アフガン・イラク・北朝鮮と日本

戦争も人権抑圧もNO!万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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I AM KENJI(アイ・アム・ケンジ)! I AM MAAZ(アイ・アム・モアーズ)!

2015年01月29日 19時25分11秒 | 戦争法・集団的自衛権NO!
団結速報 あきらめない オラシャヤーン!On l�・che rien























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安倍が後藤さんの身代わりになれば良いだろう

2015年01月27日 00時01分16秒 | 戦争法・集団的自衛権NO!


 イスラム国の人質事件がまた新たな局面に突入した。1月24日(土)23時頃、イスラム国に囚われている二人の日本人のうちの一人、湯川遥菜(ゆかわ・はるな)さんが処刑され、残る後藤健二さんが湯川さんの遺体写真を手に、自身の解放を訴える動画がYouTubeに投稿された。その中で、イスラム国の要求も、今までの2億ドルの身代金から、ヨルダンに収監中のイスラム国自爆テロ犯サジダ・リシャウィ死刑囚の釈放に変わった事も、動画で同時に告知された。いわば捕虜交換の形で、サジダ死刑囚と引き換えに後藤さんが解放されるという話になったのだ。

 翌25日(日)はどの報道番組もこのニュースで持ちきりだった。イスラム国が巨額の金銭要求を引っ込め、代わりに捕虜交換を要求してきた事で、後藤さんの解放に向け話が進むかのように思われた。しかし、その交渉も直ぐに暗礁に乗り上げてしまった。サジダ死刑囚は、自身のテロは未遂に終わったものの、他のメンバーによる自爆テロで、ヨルダン国内で多くの人々を殺傷した罪に問われている。しかも、ヨルダン国内でも、イスラム国掃討作戦に参加した自国のパイロットがイスラム国に囚われているという事情を抱えている。ヨルダンにとっては、あくまでも自国民のパイロット救出が最優先課題なのだ。

 ここで敢えて一つの「極論」を言わせてもらう。「あくまでも同じ人数同士の捕虜交換に応じなければ後藤さんも救出されない」と言うのであれば、サジダ死刑囚以外にもう一人人身御供を立てれば良いではないか。一層の事、安倍首相にその人身御供になってもらってはどうか。
 これがとんでもない「極論」である事は私も重々承知の上だ。でも、そう言われても仕方ないだけの責任が安倍首相にはあると私は思う。

 こんな事になってしまったのも、元はと言えば安倍首相が中東歴訪先のエジプトで、下記の様なスピーチをしてしまったからではないか。

「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。」
(平成27年1月17日 日本・エジプト経済合同委員会合における安倍内閣総理大臣政策スピーチ、首相官邸HPより)
 http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0117speech.html

 これより以前、昨年の秋にまず湯川さんがイスラム国に拘束され、彼を助けに政府の渡航自粛勧告も蹴ってシリア入りした後藤さんも拘束されてしまった。その後、後藤さんの家族にはイスラム国関係者を名乗る人物から、身代金要求のメールが送られてくるようになる。この一連の経過を政府も既に知っていながら、なぜ安倍首相は、日本から8500キロも離れた中東にわざわざ乗り込んで行って、自分からイスラム国に喧嘩を売る様な事を言ったのか。いくら難民支援の人道援助だと言った所で、ISIL(イスラム国)掃討の一環として行う以上は、イスラム国にとっては敵対でしかないじゃないか。
 おそらく安倍首相は、この二人の人質の事なぞ全く頭になかったのだろう。ただただ、集団的自衛権行使、自衛隊海外派兵の口実作りの為に、イスラム国を引き合いに出したかった<だけ>だったのではなかろうか。

 この安倍首相の不用意な発言がイスラム国に付け入る隙を与え、中東歴訪最終日の20日に、首相自らイスラエルのホテルで、「テロとの戦い」を改めて表明しなければならなくなってしまった。よりによって、アラブ諸国から忌み嫌われているイスラエルで、イスラエルの国旗を背にしながら。これではもはや、イスラム国に必ずしも同調しないアラブ・イスラム教徒の人々をも、みすみす敵に回すようなものではないか。

・平成27年1月20日 イスラエルでの安倍首相記者会見(首相官邸HPより)
 http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0120naigai.html



 また、政府は二言目には「イスラム国とのパイプが無い」と言うが、実際はジャーナリストの常岡浩介さんやイスラム神学者の中田孝・同志社大学客員教授など、「パイプ役になり得る人」から協力の申し出があったにも関わらず、ことごとく無視してきた。両氏とも、二人の人質が拘束された昨年秋に、イスラム国側から「通訳や裁判の証人として立ち会って欲しい」旨の連絡を受け、先方の司令官とも実際に会っているのだ。ところが、その後の北大生によるイスラム国渡航幇助(ほうじょ)容疑で、両氏とも警察の家宅捜索を受け、今も政府の監視下に置かれ身動きが取れなくなった。今思うと、この容疑も、両氏の救出活動によって自衛隊海外派兵のきっかけを失う事を恐れた政府による「でっち上げ」ではないかと取れなくもない。


外国特派員協会での両氏の記者会見の様子。左上が常岡浩介氏、右上が中田孝氏の時の写真。

 これだけで見ても、政府の言う「人命優先」の決まり文句は、ただ言葉だけのもので、実際は逆にサボタージュを図っているとしか思えない。二人が救出される事で自衛隊海外派兵のきっかけを失う事を恐れているとしか取れないではないか。
 マスコミも御用学者も、口を開けば「テロに屈するな」と言うが、実際は二人の「人命」の事なぞ全然考えていないじゃないか。ひたすら安倍政権の太鼓持ちをしているだけではないか。
 そして、マスコミも御用学者も、二言目には「政府は死力を尽くしている」「今、政府を批判してはいけない」と言う。しかし、私から言わすと「時間稼ぎにばかり熱心で、肝心な事は何もやっていない」。もし「死力を尽くしている」なら、常岡・中田両氏からの申し出を無視したりなぞしていないはずだ。「やるべき事を全然しない」無能政権を批判して一体何が悪いのか。むしろ、政府の無能を見て見ぬふりする事こそ、「テロリストへの手助け」に他ならない。

 あらかじめ言っておくが、私は決してイスラム国のテロを肯定している訳ではない。イスラム国もやっている事は米国ともそう変わらない。イラク侵略戦争などの「帝国主義のテロ」に、「イスラム教のテロ」で対抗しているだけにしか過ぎない。それも、本当のイスラムやコーランの教えではなく、自己流に都合良く解釈したデタラメな教えによって。
 しかし、たとえそんなデタラメな相手であっても、付け入る隙を安倍がここまで与え、実際にここまで付け込まれてしまった以上は、たとえ一時の恥を忍んでも、後藤さんの救出を最優先において、テロリストとも出来る範囲で妥協しなければ、もはや救出も出来ないと言っているのだ。

 どんなテロにも妥協しないのは、先進国の中でも米国と英国だけだ。この二国はどんな事があっても身代金要求には応じない。それは、この米英両国が「テロとの戦い」を主導する立場だからだ。「テロとの戦い」と言えば聞こえは良いが、実際はイラク戦争の様な、石油獲得の為の帝国主義戦争だ。
 それ以外の先進国は、フランスにしてもドイツやスペインにしても、政府が前面に出ず第三者に支払わせる形で、テロリストに身代金を渡してきた。これはもはや公然の秘密だ。そうして、少なくない自国民をテロリストから奪還してきたのだ。なぜなら、今やドイツもフランスも移民によって支えられていると言っても過言ではないからだ。例えば、フランスのイスラム教徒は、全人口の約1割、600万人を占めるまでになった。そんな中で、いたずらに「テロとの戦い」だけを煽っても、社会が回らなくなるだけだろう。

・湯川遥菜氏救出に動いたイスラム法学者「外務省が見捨てた」(NEWSポストセブン)
 http://www.news-postseven.com/archives/20141123_288594.html
・イスラム国「身代金要求」に日本は応じるのか 過去には機密費から支払ったと報じられた例も(J-CASTニュース)
 http://www.j-cast.com/2015/01/21225861.html?p=all

 そもそも、アルカイダにしてもイスラム国にしても、イラク戦争以前はここまで広がらなかったはずだ。アフガニスタンのタリバンにしても、今よりももっと小さかったはずだ。そのタリバンを、米ソ東西冷戦時代に、当時アフガニスタンにあった社会主義政権に対抗する為に、育成したのが米国ではないか。そして、アルカイダやイスラム国も、イラク戦争で米国がフセイン政権を倒した事で、イラク国内の混乱・対立を更に増長させた結果、生まれてきたものじゃないか。そうして、最初はテロリストを飼い馴らしていたつもりが、大きくなるにつれて自分たちの命令も聞かなくなった。その体たらくが今の現状じゃないか。(詳しくは旧HPの資料参照)

 その中で、本当にテロを根絶しようと思うなら、テロの発生原因たる貧困や民族対立を、地道に解消していくしかない。かつてアフガニスタンで中村哲医師を中心とした「ペシャワル会」というNGOが、自力で砂漠に水を引き農民の生活向上を助けたように。その中で、常岡さんや中田先生のような人が、相手にも理解できる言葉で、「テロによらない民族和解の道」を説いていくのを、政府も応援する事こそが、本当の「人道支援」であり「積極的平和主義」ではないのか。
 しかし、安倍首相のやっている事は何だ。ひたすら米国の顔色をうかがい、「テロとの戦い」とバカの一つの様に繰り返し、米国と一緒になって口裏を合わす事しかしてないじゃないか。安倍は一体どこの国の首相なのか。これでは「己の保身しか眼中にない」と言われても仕方ないだろう。

 かつて、私の配属部署にも、アルジェリア出身の移民がいた。確か奥さんが日本人で、その奥さんについて日本にやって来たのだ。彼は漢字が読めなかった。平仮名・カタカナと数字しか分からなかった。では、なぜ商品を仕分けできていたかと言うと、ラベルに記された店名の漢字は彼には読めないので、店番号で仕分けしていたのだ。
 彼も職場の中では浮いていた。今から思えば、自分と他人の間で、仕事や責任範囲をはっきりと区別するアラブ人気質に、日本人の感覚が合わなかったのだろうと思う。かく言う私も、当時は今の職場に配属されたばかりで、今から思うと、彼とのコミュニケーションが取れていたとはお世辞にも言えなかったと思う。

 その中で一つ印象に残っているのが、彼にアルジェリアの地図を印刷して母国の事など聞いた時の事だ。下記の地図がその時のものだ。彼は、その地図の中で、西部にあるアルジェリア第二の都市オラン(Oran)を指さし、「僕の生まれ育った所、アルジェリアで一番美しいと言われている街」と。そして、百年以上に渡るフランスによる植民地支配や、そこから抜け出す為のアルジェリアの独立戦争についても、ごく簡単ではあるが説明してくれた事があった。(当ブログ過去記事参照)
 そういう何気ない会話の中で、相手が何を考えているのか、相手の立場に立って考える。その中で「でも、やっぱりテロでは何も始まらないよ」という話をしていくしか、テロを本当に根絶する事は出来ないと思う。今の米国や安倍のやっている事は、それとは全く正反対でしかない。



 今、湯川さんや後藤さんに対して、心無いバッシングを浴びせる輩が少なくない。「政府の渡航自粛勧告を無視して、勝手な事ばかりして」「それで殺されたとしても自己責任、自業自得だ」という意見が目につく。
 何が「自己責任、自業自得」なものか。後藤さんは湯川さんを助けようとして、敢えて「火中の栗」を拾いに行ったのだろうが。私には到底真似の出来ない事だ。それに、NHKを始めマスコミがここまで政府の公式発表しか報道しなくなった中にあって、後藤さんの様なフリージャーナリストの活躍があってこそ、初めて戦争の真実が明らかになるのじゃないか。

 湯川さんについては、後藤さんとは違い、確かに軽率だった点は否めない。アラビア語どころか英語もろくに喋れないのに、単身シリア入りしたのだから。しかも、ろくに訓練も積まずに、自称・民間軍事会社CEOの肩書で、銃を持って戦場に乗り込んだのだから。思想的にも右翼政治家の田母神に傾倒していたと言う。これでは、イスラム国からは「米国のスパイ」と見なされても仕方ないと思う。
 しかし、だったらそれで、「自己責任、自業自得」を言い募るネトウヨ(ネット右翼)やネットの保守派も、もう少し言い様があるのではないか。事業に失敗して一時は夜逃げやホームレスの境遇に陥るまでに辛酸(しんさん)を舐めた彼に対して、何かアドバイスできる事はなかったのか。思想的には同志とも言える間柄だった彼に対して。ところが、ネトウヨも保守派も、掌を返す様に湯川さんを罵るばかりで、全然彼を庇(かば)おうともしなかった。そして、安倍は平気で二人を見殺しにしようとしている。これでは、ネトウヨや安倍首相が普段口癖のように言う「愛国」とか「日本人の絆」とか言う決まり文句も、今の政府が口にする「人命優先」と同じで、単なるアリバイ工作でしかない。

 今日26日(月)、社内放送で何度も献血が呼びかけられていた。その余りのしつこさに、「俺らみたいな食うや食わずのバイトからよりも、料亭でたらふく寿司とか食べている安倍から血を取れ」と、同僚と仕事帰りのエレベーターの中で冗談を言い合っていたら、ちょうど同じエレベーターに乗り合わせた宅急便の兄ちゃんからもバカ受けして、「その通り」と合いの手が入った。これは今日実際にあった話だ。正にその通りで、財界やアメリカの機嫌取りにばかり汲々として、俺らの事を何も考えてくれない、俺らの為に何もしてくれないような首相なら、はっきり言って、一層の事イスラム国に身代わりに行ってくれた方が、はるかに日本の為になると思う。実際、安倍首相は昨年2月の大豪雪で、山梨県など各地の市町村が「陸の孤島」と化した時も、東京の料亭で呑気に天ぷらを食べていた(当ブログ過去記事参照)。そんないい加減な首相なら、むしろ後藤健二さんの方が、よっぽど日本の総理にふさわしい事だけは確かだ。

 特攻美化小説「永遠の0」作家の百田尚樹が、「”憲法9条で平和が守れる”と言っている奴らを戦地に派遣して、実際に戦争を止められるかどうかやらせてみろ」と暴言を吐いた事があった。そんな好戦作家をNHK経営委員に推薦したのが安倍首相だ。そんな物言いが許されるなら、まず首相自らが、「実際に俺の力でテロを止められるかどうか」、国民に模範を示すべきだろう。「国を守る気概」とか「お国の為に死ぬ覚悟」とか偉そうに国民に説教するなら、まず自らが人身御供となって率先垂範すべきだろう。
 人質を見殺しにする様な政府は、必ず他の国民も見殺しにする。原発再稼働にしても秘密保護法にしても、消費税にしても辺野古移設問題にしても、これまでの政府の対応は皆そうだったじゃないか!
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拡散:イスラム国関連2億ドル援助留保、日本人人質救出の為の緊急署名

2015年01月23日 18時49分32秒 | 戦争法・集団的自衛権NO!
宛先: 外務省、首相官邸

賛同者の署名は以下の宛先へ届けられます
外務省、首相官邸

[1/23提出分締め切り、キャンペーン継続中]イスラム国周辺国への2億ドルの人道支援を留保し、日本人人質の人命を救ってください

日本人人質救出を求める有志一同


Petition! Request the Japanese government to suspend the aid against Islamic State so the hostages will live.

Islamic State of Iraq and the Levant(Isil) has released a video in which it threatened to kill two Japanese hostages within 72 hours if the Japanese government refuses to pay a ransom of $200 million. The hostages are Haruna Yukawa, and a freelance journalist Kenji Goto. Isil announced that the demand is aimed at pushing back Prime Minister Shinzo Abe’s decision to provide nations fighting Islamic State with $200 million. Shinzo Abe’s characterization of the aid as a “counter-Isil fund” apparently conveyed additional hostility to Isil and triggered the threat, while the fund is actually non-military and will be used to support the refugees displaced from Iraq and Syria.

Isil’s terrorism must be denounced unconditionally. It is also clear that Shinzo Abe has given Isil a new opportunity to target Japanese citizens. We request the Abe administration to suspend the aid immediately to facilitate the rescue of the two hostages. The government will not be blameless if it fails to take all necessary measures for the rescue and the prevention of the worst-case scenarios. Japan’s humanitarian aids in the region must be strictly designed to prevent any further entanglement of our nation in this new “war”.

TWEET

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「イスラム国」が20日、日本人2人を人質に取り、身代金2億ドル(約235億円)を72時間以内に支払わなければ殺害すると警告するビデオをインターネット上に出しました。

人質に取られた日本人2名は湯川遥菜さん、フリージャーナリストの後藤健二さんとみられます。

「イスラム国」の声明によると、安倍首相がイスラム国の周辺国へ2億ドルの対テロ支援を行うこととしたことが今回の身代金要求の理由となっています。

実際には、この2億ドルは、イラクやシリア、その他周辺国の難民支援などに使われるものですが、安倍首相がこれを「対イスラム国支援」と位置づけたことにより、今回の身代金要求へと繋がっています。

この「対テロ戦争」へのきっかけを作り、日本社会をテロの標的にさせてしまう可能性を作ってしまったのは安倍首相であり、この責任は必ず追及されなければなりません。

日本人人質の救出のために、この2億ドルの支援を留保して下さい。

打てる手を打たなかった時、それは安倍政権の失敗です。

これ以上、テロとの「新たな戦争」に日本を巻き込むことのないよう、最善の努力をしてください。

そして、日本だからこそできる人道支援の道を模索してください。

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يا رئيس الوزراء لا تدفع ٢٠٠ مليون دولار لردع الإرهاب

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宛先
外務省、首相官邸

イスラム国周辺国への2億ドルの人道支援を留保し、日本人人質の人命を救ってください



キャンペーンについてのお知らせ

1/23提出分の署名受付終了とキャンペーンの継続について

2015年1月22日 — このたびは「イスラム国周辺国への2億ドルの人道支援を留保し、日本人人質の人命を救ってください」にご賛同いただき、ありがとうございます。
この緊急署名は1/23(金)午前7時に締め切りとさせていただいておりましたが、署名数多数であり、また今後の情勢もありますので、キャンペーンそのものは継続とします。

まだ署名も可能ですので、是非ご協力をよろしくお願い致します。

日本人人質救出を求める有志一同

https://www.change.org/p/1-23提出分締め切り-キャンペーン継続中-イスラム国周辺国への2億ドルの人道支援を留保し-日本人人質の人命を救ってください/u/9386476
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これ以上、安倍の戦争ゴッコの巻き添えにされて堪るか!

2015年01月21日 23時33分27秒 | 戦争法・集団的自衛権NO!
「イスラム国」日本人人質事件 政府、官邸対策室を設置(15/01/20)


 昨日仕事を終えて家に帰ったら、もうこのイスラム国による日本人人質身代金要求の話題で持ちきりだった。NHKなぞ、当初の放送予定を全て差し替えて、このニュースばかり流していた。
 イスラム国が、昨年現地で拘束したジャーナリストの後藤健二さん(上記動画の左端人物)と自称・民間軍事会社経営の湯川遥菜(はるな)さん(同じく右端人物)の2人を解放する条件として、2億ドル(日本円換算で約240億円)の身代金を日本政府に要求し、72時間以内に支払わなければこの2人を斬殺すると言うのだ。2億ドルの要求額の根拠は、この直前まで中東歴訪中の安倍首相が、「イスラム国によるテロとの戦い」の一環として、避難民保護や医療支援などの「非軍事分野」を中心に、2億ドルの援助を、イスラム国と戦っている周辺諸国に行うと表明したからだ。(その時の安倍談話がこちら

 今後、どう情勢が変わるか分からないが、現時点で分かっている範囲での情報を基に、この事件に対する私の感想や意見を取り急ぎ述べておきたい。
 まず、どう「非軍事分野」での援助だと言い訳しようとも、「イスラム国によるテロとの戦い」の一環として表明した以上は、それはイスラム国にとっては敵対行為以外の何物でもない。いくらこちらが「非軍事分野」限定で援助したつもりでも、金に色なんて付いていないのだから、現地でどう配分されるか分からない。日本政府にとっても、どうせ「言い訳」にしか過ぎないのだから、使い道のチェックなぞ元々する気もないだろう。仮に援助が全額「非軍事」限定で使われたとしても、その分浮いた他の金が戦費に回されるだけだから、イスラム国にとっては軍事援助と同じ事だ。

 これも全ては安倍が悪いのだ。後先の事を何も考えず、ただただ自衛隊の海外派兵や集団的自衛権行使の口実作りの為だけに、8千キロ以上も離れた中東に、自分からノコノコ出掛けて行って、わざわざ他国の喧嘩(戦争)を買いに行ったから、こんな事になってしまったのだ。中東歴訪先での安倍の大盤振る舞いや大言壮語に、訪問先でヨルダンのアブドラ国王やイスラエルのネタニヤフ首相から、「そんな事まで言ってしまって日本は大丈夫なのか?」と逆に心配される程だった。その訪問先での杞憂(きゆう)が、早速現実のものになってしまったのだ。
 もう、ことここに至っては、もう出来る事は限られている。たとえ他国から「裏切り者」呼ばわりされようとも、身代金を渡して2人を解放してもらう以外には無いではないか。もちろん、それはイスラム国の「脅し」に屈した事になる。何せ相手は「何でもアリ」のイスラム国だ。今後もどんなユスリ・タカリを受けるか分かったものではない。でも、本当に2人を救出しようと思えば、今の時点で出来る事はもうそれ位しかないではないか。

 本当はこんな事になる前に、テロの火種を無くさなければならなかったのだ。火の無い所に煙は立たない。テロが起こるのも、民族対立や貧富の格差があるからだろう。だったら元から絶たなければダメだろう。
 米国は「イラクがアフガニスタンのタリバンを支援していたから」と言って、イラクに攻め入ってフセイン政権を倒した。確かにフセインは独裁者だった。でも、独裁者は何もフセインだけではない。例えばイラクの隣のサウジアラビアも、国王専制で議会も選挙もない独裁国家だ。でも、親米国家で石油大国のサウジには欧米は何も言わない。何故フセインだけが悪く言われなければならないのか。
 その中で、やがて「タリバン支援」も米国のでっち上げた嘘だと分かり、フセインは打倒されたがその後の政権も似たり寄ったりの独裁政権で、イラク国内は更に大混乱。

 その中で、本当にテロを撲滅したいのなら、フセインを支持していたスンニー派(イスラム教の多数派)と、そのフセインに弾圧されていたシーア派(同じく少数派)や少数民族のクルド人が、よく話し合って民主的な国にしていく、その手助けを地道にする以外にない。でも、米国のやった事はそれとは正反対。紛争当事者の一方のシーア派やクルド人だけを優遇し、スンニー派は冷遇。これではスンニー派が怒るのは当然だ。
 しかも米国は、イラクだけでなく、西の隣国シリアのアサド政権も独裁だと言いだし、シリア国内の反政府勢力にも援助開始。でも、それはアサド政権が反米・反イスラエルの独裁政権だったからであって、本当にシリア国民の人権状況を憂えての事ではなかった。やがてシリアもイラク同様に混乱に陥っていく。
 その混乱に乗じて、アフガニスタンのテロ組織であるアルカイダがイラクやシリアでも勢力を拡大。その中で、イスラム国の指導者バルグーディーも、最初はアルカイダの一司令官に過ぎなかったのが、やがてアルカイダをも圧倒するようになり、シリア・イラク国境をまたぐ地域に、「イスラム国」という疑似国家を作るまでになってしまったのだ。

 
 左がイスラム国の旗。右がイスラム国(ISIS)の支配領域(地図の赤い部分)。

 以上、イスラム国台頭までの経緯をざっと解説した。欧米諸国は「独裁政権を倒す為」とか言ってこの地域に介入したが、本当は自分達の勢力拡大や利権確保の為でしかなかった。だから、その後の民主化や和平達成も口先だけで、更なる対立を招いただけだった。
 日本も、本当に平和国家を自認するなら、こんな欧米と一緒になって更なる対立を招く様な事なぞせずに、「本気で地道に」非軍事的分野で民主化や和平達成に貢献すべきだったのだ。世界各地でNGOがやっている農業支援や医療支援、教育支援などの形で。これこそが真の国際貢献であり、「積極的平和主義」ではないのか。
 日本は、中東では東アジアや東南アジアの様な植民地支配で恨まれるような事もなく、イスラム・キリスト・ユダヤの各宗教とも距離を保ち、イスラエル・パレスチナの双方とも付き合いがあり、憲法9条を持つ国として尊敬もされてきた。だからこそ、かつてはイランやイラク、リビアにも、大勢の日本企業の駐在員がいて、各国と良好な関係を維持してきたのだ。しかし、それももう過去の話。日本がただの「米国の犬」に成り下がるにつれ、それまでの親日感情もすっかり色あせ、反日感情にすっかりとって代わられてしまった。

 イスラム国には外国からも志願兵が続々とやって来ると言う。今やイスラム国の総勢力約3万人のうちの1万人以上が外国の志願兵だと言う。志願兵の国籍は様々で、欧米人もおればアジア人もいる。志願動機の大半は本国からの脱出願望だ。「本国にいても移民なので差別されるだけだ」「生涯ハケンで一生日の目を見ない」、「そんな国にいるぐらいなら、一層の事、イスラム国の志願兵となって一旗揚げよう」という気持ちになるのだろう。
 フランス週刊紙襲撃事件の一味がユダヤ系のスーパーを襲撃したが、その時の容疑者クリバリが育ったパリ郊外の下町のルポ記事が1月20日付の毎日新聞に載っている。その記事によると、そこはアラブ・黒人系の移民が多く住むスラム街で、ピザ屋も郵便配達も救急車も怖がって入って来ないのだそうだ。火事になれば消防車だけが入ってくるのだと。そのスラムに住んでいると分かっただけで、どんなに良い大学を出ても就職できない。履歴書は読まれもせずゴミ箱に捨てられる。そういう差別をずっと受け続けたので、住民はよそ者に対して極度の警戒心を抱く様になった。この記事を書いた毎日の記者も、市場で4人の若者に取り囲まれ命からがら逃げ帰ったそうだ。(末尾写真及びリンク参照。職場新聞版には更に記事コピー添付)

 これを読んで真っ先に浮かんだのが、2008年にこの日本でも起こった東京・秋葉原の連続殺傷事件だ。この事件を起こした容疑者も、静岡県内の自動車工場で、派遣社員として働き出したものの、僅か数ヶ月で、いきなり解雇通知書の紙切れ一枚で雇い止めされて、それが事件の引き金になった。この時も、マスコミは自業自得だと容疑者を非難したが、「2ちゃんねる」などのネット掲示板には、逆に「よくやった!」「容疑者を悪く言えるのは何の苦労もせずにヌクヌクと育った奴だ」「生涯ハケンの日陰者でも本当に怒ればここまでの事が出来る」という「称賛」の書き込みがあふれた。
 本当に「テロを無くす」と言うのであれば、こういう差別や貧困の土壌こそ根絶しなければならないのではないか。ところが安倍のやっている事はどうだ。「残業代ゼロ法案」でサービス残業の合法化を目論み、「派遣法改悪案」で生涯低賃金のハケンから抜けられないようにしようとしているだけじゃないか。これでは「こんな日本に復讐してやる、それでイスラム国で一旗揚げてやる」と思う奴が出るのも当然ではないか。
 もちろん、戦闘員を使い捨てしているという点では、イスラム国も同じだ。イスラム国の統治なんて、「飴とムチ」で住民を脅しつけているだけなのだから。そこには人権擁護の観点なぞ全くない。信者を金ヅルとしかみなしていないという点では、統一教会やオウム真理教などと全く同じだ。
 日本のブラック企業もまた、「使い捨て」と言う面では、「イスラム国」や統一教会と全く同じである。その中で「テロの連鎖」を防ごうと思えば、ブラック企業を規制する以外にない。「本気で地道にやる」とはそういう事だ。その根本策に手を付けずに、秋葉原の容疑者だけを「テロとの戦い」で抑えつけても、また別の容疑者が現れるだけだ。「イスラム国」もそれと全く同じではないか。

 
 左が前述の毎日20日付のクリバリ容疑者関連記事。右が秋葉原連続殺傷事件当時の週刊「SPA!」関連記事。
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Je Suis Watami(私はワタミ)

2015年01月18日 09時27分58秒 | 反改憲・戦争協力


 今回の記事のテーマはフランスの同時多発テロ事件です。フランスの週刊紙「シャルリー・エブド」本社がイスラム教徒の過激派テロリストに襲われ、更に容疑者グループが逃走中に襲ったスーパーや印刷工場でも多くの犠牲者が出ました。この一連の事件で17名もの人命が失われました。まずは犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 このテロを機に、「表現の自由を守れ」との叫びがフランスでも世界でも一斉に沸き起こりました。当事国のフランスでは首都パリだけでも160万人、フランス全土では370万人もの人々が、街頭デモに加わり「Je Suis Charlie」(ジュスィ・シャルリー=私はシャルリー)と唱和する事で、「シャルリー・エブド」関係者への連帯や「表現の自由」を守る決意を表明しました。

 その一方で、復刊にこぎつけた同紙の最新号がまた物議を醸(かも)しだしました。イスラム教の預言者ムハンマドが泣きながら「Je Suis Charlie」の標語を掲げる絵を表紙に掲載したのです(右上写真)。恐らく「イスラム過激派が崇拝する預言者もテロを嘆き悲しんでいる」という事を言いたかったのでしょうが、実はイスラム教徒にとっては預言者を絵にする事自体がタブーなのです。イスラム教では偶像崇拝を禁止していますから。
 この最新号が出た後、少なくないイスラム教徒の方が、「Je Suis Charlie」と唱和するのを拒否し、それに代わって「Je Suis Ahmed」(ジュスィ・アハメド=私はアハメド)と唱和するようになりました。必ずしもシャルリーの主張に賛同していた訳ではないのに、テロ容疑者の逃走を阻止しようとして射殺されてしまったイスラム教徒の警官アハメド・メラベさんこそが真の殉教者だと。

 この一連の流れの中で、ブロガー(ブログ執筆者)として、果たしてどちらの立場に立って文章を書くべきなのか。この間ずっと頭を悩ませて来ました。「表現の自由」を優先すべきなのか?それとも、「世界には多くの民族や文化・宗教があり、それらを欧米やキリスト教徒の立場だけで決めつけるべきではない」のか?悩んだ末に、やはり物書きの端くれとして、「表現の自由」の方を優先すべきとの結論に至りました。

 いくら「文化の多様性」を尊重すべきだと言っても限度があります。そんな事を言いだせば、どんな人権侵害も文化や宗教の名で免罪されてしまいます。
 例えば、つい最近もイランでレイプ犯を殺してしまった女性が死刑にされてしまいました。普通なら正当防衛に当るケースです。仮に過剰防衛だったとしても、情状酌量の余地は十分にあるはずです。それがいきなり死刑では、余りにもこの女性が可哀想です。また、サウジアラビアでは女性は自動車運転すら許されません。自動車運転が発覚した段階で有罪となります。それに対する女性の抗議運動もサウジ国内で秘かに広がりつつあります。
 マララ・ユスフザイさんの場合もそうでしょう。パキスタンの16歳の少女マララさんも、れっきとしたイスラム教徒であるにも関わらず、「女性が教育を受ける権利」を主張しただけで、「イスラムの教えに背いた」と一方的に決めつけられ、イスラム過激派のタリバンに命まで狙われるようになりました。学校帰りのスクールバスの中で、いきなりタリバンのテロリストに銃撃され、一時は生死の境をさまよいましたが、その後奇跡的に回復を遂げ、ノーベル平和賞を受賞されるまでになりました。

 そもそも、中近東やアラブ諸国の人々が皆イスラム教徒ではありません。キリスト教徒やその他の宗派の人々も決して少なくない。エジプトの人口の1割はコプト教徒(キリスト教の一宗派)です。それに、イスラム教徒にしても、皆が皆、イスラム過激派の主張に賛同している訳ではありません。
 近年、イラク戦争やイスラエルのガザ虐殺などに反対する余り、「欧米・キリスト教由来の物は全て悪」、その裏返しで「アラブ・イスラム教由来の物は全て善」みたいな風潮も一部に見られますが、私はそれも間違っていると思います。「表現の自由」や「教育を受ける権利」は、何も欧米諸国だけの専売特許ではありません。本来なら、どの国、どの民族、どの宗教を信じる(あるいは信じない)人たちであろうとも、全員が手にする事の出来る自由であり権利であるはずです。

 ところが実際はそうではなかった。少なくとも第二次大戦前までは、これらの自由や権利が保障されていたのは欧米先進国の国民だけでした。その他の国民には、形だけしか与えられていなかったし(戦前の日本がそうです)、植民地の人々には全く与えられていませんでした。その最も残酷な姿が、かつて日本が朝鮮や台湾で行った同化政策や、南アフリカで行われたアパルトヘイト(人種隔離政策)でした。同化も隔離も、やっている事は一見正反対ですが、同化にしても母国語や文化を奪い無理やり日本人に仕立て上げようとしたのですから、人権蹂躙(じゅうりん)という点では全く同じです。その中から、日本は戦後の民主化によって、植民地の人々も民族独立を勝ち取る中で、ようやく自分たちも自由や権利を手にする事が出来る様になったのです。

 だったら、「欧米や日本など先進国の国民だけでなく我々の自由や人権も認めろ」と主張するのが筋なのに、イスラム過激派はそうは考えず、「欧米の主張する自由や権利なんてインチキだ、むしろ我々イスラムの伝統を損ねる物でしかない」と全否定するばかり。これではただの保守反動思想でしかない。
 そんな事を言いだせば、この日本においても、「今の天皇も日の丸・君が代強制の風潮を嘆いている」として、嘆き悲しむ天皇の姿を表紙に描く事すらできなくなってしまいます。右翼や保守派にとっては、今でも「天皇は神聖にして侵すべからず」なのですから。日本の伝統だと言われる天皇制も、本当はたかだか百数十年前に、当時の明治政府が、自由民権運動や社会主義運動を弾圧し、教育勅語などを国民に強制する中で、無理やりでっち上げたものでしかない。江戸時代の農民なんて、天皇の存在を知っていた人なぞほとんどいなかったのだから。そんなものまで「伝統」だの「歴史」だのと言って一方的に強制されたのでは堪らない。

 自由や権利(人権)は万人の物です。それを「今まで欧米の白人やキリスト教徒だけが独占してきた」と言うのであれば、それを全否定するのではなく、逆に「それ以外の人間にも平等に寄こせ」と主張するのが筋でしょう。そうであってこそ初めて、「イスラエルには認めた民族自決の権利をアラブやパレスチナの人々にも認めろ」「イスラエルはガザやヨルダン川西岸地域での住民虐殺を止めろ」と主張できるのではありませんか。この日本でも、「民主主義の原則に則り、沖縄県知事選や総選挙で示された辺野古移設反対の民意を尊重せよ」と言えるのではないでしょうか。

 これは我々にとっても他人事ではありません。とかく「言論の自由を守れ」と言えば、どこか遅れたアジアやアフリカの独裁国家の話だと思われがちですが、現実は決してそうではないでしょう。原発を批判しただけで「風評被害を煽るな」と言われる。「はだしのゲン」の漫画をこっそり図書館の倉庫にしまい込んで人の目に触れさせないようにする。「憲法なんて変えてしまえ」という政治家の発言は野放しにしながら、「9条を守れ」と謳った短歌すら「政治的」だと公民館に掲示させなくする。本来、公正中立であるべきNHKの経営陣に、安倍政権の息のかかった人物をどんどん送り込んでくる。その積み重ねが、秘密保護法や集団的自衛権の強行採決であり、「生涯ハケン」や「残業代ゼロ法案」に象徴されるような労働法制の改悪ではないですか。
 だから、この日本では「私はシャルリー」と言っているだけではダメなのです。「私はワタミ、私はユニクロ、私はすき家」の声をもっとどんどん上げて、食って行ける賃金や、まともに余暇を楽しめる生活を要求すべきです。それでこそ初めて、自由や人権が守られるのではありませんか。



JeSuisWatami 私は和民の社員。満足に休日も与えられず過労死させられた。JeSuisSukiya 俺はすき家のバイト。いつまで経っても帰してくれないのでバックれてやった。自由や人権は金持ちだけの物じゃない。 (私のツイッター投稿より)
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戸塚君だけが悪いのか?

2015年01月11日 21時39分41秒 | 職場人権レポートVol.3


 同僚バイトの戸塚君(仮名)が仕事の事で悩んでいるので話を聞いてみました。
 戸塚君が現在担当している作業は「検品・一次仕分け」と言って、納品業者が持ってきた商品を検品してブロック別にカートに仕分けする作業です。そのブロック別に仕分けされた商品を、私もその一員である仕分けラインのバイトが、各ライン(ブロック)で更に店別にカゴ車に分けて(二次仕分け)各店舗に出荷しています。上の説明図で言うと②と③の工程が「検品・一次仕分け」に当ります。
 戸塚君も今までは私たちと同じ二次仕分けのメンバーでした。それが年明けに、それまで検品・一次仕分けチームにいたベテランバイトが一人退職したので、その穴埋めに前述の作業に回される事になったのです。
 私は彼が悩んでいると聞いて、最初はハンディの操作に慣れていないからかと思っていました。ハンディというのは携帯型のポータブル端末で、それで商品のバーコードを読み取り、各ラインに仕分けデータを流すのです。そのデータに基づいて、各ラインで私たちが、棚の上のデジタル表示機に表示された数量通りに各店舗のカゴ車に商品を積んでいきます。そういう仕分けシステムになっています。

 でも、彼の悩みはそんな単純なものではありませんでした。単に機械の操作方法が分からないだけなら、そんなに扱いが難しい機器ではないので、慣れればそれで問題は解消します。彼の悩みというのはそうではなく、それ以外のメンタルな部分が非常に大きなウエートを占めているものでした。
 検品・仕分けチームは現在、戸塚君も含め6人のバイトで構成されています。但し、そのうち毎日1~2人は交替で公休を取るので、実際には4~5人で現場を回す事になります。その4~5人が、各エリアで検品に回ったり一次仕分けに入ったりして、連携プレイで仕事をこなしているのです。彼の悩みと言うのは、その連携プレイの中で、まだ仕事に慣れていない事もあって、「段取りが分からない、仕事の流れが読めない」という事のようなのです。それで他のメンバーからしょっちゅう怒られるのだと。
 私、それを聞いて呆れました。そんな戸塚君みたいな事を言っていたら、しょっちゅう他のメンバーの顔色をうかがいながら、びくびく仕事をしなければならないじゃないですか!

 そりゃあ、誰が見ても明らかにいい加減な事をやっていたら、しょっちゅう怒られても仕方ないと思います。いつも検品ミスするとか、全然違う商品のラベルを貼ってラインに流してしまうとか、そういう明らかなチョンボをいつもやっているのなら。
 でも、彼は基本的な作業はちゃんとこなせているのだから、普通ならそんなに怒られるはずがありません。最初は商品の検品から初めて、ある程度検品が進んだら一次仕分けに回る。カートが足らなくなれば荷受け場に運ぶ。普通ならその繰り返しで済むはずです。そんなに難しい話ではありません。
 でも、戸塚君いわく、それだけではダメなのだそうです。「次来る業者の持ってくる商品はこれだけの量があるから、カートも最低これだけの台数は準備しておかなくてはならない」とか、「3つの業者が同時に商品を降ろし始めても、どの業者も待たす事無くスムーズに検品や一次仕分けを終えなければならない」とか、そんな事まで要求される。

 それで責任者のバイトや他のメンバーから、めいめい違う事を指示されるので、どう優先順位をつけて作業を進めたら良いか分からなくなるのだそうです。
 そんな事、簡単じゃないですか。一応、責任者はいるのだから(他のバイトの青い帽子ではなく赤い帽子をかぶっているので誰が責任者か直ぐに分かる)、その責任者の指示に従い、もし他の誰かに違う事を言われても、「私は責任者の指示で動いている。文句があるなら私にではなく責任者に言ってくれ」と返せばそれで済む問題です。
 ところが、戸塚君には八方美人みたいな所があり、相手から何か言われても「嫌だ」とか「それは違う」とかなかなか言えないのです。だから、社員から残業を頼まれても嫌とは言えず、自分ばかり残業させられる破目になったり、今回みたいに、皆からめいめいテンでバラバラな事を言われたりすると、自分だけでその悩みを抱えこんでしまい、どうしようか分からなくなってしまうのです。その分については戸塚君にも原因があります。

 でも、戸塚君の悩みの原因はそれだけではないでしょう。戸塚君自身だけでなく、この職場の体制にも大いに問題があると私は思います。
 私に言わせれば「何が連携プレイか、笑わせるな」と言う事です。敢えてこういう言い方をさせてもらいますが。はっきり言って、「連携プレイ」がどうたらなんて、何千万や何億もの年棒を稼ぎ出す錦織圭や浅田真央であって初めて求められるレベルの話です。少なくとも、たかが時給千円にも満たない物流センターのバイトにいきなり求められる話ではありません。もちろん、どんな仕事であろうと連携プレイは求められます。でも、たかだが時給900円かそこらのバイトに求められる連携プレイなんて、本来なら「最初は商品の検品から初めて、ある程度検品が進んだら一次仕分けに回る。カートが足らなくなれば荷受け場に運ぶ」程度で済む話でなければおかしいと思いませんか?それだけの時給しかもらっていないのだから。

 もちろん、その上を目指す事も、それはそれで非常に良い事です。どんな仕事にも工夫・改善の努力は常に求められるし、ずっと仕事をやる中では、「こうした方がもっと楽に、確実に仕事が出来るのと違うん?」という意見も当然出て来ます。たとえ時給ウン百円のバイトであっても、良い提案はどんどん会社に言うべきだし、事実私は今までそうして色々改善もして来ました。そうしてこそ、初めて仕事にも張り合い、やり甲斐が出てくるというものです。それは「相手の顔色をうかがう」とかとは全然次元の違う話です。
 その中でこそ、「次来る業者の持ってくる商品はこれだけの量があるから、カートも最低これだけの台数は準備しておかなくてはならない」とかいう工夫も、初めて出てくるのだと思います。工夫や改善なんて、誰かに強制されて渋々やる物ではありません。そんな風潮の中では、良い工夫や改善も生まれるはずがない。

 でも、それは社員や責任者やベテランのバイトが新人のバイトを励ます中で、初めて可能になる事です。ところが、この会社のやっている事はどうか。会社は社員に丸投げ。社員は責任者やベテランバイトに丸投げ。人数もかつかつ最低限の人数しか配置しない。そんな風潮の中では、責任者やベテランのバイトも、新人バイトを一人の人間としてではなく、単に頭数や自分に忠実な「奴隷」としか見なくなります。
 「3つの業者が同時に商品を降ろし始めても、どの業者も待たす事無くスムーズに検品や一次仕分けを終えなければならない」に至っては、もうアホかと言う他ありません。人間はロボットじゃない。そんな事、最初から慣れてない人間に求める方がどうかしています。分身の術でも使わない限り、同時になんて無理です。そこまで無理しても検品ミスしたら何もならない。そんな事をする位なら、他の業者を待たせても先着順や納品数の少ない(あるいは多い)順から片付けていくしかないじゃないですか。それでも、どうしても同時に終わらせたいと言うなら、「最初から人を3人回せ」と要求すべきです。
 それもせずに新人にばかり当たり散らすというのでは、単なるパワハラでしかない。パワハラは明確な人権侵害です。そんな事だから、せっかく新人のバイトが入っても直ぐに辞めてしまうのです。それで年がら年中シンドイとぼやいている。傍から見れば自業自得でしかない。

 本当はこの会社、いくらでも改善や工夫の余地はあるのです。今までそういう工夫や改善をやって来なかっただけなのだから。但し、私の言う「改善」や「工夫」とは、先輩の顔色をうかがいながら、びくびくしながらカートを用意する事ではありません。そんな物は工夫ではなく只の「苦役」でしかない。「こうすれば楽に、ムリ・ムダ・ムラなくスムーズに仕事が出来るのではないか?」と思って、ダメ元でやってみたら「うまく行った!楽になった!」。その経験の積み重ねがあってこそ、初めて工夫も改善も生まれるのです。
 本当にそういう改善や工夫をしようとするなら、業務発注元のスーパーにも、言うべき事は言わなくてはなりません。納品業者に入荷の時間指定を守らせるとか、納入商品の順番もただ闇雲にもって来させるだけでなく大口から先に入荷させるとか、梱包用のビニールなどのゴミはちゃんと持って帰らせるとか。
 そういう事もさせずに、何故、業者が荷受けで使うカートなのに、業者には何もさせず我々ばかりが用意しなければならないのか?何故そんな「過剰サービス」ばかり強いられなければならないのか?

 ここの会社は、社員もベテランのバイトも、直ぐ二言目には「俺らは下請けだからそんな事は言えない」と言いますが、私はそれは違うと思います。むしろ逆に、物流センターの現場業務に一番精通している下請だからこそ、言える事も一杯あるはずです。もちろん、言い方には工夫が必要ですが、その工夫すらせず、最初から「出来ない」と諦めているだけでは、本当は「出来ない」のではなく、単に「しない」己の怠慢の言い訳に「出来ない」と言っているだけではないですか。
 責任者やベテランと言われるバイトも、本当にそれだけの自負があるなら、新人に偉そうに指示するだけではなく、社員や会社に対しても、言うべき事は言えなくてはならないと思います。そうであってこそ、人生の先輩であり、本当の責任者でありベテランではないでしょうか。そうではなく、上には何も言えず、下や弱い者ばかりに八つ当たりするしか能がないでは、そんな「ベテラン」なんて、バカ社員の井下とも「似たり寄ったり」の「井の中の蛙(かわず)」でしかありません。バカ社員の井下一人すら持て余している会社に、バイトの能力についてとやかく言われる筋合いなぞ無い!
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カジノ亡国論

2015年01月07日 06時08分56秒 | 反貧困・新自由主義
マッド・マネー―世紀末のカジノ資本主義
クリエーター情報なし
岩波書店


 今年の1月2日も家族・親戚一同集まって近くのホテルでささやかながら新年会を行いました。親戚一同と言っても、母はもう亡くなっていませんから、親父と私の他に、それぞれ独立した妹夫婦、兄夫婦の合計6人だけで、ホテルのレストランで1時間余り歓談しながら昼食を食べるだけの、ほんのささやかな宴会です。参加者全員の費用も全て親父持ちです。親父にしてみれば、母亡き今となっては、こうして家族全員の顔を見ながら食事できるのが何よりの楽しみなのでしょう。もう数年も前から忘新年会やお盆の季節には、まるで我が家の年中行事の様に、こうやって集まって食事をしてきました。但し、年末繁忙期の忘年会についてだけは、私は仕事柄どうしても参加出来ないので、私抜きでやって来ましたが。

 そういう、本来なら和気あいあいとした新年会になる筈ですが、私はずっと余り気乗りがしませんでした。何故なら、そこでも兄貴がいつも政治の話題を持ち出し、親父と二人で小泉純一郎や安倍晋三、橋下徹ヨイショの話に興じるからです。
 いずれも私が大嫌いな政治家ばかりなので、適当に相槌を打って余り波風立てないようにしているのですが、それでも余りに度が過ぎると、私もついつい「小泉改革で逆に格差が広がっただけじゃないか」とか、「アベノミクスで潤っているのも大企業だけじゃないか」程度の事は、ボソッと言う事があります。
 他人の意見なんて十人十色。どういう意見を持とうが個人の自由です。私も兄や親父の意見を黙って反論もせずに、普段は我慢して笑って聞き流してやっているのだから、私のその程度の「つぶやき」ぐらい、黙って聞き逃してくれれば良いのに、兄貴ったら、それこそ何かに憑りつかれたかのように、その程度の「つぶやき」にまで、いちいち目くじら立てて私に突っかかって来るのです。それで全員が気まずくなる事がもう何度もあったので、私は余り気乗りがしないのです。(私と兄貴との関係性については、これまでも何度かブログ記事にしましたので、良ければそちらも参考にして下さい)

 この1月2日の新年会も、「税金が高い」という話から、何故かギャンブルの話に移り(詳しい話の経緯については失念)、「宝くじや競馬なんて詐欺みたいなものだ」「少なくとも投資の対象にはならない」「宝くじ売り場のオバちゃんにも、如何に詐欺的な仕組みになっているか、分かりやすく説明してやったのに、オバちゃん達は聞く耳を持たなかった」等と、兄貴が滔々(とうとう)と自説を披露し始めたのです。いつもなら、兄貴の独演会に親父が引きずられ、兄貴主導で政治談議が進むのですが、さすがにこの時は、その兄貴の余りの自己チューぶりに、みんな呆れ果てていました。
 だってそうでしょう。誰が投資目的で宝くじや馬券を買うのですか。株やFXじゃあるまいし。あんなもの、所詮はポケットマネーの範囲内で楽しむ程度の「遊び」でしかない。まかり間違えても「投資」するものじゃない。それでもギャンブル依存症になる人が後を絶たないのに。しかも、宝くじ売り場のオバちゃんに八つ当たりして。オバちゃん等はあくまでも生活の為に、仕事として割り切って宝くじを売っているだけなのだから(呆)。そんな人にいくら「宝くじは詐欺だ」と言った所で、「それが何か?」という事にしかならない。この兄貴の発言には、さすがに妹の旦那も「誰が投資目的でギャンブルなんかするんですか?」と呆れ果てていました。

 私も、もうそこで黙っておれば良かったのかも知れませんが、余りに兄の言っている事が支離滅裂なので、「そこまでギャンブルを目の敵にしながら、何故カジノ解禁論者の橋下徹を応援するのか?」と、思わず突っ込みを入れちゃいましたw。それに兄貴がまた反応し、「カジノは決して貧困ビジネスなんかじゃない。カジノの事をもっとよく勉強してから物を言うように」と返されました。普段の兄貴からすれば、むしろ大人し目の反論とも言えるでしょう。確かに私は、橋下のカジノ解禁論を批判している割には、カジノの事はほとんど知りません。そこで、これを機に、カジノの事についても少し調べてみました。そうしたら、カジノも他のギャンブルと同様に、やはり貧乏人の弱味に付け込み彼の人たちを食い物にする「貧困ビジネス」でした。



 確かに、控除率(胴元の取り分)で見る限り、カジノは他のギャンブルよりも段違いに低いです。一口にカジノと言ってもルーレット、トランプ、スロットマシーンと様々で、控除率もゲームの種類によって変わりますが。
 一番分かりやすいルーレットで説明すると、1~36番と0、00の計38個の目の中で、客が賭ける事が出来るのは1~36番の36個のみ。後の2個(0と00)が出た場合はカジノ経営者の収入(テラ銭)となります。従って控除率は38分の2(約5.26%)。宝くじが賭け金総額の約半分も没収となり、同じく競馬などの公営ギャンブルもJRAなどの胴元が賭け金総額の4分の1も着服してしまう(客には最大でも掛け金の4分の3しか還元されない→最初から客が損する仕組みになっている)のに引き換え、カジノの控除率は段違いに低い。そういう意味では、逆に非常に「良心的」な「搾取とは無縁」のギャンブルであるとすら言えるかも知れません。(下図参照)



 しかし、そこはやはりギャンブル。控除率の低さは客の入りを増やす事で補う仕組みになっていました。
 それを下図の2013年マカオのカジノ売上比率の例で説明します。資料の中の「VIP」は金持ちの上得意客、「Mass Market」は貧乏人の小口客です。その両者について、それぞれの売上貢献度(Revenues=水色の棒グラフ)と利益貢献度(Profits=藍色の棒グラフ)を比較してみます。すると、「VIP」は売上全体の6割以上を占めながら、利益では3割超ぐらいしか占めていません。それに対し、「Mass Market」は逆に、一人一人の売上は小さいので売上全体に占める割合も3割超でしかないにも関わらず、カジノ全体の利益の5割以上も稼ぎ出している事が分かります。何故そうなるかと言うと、上得意客の「VIP」には、カジノ経営者としてもホテル宿泊費や航空運賃割引等のサービスに応じなければならないのに対し、「Mass Market」にはそんな気遣いなぞ全く無用だからです。
 それまでは、貧乏人が群がる宝くじやトト、パチンコ、競馬・競輪等とは対照的に、カジノは「金満家がたしなむギャンブル」とのイメージが、私の中にもありました。イタリア語のカジノ(Casino)の元々の意味は「小さな家」転じて「貴族の別荘」というものだし、今でもヨーロッパのカジノではタキシード着用でないと入れないし、入場料もバカ高いし、賭け金も最低1人1万円ぐらい出さなければゲームにも参加させてもらえない・・・。そういうイメージでいました。ところが実際は、ゲームによっても違うようですが、安い所では千円ぐらいからでも賭ける事が出来るし、Gパン・Tシャツ等の軽装でも入れるカジノもあるそうです。決してアラブの王族や石油成金みたいな客ばかりではなく、パチンコに群がっている様な客も大勢いるのだと。



 モナコやラスベガス、韓国、マカオやシンガポール等の、世界の主だったカジノについても、その歴史を少し調べてみました。すると、モナコ等の例外を除き、いずれも他に代替産業がなかったり、失業対策等としてスタートしたものがほとんどでした。ラスベガスは、元々砂漠地帯のオアシスだったのが、鉄道開通とゴールドラッシュで急速に発展したものの、ゴールドラッシュも終わり町が衰退する中で、カジノに活路を見出すようになったのが始まりです。マカオのカジノも、香港との経済競争に敗れ地域が衰退する中で、ポルトガルの植民地当局が華僑を呼び込んで始めたのが最初です。シンガポールは、マカオを真似て観光客を呼び込む為にカジノを始めたのだとか。韓国の江原ランドは炭鉱閉山後の代替産業として始められました。いずれも、他にまともな産業がないから、仕方なく始めたというケースが大半です。米国のインディアン居留区にある「インディアン・カジノ」の成り立ちなんて、日本の過疎地帯にある「原発銀座」とほとんど同じじゃないですか。

 しかも、そういうギャンブルで国が成り立っている所と言うのは、いずれも超・格差社会であったり、一党独裁や国王専制の独裁国家ばかりです。
 シンガポールなんてその典型でしょう。中国人の華僑が経済の実権を牛耳っていて、国会もその華僑をバックにした与党の人民行動党が議席のほとんどを独占している。その中で、少数派のマレー人原住民やインド人移民はまともに人間扱いされずにいる。マカオや香港も、中国政府の息のかかった政商が政治を牛耳り、普通選挙もまともに行われない。
 韓国や米国も、民主主義や人権はあくまで建前だけで、実際は財閥や軍需産業が政治・経済を支配している。大韓航空の会長が「CAのナッツの出し方が気に入らない」という理由だけで航空機を引き返させる事が出来たのも、「金持ちなら何をしても許される」という甘えが会長本人にも国民の中にもあったからでしょう。米国の政治も典型的な金権選挙で、国会議員も共和・民主の二大保守政党の議員ばかり。大統領選挙も今やただの「お祭り騒ぎ」と化し、投票率も5割台までに落ち込み、黒人やヒスパニックは投票にも行かなくなった。だから、公民権運動から50年以上経った今でも、人種差別事件が後を絶たない。まあ、この日本も、ワタミみたいなブラック企業の経営者や、ホリエモンや橋下徹、原発再稼働や武器輸出にウツツを抜かす安倍晋三のような弱肉強食の拝金主義者が政治の実権を握り、「朝鮮人殺せ」等のヘイトスピーチ(差別扇動)やセクハラ議員が横行するという意味では、それらの「カジノ資本主義」の国々と基本的な体質は何ら変わりませんが。
 ちなみに、兄貴の言動の中にも、そういう非民主的で反人権的な体質が大いに見受けられます。自分の意見ばかり押し付け他人の意見を聞こうともしない。宝くじ売り場のオバちゃんにまで八つ当たりする。ひたすら「上から目線」で「弱肉強食」的な発言に終始し、「財政赤字解消の為にはいくら福祉が削減されても仕方ない」と言う様な事を平気で言う。政治家や経営者だけで国が成り立っている訳ではないのに。こんな頑なな姿勢では対話なんて出来ないし、議論自体も成り立たない。そういう所を改めてさえくれれば、決して悪い人間ではないのだが・・・。

 そして、ヤクザや暴力団、マフィア等の反社会的勢力がカジノを牛耳っている。ラスベガスでも、当初は銀行もカジノを敬遠していた為に、マフィアがその隙を突いて進出してきました。ラスベガスのカジノの歴史は、ある意味マフィア封じ込めの歴史でもありました。今でこそ表向きはマフィアの影響力排除に成功した事になってはいますが、現実には果たしてどうなのか?
 カジノ推進国が大なり小なり超・格差社会であったり独裁国家だったりするのも、決して偶然の一致ではないでしょう。その国の政治がマフィアや政商や財閥みたいなものに牛耳られているから、そういう国になるのではないでしょうか。同じカジノ推進国でもドイツやフランスの政治がそこまで腐敗していないのは、昔の貴族のレジャーだった時代の名残がまだあるからでしょう。少なくとも米国やアジアのカジノ推進国について言えば、カジノ解禁論者は総じてホリエモンみたいな奴らばかりじゃないですか。
 そもそも、ギャンブルは「ボロ負けする不幸な人」がいて初めて成り立つビジネスです。少なくとも、近江商人の家訓にある「三方好し」(商売人も客も世間も皆ハッピー)では、絶対に成り立たないビジネスです。近江商人も商人なので儲けなければ話になりませんが、その儲けはあくまでも自分の為だけでなく、「世の為」でもあって初めて意義がある。株もそうでしょう。今や株もギャンブルとほとんど変わりませんが、それでも産業振興の為という大義名分も一応はまだ残っている。ところがカジノにはそういう社会的な存在意義はほとんどない。失業対策などの建前はあってもホンの形だけ。「宝くじ売り場のオバちゃんやカジノのディーラーにも家庭があり人生がある」なんて事はカジノの客は一切考えない。考えるのはビジネスチャンスがどうとか、ひたすら自分の金儲けの事だけ。自分以外は全てただの「金ヅル」でしかない。

 儲けたいのは誰しも同じです。しかし、皆が皆「それだけ」の為に、そんな拝金主義の方向に突っ走ってしまったら社会は一体どうなります?もうそうなれば、もはやブラック企業で過労死続出、公害垂れ流しで地球滅亡するしか無いじゃないですか。
 私は別に競争や金儲けを全否定している訳ではありません。競争も金儲けも大いに結構。でも、余りにもそればっかりに走って、「負けたらもうその時点で人間失格」みたいな社会では、別に「倫理や人の道に反する」とか言う大所高所な議論以前に、生きていくのもシンドイじゃないですか。少なくとも、私はそんなシンドイだけの社会はゴメンです。
 そりゃあ、私も競馬はしますよ。だけどそれは投資目的なんかではなく、あくまでも予想や推理を楽しむ為です。競馬の中には色んなファクター(要素)があるでしょう。馬の血統や年齢・性別、脚質、競馬場の天候や馬場状態、騎手と馬との相性や、騎手同士の駆け引き等。そういう色んなファクターを予想しながら、馬や騎手に思いを馳せるのが楽しみなのです。そうでなかったら、ずっと負け続けのハルウララを応援したりなぞしません。
 他のギャンブルやましてカジノなんかには、そういう要素は全くないでしょう。あるのはさもしいカネ勘定だけで。だから、少なくとも私は、宝くじや競輪・競艇には全然興味がない。あんなものどこが面白いのか分からない。
 但し、確かに競馬のファクターの中にもそういう「カネ勘定」的な部分はあります。鍼灸治療のある日曜日は、午前中の治療が終わればもう休みは後半日しかない。そんな中では、面白い映画でもなければ、「もう後は競馬で小銭を稼いで時間を潰すしかないか」と、どうしてもなってしまいます。もっと自由になる時間があり、もっと面白い映画があり、映画館の入場料ももっと安ければ、別に競馬なぞ無くても構わないのです。



 だから、私としてはもう折角の休みの日にまで、そんな話ばかり聞かされるのはウンザリなのです。橋下支持や安倍支持であっても別に構わないが、そういう話をわざわざプライベートな場でもするのなら、橋下や安倍を支持できない人間の意見もちゃんと聞くべきだと思います。それでこそ初めて議論や対話も成り立つ。そうではなく、「他人の意見は聞かないが自分の意見ばかり振り回す」では、私としても、「何でわざわざ休みの日に、時間を割いてまでそんな話ばかりにつき合わされなければならないのか」と言う気持ちになります。母の法事や墓参りについては致し方ないとしても、少なくとも忘新年会については、もうはっきり理由も言って、参加するのも止めようかと思い始めています。

(参考記事)
・ギャンブルゲームの控除率(テラ銭の割合)
 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5680.html
・マカオのカジノは貧乏人で儲ける(山形浩生 の「経済のトリセツ」)
 http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20131002/1380696734
・カジノの歴史と現況
 http://www.h-eba.com/heba/casino/casino00.html
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2015年 新年明けましておめでとうございます。

2015年01月02日 19時16分06秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ


 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 左二枚の写真は住吉大社に初詣に行った時に奉納した絵馬。年末からの風邪がまだ完治しないので、絵馬にも「風邪が治りますように」と書きましたが、実は風邪ではなく、空気乾燥に対する喉のアレルギー反応ではないかと思い始めています。実は昨年のちょうど同じ時期にも、風邪薬を飲んでもなかなか治らなくて、別の医者に診て貰ったら、その様に診断された事がありましたので。
 絵馬奉納の後、引いたおみくじは何と「一番」くじの「大吉」でした!幸先の良いスタートにひとまず安堵。

 住吉大社の門前はまた、大阪で唯一、路面電車(阪堺電気軌道)が走っている場所でもあります。しかも、今では珍しくなった、路面電車の二路線(阪堺線と上町線)が平面で交差する住吉の停留所も神社の直ぐ横にあります。最近は赤字続きの路面電車も、初詣の期間中は臨時券売所が増設され、駅員や警察官、ガードマンが交通整理に大わらわでした。
 一番右の写真は、天王寺駅前を出た上町線の青色の電車が、阪堺線の線路を渡って終点の住吉公園の停留所に向かう所です。その左には、堺・浜寺から来た天王寺駅前行きの黄色と緑のツートンカラーの電車が、阪堺線から上町線に乗り入れようと線路上で待機しています。天王寺行きの電車も、最近は阪堺線経由のものがほとんどで、途中の住吉公園始発の電車は朝のラッシュ時だけに限られてしまいましたが、初詣期間中だけは住吉公園からの電車も、昔と同様に満員の客を乗せて、次から次へとやって来ていました。
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