかりになってしまったのか?明治時代以降に、国家による支配機構の末端に家族が組み入れられていったからだ。その中では、家督(一家の財産)相続権を持つのは家長(世帯主)の父親だけだ。だから「家父長制」と言うのだ。父親から家督を相続できるのも長男だけで、女や次男坊以下の男は一人前の人間とは認められていなかった。家族の中にも厳然と身分制度があったのだ。
 
その身分制度の頂点に天皇がいた。そうして、政府の進める富国強兵政策を下支えする兵士や貧農、貧しい労働者の供給地として、家族が支配機構の末端に組み込まれていったのだ。今も回覧板の形で残る「隣組」が、その名残だ。親父が経歴や体面にばかり拘り、私にひたすら恭順を強いようとしたのも、国家による家族支配の中では、そうしなければ非国民として後ろ指をさされかねないからだ。
 
主戦場」という映画がある。慰安婦問題を取り上げた映画だ。その中で、「テキサス神父」と呼ばれる右翼の米国人が、日本の右翼に媚び入って、米国にある慰安婦像に紙袋を被せる場面が出てくる。私はそれを見て確信した。これは慰安婦だけの問題ではないと。
 
奴らが紙袋を被せて存在自体を無き者にしようとしたのは、別に慰安婦だけではない。ハンセン病患者も、戦争遂行の足手まといとして、隔離され断種手術が強行された。そして、反戦平和を唱えた者だけでなく、特攻・玉砕を忌避した者も、アカや非国民と呼ばれ、片っ端から豚箱にぶち込まれた。その挙句に、学童疎開以外は空襲下でも避難を禁じられバケツリレーを強要された。だから、何十万人も空襲で焼け死ぬ事になったのだ。
 
その戦争の犠牲と引き換えに、戦後、ようやく日本国憲法が施行され、基本的人権や男女平等、8時間労働制もやっと認められるようになった。ところが、21世紀も佳境に入ろうとする今頃になって、再び日本を戦前のような国にしようとする勢力が、またぞろ台頭しつつある。
そいつらは、日本国内では「慰安婦なぞいない。あれは唯の売春婦」だと言いながら、韓国には「もう賠償金は払ったではないか」という理屈で抗弁する。「慰安婦なぞ最初からいなかった」と言うなら、最初から賠償なぞする必要も無かった筈だ。ところが韓国や米国にはそこまで言えず、「賠償は済んだ」としか言えない。これだけ取って見ても、そいつらの主張が、いかにその場しのぎのご都合主義で、歴史の検証に値する代物でないか分かろうと言うものだ。
 
憲法改正を巡る安倍政権の主張も同様だ。普段はあれほど憲法改正を叫びながら、いざ解散総選挙になった途端に、憲法改正の主張は後景に退けられ、消費税増税や教育無償化の是非に争点がすり替わる。しかも、消費税増税すると今まで言っておきながら、選挙では増税凍結を主張する厚かましさだ。そんな「争点隠し、争点そらし」で議席を掠め取っておきながら、選挙が済んだ途端に「増税も改憲も認められた」と居直るのだ。
 
そんな詐欺まがいの安倍政権であるにも関わらず、支持率が6割に及ぶのは何故なのか?安倍に逆らえば非国民と呼ばれるのを恐れているからだ。だから、増税凍結や教育無償化が方便に過ぎない事を国民も薄々感じながらも、「長い物には巻かれろ」で安倍政権を渋々支持しているのに過ぎないのだ。
 
その犠牲になるのは一体誰なのか?慰安婦やハンセン病患者だけではないだろう。ごく僅かの最低賃金引き上げと引き換えに、タダ働き合法化(高度プロフェッショナル法案)を強行可決され、定年延長と引き換えに「公的年金や生活保護にばかり頼るな。私的年金や投資にも金をつぎ込め。ダブルワークもやって死ぬまで働け」と強要される大多数の国民だ。そんな事態を前にして、経歴や体面ばかりに拘って一体何になる?そんな下らない事に拘るよりも、むしろ、そんな下らない事で人を差別したり差別されない世の中にする事の方が、よっぽど大事で必要な事ではないか。
 
引きこもりも、その中でこそ初めて解放されるのだ。そんな世の中を作る事こそが、私の人生最大の目標である。そして、その夢を実現する場こそが、私の主戦場である。
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共産党をワンコイン党に改名しろw

2019年06月01日 01時11分07秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな

 遂に山本太郎のポスターが大阪・西成の「あいりん地区」(動物園前一番街)にも現れた!

人は山本太郎の事を「売名芸能人」と呼ぶが、私は必ずしもそうは思わない。売名でこんな反権力の主張なぞ出来ない。

また、芸能人という事で軽く見られるが、政党渡り鳥の世襲政治家や、選挙で負けた途端に掌を返す様に都構想反対から賛成に転じる自民党府議よりは、よっぽど骨があると思う。

確かに、彼には、左派でありながら元号(天皇制)にシンパシーを抱き「れいわ新選組」という名の政治団体を立ち上げる等、そそっかしく粗削りな所がある。しかし、そういう「向こう見ず」さに魅力を感じる人たちもいる。今まで政治にそっぽを向いていた人にも訴える力がある。

そんな山本太郎と対照的なのが共産党だ。格差是正など、同じ様な事を共産党も主張しながら、なぜ共産党の党勢がなかなか伸びないのか?山本太郎が言ってる「働いたら誰でも食える様にしろ」「税金は無い所から搾り取るのではなく、在る所から先に取れ」という主張こそ、ある意味では「共産主義」そのものなのに。

西成出身のラップミュージシャン、SHINGO西成の歌詞も、この様な内容で、若者に人気を博している。昨年の米国中間選挙で大量当選した民主党若手が掲げたのも、反格差を唱える「共産主義」的な公約だった。

同じ事を主張していて、片方は若者の心を掴みつつあるのに、他方はいまだに「暴力革命」や「北朝鮮」のイメージでしか捉えられないのは何故か?私は、「共産」という不正確な訳語に、その原因があると思う。

「共産主義」を意味する英語のコミュニズム(communism)は、「共同体」を意味するフランス語のコミューン(commune)から来ている。元々は、搾取も階級支配もない万人平等で自由な共同体を目指す思想だった。

ところが、これを日本人が訳す際に、その理想を実現する手段に過ぎない「生産手段の共有」を、「生活手段の共有」と混同してしまい、「財産共有」を意味する「共産主義」と訳してしまったのだ。

共産主義が共有を図ろうとしたのは、あくまでも「生産手段」(大企業の工場設備など)だ。共産主義とは本来、「分配」に重きを置く考え方なのだから。ところが、「共産主義」と誤訳されてしまった事で、「生活手段」(個人のマイカーや持ち家)まで没収されると誤解されてしまったのだ。

しかも、ソ連や中国、北朝鮮では、それを真に受けて、本当に生活手段まで共有にしてしまった。だから、とかく「共産主義」とか「共産党」と言えば、「財産が奪われる」「自由も奪われる」と、最初の意味とは全く正反対のイメージで捉えられるようになってしまったのだ。

それもこれも、英語のコミュニズム(communism)を日本語に訳す時に、「共産」主義なぞという不正確な訳語を充ててしまったからだ。本来は「共同」主義とか「分配」主義とでも訳せば良かったのだ。

そう考えると、誰でも安い値段で購入できて美味しく食べれるワンコイン弁当こそ、分配の最たるものではないか。「共産」の意味を正しく理解してもらうには、党名も「共産党」から「ワンコイン党」に変えるべきではないか。

「票欲しさに弁当で有権者を釣るのか?」と言うなかれ。誰でも安い値段で購入できて美味しく食べれるワンコイン弁当ほど、「共産主義」の理想である「分配、平等」を、分かりやすい形で体現したものはないと思う。

誰でも、どこでも、いつでも、500円で美味しい弁当を食べれるようにすれば、どんな野党も自民党に取って代わる事が出来る。腹が減っては戦どころか、生きていく事も出来ないのだから。

アベノミクスで膨れなかった腹も、ワンコイン弁当なら膨らます事は出来る。「しんぶん赤旗」の購読を強引に勧められて嫌な思いをした人も、美味しいワンコイン弁当なら、勧められても嫌な気はしない。それが証拠に、サラ金嫌いの人間も、サラ金が街頭で配る宣伝用のティッシュはちゃっかり受け取っているではないか。

共産党も山本太郎の「向こう見ず」さにならい、「全国に子ども食堂を」「誰でも毎日ワンコインで飯が食える様にする」と訴えれば、もっと党勢が伸びると思うが、どうだろうかw?

「500円では赤字になる」と言うなら、六本木ヒルズの住民など、ごく一部の大金持ちには、ワンコインではなくカンパ込みの1万円で販売してやれば良い。あいつら見栄っ張りで、コーヒーも、六本木ヒルズ内にある1杯1万円のコーヒーショップでしか飲まないのだから。

国会内でもワンコイン弁当をカンパ代込みの1万円で販売し、国会議員のお買い上げランキングを政党別に発表してやれば良い。それを毎日、「しんぶん赤旗」一面トップに掲載するのだ。そうすれば、どの党が弱者救済、格差是正に背を向けているか、一目瞭然になるではないかww。

山本太郎のポスターにも書いてあるではないか。「税金は、まず大金持ちから戴き〼(ます)」と。
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