アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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「フツーの仕事がしたい」―洗脳離脱の人権宣言

2009年01月29日 23時42分38秒 | 映画・文化批評
「フツーの仕事がしたい」予告編


 イスラエルによるガザ侵攻の話題に忙殺されて、ブログ更新が遅くなってしまいましたが、先週末の休みに見た映画「フツーの仕事がしたい」(監督:土屋トカチ)について、感想などを少し。

 この映画は、車が好きで、生コン輸送のトラック運転手になり、気がつけば「1ヶ月に552時間も」働かされても「それをフツーの状態だと思い込まされていた」労働者(皆倉信和さん)が、過労で入院したのを機に、「このままでは流石にやばいぞ」と思い始め、個人加盟の労働組合(連帯ユニオン)に加入した所から始まります。
 皆倉(かいくら)さんが勤めていた運送会社(有限会社東×運輸:名称失念)は、住友大阪セメントの二次下請けで、「セメントを運んで何ぼ」の完全歩合給制度が導入されています。住友のセメント工場と各地の工事現場を、過積載で一日に何往復もして、やっと食べていける程の低賃金の下で、皆倉さんも、ある日などは早朝3時に出て翌々日のまた早朝5時にやっと帰社するという、そんな毎日を過ごしていました。

 そんな状況にあっても、職場には組合も無い中で、「こんな仕事はみんなこんなモン」と半ば諦めていた皆倉さんでしたが、相次ぐ賃金切り下げや過労入院を経験する中で、たまたま目にしたビラを頼りに、ユニオンの門を叩く事になります。皆倉さんの会社社長は、それに対して、知り合いの工藤とかいうヤクザ紛いの男まで使って、執拗に労組脱退工作を進めます。何と、皆倉さんのお母さんの葬儀の席にまで押しかけてきて、参列者の目前で皆倉さんに暴力を振るうのです。
 ここから皆倉さんたちの反撃が始まり、工藤や東×運輸の社長、それらの違法行為に目を瞑ってきた一次下請けのフコックスや、元請の住友資本に対して、糾弾行動が組織されていきます。そして、最後には会社側との和解により、東×運輸は住友との業務委託契約を解除され、皆倉さんには解決金が支払われ、争議は解決に向かいます。晴れて新会社に移籍となった皆倉さんは、よくやく人並みの(健康で文化的な)「フツーの生活」に戻れた・・・という、そういうストーリーの映画です。

 ここで私がまず思ったのは、「月552時間労働」という全然「フツーでない異常な状況」を、「それがこの業界ではフツーの事」として飼いならされてきた異常性についてです。「月552時間」と一口に言いますが、まともに週休を取っていたら、どんなに働いてもこんな数字にはなりません。1日当たりの労働時間が24時間を超えてしまいますから。1日も休まず月30~31日働いて、よくやく1日平均18時間前後の数字になります。
 1日のうちで18時間も仕事に拘束され、残りの6時間で睡眠と食事を済まさなければならない。これでは帰宅も入浴も無理です。トラックの中で、おにぎりを頬張り仮眠するだけの毎日の繰り返し。これが1年365日延々と続くのです。これを「この業界ではフツーの事」として、恰も「宿命」の如く思い込まされていたのですから、げに洗脳とは恐ろしいもの。

 確かに、この映画に描かれた状況は、今の世間常識から見ても異常には違いありませんが、決して特殊な業界の特殊な事例ではありません。交通事故と同程度に、どこにも転がっている日常的な「異常」でしかないのです。例えば、赤帽やバイク便や一人親方や、コンビニ・フランチャイズ経営などの、個人請負業や委託経営の世界では、この程度の事は、ごくありふれた「フツー」の事例なのですから。
 また、個人請負業や委託経営ではない、労基法が適用される筈の労働現場においても、こういう違法行為が堂々とまかり通っているのは、今の「名ばかり店長・管理職・正社員」や派遣・請負労働の現場を見れば、もう一目瞭然です。

 斯様に、今でこそ言えるのですが、斯く言う私も「蟹工船」生協時代の、生協人生最終盤の1998年前後から始まった大リストラ時代には、何を隠そう、これと全く同じ様な境遇でした。
 まず正規職員の数が減らされ、今まで二人でやっていた仕事を一人で背負い込まされる様になり、加えてバイト退職後の穴埋めも満足に為されずに、現場作業のフォローにも時間の大半が割かれるようになった。それに加えて業務の外注化で、当時慣れないパソコンで、派遣・請負労働者用のマニュアル作成業務を、時間外や休日出勤のサービス残業で強いられる様になる。勿論、残業代などは一切支給されず。
 早朝7時過ぎには早出して、夕方までは現場に入りびたり。そこからサービス残業で日常の事務作業や先述のマニュアル作成が加わり、退勤はいつも終電に間に合うか間に合わないか。間に合わずに職場に泊り込んだ事も何度もあった。

 とりわけ酷かったのは、実際に派遣・請負労働者への業務引継ぎが始まってからの数週間の事。物流センター業務の外注化で、既に24時間稼動体制に移行していた中で、生協の正規職員も立ち上げ当初という事で、約2週間に渡って日曜日も出勤の状態が続いた。謂わばこの期間中は、私も皆倉さんとほぼ同じ状況に置かれていたのです。今から思っても、よくぞ死ななかったものだと思います。マジで冗談抜きで。
 だから、この映画を見ても、とても他人事だとは思えませんでした。今でこそ「何であんな所で黙って働いていたのか」と言えるのですが、その時は「これが生協ではフツーの事」だと、思い込まされていたのですから。退職後も、過去に遡って2年分の労働債権(未払い残業代)の請求権は当方に在ったのですから、それまでの出退勤時刻を逐一メモするなどして、証拠を揃えて労基署に告発してやればよかったのに、という事も、洗脳の解けた今になって初めて言える事で。

 世の中には、同じ言葉でも、使う人の立場によっては正反対の意味で使われる事が、少なからずあります。「社畜」という俗語などは、差し詰め、その典型的な例でしょう。
 我々労働者の立場からすれば、この言葉は、文字通り「資本家の犬、会社奴隷、ヒラメ社員、守銭奴」の意味でしか使われません。自己の保身と会社利益の為に、水俣病患者を見殺しにしたかつてのチッソ社員や、率先して「派遣切り」や「正社員切り」に勤しみ、或いはそれに積極的に加担する、現代の労務担当職制や御用組合幹部を指す言葉として使われる事が殆どです。
 しかし、ホリエモン・御手洗富士夫・奥谷禮子などの新自由主義者にとっては、先の意味合いとは全く逆に、「フツーの仕事がしたい」という皆倉さんや、「フツーが一番」という私みたいな人の事を指すのだそうです。「経営者感覚の欠如したサラリーマン」「給料泥棒、窓際族」みたいな意味合いで。

 確かに、長い人生の中では、「経営者」的視点が必要な場面も在るでしょう。いくら下積みの労働者と言えども、実際に部下や後輩を指導する段になれば、「上から目線」で物を見なければならない時も在るでしょう。しかし、そういう「経営者」的視点と言うのも、必要最小限度の衣食住が保障されてこそ、初めて芽生えてくるものです。
 その前提条件を欠いた所で、いくら資本の側が笛吹けど、誰がそんなモノに付いて行きますかいな。付いて行った先が「月552時間労働」が常態化する異常社会では、そんな「目の前に人参ぶら下げられて、始終、椅子取りゲームに急き立てられる様な世界」よりも、「生活こそ第一」「フツーが一番」の方が、何倍も良いに決まっています。
 フツーに仕事が出来れば、もうそれで良し。それ以上何を要求するのか。これ以上、目の前に人参ぶら下げられて、椅子取りゲームに急き立てられるのは、もう真っ平。

 派遣村に数多くの求人が寄せられても、それでも職にありつけない人が居る事を指して、一部の人たちは、やれ「贅沢」だの「選り好みし過ぎだ」だのと言い募っている様ですが、何をか況やです。それらの求人情報には、過去に従業員の残業代不払いで訴えられた居酒屋チェーンや、ドライバーに過労運転を強要して交通事故を頻発させている格安運賃のタクシー会社、労組潰しで悪名高いタクシー会社なども、何食わぬ顔して名を連ねているのです。この様に、一見人助けを装って、実際には人の足元見透かしたものも、少なくないのです。
 そもそも、それ以前に、「仕事とはそもそも一体何なのか」という問題が在ります。自分のやりたい、やり甲斐の在る仕事を選べてこそ、職業選択の本来の在り方ではないのか。それは、決して「贅沢」でも「選り好み」でもなく、れっきとした「人権」ではないか。それとも、「失業者は大人しくお上のお情けに縋って居れば良い、人権要求など以ての外」とでも言いたいのか。
 問題は、そういう「フツーの仕事」が、すっかり影を潜めてしまった所にこそ、在るのではないでしょうか。

・映画「フツーの仕事がしたい」公式ブログ
 http://nomalabor.exblog.jp/i2
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パレスチナ・イスラエル紛争解決の方向性

2009年01月25日 21時23分11秒 | その他の国際問題
  
 
※画像解説:
 1月3日にイスラエル国内で行われた反戦デモ。
 上はテルアビブ、下は北部のサクーニンでの様子。
 (出典:週刊「前進」)


 前号エントリー「転載:メディアとイスラエルの共犯―罠にはまっている私たち」の最後で言及した、以下の内容について、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

>90年代の湾岸戦争以降、ともすれば、米軍やイスラエルの側からの従軍報道ばかりが、メディアの中でやたら幅を利かせる様になりました。そんな中にあって、ややもすれば私たちも、知らず知らずのうちに、加害者も加害者も十把一絡げに「どっちもどっち」と捉えてしまう愚を冒しているのではないか、という想いがあります。
>パレスチナとイスラエルの戦いが、前者に対する後者の一方的簒奪にしか他ならないのに、それを恰も両者が対等な戦いであるかの様に、看做してこなかったか。まずは、それに対する自戒の意味も込めて、こちらに転載しました。
>しかし、だからといって、イスラエル全体を「悪魔の国」と決めつける立場には、賛成致しかねます。それでは、ブッシュによる「悪の枢軸」論の、裏返しでしかありません。
>ハマスも、反侵略・レジスタンスを言うのなら、シオニストに包囲されながらも、しぶとく反戦運動を展開している、イスラエル国内の左派・アラブ系市民との連帯を、何故模索しないのか? 国際連帯の視点を欠いたレジスタンスでは、ただの排外主義にしか為らないのでは。その言う事も含めて、考える上での素材として、上記論評の転載に踏み切った、というのもあります。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/2566e657f4f49d39dc56af266cb8d618

 何故、上記の様な事を書くに至ったのかというと、「ガザ戦争で逆転する善悪」(田中宇の国際ニュース解説)の中で、田中氏が、今のハマスを、第二次大戦中のワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人居住区)蜂起の指導者モルデハイに準えて、「今のモルデハイはガザにいる」と述べているのを、目にしたからです。
 曰く、ガザの近くに、モルデハイの名を記したキブツ(イスラエルの農業共同体村落)があるが、そのモルデハイの子孫が、かつてナチスがユダヤ人に対して行ったのと同じ事を、今度はパレスチナ人に対して行っている。今や、善悪の役どころは、完全に逆転してしまっている。モルデハイの抵抗精神を真に継承するのは、キブツのユダヤ人ではなく、イスラエルの占領と闘っているハマスである、と。
 確かに、「かつての被抑圧者が、今や抑圧者として君臨している」というのは、全く以ってその通りなのだけれど、ではその現代の抑圧者と戦っているレジスタンス勢力(ハマス)も、イスラエル全体を「悪魔の国」と決めつけている限り、米国ブッシュの「悪の枢軸」論と、同じ立場でしかないのでは。それを克服しない限り、次にはハマスが、イスラエルと同じ役どころを演じる事にしかならないのではないか、と。
 そういう思いもあって、先のML「メディアとイスラエルの共犯―」の内容を、ブログで取り上げました。

 勿論、それが言うほど容易い事ではない事は、私にも充分わかります。それは、イスラエルの現代政治史を少し調べるだけでも、容易に想像がつきます。
 イスラエルでは、1948年の建国以後、60年代までは、労働党を中心とするシオニスト左派が、政権を担ってきました。しかし、67年の第三次中東戦争を機に、リクードを中心とするシオニスト右派が、次第に勢力を拡大し、今やシオニスト左派との間で、政権交代を繰り返すまでに至っています。近年は、リクード分派で、一応中道派と目されているカディマが、それに加わり、今やイスラエルは、これら三大政党を軸に、それに国家宗教党などの右翼宗教政党が加わる形で、少数与党による連立政権が続いてきました。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB

 この様に、表面上は「中東における民主主義のショーウィンドウ」として、「左右」拮抗・小党分立の議会政治が続いているかに見えるイスラエルですが、実権を握っているのは、あくまでもシオニストに限られ、しかもその中では、「絶えず右派が左派をせっついている」という構図が、垣間見えます。それ以外の、非シオニストの共産党系やアラブ系の政党も、独自の政治勢力を保持して、国会にも議席を有してはいますが、その影響力は未だ限られたものに留まっています。
 現に、今回のガザ侵攻を行ったのも、シオニスト「左派・中道派」である筈の、オルメルト首相率いる労働党・カディマ連立政権なのですから。しかも、その侵攻の動機たるや、来る2月に予定されている総選挙に向けて、劣勢を伝えられる「左派・中道」政権が、右翼リクードに対する失地回復の為に、ハマスのロケット弾攻撃に託けて行ったものだと言うのですから、もう何をか況やです。
 中東メディアが、「イスラエルでは左派もこの戦争を支持している」と抗議の声を上げたのも、当然の成り行きです。この一点で以ってしても、今回のガザ侵攻が、ハマスには何の非もない、完全なイスラエルによる侵略戦争である事は明らかです。

 しかし、そんな中においても、イスラエル国民の中には、それまでのユダヤ・アラブの対立を乗り越え、互いに平等・対等な多民族・文化同士の共存による、新しい国造りを志向する動きも、根強く存在します。今回のガザ侵攻に際しても、少なくないイスラエル市民が決起し、人口700万余りの国の中で、10数万人以上が参加する反戦行動が取り組まれました。
 最終的には、戦争翼賛の左右のシオニストや、それと「合わせ鏡」のイスラム原理主義者(ハマス)にではなく、先述の新しい国造りを志向する人々の手によってこそ初めて、イスラエル(パレスチナ)の地に、真の平和がもたらされるのではないでしょうか。
 現状のままでは、仮に停戦協定が結ばれ、オスロ合意に基づく和平が機能したとしても、「ガラス細工の和平」に終わる可能性が大きいと思います。若し1967年以前の領域が復活したとしても、水資源豊かな平野部は全てユダヤ人が所有し、パレスチナ人は、依然としてヨルダン川西岸とガザに押し込められたままです。これでは、かつての南アのアパルトヘイトと、同じではありませんか。

 それなら一層の事、従来のユダヤやアラブ、イスラエルやパレスチナの枠を超えた、今のインドや、アパルトヘイト廃絶後の南アフリカ、チトー時代のユーゴの様な、「万人平等の、イスラエルでもパレスチナでもない、白紙状態からの全く新しい国造り」を、寧ろ志向すべきではないのか。
 第一次大戦後の西欧帝国主義の残滓ともいうべき三つの古証文(バルフォア宣言、フセイン・マクマホン書簡、サイクス・ピコ協定)や、それに基づく1947年の国連パレスチナ分割決議の内容など、この際全てチャラにしてしまえば良い。そして、イスラエルは1967年以前の領域に撤退し、領域外の入植地も全て撤去し、パレスチナ難民の帰還権も承認。他方でパレスチナ人や周辺アラブ諸国も、ユダヤ人の帰還権を承認。真実和解委員会(仮称)を設置し、これまで為されたあらゆる戦争犯罪に対して、真相究明と賠償を進める。
 その上で「全く新しい国造り」に着手する。将来的には、もはやその方向でしか、イスラエル・パレスチナ紛争解決の道は無いのではないでしょうか。ハマスも、表向きの強硬姿勢とは裏腹に、イスラエルがガザに対する経済封鎖を解除し、67年以前の領域に撤退さえすれば、同国政府とも交渉を開始すると表明しているのですから、それは必ずしも実現不可能な目標ではないと思います。

【参考資料】

・メディアとガザ報道(DAYSから視る日々)
 http://daysjapanblog.seesaa.net/article/112508511.html
・[AML 23638] <メディアとイスラエルの共犯―罠にはまっている私たち>
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-January/023097.html
・メディアとイスラエルは共犯か?(アルバイシンの丘)
 http://papillon99.exblog.jp/10136791/#10136791
・【日記】きっこさん、これではだめだ、戦争は止められない!!!!(散策)
 http://sansaku.at.webry.info/200812/article_13.html
・ハマスの内幕 イスラエルが育てた戦闘的イスラム主義運動(デモクラシー・ナウ・ジャパン)
 http://democracynow.jp/submov/20070522-2
・イスラエル建国運動(シオニズム運動)
 http://ww1.m78.com/topix-2/israel.html
・イスラエルの「建国」記念日でパレスチナは封鎖状態(パレスチナ情報センター)
 http://palestine-heiwa.org/news/200505142234.htm
・イスラエル・パレスチナ双方の複雑なお家事情 パレスチナ、泥沼の意外な背景(All About)
 http://allabout.co.jp/contents/secondlife_tag_c/politicsabc/CU20020418/index/
・イスラエル国内・テルアビブで1万人が反戦デモ(レイバーネット)
 http://www.labornetjp.org/labornet/news/2009/1231343225954staff01
・MASSIVE DEMONSTRATION AGAINST THE WAR + ongoing protest(Gush Shalom)
 上記レイバーネット記事の原文
 http://zope.gush-shalom.org/home/en/events/1231029668
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転載:メディアとイスラエルの共犯―罠にはまっている私たち

2009年01月21日 18時31分39秒 | その他の国際問題
 
※画像解説:
 ガザの国連施設を空爆するイスラエル。(出典:時事通信)
 ここで使われているのは「白燐弾」では無いのか?


<メディアとイスラエルの共犯―罠にはまっている私たち>

●メディアの偏った報道―視聴者から見るはなはだしい不公正
11日、日曜日午後6時のNHK「海外ネット」のパレスチナ報道をみた。
一見、ガザ市民の無差別な被害を憂えるトーンではあった。
しかし報道時間の7割はイスラエル政府報道官の攻撃理由の説明に費やされ、ハマース側の停戦破棄と反撃の理由にはインタビューさえもない。
使われた映像も、ガザ現地からのものは無く(ジャーナリストが締め出されているのだから已む無いとしても)、いつ取材したか分からないイスラエルの垂れ流した覆面ハマースの訓練場面を繰り返し映し出す手法。
あたかもハマースが「テロリスト」の代表であるかのように。

これと同じ場面を、かつても観たことがある。
9・11直後のアフガニスタン侵攻のときのアルカイダ、そしてイラク戦開始時のフセイン「幻の大量破壊兵器」のときである。
アメリカもイスラエルも、「敵」を徹底的に悪の象徴として喧伝する手法は、インターネット時代の今日、ナチのゲッベルスを百万倍も凌いで全世界を覆う。
NHKと大新聞は(そして民放も)、イスラエルの与えたフレームにすっぽり嵌っている。
紛争や戦争を憂えるふりをして、その原因は「敵=テロリスト」にあるという報道の構図は一貫している。

●イスラエル・プロパガンダの三点セット・フレーム
1、ハマース(あるいはヒズボラ)やパレスチナ民衆の攻撃からイスラエルは「自国を防衛する」権利がある。
2、停戦を破棄しカッサムロケット弾でイスラエル民間人を攻撃しているハマースが悪い。
3、「国際テロリスト」ハマース、ヒズボラ、イランはイスラエル国家を認めず「地図上から抹殺すべし」と言っている。

BBC、CNN、NHKのビッグTV局、大手新聞など世界の巨大メディアは、この三点セットの枠組み(フレーム)の中でガザ空爆やパレスチナ問題を報道・放映している。


●前提の大嘘
この三点セットを批判する前に、二つの大嘘をメディアは触れようとせず暴こうともしない。

第一は、ハマースもパレスチナもイスラエルと「対等の国家」ではない!
したがってハマースにもパレスチナにも「国家」や「国防軍」のようなものは存在せず軍事的能力はほとんど無い!
片や世界第4位の核軍事力を擁し、クラスターから劣化ウラン弾、白リン弾、バンカーバスターまであらゆる新兵器の実験場をつくっている戦争犯罪国家である。

これに抵抗するパレスチナ人は、まず投石や銃、砂糖などを燃料にした手製カッサムロケット砲。

このまったくの非対称な軍事力の差をメディアは対比せず、あたかも「両者対等」であるかのように描き出す。

第二の大嘘は、すべての元凶である「軍事占領」しているという冷厳な事実に触れないことである。

パレスチナ人の基本は、全生活を不自由にしている不当な軍事占領に抵抗し戦っているという積年の事実を、すべてのメディアは触れようとしないか掘り下げようとしない!
それは欧米が、「国際社会」がそれを認めているからだ。
この元凶を隠蔽し続けるかのように全メディアは、これらのことを暴いたり関連付けたりせずに、「過激派ハマースの脅威」を針小棒大に描き出し目先の現象に人々を縛り付けておく。

こうした欧米中心の「国際社会」の大嘘と闘いつづけているのが、この60年のパレスチナ人なのだ!

●イスラエル・プロパガンダ三点セットへの批判
1、パレスチナ人は、60年間もイスラエルの侵略と攻撃から土地と民族を防衛するために戦ってきたのだ!
 イスラエルの日常の攻撃、略奪、暗殺、破壊、そして全パレスチナ人への抑圧と弾圧を放映・報道することなしに、イスラエルの「防衛権利」ばかりを誇大に垂れ流すメディア。
 まるでガザのパレスチナ人に生活防衛の権利などないかのように!

2、2ヶ月前から停戦を破っているのは、イスラエルだ!
 昨年11月、12月と幾度も停戦期間中にガザを空爆していたのは、イスラエルだ。
 停戦期間中にハマースが約束を履行していたことは、イスラエル高官でさえ認めている。
 ハマースが攻撃を再開したのは、イスラエルが攻撃したあとだ。
 しかも停戦期間中、イスラエルはインシュリンなどの医薬品から医療備品、食料、電力が途絶えるまでラファやエレツの封鎖を強化してきたのは、ハマースのロケット弾攻撃を阻止するためなのか!
 ハマース以外の市民を攻撃しないというイスラエルがなぜ、モスクや病院、医師、救急車、救急隊員、国連の学校や職員・輸送車、漁船や女子寮を爆撃しなければならないのか?

3、だれもイスラエルを「抹殺」とは言っていない!
 ハマースはずーっと前から、「軍事占領しているイスラエルは認めない。せめて67年国境線(グリーンライン)まで撤退したなら、交渉に応ずる」と言ってきた。
 ハマース指導者が交渉に手を指しのばすと、ミサイルのピンポイント爆撃で爆殺してきたのはイスラエルだ。
 イランのアフマディネジャドも「地図上から抹殺」と言ったのではなくホメイニ発言を引用して「エルサレムを占領している現在のイスラエル政府は歴史から消え去らねばならない」と述べたのである。
 メディアは好んでこの「抹殺」を繰り返し、「テロリスト」のイメージ作りを増幅させている。

この三点セット情報を全世界10億の民に流すと、あらゆる虐殺に正当性が与えられイスラエルは大威張りで「テロリストと戦っている」と強弁できるのである。

●ハマースを殲滅することは、150万人ガザ市民を殲滅すること
「イスラーム抵抗運動」というハマースは、周知のように民生部門で全ガザ住民の生活・教育・福祉を支えている。
ヨーロッパをはじめ歴史的な各地のレジスタンス運動と同様、民衆に深く根ざしたハマースをあの人口密集地で殲滅するということは、いま現下で無慈悲に行われているように大虐殺にならざるを得ないことは火を見るよりも明らかだ。
ハマースは民間人を盾に使っている…?
手で運べる移動式カッサムが市街地にあれば、全民衆が虐殺対象となる。
ハマースはガザを実効支配している…?
ガザの領空・領海・領土を支配しているのは、イスラエルだ!

●民主主義の二枚舌―欧米は、民主主義を抹殺するのか?
ハマースは「まったく模範的で民主的な選挙」(カーター元大統領)で選ばれた正当な政権である。
それをはじめから経済封鎖し自治政府を分裂させ政権から追い落としてきたのは、イスラエルだけではなくアメリカ、EU、ロシア、中国、日本だ。
「国際社会」の二枚舌こそ民主主義をはてしなく形骸化させている。
メディアは一貫してこのダブルスタンダードを当然のように扱い、あまつさえファタハとの「内紛」のせいにしてほうかむりしている当の「国際社会」を裁こうとはしない。
そして私たちは、この二枚舌の傘の下で無関心を装うことができるのだ。

●ハマースを口実に、全パレスチナ人を攻撃しているイスラエル
今回のガザ侵攻は、けっしてハマースとイスラエルの「紛争」ではない。
西岸では、延命をはかるアッバスのもとで自治政府警察やファタハが民衆のガザ連帯デモを鎮圧しイスラエル占領軍のエルサレムやチェックポイントでの警備・抑圧が強化され若者の犠牲者が急増している。
じつはイスラエルは、パレスチナの「抵抗運動」そのものを殲滅したいのである。
西岸や450万難民、すべてのパレスチナ人への攻撃だということは、すこし歴史をさかのぼれば分かることだ。
しかしこれを語っているメディアはすくない。

パレスチナ人がもはや組織的に抵抗できないように、西岸地区を三つのバンツースタンに閉じ込め、イスラエル占領軍の巨大な検問所が出入り口をコントロールしアメリカの武器をもつ自治政府警察に鎮圧させている。
全長700キロ高さ8メートルの分離壁も「自爆テロ」からイスラエルを守るためではなく、入植地を守るためだけでもなく、なによりもパレスチナ人が占領に抵抗できないように閉じ込めておくために建設されている。

占領に抵抗するハマースの戦いは、全パレスチナ人の戦いだ。
西岸でも売国奴アッバスからは勿論ファタハからもつぎつぎと離れ、底辺からハマース支持がひろがっている。
どんな虐殺があっても、パレスチナ存在の大義は失われることがない。
それは彼らの生存理由だからだ。60年の歴史がそれを証明している。

●「暴力の応酬」「報復の連鎖」という隠蔽言説
とくに9・11後、この言葉が常套句となった。
すべてのメディア、多くの「平和活動家」たちでさえこのフレームの上で「平和」を語ってきた。
あたかも憐れみとヒューマニティをもつ「われわれ」こそ「平和愛好者」であり「中立者」であり、まるで「双方」が自分たちの平穏をかき乱したのだといわんばかりである。世界中に不当な支配と闘っている人々がいるのに、
日本では皆がみな戦わなくとも「平和」でありうると思いこんで、「紛争」はいけないと目をひそめる。

「あんなロケットなんか飛ばさなきゃいいのにね。
そしたらこんな被害も起きないのに…」とある人がため息混じりに言った。
またある人は「どっちもどっちだね」と。
こういう受け止め方を許していることが、イスラエル=「国際社会」=メディアたちの共犯の「成果」なのだ。
「どっちもどっち」「暴力の応酬」「報復の連鎖」と言っているあいだ、「国際社会」の躊躇に促されて虐殺はつづいていく…。

●犯罪国家イスラエルに制裁を!戦争指導者を国際法廷に!そしてボイコットを!
イスラエルはテロで不法に占領した60年前の「建国」以来、軍事的膨張主義で領土を侵略拡大してきた。
今回のような抵抗に対する「集団懲罰」は、イスラエルのお家芸だ。
それはとりもなおさず、パレスチナ人の血の犠牲の上になされてきたことである。
イスラエル発の「反テロ戦争」は「国際社会」の常識と化した時点で、大量無差別虐殺という正体を白日の下にさらした。
そして、このガザ虐殺を90%の国民が支持するという、
悪魔の国と化したイスラエルはナチの再来を髣髴とさせる。
60年間の歴史のすべてが、違法・不法・犯罪のデパートのようなこの国家を許容してきたのは「欧米国際社会」である。

650万イスラエル国民のためにも、来るべき国際正義のためにも、世界民衆の未来のためにも、いまこそイスラエルの野蛮を糺し虐殺中止の世界中の声をひとつにしなければならない。
戦争指導者を国際法廷に引きずり出し、経済制裁を、ボイコットを実現すべき時だ。
あらゆる人間のいのちと尊厳、正義のために。そのときメディアの役割は甚大だ。

                  2009年1月13日
                  パレスチナ連帯・札幌  松元保昭
**************************
(転載終了)

 以上、転載・転送歓迎という事なので、AMLから、当ブログにも転載しておきます(但し、読みやすくする為に、必要最小限度の改行を施しました)。

 90年代の湾岸戦争以降、ともすれば、米軍やイスラエルの側からの従軍報道ばかりが、メディアの中でやたら幅を利かせる様になりました。そんな中にあって、ややもすれば私たちも、知らず知らずのうちに、加害者も加害者も十把一絡げに「どっちもどっち」と捉えてしまう愚を冒しているのではないか、という想いがあります。
 上記の「『暴力の応酬』『報復の連鎖』という隠蔽言説」の項を読み、とりわけ、その事を強く感じました。パレスチナとイスラエルの戦いが、前者に対する後者の一方的簒奪にしか他ならないのに、それを恰も両者が対等な戦いであるかの様に、看做してこなかったか。まずは、それに対する自戒の意味も込めて、こちらに転載しました。

 その一方で、上記論評には、やはり100%賛成は出来ないのも、また事実です。確かに、今のイスラエル国内では、右翼のリクードのみならず、「中道」のカディマや「左派」の労働党までもが、ガザ侵略を容認するに至っています。しかし、だからといって、イスラエル全体を「悪魔の国」と決めつける立場には、賛成致しかねます。それでは、ブッシュによる「悪の枢軸」論の、裏返しでしかありません。
 ハマスも、反侵略・レジスタンスを言うのなら、シオニストに包囲されながらも、しぶとく反戦運動を展開している、イスラエル国内の左派・アラブ系市民との連帯を、何故模索しないのか? 国際連帯の視点を欠いたレジスタンスでは、ただの排外主義にしか為らないのでは。その言う事も含めて、考える上での素材として、上記論評の転載に踏み切った、というのもあります。

 本当は、もっと早めに、もっと本格的に、この問題を掘り下げるつもりでしたが、実はこの間風邪を引いてしまい、そこまで出来ませんでした。このガザ・パレスチナ紛争については、また後日にでも、別途取り上げてみたいと思っています。
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くさい芝居はもう沢山だ!

2009年01月17日 15時15分51秒 | 反翼賛・二大政党制
 
※画像解説:
 自慢げに掲げた離党届には、自民党への感謝の言葉も。
 所詮は偽装「反自民」によるガス抜きか。(出典:産経新聞)


 昨日の仕事帰りに、駅のベンチに置いてあった夕刊フジ(1月17日付最終版)トップの、「『喜美新党』旗揚げ」の見出しに目が行き、12面に掲載の当該記事を読んでみました。

 それによると、自民党を離党した元行革担当相の渡辺喜美が、無所属衆院議員の江田憲司らと、脱官僚主義や地域主権などを柱とした新党結成を模索しているのだとか。他にも、政府の道州制ビジョン懇談会座長を務める江口克彦(PHP総合研究所社長)や、評論家の屋山太郎などが、この「喜美新党」への参加に意欲を示しているとも。

 何の事はない。道州制論者にネオリベ評論家も登場して、以前私がブログで批判した「せんのう」もとい「せんたく」と、全く同じ動きじゃないですか。つまり、一見「反自民・反官僚」を装っての、自民党・保守勢力による延命戦術に他ならない、という事です。
 これは、自民党や保守勢力が、今まで通り政権を維持出来なくなった時に、いつも使う常套手段です。「同じ穴のムジナ」のネオコン・ネオリベ仲間でありながら、如何にも「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」風の、「何かやってくれそうな人」を装った似非「改革者」を、やにわに登場させて、そいつに期待を持たすだけ持たせておいて、ほどなく似非「改革者」の権力掌握となった後に、ほとぼりが冷めた時点で、その似非「改革者」をまた自民党が取り込む、と。

 そうやって、自民党は、今度は「同じ穴のムジナ」の力も借りて、以前よりも更に「焼け太り」する、と。今まで何度、それで煮え湯を飲まされてきた事か。
 その例として、古くは70年代後半の新自由クラブや、90年代初頭の日本新党があります。最近では、小泉改革が、その一番分かりやすい例でしょう。「自民党をぶっ壊す」と言って自民党総裁・日本国首相になった男に、自民党を生きながらえさせて、ぶっ壊されたのは我々の生活の方でした。

 そして、自民党とは一時は袂を分かち、刺客さえ放たれた郵政造反議員も、ほとぼりが冷めたら選挙時の公約はどこへやら、最後には元の自民党の鞘に納まって。結局、自民党による、郵政票と反郵政票の二重取り詐欺ともいうべき結果に、終わっただけではなかったか。

 その小泉政権の後も、最初の安倍内閣を散々こき下ろしていた今の厚労相を、安倍が人気挽回の為に閣内に取り込み、厚労相・安倍内閣とも「もちつもたれつ」の結末に持って行った事も、記憶に新しい所です。今の麻生にしてもそうでしょう。やれ「ローゼン閣下」だの「オタクの味方」だのという触れ込みで、総理に祭り上げられたものの、実際に首相をやらせたら、もうトンでもない人物でした。
 
 今回の渡辺喜美にしてもそうです。この人物、元・行革担当相でしょう。行政改革は本来自分の仕事だった筈。それが、大臣の任期中には役人と喧嘩一つするでなし、特段何もしなかったくせに、離党した今頃になってから「脱官僚政治」とか言われても、全然説得力がありません。裏返して捉えれば、「大臣の仕事を何もして来なかった」と、自分から言っている様なものじゃないか。
 本当は、「脱官僚政治」なんて、単なる口実にしか過ぎないのでしょう。実際は、麻生内閣の不人気ぶりが、もう誰の目にはハッキリしてきたので、自分だけ「泥船」から抜け駆けを図ろうとしただけの事でしょう。

 その渡辺に、ナベツネなどの財界中枢が目をつけたのでしょう。何故なら、渡辺の主張というのが、「道州制」や「大連立」や「消費税増税」にしても、全て財界が長年に渡って要求してきた事ばかりじゃないですか。それを、今までは小泉にやらせ、安倍にやらせ、福田にやらせ、麻生にやらせていただけの話で。
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090114-OYT1T00705.htm

 ところが、その財界主導による新自由主義路線によって、ここまで格差・貧困が広がり、それに対するワーキングプアの反撃も、本格的に始まろうとしている。もはや、自民党のこれまでの面々だけでは、国民を支配する事は出来なくなっている。
 そんなこんなで、「せんたく」も大連立も、自民党総裁選も、全て不発に終わったが、そんな事ぐらいで諦める財界では無い。此処は是非とも、新たに「客寄せパンダ」を登場させて、目先を変えさせる必要がある。その為に、渡辺が担がれてきたのでしょう。

 それは、こいつらの個々の発言一つ一つや、政策集団のネーミングにも、如実に現れています。
 渡辺は、離党後の会見で、「全国各地の志の高い人々、この国を変えるべきという人と国民運動を起こしていきたい。『国民会議』を立ち上げたい」と言ったそうですが、何をか況やです。折角の「志の高い人々」という美辞麗句も、渡辺が言うと、ギラギラした権力欲だけが鼻について、逆に白けてしまいます。
 「国民運動、国民会議」と、二言目には「国民」を引き合いに出すのも、勘弁して欲しい。何で我々が、お前らとの一蓮托生を、一方的に強いられなければならないのか。そんな、ナチスや戦前の大政翼賛会みたいなものに、引っ張り込まれて堪るか。

 また、この手の人たちは、自分たちの事を、よく幕末・維新の志士に準えたりもします。例えば、今回の渡辺新党のパートナー江田憲司は、かつて立ち上げた政策集団に、「脱藩官僚の会」と名付けました。また、大阪府知事の橋下徹も、「小泉政治の二番煎じ」にしか過ぎない自分の政治手法を、「維新政治」に準える事をよくします。
 しかし、明治維新とは、そもそも何であったか。そう言えば、「明治維新はブルジョア革命か否か」という歴史論争が過去にありましたが、この論争も、平たく言えば「革命には非ず、下層武士による体制内クーデターだった」という所に、落ち着いた様です。

 要するに、明治維新とは、封建社会が行き詰まり、江戸幕府が倒れようとした時に、危機感を抱いた薩長土肥の下級武士たちが、京都の朝廷を担いで起こした「革命予防クーデター」でしかなかったと、言うことです。権力掌握までは、相楽総三の赤報隊などを使って、「年貢半減」などの空公約を散々ふりまいておきながら、藩閥政府樹立後は一転して、全国各地の百姓一揆や、地租改正反対運動や、後の自由民権運動を抑えつけ、富国強兵政策や松方デフレ政策によって、農村を窮乏のどん底に追い込み、「ああ野麦峠」や「女工哀史」の悲劇を、其処彼処に生み出したのですから。

 そんなモノに自分を準えて、一人悦に浸っているのですから、お里が知れます。要するに、こいつらは、みんな「上から目線」なのですよ。陰に回れば、派遣村の人間を蔑み、「派遣規制は国の活力をそぐ」などと嘯きながら、プライドだけはやたら高く、自身の権力欲・出世欲でしかないものを、如何にも一端の国士気取りで、「志の高い」だの「義命」だのと言い繕う。傍から見れば、裸の王様が「俺様はこんなに偉いんだ」と、自慢している姿にしか見えないのに。

 そんな、「911ブッシュ劇場」や「小泉劇場」と同じ手が、そう何度も何度も通用するとでも思っているのか。これ以上、我々の税金を使って、くさい三文芝居をするのは止めろ! そんな金があるのなら、全部派遣村に回せ!
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ガザ・派遣村から北朝鮮の人権へ

2009年01月12日 23時48分53秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 

※画像解説:
 上左から時計回りに、大阪・扇町公園派遣村(釜パト)、北朝鮮飢餓(RENK)、ガザ空爆負傷者(毎日新聞)の画像(括弧内は各々の出典元)。

 もうだいぶ前になりますが、イラク戦争が始まり、世論の関心がそちらに集中した時の事です。北朝鮮・拉致問題掲示板の一部に、「せっかく小泉訪朝と金正日の拉致告白で、北朝鮮・拉致問題への関心が盛り上がったのに、イラク開戦以降は世論の関心がそっちに行ってしまった、このままでは、また拉致問題が見捨てられるのではないだろうか」という趣旨の投稿が、散見された事がありました。私はそれを見て、非常に奇異に感じたのを覚えています。「何故両者を、同じ人権問題として、統一した視点で捉えられないのか?」と。

 勿論、その投稿子の言いたい事も分かります。新しいニュースが報道される度に、世論の関心がより目新しいニュースに移ってしまい、それまで注目を集めていたニュースへの関心が低下する事は、北朝鮮・拉致問題だけに限らず、他でもよくある事です。しかし、問題提起の仕方によっては、あるニュースに関心が集まる事で、逆にその他のニュースにも関心が集まるという事も、充分可能だと思うのですが。

 何故、今になってこんな事を書くかというと、実はついこの前も、ある「救う会」関係者の方とメールでやり取りしていた際に、その方からも同種の意見が、図らずしも提示されたからです。「今回のイスラエルによるガザ侵攻で、また世間の耳目がそちらに行ってしまい、北朝鮮・拉致問題への関心が、ますます遠のいてしまうのかなあ」と。
 確かに、今までと同じ運動の仕方をしている限り、そうなるでしょう。しかし、運動の持って行きようによれば、これは「救う会」にとっても、逆にチャンスとなり得るのではないでしょうか。

 まず、イスラエルのガザ侵攻の問題ですが、150万人の人口が密集する面積僅か350平方キロ(東京23区の約半分強)の土地を、イスラエルが完全封鎖して、日夜空爆を加え、数日前からは地上軍も投入しているのです。イスラエルの、今回の軍事侵攻に際しては、クラスター爆弾や白リン弾などの残虐兵器の使用も伝えられています。また、住民を一箇所のビルに集め、そこを戦車で砲撃するなどの、第二次大戦中の日本軍による「三光作戦」も斯くやと思われる様な、残虐や戦術を取っています。このやり方などは、実際の戦闘行為こそ無いものの、一旦入れられたら脱出はほぼ不可能と言われている、北朝鮮国内の強制収容所における統治の仕方と、酷似しているのではないでしょうか。

 そして、ネットカフェ難民や「派遣切り」、派遣村の問題にしても、今まではなかなか表面に出てこなかった問題でしたが、今や全労働力人口の4割近くが非正規雇用に置き換えられるに及んで、もはや一般の人にとっても、「決して他人事ではない」と捉えられる様になりました。解雇とともに住む所も奪われて、所持金も僅か数十円、数百円となり、今日・明日の食糧を求めて彷徨する、これら日本国内の経済難民たちも、情報鎖国の程度こそ違えども、経済的には、北朝鮮のコッチェビ(国内難民孤児)と同じと看做せるのではないでしょうか。

 日本は、昔は「総中流社会」などと言われていましたが、近年のOECDの調査によっても、当該加盟国の中で、米国に次いで経済格差(相対的貧困率)が拡大した事が、明らかになっています。派遣村の住民にとっては、この日本こそが、ガザであり北朝鮮なのです。この事は逆に言えば、今までは「遠いどこかの国の話」と看做されていたものが、実際は自分たちが今直面している問題とも、本質的には同じである事が、分かり易い形で示されるようになった、とも言えるのではないでしょうか。

 以前のエントリー「北朝鮮からアジアの人権へ」でも触れましたが、北朝鮮の人権問題を「アジアの人権・人道問題」として捉え、「国内人権の国際化、国際人権の国内化」を図ると言うのであれば、先の投稿子の様な「北朝鮮か、はたまたガザ・派遣村か」といった捉え方ではなく、「北朝鮮も、ガザも派遣村も」という捉え方こそが、正しい捉え方ではないでしょうか。

 何故そういう方向に踏み出せないのか。それは、北朝鮮・拉致問題に取り組む活動が、主に、ブッシュ・ネオコン派や靖国派などの右派・国家主義者によって担われてきた事とも、無縁ではないと思います。

 一つ例を挙げます。拉致議連幹事長も務める右派の衆院議員・西村真悟が、この新年の年頭所感で、小沢・民主党の「生活が第一」という選挙スローガンに対して、「何が生活が第一だ、国防こそ第一じゃないか。国防がなければ、国民の生活なども在り得ないじゃないか」という趣旨の批判を加えています。

 確かに、小沢・民主党が、どこまで本気で国民生活の事を考えているかについては、私も甚だ疑問に感じています。派遣法改正問題一つとっても、小沢・民主党は、1ヶ月以内の登録(日払い)派遣禁止だけでお茶を濁し、「労働者使い捨て」の元凶たる、登録派遣そのものや、派遣自由化の仕組みには、一向に手をつけようとはしていません。なるほど、自民党出身の小沢にとっては、「生活が第一」も、所詮は自分が政権に再復帰する為の足がかりにしか過ぎないのでしょう。そして、右派の西村にとっても、そんなスローガンよりは、国防の方がよっぽど大事なのでしょう。

 しかし、世の中には、小沢の思惑とは全く別の立場で、必死の思いで「人間の生活が第一、我々も人間なんだ」と叫んでいる派遣村の人たちもいるのです。そういう人たちからすれば、小沢よりも寧ろ西村の物言いの方が、よっぽどカチンと来るのではないでしょうか。
 若し、派遣村の人たちが弁が立つのであれば、多分こう言い返すのではないでしょうか。「あなた方は、二言目には国防だの国益だの言うが、そのお国が一体我々に何をしてくれたと言うのか」「『奴隷の平和』とは一体どこの国の話か?我々からすれば、この日本こそが北朝鮮やガザではないか」「やれ天下国家だの、平成維新だのと、いつもそういう『上から目線』でしか物が言えないのか」と。

 これがまだ数年前なら、西村の上記の物言いも、「門外漢の無知の為せる業」として、一笑に付す事も可能だったでしょう。当時はまだ「小泉構造改革」や「総中流社会」の幻想も世の中には残っており、「貧困・格差は個人の自己責任」という考え方に囚われた人も大勢いましたから。
 しかし、これだけ貧困・格差問題が誰の目にも顕になった今頃になっても、まだ、その動向には一顧だにせず、被災者たちの生存権要求も小沢の政権欲も全て十把一絡げにして、「生活より国防だ」と平気で切って捨てられる神経が、私には理解できません。現に、西村が日夜活動する東京・永田町とは目と鼻の先で、「派遣切り」被災者たちの生死をかけた闘争が今も繰り広げられているというのに。西村も政治家・国会議員であるなら、その問題にも無関心では済まされない筈だ。

 北朝鮮・拉致問題に取り組む右派の人たちは、左派に対して、よくこういう批判の仕方をします。「君たちは沖縄やベトナム、イラクやガザ・パレスチナの問題しか取り上げず、北朝鮮や中国・チベットの問題は一向に取り上げようとはしない」と。確かに、その批判は正鵠を得ています。しかし、そういう右派の人たちは、一体どうなのでしょうか。「北朝鮮や中国・チベットの問題しか取り上げず、派遣村やガザの問題は一向に取り上げようとはしない」=「真に『弱者連帯』の視点が無い」という点では、どちらも同じではないですか。

 私は、何も、「救う会」の集会で赤旗やゲバラやパレスチナの旗を掲げろとか、そういう事を言っているのではありません。運動員同士の絆を保つ為には、今はまだ「日の丸」掲揚や「日の丸」斉唱は外せないというのなら、それも止むを得ないかも知れません。但し、少なくとも私は、そんな「拉致被害者支援集会」には、金輪際、参加しませんが(それはもう「救う会・大阪」の集会で懲りました)。
 しかし、それでも、その気になれば、「『弱者連帯』の視点」を示す事は、もっといくらでも出来る筈です。

 これも、一つだけ例を挙げておきます。数年前に、イラクで活動していた日本人NGOが現地のテロリストに拉致され、NGOもテロリストと同じ様にイラクからの自衛隊撤退を主張した時に、日本国内で当該NGO関係者に対する醜いバッシングが横行した事がありました。「2ちゃんねる」だけに止まらず、幾つかの拉致板でも、当該関係者を貶める醜い書き込みが横行しました(今になって知らないとは言わせない)。その時に、北朝鮮・拉致被害者の横田滋さんが、「イラクで拉致された方々の無事を祈っている」という事を言われました。
 今になって正直に告白しますが、当時私はこの言葉を聞いて、「精神的にも道義的にも、当該NGO関係者よりも横田さんの方が、数段偉いな」と、つくづく思いました。

 こういう精神こそが、「弱者連帯」(国際連帯、人民連帯)や、「国内人権の国際化、国際人権の国内化」と言う事の、そもそもの原点ではないですか。
 この視点さえ失われなければ、その運動は、たとえその時に痛手を蒙っていたとしても、いつかまた再生・発展していきます。しかし、そういう視点すら見失なわれ、単なる「上から目線」の体制翼賛運動や、イデオロギー偏重の運動に変質していくならば、その運動は、やがて民衆の支持を失い、次第に先細りになっていくでしょう。
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派遣村バッシングに反論する

2009年01月08日 13時23分49秒 | 反貧困・新自由主義
派遣村「本当に真面目に働く人たちか」 総務政務官、派遣村に苦言


年越し派遣村・ボランティアの声 2008年12月31日


 この年末年始にかけて、東京の日比谷公園で開催された「年越し派遣村」の取り組みに対して、数多くのボランティアの方が支援にかけつけて下さいました。また、このごく僅かな開催期間のうちにも、2千万円以上のカンパが全国から寄せられました。この動きを見るにつけても、「まだまだ日本も捨てたものではないな」という思いを強く感じました。
 ところがその一方で、この「派遣村」の取り組みを貶める様な発言を総務政務官が行い、「2ちゃんねる」の一部などにも同種の書き込みが、往時のネットウヨク華やかなりし頃ほどではないにしても、依然として散見されます。

 そんな、ゴミの様な書き込みの内容なぞ、一々調べるには及びません。それらの書き込みは、どれもこれもワンパターンの内容ですから。興味のある方は「2ちゃんねる」などで検索してみて下さい。上記ユーチューブのコメント欄にも同種の書き込みがされていますので、それを見れば、奴らがどんな事を書いているか、凡その事は分かります。
 そんな低レベルな書き込みに、逐一反論していても時間の無駄ですので、ここでは一々取り上げませんが、それでも最低限度の反論は必要と考えますので、それをここに書いておきます。

★「あれはプロ市民によるヤラセだ」:

 これは人の命に関わる問題なので、「派遣村」のスタッフも、一人でも多くの方に来てもらおうと呼びかけたのでしょう。それを言うに事欠いて「ホームレスを動員してのヤラセ」呼ばわりとは。物は言い様で何とでも言えますが、言えば言うほど、逆に自分たちの性根の嫌らしさが白日の下に晒される事にも、気付かないのでしょうか。

★「やれ食糧よこせだの医薬品よこせだの、自分たちは一体何様だと思っているのか」:

 人の生き死にがかかっているのだから当然でしょう。だから、厚生労働省も講堂の開放に踏み切らざるを得なかったのだし、野党の党首クラスや与党の公明党議員まで、現地に詰め掛けざるを得なかったのでしょう。公明党の議員については、当然の事ながら、自民党の悪政を支え続けてきた確信犯として、派遣村の村民から思いっきり罵声を浴びせられていたそうですが。

★「大変だと思うのなら、政府や経営者を偉そうに批判する前に、野党や反貧困のメンバーが事務所を開放しろ」:

 そう言うのなら、まずそう言っている本人が何かしろ。私もそうですが、この世の中、年末年始でも普段以上に働いている人も少なくないのです。そういう人にとっては、ボランティアしようにも、やる時間も金も気力も無い場合が多いのです。そもそも、貧困対策なんて、本来政治が解決すべき問題です。それが政府の無為無策の所為で、ここまで状況が酷くなったのではないでしょうか。それを、兎にも角にも何とかしようと動いている人に対して、何もしない人がとやかく言う資格なぞありません。

★「あれは共産党(野党、サヨク)の選挙対策だ」:

 そのたかが「選挙対策」の為に、何故短時日に1千人以上のボランティアが集まったのでしょうか。それも党員・活動家や労組員だけではありません。また、政党や労組にしても、票にならない非正規労働者やホームレスの為に、何故、日頃の立場や所属上部団体の違いを超えて、連合も全労連・全労協も、その他の多くの労組・市民団体も、政党も民主党・共産党・社民党だけでなく、公明党までやってきたのでしょうか。それは、こと人の生き死にに関する事では、右だの左だのと言っては居られないからでしょう。また、「これは決して他人事なんかではなく、自分自身の問題でもある」と、多くの人が考えるに至ったからでしょう。
 事実、反貧困の運動には、首都系青年ユニオンも運輸一般連帯労組も、自治労連も解同も、何らかの形で加わっています。それがどれほどの広がりを持つものかは、多少でも政治的知識がある人ならお分かりでしょう。
 当然、その中には共産党員の方も多数居られるでしょう。それだけの事です。戦前の治安維持法の時代じゃあるまいし、何でもアカやコミンテルンの所為にすればそれで済むと思ったら大間違いです。

★「平日に集会やデモなどしている暇があったら職探しでもしろ」:

 今や、有効求人倍率が全国平均で8割、地方に行けば3~4割になろうというご時世です。探したってまともな働き口がある訳でなし、あってもまたいつ首切られるか分からない派遣や、しんどいだけでとても食べていけない低賃金労働しかないのが現状です。それに加え、この年末年始は12月27日(土)から1月4日(日)まで9日間も役所(ハローワーク)が休みと、例年以上に大変な状況なのです。面接に行く交通費にも事欠く状態に対しても、集会やデモ一つしない方が、寧ろよっぽど異常です。

★「悪いのは派遣会社であって、派遣先や政府を糾弾するのは筋違いだ」:

 派遣会社が悪いのは当然です。問題は、それが一人派遣会社だけに止まらず、派遣先大企業や日本政府・財界、米国など先進国の政府・多国籍企業、IMFやWTOなどの国際金融機関も、全部グルだと言う事です。
 自分たちの金儲けの事しか考えない国際金融資本と多国籍企業が、より低賃金で劣悪な労働条件を世界の人民に押し付け、その意を呈した日米などの先進国の政府と財界が、「構造改革」と称して労働法制の規制緩和を推し進めたのです。派遣先大企業は、そうして労働者をモノの様に扱う事でぼろ儲けし、派遣会社は労働者から賃金をピンハネしバカ高い寮費をぼったくる事で、同様にぼろ儲けしてきたのです。それら全てが、寄って集って労働者を食い物にしてきたのです。
 ※左図はしんぶん赤旗1/10日付より
 そうして、金持ちが私利私欲に耽り、より下の者を搾取する事しか考えないで来た結果、世界経済全体が冷え込んでどうにもならなくなったのが、サブプライム問題に端を発した米国発の国際金融危機ではないですか。何の事は無い、今回の「派遣切り」の事態をもたらした世界恐慌も、元はと言えば全て、これら国際金融資本・多国籍企業・先進国政府・財界・派遣先大企業・派遣会社の仕出かした不始末の結果なのです。その一番のしわ寄せを派遣や非正規雇用の人たちに押し付けといて、よくもそんな事が言えたものだ。

★「そうは言っても、派遣社員はドジでノロマでグータラで・・・」云々かんぬん:

 要するに「正社員になれない奴が悪い、自己責任だ」と言いたいのでしょうね。そういう人は、壱花花さんの動画を再度見る事をお勧めします。或いは、「名ばかり管理職」でずっと只働き長時間労働を強いられてきた日本マクドナルドの社員や、過労死するまで働かされた挙句にトヨタに殺されて夫を亡くした内野博子さんから、お話を伺うのも良いかも知れません。
 もっと言うと、これは日本国内だけに止まる問題でもないのです。一例を挙げると、一杯100円の自販機コーヒーの価格のうちの、エチオピア農民の取り分は僅か1%程度です。それを見て「ああ安くていいな」なんて思っていると、そのうち自分たち正社員もどんどんリストラされ、低賃金の非正規雇用に落し込められて、昼飯もまともに食べれなくなり、その一杯のコーヒーで空腹を満たすしかなくなるのです。
 そうやって「下見て暮らせ」何とやらで、自分で自分を慰めてそれで満足しているうちに、最後にはそれすら適わなくなります。残る選択肢はただ一つ、「万国の労働者・被抑圧民族団結せよ」、これしかありません。それを具体的にどう実現していくかは、日本と世界の人民の闘いで、一歩一歩切り開いていくしかありません。
 ただ、少なくとも「日本人の職を奪う在日外国人を、地域から追い出せばそれで済む」という、単純な問題でない事だけは確かです。資本家にとっては、労働者が日本人であろうと外国人であろうと、そんな事は二の次であって、自由に使い捨ての出来る奴隷でありさえすれば、それで良いのですから。願わくば、正社員だ非正規だとか、日本人だ外国人だと言い合って、その奴隷同士が互いに足の引っ張り合いに興じてくれておれば、尚更好都合です。

★それでも依然として「何か変だ、あれはヤラセではないか」という人は、下記のブログ・サイト・動画をご覧下さい。田中康夫の下らない愚痴を読むより、よっぽど参考になります。

・1月5日 東京・日比谷の派遣村を突撃取材する(Epsiloncafe)
http://nomichan2001.cocolog-nifty.com/epsiloncafe/2009/01/post-13b3.html
・派遣村 速報レポートby 加藤登紀子 Tokiko Blog PART1/2(YouTube)
 http://jp.youtube.com/watch?v=vBwtzIZhTJY&feature=related
・湯浅誠「反貧困 これは『彼ら』の問題ではない」(平和への結集ブログ)
 http://kaze.fm/wordpress/?p=248
・反貧困ネットワーク
 http://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/
・ガテン系連帯
 http://www.gatenkeirentai.net/
・レイバーネット日本
 http://www.labornetjp.org/
・マネーゲーム/金融危機のツケを回すな!サヨナラ新自由主義、作り出そうオルタナティブ12.18集会(アタック・ジャパン)
 http://attaction.seesaa.net/article/111134925.html

 以上、勢いに任せて長々と書いてしまいましたが、それでも前号エントリーでも書いたように、ネットウヨクに往時の勢いが見られなくなった事も、これまた確かです。今から数年前に派遣村みたいな事を試みていたら、逆に派遣村の方が世論からバッシングを浴びていたでしょうし、くだんの発言をした総務政務官も、何食わぬ顔してのさばり返っていた事でしょう。それが、ネットウヨクは今では、自分たちが散々崇め奉ってきたブッシュ・小泉・安倍・麻生の凋落ぶりの後を追うかのように、「2ちゃんねる」の一部でくすぶっているしか、能が無くなったのですから。
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自己責任論の呪縛がようやく解けつつある

2009年01月05日 20時09分19秒 | 反貧困・新自由主義
(A)視点・論点 派遣切り (湯浅誠)


(B)みのもんた 派遣・非正規社員の解雇は自業自得


 まずは、上記(A)(B)2つの動画を見比べて下さい。(A)(B)ともに、「派遣切り」や非正規雇用の問題を取り上げたユーチューブの動画ですが、(A)の湯浅誠さんと、(B)のみのもんたの主張が、全く好対照を為している事に、直ぐ気が付かれるかと思います。
 動画(A)では、非正規雇用労働者の激増が、世界経済のグローバル化や、それに伴う経済社会の変化に根ざしている事や、そういう問題は既にかなり以前から広がっていたのに、あれは若者や女性、母子家庭、ニート、フリーター、ホームレスなどの、一部の社会的弱者だけに限った問題だと思われていたので、なかなか表面には出てこなかったのが、ここに来て、既に全労働者の4割近くが非正規雇用に落し込められるに至って、ようやく社会全体の問題にまで認知させようとしている事が、余すところ無く語られています。
 それに対し、動画(B)では、昭和30年代や40年代における自分の狭い体験だけに寄りかかって、当時と今とでは社会構造が激変している事など全く思い至らずに、その社会構造の激変・悪化をもたらした多国籍企業や先進国の政府・財界の責任にはきっちり頬かむりしながら、若者などの一部階層や個人の「根性・モラルの欠如」に、殊更その責任をなすりつけようとしているのが、手に取るように分かります。

 但し、此処で言いたいのは、そういう事ではありません。
 以前と言ってもそんなに昔ではない、僅か数年前には、世論の動向は、圧倒的に(B)の自己責任論に傾いていたように思います。ところが、ここ数年の間に、世論の動向は、次第に(B)から(A)の主張に、大きくシフトしてきたのではないでしょうか。つまり、以前はネットウヨクが先陣を切って振りまいていた「自己責任論」が、ここ数年で一気にその化けの皮が禿げ始め、世論が次第にその呪縛から解放されつつあるのではないかと思うのです。それが、ここでの一つの問題提起です。
 例えば、下記の「年越し派遣村」のニュースにしても、右寄り・政府寄り・スポンサー大資本寄りの産経・読売新聞ですら、一定程度好意的に取り上げざるを得なくなっています。これなども、それより以前の「イラク日本人拉致被害者バッシング」や「光市母子殺害事件容疑者バッシング」、「大阪うつぼ公園・長居公園ホームレス叩き」の状況と比べたら、もう雲泥の差です。

・生きる希望、派遣村がくれた…失業・自殺未遂から再起誓う(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081209-206556/news/20090103-OYT1T00725.htm
・霞ヶ関、日比谷周辺に「年越し派遣村」開設!(派遣ユニオン)
 http://hakenunion.blog105.fc2.com/blog-entry-26.html
・年越し派遣村
 http://hakenmura.alt-server.org/

 これも偏に、小泉・安倍・福田・麻生4代に渡るネオコン・ネオリベ政権の、「反面教師としての強烈な教育力」の為せる技ではないかと、思う次第です。そういう意味では、この4代政権こそ、近い将来の日本「南米」化を準備した、史上最強の「反日」政権ではなかったかと(笑)。

 勿論、逆流もまだまだ根強いのは確かです。下記の村野瀬玲奈さんの論考でも取り上げられた財部誠一や、池田信夫、八代尚宏などの御用識者が、今も盛んに「お為ごかし」の議論を展開して、「妬み・嫉み」や「下見て暮らせ傘の下」などの世論の歪んだ部分に、ひたすら阿ろうとしています。そして、その歪みによって支持される、橋下徹や東国原英夫、石原慎太郎などの政治屋が、ポピュリズム・デマゴギー・ファシズムの方向に世論を誤誘導しようと、今も盛んに活動していますから。

・一方的派遣切りを正当化する論の特徴(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1047.html

 財部誠一って、確か自分のブログに借金時計なるものを貼り付けて、我々ワーキングプアの人権要求に対して、「お前らは日本の借金を増やすゴクツブシだ」とか言って抑えつけに回っているオッサンですよね。庶民への福祉施策だけでは、これほど巨額な借金にはなりません。その借金こしらえたのは、お前ら資本家や、それとつるんだ天下り官僚じゃないか。新銀行東京への乱脈融資一つとってもそうだろう。それを、何を他人に責任なすりつけているのか、自分のケツぐらい自分で拭け。

 またその一方で、かつては「反左翼」の立場から、政府・財界・ネオリベ(新自由主義者)と共に「社会的弱者バッシング」の一角を担ってきたネオコン(新保守主義者)・靖国勢力が、歴史問題における対立などを機に、米国やネオリベから見捨てられ始めた為に、やにわに「反米・反ネオリベ・格差社会批判」に転じて、しきりに反貧困運動に接近してきた事についても、私としては非常に興味深く見ています。
 私は右翼には興味も関心もないので、当該対象の事は詳しく知らないのですが、これをメチャメチャ好意的・大甘に捉えれば、確かに右翼思想にも、「惻隠(そくいん)の情」とかいう、岡倉天心・竹内好などのアジア主義やイスラム社会の在り方にも通じる弱者救済・相互扶助の側面があって、その意識の反映で、そういう事を口走り始めたのかも知れませんが。
 しかし右翼と言うのは、ネオコンにしても靖国派にしても、伝統擁護や構造改革路線の是非を巡って、しきりに「ネオリベとの対立・差別化」を演出していますが、所詮はネオコンもネオリベも、ともに「お上大事」の「弱肉強食」受忍論者でしかなく、そういう意味では、両者の関係は、只の「合わせ鏡」「同じ穴のムジナ」に他なりません。

 この手の論者として有名なのが、小林よしのりです。彼は、「戦争論」シリーズ姉妹編「ゴー宣・暫2」の漫画の中で、「ワーキングプアは自己責任ではない!」として、小泉構造改革を批判しています。しかし、これもよくよく読むと、「『弱者救済』でなく『トラスト』を守るために格差拡大を批判する」という彼自身の言葉からも明らかな様に、主張の力点は、社会的弱者の生存権擁護よりも、寧ろトラスト(家族秩序や大和魂)の復興に置かれています。つまり、彼の「格差社会批判」なるものは、あくまでも「革命の予防」が主目的であって、決して人権擁護の立場からの主張ではないのです。
 また、一時期、安倍政権が「再チャレンジ」を唱えて、小泉路線との違いを際立たせようとしましたが、彼の主張も、結局は「椅子取りゲーム」(搾取の仕組み)自体は肯定した上での、「次は誰かを蹴落として椅子に座れるように頑張れ」という、一種の精神論に過ぎないものでした。当時の教育再生会議の面々が、さもイジメ問題を憂慮するかの様なポーズを取りながら、実際にやった事は何だったか。「夜スペ」と称する公教育への受験産業参入にお墨付きを与えたり、全国学力テストによる子どものランク付けだったり、でしか無かったではないですか。それと言うのも、これらネオコンの「格差社会批判」なるものが、結局は「ネオリベと何ら変わらない弱肉強食肯定論者」としての本質を糊塗すものでしかない事を、如実に物語っています。

 この手の論者には、他に西部邁・佐藤優・城内実などがいますが、いずれも小林と似たり寄ったりのスタンスでしかありません。それでもまだ小林は、たとえその意図はどうあれ、「人をモノ扱いするな!」と共に声を上げてくれるだけ、まだマシなのかも知れません。私が最も怒りを覚えるのは、共にそういう声を上げる事すらせず、今も「ブッシュのポチ」として唯々諾々と米軍再編やイラク戦争に追従する存在でしかないくせに、如何にも「自分は米国にも物申す愛国者でござい」みたいなポーズを取って恥じない、石原慎太郎や田母神某の様な「大嘘つき」に対してです。
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やっと休みが取れた

2009年01月04日 10時11分21秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 2009年の新しい年が明けました。ガザ空爆や、「年越し派遣村」に野宿者殺到と、年明け早々から世情騒然としたニュースが目白押しなので、今年は、少なくとも自分のブログでは、「おめでとう」と言うのは止めています。但し、リアル世界で出した年賀状には、日頃のお付き合いもあるので、「明けましておめでとう」ときっちり書きましたが。

        

 やっと休みが取れました。前にも書いた様に、私のバイト先の某大手スーパー物流センターでは、従業員は年末年始も出勤です。食品流通関係はどこでもそうですが、この時期は年末商戦のかき入れ時であり、どこもフル稼働で動いています。上記左の写真にある勤務シフト(出勤簿)に沿って、同右の写真にある様な朝早くから、毎日勤務していました。左写真のシフト表にある「定」の表示が、契約社員や派遣社員の定休日(交代制のシフト休日)で、その中のピンクのマーカーで色を付けた分が私の休みです。これで見ても分かる様に、私は年末12月29日から昨日の1月3日まで連続出勤で、今日が初めての正月休みです。

 そういう事で、今日からまたブログ更新に手をつけていきますので、みなさん宜しくお願いします。今日もどこまで書けるか分かりませんが。
 書きたい事は一杯あれど、まずは手始めに、バイト先でのこの年末年始の顛末を書き止めておく事から始めたいと思います。私にとっては、今年が今の現場に配属されてから最初に経験する年末年始です。来年の年末は、少しでもシンドイ思いをしなくても済む様に、簡単にでも今年の事を記録に止めておこうと思いますので。つまり、今回エントリーの以下の部分は、謂わば私個人の為の備忘録なので、興味の無い方は読み飛ばして貰って結構です。

 年末より前のクリスマス商戦の時期から、商品量は次第に増えてきました。それでもまだクリスマスの時期は、そう大した事は無かったように思います。クリスマスケーキの出荷も、送迎バス通勤組の私は、帰りのバスの便との兼ね合いもあって、残業せずに済みましたから。但しこれも今だから言える事で、その時はフーフー言っていましたが。
 ただ、その前後の時期から、荷動きがそろそろ変則的になって来ました。これも流通関係ではどこでもそうだと思いますが、盆暮れなどの繁忙期は、商品の受注量が増えるだけではなく、注文の出方も通常とはまるっきり違ってきます。正月食材などの普段出ない商品が、この時期は大量に出ますから。
 当然、当該大手スーパーの現場業務を請け負っている業務請負(平たく言えばスーパーの下請け)会社の担当者社員も、スーパーからの物量予測資料を基に、日々の出勤シフトや作業スケジュールを組み、人が足らない分は派遣会社から人を手配して貰うなりして、仕事を回していくのですが、それはあくまで「建前」にしか過ぎません。実際は、スーパーがはじき出した予測数値は全然当てにならず、当日蓋を開けて初めて「こんな筈じゃ無かったのに」という事が、往々にしてあります。
 
 実際この時もそうでした。私の職場は、普段は火・金・土曜日が忙しくて、日・月曜日は比較的ヒマなのですが(出勤シフトも当然それに合わせて組んでいる)、12月第3週は普段とは逆に、15日の月曜日に通常の2倍以上も入荷が殺到して、メチャメチャ忙しく、翌16日の火曜日が逆にヒマでした。そして、こんな事は先の予測資料には何も書いていなかったので、月曜日は出だしから業務が遅れまくりで、散々な一日でした。
 しかも、そんな状況にも関わらず、その担当者社員は可哀想にも、自分ひとり業務遅延の責任を負わされ、報告書まで書かされる破目になってしまいました。「どんな事があっても仕事に穴を開けないのが、ウチの仕事やろう!」と上から言われて。そんな、根性論の極致とも言うべき詰められ方をされていました。私はそれを人伝に聞いて、「『竹槍でB29を突き落とすんや!』と言っていた戦時中の発想と、全然変わらないじゃないか」と、その上司を内心思いっきりバカにしていましたが。
 しかし、やがて正義は勝つ。そういう事が一度ならず二度、三度と起こるにつれて、流石にその担当者も次第にケツまくりだし、とうとうその上司も含めて、年末は全員総動員で現場作業張り付きにならざるを得なくなってしまいました。(この項、多少脚色を施していますが、大筋については真実です)

 そして、とうとうやって来た年末年始の本番。12月29日(月)までは何だかんだ言ってもまだ通常通りの勤務シフトだったものが、30日夜のおせち料理食材詰め合わせの出荷を機に、ガラッと変わりだします。この手の商品は元々消費期限が短く、新鮮さを売りにしているので、売り出し当日直前のタイミングでドドッと入荷してきます。おまけに壊れやすい上に高価な商品なので、まるで腫れ物に触るように荷受・仕分け・荷出ししなければなりません。傍には当該おせち食材メーカーのバイヤー(営業担当者)も張り付いて、「君、もっと丁寧に商品を扱いたまえ」とか注意されながらの作業となります。当日はホカ弁も夜食に出て、早朝7時から深夜21時までの、拘束14時間・実働13時間労働となりました。しかも、送迎バス通勤組はそれでもまだマシな方で、自転車通勤などの居残り組はもっと遅くまで残っていた筈です。

 明けて31日はスーパー営業年内最終日で、出荷も午前11時過ぎで終了し、みんな早めに帰りました。翌日元旦からの年始商品大量入荷に備えて。当日は実働5時間半ぐらいで、午後1時過ぎには退勤。当てにしていた残業代も、大幅に目算が狂いました。まあ昨日あんなに働いたのだから、それで好とするか。

 その翌日の元旦は、スーパーの店舗は営業が休みですが、物流センターには翌2日からの正月商戦用の食材がドバッと入ってきます。一年中のうちで、この日だけは遅番(それでも朝9時からの)出勤で、送迎バスも、いつもと便が変わります。当日は仕出しの弁当業者も休みなので、コンビニで自分のランチを買って(こういう時はメシと足の確保にはくれぐれも注意!)、いつもと違う時間・場所で早めに待機して迎えのバスを待っていたら、何と目の前の道路をバスが通り過ぎて行きました。どうやら、前日に渡された待機場所の地図に誤りがあった様です。バスの運転手が、慌てふためく私の姿に気付いてくれて、何とか乗る事が出来ましたが。
 この日は、前述した様に店舗は休みなので、配送車への荷出し・積み込みは無しです。入荷検収、仕分け・ピッキング、引き込み・庫内整理に終日追われます。但し夜勤出勤者も元旦休みなので、普段は夜間に入荷している商品や、正月限定の普段見慣れない商品を検品・出荷するので、いつもと勝手が違い、どうしても勘が狂います。それに加え、作業予測は前述した様に「在って無きが如き状態」なので、ドンドカドンドカ引っ切り無しに商品が入ってくる中で、右も左も分からない素人の日払い派遣の人たちに作業指示をしながら、やっさもっさやっている中で、あっというまに一日が終わりました。当日は、通常の日当とは別に、5千円の元日出勤手当が現金支給されました。
 
 そして2日から3日にかけて、物流センターについては、商品の量も動きも次第に通常の姿に戻り、やっとこの4日に、私も一週間ぶりに休み入る事が出来たという次第です。
 私にとっては、この4日が強いて言えば正月休みに当たります。だから、私にとっては、クリスマスも正月も普段と殆ど変わりません。当初は、年賀状も一切書かずにおくかメールで済まそうと思っていたぐらいです。実際に、出入り業者の人の中には、年賀状をメールで済ました人もいました。
 しかし、それでは幾らなんでも味気ないし、そんな不義理ばかりしていたのでは、仕舞には誰も自分に年賀状を書いてくれなくなるので、どうにか今年も、賀状を出すには出しましたが。それも、今までは適当に手書きで済ましていたのを、今年は一念発起して、きちんとパソコンで自作の年賀状を書いて。
 そういう事もあっての、今年は「新年明けましておめでとう」抜きの挨拶となりましたが、悪しからず。

 それと最後にこれだけは。このブログを読んでくれている人の中にも、実際に派遣社員で働いていたり、そういう人たちを雇い入れている側の人たちが、大勢居ると思われます。そういう人たちも、途中で記事を読み飛ばた人も含め、最低限これだけは心がけて下さい。

派遣のバイトを仕事中に呼ぶ時は、決して「オマエ」「キミ」「其処のハケン」とかではなく、必ずその人の名前で呼んであげて下さい。

 
 ※上記は、12月4日夜、東京・日比谷野音での
 派遣法改正要求集会(出典:共同通信)

 但し、これは言うほど簡単な事ではありません。日替わりで、入れ替わり立ち替わりに、毎日別の人が、派遣会社から回されてきます。似たような顔つきの人も、中には何人も居ます。その一方で、受け入れる側の方も、早出・遅出や早上がり・居残りシフトの人間が居て、昼勤者も居れば夜勤者も居る。それらの人たちが、引継ぎ前後の時間帯にはみんな入り乱れて、それぞれ作業に就いているのが、今の職場です。
 そういう人たちの勤怠管理をする社員も勿論いますが、それは一人か二人であって、その他の作業者は私も含め、手元に派遣の出勤者リストなど在ろう筈も無く、自分も現場で作業しながら、いきなりぶっつけ本番に、右も左も分からない相手に向かって、それでも事故やミスをされては適わないので、最低限の事だけは教えなければと、必死になって作業をこなしているのが実情です。

 一体全体、そんなぞんざいな働かせ方を強いられれば、人の扱い方が勢い「モノ扱い」に堕してしまうのも、ある意味において必然です。業務請負会社の契約社員である自分自身も含めて、大手スーパーやその上の政府・財界・国際資本から全人民が「モノ扱い」される中で、自分だけが「良い子」になろうとしても、そうは問屋が卸してくれません。
 本当は、派遣会社か受け入れ先企業の方で、当該会社名とワーカーの氏名を記したネームプレートを着けてくれたら、それで解決する問題なのですが。しかし、双方とも員数合わせしか頭に無い中で、当日の始業間際まで「蓋を開けてみなければ誰が来るか分からない」様な状況下では、「ネームプレートを事前に準備し現場に揃えて置く」なんて本来ごく当たり前の事すら、夢のまた夢なのでしょうか。

 しかし、そんな屁理屈も、所詮は受け入れ側の勝手な都合でしか在りません。当の派遣社員の立場からすれば、「モノ扱い」される事ほど、頭に来る事は無いのです。私も、以前は日払い派遣で働いていた時期があるので、その気持ちは良く分かります。派遣先の社員がロクスッポ作業指示一つ出来ない中で、仕方なく作業場の壁にもたれて待機していたら、フォークリフトに乗った社員に、いきなり名前ではなく「顎で合図されて」呼ばれて、「ボーッと突っ立ってるなと言ったやろ!」と言われた時は、私でも「コイツ、マジでいつか殺したろか!」と一瞬思いましたからね。
 だから、なるべく私は、休憩時間にさりげなく相手の名前を聞いておいて、その次からは出来るだけ、その人の名前で呼ぶようにしています。たとえ実際は、派遣の名前を覚えるとかいう前に、当の自分自身も、勤務シフトが入り乱れる中で、普段見かけない顔の人に必死で作業手順を教えた後で、その人が実は日払い派遣ワーカーではなく、私よりも遥かにキャリアの長い夜勤のベテラン・バイトだったという事に、後で気付いて大恥かいたりもしながら。(その人も人が悪いのか、形だけは「そうかそうか」と頷きながら、しきりに私の方を向いてニヤリと笑っていたので、どうも変だと思ったのですが、もう後の祭りでw)
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