アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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宇都宮LRTに乗って来た。

2023年08月30日 09時29分19秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
8月26日から27日まで1泊2日の日程で、栃木県宇都宮市に新規開業したLRT(ライト・レール・トランジットの略で、低床式の次世代型路面電車の事)に乗って来ました。 この日本で路面電車が新規開業するのは、もう75年ぶりの事です。 但し、路面電車と言っても、今までの路面電車とは全然違います。 ツイッターに投稿した旅行記の文章をそのまま載せますので、是非お読み下さい。 
 
8月26日(土)。 始発で大阪を立ち宇都宮には10時半過ぎに着いた。 宇都宮LRTの開業パレードが今から始まる。 パレードコースの鬼怒通りは全面通行止め。 15時からの乗車整理券も既に完売。 飲食ブースの宇都宮餃子の店の前も長蛇の列。 今日は開業イベント取材に徹し、初乗車は明日に延ばす。
 
一番電車の発車式も満員で入れず。 一般客も自由に見学出来るパレードコースに移動。 宇都宮駅東口の隣の東宿郷停留所から撮影。 それにしても人が多い。 それに整理係のスタッフが、やれ立ち止まるな、(片足が少し道路にはみ出ただけで)道路に出るなとうるさい。 普段もこれだけ乗ってくれたら良いのだが。
 
開業記念セールの商品はやはりボッタクリだった。 ポロシャツ3500円、トートバッグ1750円はまだしも、かき氷が千円前後もするとは。 千円の開業記念切符も実際に使えるのは10月から。 その中でセブンイレブンのエクレアとパン、水、キーホルダーが比較的安価だったので買う。 明日の朝食はこのパンだ。
 
今日はもう電車に乗るのを諦め、撮影ポイント探しに線路沿いを芳賀町方面へ、東宿郷電停の前まで歩いて来たら、何とここからだと整理券も不要で電車に乗れると。 ラッキー! ついでに交差点で黄色矢印の信号表示(これが点灯している間は車は交差点を横断出来ない)に従い進行する貸切電車も撮影出来た。
 
 
宇都宮LRTの乗り方。 ICカードの乗客は乗車時は下の緑リーダー、降車時は上の黄色リーダーにカードをタッチするだけ。 問題は私の様な現金客だ。 停留所前方にある発券機のボタンを押し整理券を入手。 降車時に運転席横の運賃箱に整理券と運賃を入れる。 お釣りは出ないので降りる前に両替を済ませておく。
 
東宿郷から車両基地のある平石まで乗る。 大混雑の中なんとか平石で下車。 2面4線の行き違い設備もある大きな駅だ。 バイアフリーで駐車場などのトランジット(乗り換え)設備も充実。 ただ周囲は一面田んぼ。 車庫は少し駅から離れている。 立入禁止も、偶然尿意を催しトイレを借りる事ができ撮影にも成功。
 
平石から清原地区市民センター前までは専用軌道となる。 この区間は山あり谷ありで民家はほとんどない。 沿線には飛山城跡などの史跡も点在。 鬼怒川では太公望が釣り糸を垂れていた。 路面電車は市街地を走るものだと思っていた常識が覆される。 市民センター前停留所には立派なトイレが併設されていた。
 
グリーンスタジアム前から終点の芳賀・高根沢工業団地までは再び道路上を走る。 クルマの車線と軌道敷は完全に分離され、定時運行が保障されている。 ただ急勾配、急カーブが連続して現れる。 試運転では急カーブを曲がりきれずに脱線する事故も発生。 観光客目線では飽きない車窓も地元客としてはどうか。
 
宇都宮LRT開業は沿線のキャノン、ホンダ工場に通うマイカー族の渋滞解消と、今まで車で郊外の量販店に通っていた買い物客を駅前商店街に呼び戻すのが狙い。 大阪の様なカジノ頼み、観光客頼みの他力本願ではなく、地元の経済や市民生活が潤う起爆剤となるか? 帰りは峰で降りて中華トントンで餃子を食う。
 
中華トントンでびっくり餃子とジャンボびっくり餃子の違いを聞いたら見本を見せてくれた。 左がジャンボの方で流石にデカい。 でも他方も大阪の餃子とは比べ物にならない位デカい。 味もキャベツの甘みが滲みて美味しかった。 人手不足でメニューを制限しなければならなかったり大変だが応援するので頑張れ! 
 
電車式信号機は赤が常時点灯するので最初は私も戸惑ったが、大阪でも阪堺電車の路面区間を横切る所にある信号機は赤がずっと点灯。 もう右上の赤は気にせず電車は黄色矢印、車は緑矢印の通りに進めば良いと納得 #ライトラインなう
 
「ライトラインなう」のハッシュタグを付けてツイッターに宇都宮LRTの写真を投稿すれば何かくれるそうなので私も早速やってみたw
 
8月27日(日)。 ホテルで昨日買ったLRTのパンを食べたが、黒パンから黄色のクリームが出てくると思いきや、クリームも黒だった。 栃木産苺のとちおとめをクリームに混ぜているのに、なぜ黒なのか? 黄色と黒のコラボで幾らでも新商品作れるなら、私も大阪に帰ったら丸美屋のノリ玉でLRT弁当作ってみようかしらんw
 
内陸部の宇都宮はさぞかし暑いだろうと覚悟して来たが、昨日の昼こそ照り返しがきつかったものの、夕方には涼しい風が吹いていた。 今朝も27℃で半袖では寒い位だ。 今日の宇都宮は終日曇りで昼から雷雨があるかも。 何せ別名、雷都と呼ばれ、LRTのデザインにもなった町だからなあ。
 
今日は始発駅の宇都宮駅東口からでも整理券なしに乗れた。 しかも関西のICカードも使えるのだと! 試してみたら本当だった。 だったら最初からそう説明しろよ。 昨日は両替機故障で小銭が用意出来ず、隣のお客さんに両替して貰ってようやく降車出来たのだぞ。 今日はまず宇都宮大学陽東キャンパスまで乗る。
 
陽東キャンパス電停の隣にある商業施設ベルモールでもLRT開業イベントが開催されているので、それを体験する為に下車。 すぐ前にさくらの湯というスーパー銭湯があったので雨宿りを兼ねて入浴。 開業イベントの地元高校生によるLRT模型の運転はレールもない玩具の電車だったので、撮影だけして退出。
 
LRTに乗って帰ろうとしたが、上り電車が混雑で30分遅れとの報に、途中の峰まで歩く事に。 確かにやって来るのは下り電車だけで、それも軒並み超満員。 昨日みたいに、終点の芳賀・高根沢工業団地で乗客が溢れて収拾不能に陥っているのだろう。 それだけ地元の期待が大きいのだ。 実際、地元はLRT一色だった。
 
峰で降りたのは昨日の中華トントンで、びっくり餃子セットを食べる為。 昨日はご飯が品切れで餃子とラーメンの単食メニューに切り替えざるを得なかった。 キャベツと豚肉がたっぷり入った肉厚の肉汁滴る餃子もさる事ながら、それ以上に卵スープの素朴な味が忘れられない。 帰阪したら私も試作してみる。
 
宇都宮で餃子が作られる様になったのは、戦前ここに駐屯した陸軍師団が中国で餃子の製法を教わったからと。 当店もそんな本場仕込みの味を親子と学生バイトの3人で引き継ぐ。 中には出来上がりが遅いと文句言う奴もいるそうだが、たった3人で店回しているのだから仕方ないだろう。 頑張れ! 中華トントン!
 
地元業者が物価高や人手不足を跳ね除けどれだけ頑張れるか? それは我々にとっても決して他人事ではない。 大阪でも数ある名店が惜しまれながら無くなって行った。 決して味が不味かった訳ではない。 単に後継者難と人手不足の為だ。 地元はもう限界まで頑張っている。 それを助けるのが政治の役割ではないか。
 
ところが大阪では地域の活性化そっちのけでカジノや外国人観光客の誘致ばかりに血道を上げる。 お陰で潤うのは観光客のお溢れにあやかれる一部業者のみ。 街は廃れシャッター街と化し、自分の事しか考えない輩が横行。 宇都宮は決して大阪みたいになってはいけない。 宇都宮LRTがその契機になる事を望む。
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我が社のブルシット・ジョブ

2023年08月23日 22時50分53秒 | 職場人権レポートVol.3
 
みんな、「ブルシット・ジョブ(Bulushit Jobs)」と言う言葉を知っているか?英国のデヴィッド・クレーバーという人類学者が2018年に言い出した言葉で、日本語では「クソどうでもよい仕事」と訳される。
 
こう書くと、みんなの中には「きつい、汚い、危険な」3K労働をイメージする人がいるかも知れない。確かに土方仕事やゴミ収集などはそんな仕事の典型だが、決して「どうでもいい仕事」なぞではない。何故なら、社会にとって必要不可欠な仕事だからだ。土方がいなければビルも建たないし、ゴミ収集車が来なければ町中ゴミで溢れかえってしまう。だから、これらの仕事は「シット・ジョブ(Shit Jobs)」(クソ仕事)と呼ばれ、「ブルシット・ジョブ」とは区別される。私達の勤める物流業界も、低賃金・長時間労働の3K労働という意味では、立派な「シット・ジョブ」だ。
 
また、マフィアや暴力団などのヤクザ稼業も「ブルシット・ジョブ」ではない。これらの稼業は反社会的な犯罪行為であり、その事は当事者であるヤクザ自身も十分理解している。だが「ブルシット・ジョブ」は違う。それに携わっている輩は、自分達の事を反社会的集団だとは、これっぽっちも思ってはいない。だから余計始末に悪いのだ。
 
では、3K労働でもヤクザ稼業でもない「ブルシット・ジョブ」とは、一体どんな仕事なのか?デヴィッド・クレバーはそれを次の主要5類型に分類している。但し、あくまでも主要5類型であって、細かく見ていけば更に色々分類出来るし、二つ以上の類型に属する仕事もあるらしい。
 
①取り巻き(受付の案内嬢や百貨店のエレベーターガールなど)。別になくても構わない仕事。実際、小さな会社にはそんな仕事はない。では何故、そんな仕事があるのか?「ここは大会社である」と来客に見せびらかす為である。
 
②脅し屋(企業の顧問弁護士や労務屋など)。内部通報者や組合活動家に対して、訴訟をほのめかしたり嫌がらせをするダーティーな仕事。でも非合法なヤクザとは違い、ギリギリ合法の範囲内で、法の網の目をかい潜って活動する。
 
③尻拭い(クレーム処理係など)。企業がクレーム起こすような不祥事を引き起こしさえしなければ、本来なら不要な仕事。
 
④書類穴埋め人(大して必要もない書類を作る人)。今までもお役所仕事の典型例として散々槍玉に挙げられて来た仕事。総務や庶務部門に多い。
 
⑤タスクマスター。上記①〜④の仕事を部下に割り振る人。
 
 
以上がその主要5分類だが、私はこれを見て、まるで自分の勤め先の物流請負企業にそっくりだと思った。
 
私の勤め先は大手スーパーの物流センター業務を請け負っている会社だ。スーパーの物流センターの中で、商品の検品や仕分け、積み込み、配送業務を請け負っている二次下請けの会社だ。その二次下請けの上に、経理事務を扱う一次下請け会社や、大手スーパーの正社員・役職者がいる。
 
実際に現場の業務を担っているのは二次下請けの我々なのに、一次下請けや大手スーパーの社員が、ろくに仕事もせずに構内をブラブラしていたり、偉そうな態度で我々に命令したりする事がよくある。これなぞ、私達から見たら典型的な①取り巻きではないか。
 
②も、今はいないが、以前はこんな人間が1人いた。同じ非正規のバイトなのに、一番年数がいっている事を鼻にかけ、他のバイトにあれこれ偉そうに仕事の指示をする奴だ。そいつは、改修工事中で見通しの悪い所で、私がうっかりそいつに荷物を当てて怪我させてしまった事を根に持ち、見通しの悪い中で作業させた会社の責任は棚上げして、私だけを悪者にして、治療費を請求して来た。しかも会社とグルになって、労災が下りないように仕組んで。幸い、外部の労働組合の尽力で、労災が適用されるようになったが。これなぞ典型的な②脅し屋ではないか。
 
③も、私達が仕分けする農産物を横で加工している別の下請け企業がいるが、その会社は仕事の段取りが悪く、いつも加工がダダ遅れになる。ただダダ遅れになるだけならまだしも、当日中に出荷しなければならない商品の加工を後回しにして、翌日出荷分の商品の加工を優先するから更に始末が悪い。翌日分の方が量が多いからそうしているらしい。でも先に出荷しなければならないのは、午後一番の便で配送車に積み込まなければならない当日分なのだから、あくまでそちらの加工を優先すべきではないか。その為に、私達は、加工遅延の状況をわざわざ毎日データに取って、会社に報告して会社の尻を叩かなければならない。これも本来ならやらなくても良い③尻拭い業務だ。
 
④も挙げればキリがない。例えば各種の作業日報がそうだ。私達、二次下請け企業の労働者は、毎日退勤時に、作業日報を提出する事になっている。何時から何時まで、どこでどんな作業をしたか、時系列にまとめて日報に書いて出して帰らなければならない。でも、実際の現場作業はそんな単純な物ではない。自分の作業が終わっても、A→B→Cと、遅れている部門の応援に入らなければならない。また、忙しい時はA→B→A→C…と、あちこちたらい回しにされる事もあれば、AとBの作業を同時に進めなければならない時もある。しかし、そんな時でも、作業日報には、何時から何時まではA作業、何時から何時まではB作業と、履歴書みたいに時系列に書かなければならないのだ。
 
そうすると、作業終了後に、後でまとめて書き直さなければならない。しかし、何時から何時までどこで何をしていたか、いちいち覚えていられない。だから、もう適当に書くしかない。そんな適当な作業日報なら、付ける意味がない。
 
そもそも、バイトに作業日報を毎日書かせるのは、そんな無駄な作業のたらい回しや作業の偏りを無くし、業務改善を図る為ではないのか?だが実際は、日報をバイトに書かせて、それをパソコンに入力するのが仕事になってしまっている。目的と手段が完全に逆転してしまっている。
 
⑤は、二次下請けのうちの社員だ。確かに私達は二次下請けで、大手スーパーや一次下請け企業から仕事をもらう立場だ。でも、そもそも何の為に我々は仕事をしているのか。スーパーの商品を買ってくれる消費者の為に、安全な商品を少しでも安い価格で提供出来るようにするのが我々の仕事だ。
 
あくまでも主体は消費者だ。その前には大手スーパーも一次下請けもない。消費者の事を思うなら、時には大手スーパーや一次下請けにとっては耳の痛い事も言わなければならない。
 
そう考えると、作業場がゴミまみれなのに目先の仕事を回す事だけ考えて、清掃をなおざりにして良いのか?自分達の都合だけで、当日出荷分の加工を後回しにして、翌日出荷分の加工を先にやるのが本当に望ましい姿なのか?誰でも分かるだろう。
 
でも、社員の誰もが、それを大手スーパーや一次下請けに言おうとはしない。ひたすら上の命令を下に降ろすだけだ。そんな社畜みたいな社員なら、単なる伝書鳩、ただ仕事を割り振るだけの⑤タスクマスターに過ぎない。
 
資本主義の下では自由競争が原則だ。「より良い商品を、より安く。そうして少しでも良い商品を、より安く提供出来る企業が、競争に勝ち残って大きくなっていく」というのが、自由競争の建前だ。
 
ところが実際はそうはなっていない。幾ら業務改善を図ろうとしても、上がウンと言わなければ物事が全然進まない。上がまともならまだしも、現実はそうではない事は、ビッグモーターの不祥事を見れば明らかだ。
 
二次下請けは一次下請けに頭が上がらず、一次下請けも大手スーパーには頭が上がらない。もう21世紀になるのに、いまだにこのような、江戸時代の士農工商の身分差別みたいな事がまかり通っている。これをデヴィッド・クレーバーは「経営封建制」と呼んで、「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」という著書の中で、槍玉に挙げている。
 
今の日本では、いまだに新自由主義が猛威をふるっている。昔は国がやっていた国鉄や郵便局の仕事も、「どんどん民営化して、資本主義の競争原理を取り入れる事で、サービスは良くなる」。これが新自由主義(ネオリベラリズム)の考え方だ。
 
その「新自由主義」の考え方で、大手スーパーも自社の正社員をリストラし、物流センター業務も一次下請けや二次下請けに丸投げして来た。下請け同士を競争させる事で、より良い商品をより安く消費者に提供出来るようになると考えて。
 
ところが実際の現場では、「経営封建制」が幅を利かせて、正論が通らなくなってしまっている。「より良い商品を、より安く」ではなく、「安かろう悪かろう」になってしまっている。
 
何故そんな事になってしまったのか?新自由主義の下では、役所や公務員だけでなく、労働組合も旧勢力として叩かれた。リストラに反対する抵抗勢力と名指しされて。
 
そうして、労働組合が弱体化させられ、労働基準法もどんどん骨抜きにされていった。労働組合内部でも、自民党や財界に尻尾をふる輩が力を持ち、組合の御用化が進んだ。
 
労働組合も公務員や大企業の正社員が中心で、二次下請けの私の会社には組合すらない。その結果、物言わぬ労働者ばかりになってしまい、正論が通らなくなってしまったのだ。
 
私達の会社が物流センター業務を請け負っている大手スーパーでも、事情は同じだ。より大きな百貨店の傘下に組み込まれ、その百貨店系列の物量センターで使われている備品の使用を事実上強制されている。物流改革の名の下に。
 
その為に、商品を運ぶ備品も、今まで使っていたカゴ車から、より小回りの利くカートに一斉に切り替えられた。でも、商品の荷姿はそのままなので、非常に積載効率が悪くなった。作業の手間が余計にかかるようになってしまったのだ。そして今や、ドーリーまでもがカートに切り替えられようとしている。今はまだ実験段階だが、これもゆくゆくはカートに一本化されるだろう。
 
左から順に、カゴ車、カートラック、ドーリーの例。
 
何種類もある備品が整理統合され、作業がやりやすくなるなら、それでも良い。ところが実際は、商品の形状や荷姿はそのままで、器だけ無理やり変えようとしている。しかし、今まで全く別個の経営体だった百貨店とスーパーでは、同じ物流センターの野菜でも、売っている物が全然違う。客層が違うのだから当然だ。備品の形状が違うのも、致し方がないだろう。
 
同じ流通業でも、業務スーパーと普通のスーパー、コンビニでは、同じ生鮮食料品を扱っていても、発注単位や商品規格が異なる。店内に常備している買い物カゴ一つ取っても、サイズが全然違うではないか。出来れば規格を統一して、同じ備品を使えるように出来れば、作業もはかどるだろう。でも、スーパーを吸収合併した百貨店が、「俺の方が格が上なんだから、俺の備品を使え」と強要したら、一体どうなる?
 
業務スーパーに置いてあるようなバカでかい買い物カゴを、狭いコンビニの中に置いたりしたら、身動きが取れなくなる。逆に、コンビニに置いてあるようなちっこい買い物カゴに、箱売りの商品なぞ入れる事は出来ない。そうであるにも関わらず、百貨店の方が格が上だからと、備品までそちらに合わそうとする。それではまるで「帝国主義」だ。
 
かつてのアメリカも、そうやって先住民のインデアンから土地や固有の文化を奪い、白人の文化を先住民に押し付けた。かつての日本も、アイヌや琉球、朝鮮や台湾を植民地化し、土地や固有の文化を奪い、日本人の文化を押し付けた。
 
くだんの百貨店は、外向けにはやれ「SDGs」だの「平和・人権・環境保護」だのとキレイゴトを言いながら、中ではまるで封建領主のように振る舞っている。職場で「仕事の為の仕事」すなわち「ブルシット・ジョブ」が蔓延し、上の顔色ばかりうかがう前述「主要5類型」の人種が幅を利かすようになったのも、ひとえにこの百貨店「帝国主義」のせいだ。
 
今や欧米では、「行き過ぎた新自由主義を見直そう」という考え方が主流になっている。国鉄を民営化した英国でも、その後、保安軽視で鉄道事故が続発する中で、再び国営に戻そうとしている。水道を民営化したフランスでも、民間会社が儲けにならないからと浄水場の整備を怠り、濁った水が水道から出て来るようになった事で、再び公営化に戻してしまった。
 
日本だけだ。江戸時代さながらの封建制が今も残り、いまだに時代遅れの新自由主義にしがみ付き、それがあたかも時代の流行であるかのように錯覚している、自民党や維新(実は第二自民)なぞという政党をもてはやしているのは。
 
その結果、大阪府や大阪市からコロナ関連業務(給付金支給、ワクチン接種予約受付など)を請け負った竹中平蔵のパソナが、行政からの交付金を中抜きし、給付金支給が全国一遅く、コロナ死者数も全国最多で、コロナ療養食も全国一不味かった(喉を痛めたコロナ患者にレトルトカレーを強要)にも関わらず、マスコミの宣伝に騙され、いまだに「吉村知事、頑張っている」と信じる府民が大勢いる。これではブルシット・ジョブがなくならないのも当然だ。
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バス運転手の年収が900万で一体何が悪いのか?

2023年08月16日 17時48分57秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

大阪シティバスが万博関連バス運転手を時給2千円で募集。見かけの高時給に騙され応募する人もいるだろうが最長でも1日5時間勤務。日給1万、月22日勤務で22万。非正規雇用の私の給与ともさほど変わらず。交通事故の危険と隣り合わせで不規則勤務も多い職種なのに。市バス民営化の行き着く先がこの労働ダンピング。

しかも運転手の募集要項には研修中は時給1200円とか副業可とか、あり得ない文言が。時給1200円では200時間働いても僅か24万円。だから副業可にしているのだろうが、乗客の命を預かる仕事を片手間でやられたら堪らない。過去に深夜のスキーバスが過労運転で大事故を起こしたのをもう忘れたのか。
 
あと募集要項に社保完備とあるが、週20時間以上働かないと社会保険には入れない筈。万博関連運転手は1日4時間半~5時間、週3~5日勤務なので、最短4.5時間×3日だと週13.5時間しかなく社保には加入できない。常に交通事故の危険と隣り合わせなのに社保にも入れないのでは、ウーバーイーツと何ら変わらない。
 
 
時給2千円の見かけ上の高時給も所詮、非正規雇用の使い捨て。それは同業他社の募集条件と比較すれば一目瞭然。例えば神姫バス運転手は正社員1年目にして既に月給30万、賞与年3回で年収420万。大型二種免許取得支援や入社祝い金支給も。ただでさえ運転手の成り手がいないのに、年収300万以下の給与で誰が来るか。
 
ここで維新支持でネトウヨ(ネット右翼)の兄貴が、以前、市バス運転手の年収900万を槍玉に上げていたのを思い出した。もらい過ぎだと。それを今の維新市政が、市バスを民営化して大阪シティバスに改組した事で、バス運転手の給与も仕事に見合う水準に是正したと。でも私は決してそうは思わない。
 
民営化でサービスはよくなると言われるが、それは外面だけの事。乗客を増やす為に儲かる路線はダイヤも増発されサービスも向上されるが、利益を生まない保安部門は真っ先に削減される。地方では鉄道だけでなくバス路線の廃止も相次ぐ。人手不足対策だけでなく乗客の安全確保の為にも運転手の待遇改善を求む。
 
市バス時代の年収900万が仕事に見合うだけの収入だったかどうか?今の私には判断できない。でも、今の時給2千円でも年収換算では300万に満たない低賃金よりは、はるかにマシだ。それでなくとも運輸業界は長時間労働で低賃金。人手不足でドライバーも高齢化。それぐらい出さなければ人は来ない。
 
台風が来襲しても物流センター勤務の私は休めない。出荷先は台風で軒並み臨時休業も、センター内では次の荷物を捌くのにてんてこ舞い。バス運転手もこれと同じ。台風でバスが運休しても決して遊んでいる訳ではない。逆に台風対応で普段以上に激務なのだ。年収900万ぐらい貰わなければ到底引き合わない。
 
 
自民党議員の松川るいが公費で海外研修に出かけてパリでエッフェル塔のポーズ。これでは研修ではなくただの海外旅行だと非難殺到。市バス運転手の年収900万より、むしろこちらの無駄遣いこそ問題では?なのに政治家の浪費を棚に上げ、市バス運転手ばかり槍玉にあげるのは職業差別以外の何物でもない。
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何故兄はネトウヨになってしまったのか?

2023年08月12日 09時31分00秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
「コロナ禍が収束し、離れて暮らす父母と久しぶりに再会したら、かつての姿からは想像できないほど思想が変化していた。しかも、それを子供に押しつける。なかでも多いのが親のネトウヨ化や、陰謀論に染まるケース。なぜそうなったのか?」(以上、週刊SPA!「親がネット右翼・陰謀論者に…家族の悲劇」特集記事より)
 
※ネトウヨ=ネット右翼の賤称。従来は、ネトウヨの大半は、低学歴で非正規雇用の貧しい若者で、ネットで外国人排斥や弱者排除の書き込みをする事で、日頃の鬱憤を晴らしていると言われて来た。しかし、実際は、むしろ資産家の老人や、高学歴で裕福な自営業者(青年商工会議所に属する経営者など)にネトウヨが多いと言われている。
 
 
うちの兄貴がまさにそれ。若い頃はリベラルっぽい事言ってたのに、自営業始めて維新を支持するようになった途端に、「日本は朝鮮で良い事もした」「今の中国は反日」云々と。
 
曰く「植民地統治下で朝鮮の人口は増えた、日本は朝鮮に鉄道を敷き大学も建てた」「それに引き換え中国が今ウイグルやチベットでやっている事は」云々。今、中国がそれらの地域でやっている事こそ、かつて日本が朝鮮や台湾で散々やって来た事なんですが。人口なんて医療技術が進めばどんな国でも増える。
 
朝鮮半島の人口は1910年から1940年に約1.8倍増加。同時期に日本は約1.4倍増加。だからと言って戦前の日本人が裕福だったという証にはならない。そんな事は女工哀史や蟹工船などの小説を読めばすぐに分かる。今のアフリカやインドもそうだろう。幾ら人口が増えても貧富の差が縮まなければ裕福にはならない。
 
宗主国が植民地に鉄道を敷き学校を建てたのも、現地人の一部を手なずけ植民地支配の手先として利用する為。韓国やミャンマーの軍事政権を育成したのも旧日本軍人。中国が今チベットやウイグルでやっている事もそれと同じ。それを批判しながら日本の過去の植民地支配を正当化するのは完全なダブスタ。
 
そんな事は歴史の教科書を紐解けばすぐに分かる。でも日本は受験偏重の詰め込み教育なので国民はすぐに陰謀論やフェイクニュースに騙されてしまう。ネットも情報網を握っているのはGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)等の巨大資本なのに、「ネットに書いてある事は真実」とフェイクニュースも鵜呑みに。
 
私は鉄道や競馬が趣味なので、ネットでもそれらの情報をよく見る。するとパソコンやスマホも、私の検索履歴を基に、それらの情報を優先的に表示するようになる。AI(人口知能)が好みの情報を優先的に配信しているだけなのに、それがまるでネットの真実であるかのように誤解してしまう。その成れの果てがシニア右翼。
 
麻生が台湾有事で日本国民に戦う覚悟を説教。その醜い姿は、インパールやビルマの戦場を兵士の白骨で埋めながら、芸者遊びにうつつを抜かす旧帝国軍人そっくり。「下々の皆さん」と庶民を見下し、「いつまで生きているんだ」と高齢者バッシングを煽る輩が、自分の都合の良い時だけ愛国者ぶるんじゃない。
 
朝鮮は反日だが台湾は親日?その親日国の台湾で日本は一体何をした?霧社(むしゃ)で蜂起した先住民を毒ガスで虐殺(霧社事件)。先住民を無理やり日本軍人に仕立て上げ(高砂義勇隊)、勝手に靖国神社に奉りながら、遺族からの遺骨返還要求にも応じず。それでも戦後の国民党統治よりは多少マシだった。その程度の「親日」に過ぎない。
 
台湾を親日と誉めそやすなら、脱原発の方向に舵を切り、模範的なコロナ対策を実施し、中国との貿易協定を新自由主義的と否決した学生運動こそ見習うべき。ところが、そんな先進性は全て無視して、福島の汚染水を垂れ流し、新自由主義のブラック企業も野放しの日本が、都合の良い時だけ台湾の味方ヅラ。
 
同じ事はベトナムについても言える。ベトナム戦争では米軍の前線基地として侵略に加担。中越紛争でもポルポト派の民主カンボジアのみ承認してベトナムに敵対。その反省もなしに、今また「ベトナムは反中・親日だから」と、自国の都合だけでベトナム人労働者を安くこき使い。資本家の勝手な都合で選別。
 
御用新聞の産経が維新の主張だけを垂れ流し。「第一自民党と第二自民党が改革競争してこそ日本の為になる。立憲や共産なんて日本には要らない」と。そんなに改革言うなら台湾の脱原発や新自由主義見直しこそ是非取り入れてほしいものだ。しかし、それには触れず、ただひたすら有事と改憲を煽るのみ。
 
中国の軍拡を非難するなら、米国が中南米や中東でやって来た事も批判しなければ辻褄が合わない。改憲を言うなら、選択的夫婦別姓や同性婚も合法化しなければ真の改憲にはならない。ところが、そういう前向きの改憲にはひたすら背を背け、時代錯誤な天皇元首化や家父長制のみ温存しようとする。
 
維新が本当に改革保守なら、履歴書の西暦併記こそ今すぐ実行すべし。昭和だけならまだしも平成・令和となるともう訳が分からなくなる。公文書や履歴書も西暦で書けるようにしてほしい。勿論、元号の使用も認める。今の選択的夫婦別姓と同じだ。これぐらい改憲しなくても今すぐにでも実施できるだろう。
 
天皇制についても、小室騒動の顛末を見ると、もはや無くても構わないというのが国民の本音では。真子と小室が駆け落ちした時に、秋篠宮は心配する国民を誹謗中傷と断じた。これには普段、天皇陛下万歳と言っている連中ですら、秋篠宮を悪様(あしざま)に罵った。別に誰が誰と駆け落ちしようが個人の自由なのに。
 
本当に天皇崇拝しているなら、真子や秋篠宮を悪様に罵る事なぞ出来ない筈だ。だが、自分が気に入らなければ、たとえ皇族と言えども悪様に罵る。まるで自粛警察や生活保護バッシングの様に。そんな個人を不幸にする天皇制なら、一層の事、無くしてしまう方が、天皇の為にも民主主義の為にも良いと思う。
 
しかし、そんな事を言うと、シニア右翼はすぐ反日だの非国民だと騒ぐだろう。奴らにとっては天皇の人権なぞどうでも良いのだ。ただ天皇制という制度さえ守られればそれで良いのだ。競走馬の種付けじゃあるまいし。昔の国体護持と全く同じだ。そんな個人の人権を蹂躙する制度なら、むしろ無い方がマシだ。
 
ところが、そういう前向きの改革は一切実行せず、台湾有事とか天皇元首化とか「家族の尊重」とか、労働法制の緩和(ブラック企業野放し)とか、原発再稼働とか万博・カジノとか、環境破壊や格差を助長する事ばかり。これの一体どこが「改革保守」なのか?自民党以上に弱肉強食で右翼的じゃないか。
 
公金ネコババに経歴詐称。文書交通費の公開止まりで政党助成金はつかみ取り。党本部と支部の間で金を融通し合うセルフ領収書の公開でお茶濁し。パワハラ事例も後を絶たず。これの一体どこが「改革保守」なのか?維新なんて、自民党以上に汚く、弱肉強食で、右翼的な「現代のナチス」そのものじゃないか。
 
維新が共産党に対して「無くても構わない」と言ったのは、共産党が破防法の対象で、公安調査庁の監視対象だからだそうだ。破防法なんて昔の治安維持法が衣替えしただけだ。公安調査庁も昔の特高警察の後身に過ぎない。その癖、自分達は少しナチスに例えられただけで激昂。だからナチスと呼ばれるのだ。
 
「現代のナチス」維新が「アベ」直系自民と「改革競争」しても悪政の競い合いにしかならない。その二党が野合して立憲・共産を「不要だから叩き潰す」と。確かに立憲や共産も問題大有りだが、だからと言って、こんな戦前の「非国民」みたいな言説を容認していたら、そのうちナチス批判も出来なくなる。
 
兄貴の事に話を戻す。
 
そもそも何故、兄貴がネトウヨ(ネット右翼)になってしまったのか?兄は20数年前に、銀行を退職してビデオ屋を始めた。当時は辻元清美を応援していて、ビデオ屋の壁にピースボートのポスターを張り出したりも。しかし、小泉純一郎の総理就任を機に、彼を応援するように。「自民党をぶっ壊す」という小泉の捨て身の改革姿勢に感銘したのかも。
 
当然、郵政民営化にも大賛成。しかも私にもそれを強要する様に。辻元を応援していた時はそこまで酷くはなかったのに。そして小泉訪朝、拉致問題顕在化を機に、世論の北朝鮮バッシングに迎合。でも、その頃はまだ右翼とは一線を画していて「俺の応援先はあくまでRENK(救え!北朝鮮民衆緊急ネットワーク:反北朝鮮の在日市民団体)だ」と。
 
兄が橋下徹を応援する様になったのも、小泉同様に「自民党を中から変える」姿勢に共鳴したのかも。橋下も元は自公推薦で府知事に就任、後に自公と袂を分かつ。2008年の政権交代選挙では兄も民主党を支持も、やがて幻滅。その後は熱烈な維新信者に。更にトランプも支持する様になり今や完全なネトウヨに。
 
私は当初、拉致問題を機に兄がネトウヨに転向したと認識。しかし、兄の遍歴を辿ると、それだけでは説明が付かず(新自由主義に親和的な点など)。それよりも、銀行勤務や自営業開業を機に、社民的価値観から新自由主義の自己責任論者に転換したのでは。その中で、権力に逆らうよりは便乗し、そのお零れにあやかる方が得と。それで一緒に弱者叩きに加わる中でネトウヨに。
 
大体、「今の政府は信用出来ない」と、銃規制反対唱える外国の政治家(トランプ)まで支持しながら、国家による情報統制そのもののマイナカードに賛同する事自体、矛盾しまくり。兄貴のネトウヨ化も、結局は「自民党とは違うと言いながら、中身は自民党と同じか更に酷い」勢力に、迎合便乗しているだけ。「自民党を中から変える」つもりが、今やすっかり自民党(保守勢力、体制側)に取り込まれ。
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半地下式の防空壕に戦争の狂気を見る

2023年08月10日 03時43分31秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 
漫画「はだしのゲン」を読んだのを機に、地元の戦争遺跡を見て来ました。大阪市住之江区南加賀屋4丁目の防空壕跡です。地元に残る戦争遺跡として、区の広報誌に載った事もあります。
 
半地下式の防空壕で、屋根には換気口、壁にも灯取りの小窓があります。終戦前日に完成したので、実際に使われる事はなかったようです。
 
もし使われたとしても、全然役に立たなかったのではないでしょうか。周囲は密集した住宅地。空襲下でこんな所に逃げ込んでも、蒸し焼きにされるだけです。
 
これが密集した住宅地ではなく、畑の中にあったとしても同じです。幾ら半地下でも上から屋根が丸見えですから、空襲の攻撃目標にされるに決まっています。資金難で半地下式の中途半端な防空壕にせざるを得なかったのでしょう。
 
しかも半地下なので、おそらく中は湿気でカビだらけでしょう。おまけにすぐ横を大和川が流れています。台風や津波に遭えば、たちどころに大洪水で溺れ死んでしまいます。
 
戦時下では天気予報も報道されなくなります。スパイに情報が漏れたり、国民が戦意喪失するのを防ぐ為に。そのせいで、戦時下では戦争以外に、台風や地震・津波でも多くの人が亡くなっています。愛知県では1944年に東南海地震、1945年に三河地震が相次いで起こり、軍需工場が倒壊して多くの人が亡くなっています。
 
この軍需工場は繊維工場を転用したもので、作業場の空間を確保する為に柱を撤去してしまった事で耐震性が失われ、より多くの被害を出しました。しかし、国は報道はおろか被害調査もさせずに情報を隠蔽してしまいます。そんな事をしても、地震計は世界各地にあるのですから、事実の隠蔽なぞ不可能なのに。実際に、この地震も他国では大きく報道され、米軍機から「地震の次は何をお見舞いしましょうか?」というビラが被災地に撒かれました。
 
半地下式の防空壕を作った事で気休めにしかならず、地震の報道管制なぞやっても無駄な事ぐらい、少し考えれば分かるはず。そんな当たり前の感覚も通用しないほど、当時の国民は軍部に洗脳されていたのでしょうか?もはや反対しても無駄だと諦めてしまっていたのでしょうか?
 
おそらく後者でしょう。二度とそんな世の中にしてはならないと、この防空壕跡を見て、改めて認識しました。
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「はだしのゲン」を学校から排除するな!

2023年08月07日 21時33分00秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 
 
昨日、難波の本屋で漫画「はだしのゲン」第1巻を買い、昨日のうちに一気に読み終えた。
 
昨今「はだしのゲン」を学校や図書館から排除する動きが強まっている。やれ「浪曲の場面が現代にそぐわない」だの、「鯉泥棒の場面が犯罪を助長する」だのと、下らない理由を付けて。
 
排除側の言い分はこうだ。「広島では10年前から平和学習の一環として、この漫画を読むよう推奨して来た。原爆で家族が死別し、ちりぢりになりながらも、残った者同士で助け合って生きていく、その家族愛の大切さを教えるのが、この漫画の狙いだ」と。
 
ところが、「浪曲」や「鯉泥棒」を「親孝行」の題材として取り上げてしまったものだから、「場違い」のそしりを受け、漫画の存在まで否定されるようになってしまったのだ。
 
そこで、「百聞は一見にしかず」と、今、話題のこの漫画を買って読む事にした。実際に読んで良く分かった。「先の排除側の言い分が如何にトンデモか」と言う事が。
 
何故、ゲンと弟の進次が、乞食のふりして街頭で浪曲を歌い、見物人からテラ銭をせしめようとしたのか?何故、金持ちの池の鯉を盗んで、母に食べさせようとしたのか?
 
ゲンの家庭は、父親が戦争に反対している為に、周囲から「非国民」呼ばわりされ、村八分同然の扱いを受けていた。その上、食糧難で配給も滞り、家族全員が餓死寸前にまで追い詰められていた。
 
だから、それを打開する為に、子ども心にあれこれ考え、街頭で一芝居打ったり、他人の庭の池の鯉を盗もうとしたのだ。
 
一番悪いのは戦争だ。戦争さえ無ければ、「非国民」呼ばわりされる事もなかった。村八分にも遭わなかった。乞食のふりして浪曲謡う必要もなかった。他人の家の鯉を盗む必要もなかった。
 
この漫画は単なる「家族愛」の物語ではない。「戦争反対」こそが、作者がこの漫画で一番訴えたい事だ。そこまで理解出来て初めて、その運命に抗う為に、家族の絆が強まった事も理解出来るのだ。
 
それを何故、学校で教えないのか?「戦争反対」はイデオロギーでも何でもない。「人を殺してはいけない」のと同じ、人類普遍の真理であり道徳だ。
 
だからと言って、ただ「平和」でさえあれば良い訳ではない。圧政や侵略とは戦わなければならない。
 
それも、この漫画を読めば分かる。戦争反対の親父に反発した兄の浩二は予科練に志願する。そして特攻隊の基地で、死ぬ事を強要された隊員の怒りや、理不尽な新兵虐めに遭遇する。
 
何でもかんでも上の言いなりになる事が「平和」ではない。「死ぬのは嫌だ。誰でも自由に生きられ、飯の心配なぞしなくても良い世の中にしてくれ」と言う先輩特攻隊員の心の叫びを聞く中で、浩二も親父の言い分の正しさを理解するようになる。
 
その父親も原爆の業火の中で、崩れた家の下敷きになり、姉や弟と一緒に焼け死んでしまう。その中で、ゲンと母親の君江だけが奇跡的に助かる。建物の陰にいたお陰で火傷を負わずに済んだ。しかし、子どもと女性2人の力だけでは、家の下敷きになった家族を救い出す事は出来ない。生きながら焼け死んでいく家族を、結局は見殺しにするしかなかった。
 
もはや核戦争には勝者も敗者もない。一旦、核のボタンが押されたら、もう全員滅亡するしかない。そうさせない為にも、核廃絶が求められるのだ。
 
繰り返す。漫画「はだしのゲン」の作者が一番訴えたかった事は「戦争反対」「核廃絶」だ。「家族愛」や「家族の絆」も、その中でこそ初めて育まれるのだ。それが分かっていたら、「浪曲」がどうの「鯉泥棒」がどうのと、下らない議論に振り回される事もなかったのだ。
 
なのに、広島市の教育委員会は、自民党や保守勢力に遠慮して、「戦争反対」や「核廃絶」の代わりに、当たり障りのない「親孝行」を漫画「はだしのゲン」の主題にしてしまった。この最初のボタンのかけ違いが、「浪曲」や「鯉泥棒」の誤解を生み、漫画そのものの否定・排除にまで行き着いてしまったのだ。
 
広島市長が8月6日の平和記念式典で、幾ら核抑止論を批判しても、漫画「はだしのゲン」を子どもに読ませないようにしているようでは、軍拡を進める岸田政権と五十歩百歩だと言わざるを得ない。
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弱者救済してこそ真のSDG’sだ

2023年08月03日 20時39分00秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を

賃貸住まいで払わなければならないのは家賃だけじゃない。家賃保証に火災保険、契約更新料も毎年か2年に1回それぞれ1万〜1万5千円前後払わなければならない。その支払い締切日が立て続けに来る。しかも家賃と違い、普段余り考えない出費なので突然請求が来ると痛い。無担保・無保証・低家賃の住宅を作れ!

そういえば、先日ニュートラムに乗った時に、平林駅前に2軒の社名入りのマンションが建っていたのを思い出した。ニュートラムの車窓からも社名が確認できる。「入社したら格安で入居出来る社宅か寮だったら良いな」と思い、昨日、実際に現地に行って確認して来た。
 
 
1軒目はハピネスというマンションで、「安田木材株式会社」の社名が壁に描かれていた。壁に書かれた連絡先の不動産会社に電話したら、2LDK〜3LDKで家賃6万5千円、共益費5千円、風呂トイレ別の物件だった。安田木材はビルのオーナー会社の名前で、入居者とは何の関係もなかった。その家賃では今よりも高いw。それに一人暮らしなので部屋が2つも3つも要らない。ワンルームで充分だ。
 
 
2軒目はマンション名は分からないが、「大阪木型木材(株)ワンルーム募集」の文字が壁に書かれている物件だ。先程の物件のすぐ近くにある。平林駅前の住之江通り沿いのマンション駐車場の中を進んだ先に、そのマンションの入り口がある。壁に書かれた連絡先の不動産屋に電話したが、「マンション名が分からなければ検索出来ない」の一点張りだった。こちらについては現在の所、詳細不明。
 
はっきり言って、幾ら人を募集しても、最低賃金ギリギリの安い給料しか払えない、うちのような会社には、人はなかなか来ない。どう転んでも、時給1500円ポンと提示出来るアマゾンなどの物流大手には歯が立たないのだから、せめて格安の社宅や寮ぐらい用意してほしい。そうすれば、居場所がなくてグリ下にたむろしているような若者も、うちに来るようになると思うのだが。
 
時流に乗って、「海の水をきれいにする」と、取って付けたようなSDG’s(エス・ディー・ジーズ)の真似事するよりも、こちらの方がよっぽど社会貢献になるし、会社の宣伝にもなるのではないか。SDG’sとは「持続性ある開発目標」を意味する英語(Sustainable Development Goals)の頭文字だ。国連が2030年までに達成すると宣言した、地球温暖化防止や貧困撲滅などの17の指標の事だ。日本政府もそれに協賛して、今、マスコミを使って盛んに宣伝している。
 
 
でも、私に言わせると、「言っている事とやっている事が全然違う」。「環境保護」と言いながら、原発を増設し、福島の汚染水を海に放出する今の政府のやり方なぞ、その最たるものだ。所詮、ただのお題目に過ぎない。うちの会社も、その尻馬に乗って、活性炭か何かで「海の水をきれいにする」試みをやっているそうだが、そんな金があるなら、もっと賃金上げろ!休日増やせ!そうしてこそ、初めて「SDG’s」「人にやさしい経済」も達成できるのだ。違うか?
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