アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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梅とダルバート

2023年02月27日 21時14分18秒 | なにわB級グルメ探訪
先週土曜日にダルバートのランチを食べに行って来ました。ダルバートは和食のご飯や味噌汁に相当するネパールの定番料理です。以前、ネパール料理店に行った時に、ダルバートがメニューになかった事をブログに書きました。その後、調べたら大阪市内の中央区谷町6丁目の「ダルバート食堂」というレストランで、ダルバートが食べられる事が分かりました。そこで、そのレストランに食べに行く事にしました。遅くなりましたが、その時の様子を報告します。
 
 
まずダルバート食堂に行く前に、高津宮の梅を見て来ました。2月11日の献梅祭の時はまだ咲き始めだった高津公園の梅も、ちょうど見頃を迎えていました。その後、高津宮の中にある富亭カフェで抹茶ラテをいただきました。ラテの表面に浮かんだ抹茶の葉っぱ(?)がハートのようにも見えて、大変風情がありました。
 
その足で、ダルバート食堂に向かいました。ダルバート食堂は谷町6丁目の空堀(からほり)商店街の近くにあります。谷町9丁目の高津宮からも近いので、歩いて行く事が出来ます。ダルバート食堂は、ネパール人のご主人と日本の奥さんが経営している小さなレストランです。店内にはネパールの旅行本なども置いてあり、自由に読む事が出来ます。
 
 
午前11時半のオープンと同時に店の中に入りました。小さな店の割には人気があり、早めに行かなければ待たされると、ネットの情報にありましたので、早めに行く事にしました。店内の壁にはネパールの国旗が飾られていました。ネパールの国旗は、三角形を2つ重ね合わせたような独特な形をしています。
 
やがて注文したダルバートが来ました。丸い金属の大きなお皿にご飯とおかずが載っています。時計のちょうど2時の位置にあるのがダル(豆のスープ)で、真ん中のバート(インディカ米のご飯)に掛けて、ご飯と混ぜて食べます。そして、カレーやタルカリ(野菜炒めのおかず)やアチャール(お皿の左下の方にある梅や大根の漬物)も一緒に混ぜて食べます。
 
 
 
カレーはチキンや今日の日替わりメニュー、山羊のカレーなどから、どれか1種類を選びます。私は今日の日替わりメニューのチキンとナスのキーマカレーにしました。これで1200円です。日頃食べているランチと比べたら高いですが、たまにはこんな形で異国情緒を味わうのも良いものです。大変美味しかったです。
 
 
店に置いてあった本の中に、ネパールという国の地図と解説が載っていたので、そのまま引用します。日本では、ネパールなんて「世界最高峰のエベレストなど、ヒマラヤ山脈のふもとにある遅れた農業国」ぐらいのイメージしかありませんが、どうしてどうして。あちらに住んでいる日本人に聞くと、国民は概しておっとりしているので、せっかちな日本とは違い、非常に過ごしやすいそうです。
 
ネパールの基本情報
【正式国名】ネパール連邦民主共和国
【面積】14.7万平方キロ(注:ちょうど北海道・九州・四国を合わせたぐらいの広さ)
【首都】カトマンズ
【人口】2649万人(2011年時点)(注:人口も北海道・九州・四国を合わせたよりも少し多いくらい)
【政治体制】連邦民主共和制に移行中(注:つい40年ほど前までは国王の専制政治でまともな選挙もなかった国が、今やマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)主導下で連邦民主共和制に移行中!マオイストの政治については色々意見はあろうかと思いますが、日本がいまだに天皇崇拝から抜け出せず、クソ不便な元号制度も廃止できないのと比べると、まさに雲泥の差です)
【宗教】ヒンドゥー教徒(81.3%)、仏教徒(9.0%)、イスラム教徒(4.4%)他
【言語】ネパール語が公用語。その他、民族ごとの言語、方言は50以上(注:連邦民主共和国の国名からも分かるように、ネパールは多民族国家なのです。それが下記の「何百もの花束」という国歌の題名にも表れています)
【通貨&レート】ルピー(Rs)。Rs1≒1.14円(注:ルピーはネパールだけでなくインドやパキスタンの通貨呼称でもあります。但し為替レートは各国によって異なります)
【日本との時差】3時間15分遅れ。日本が正午の時、ネパールは午前8時45分となる。国内の時差、サマータイムはない。
 
ネパール国歌「何百もの花束」歌詞(日本語仮訳)
 
何百もの花々からなるひとつの花輪、ネパールの民 
全国各地にいきわたった、
東のメチから西のマハカリまで
限りなく広がった大自然と数々の文化遺産
勇士が血を流して勝ち取った自由と安定
知恵と平和の大地、平野、丘陵と山岳
分かたれることのない、愛おしい我らの母なる国家ネパール
多様な民族、言語、宗教、文化がある偉大さ
我らの先進的な国家、万歳万歳ネパール
 
ネパール連邦民主共和国 国歌「何百もの花束(सयौं थुँगा फूलका)」
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ネパール人バイト急増の背景を探る

2023年02月22日 18時29分52秒 | 職場人権レポートVol.3

前回の記事で、私の職場では、ベトナム人に続いてネパール人のバイトが増えている事について触れました。私の職場は、某大手スーパーの物流センターです。私はそこの物流センター業務を請け負っている会社の契約社員です。そのセンターでは、日本人だけでなく外国人のバイトも大勢います。日中はまだ日本人のバイトの方が多いですが、夜勤の時間帯になると、外国人バイトの方が日本人よりも多くなります。これまでは外国人のほとんどがベトナム人留学生でしたが、最近ではネパール人留学生が増えて来ました。

なぜベトナム人だけでなくネパール人のバイトが増えて来たのか?一つは、前回の記事でも明らかにしたように、ベトナム人だけでは人手不足の穴埋めが出来なくなったからです。少子高齢化の進む日本では、幾ら募集をかけても、日本人の若いバイトはなかなか来なくなりました。特に物流センターのような、低賃金で肉体労働が主体の職場では、なおさらその傾向が強いです。そこで、外国人の技能実習生や留学生を大量に雇うようになりました。

技能実習生や留学生と言っても、実際はただの人手不足の穴埋めです。日本では外国人の移民を制限しているので、単なる出稼ぎ目的だけでは、外国人は職に就く事が出来ません。その為に、職業訓練や日本語習得の為に、日本にやって来て、学費や生活費を稼ぐために、一定の範囲内で外国人もバイトが出来るようにしました。建前上は職業訓練や日本語習得の為ですが、実際は出稼ぎ目的です。だから、留学生でもピンキリです。中には日本語がほとんどしゃべれないバイトも少なくありません。

しかし、そんな外国人でも、仕事に慣れると戦力になります。今や、若いベトナム人の方が、年寄りの日本人よりもよっぽど戦力になります。しかし、最近はそのベトナム人も、なかなか来なくなりました。安い賃金で、就労時間に制限のある日本よりも、もっと好待遇で就労時間の制限のない他の国に流れるようになったからです。そこで、ベトナム人に代わってネパール人が、その穴埋めに使われるようになりました。これがネパール人バイト急増の一つの理由です。(上記のグラフ参照)

但し、ネパール人バイトが増えた理由はそれだけではありません。ネパールならではの特殊事情も、バイト急増の背景にはあります。この国では80年代末まで国王の独裁政治が続きました。その後、90年代の立憲革命で絶対王制から立憲君主制に移行します。しかし、その後も与野党が政争に明け暮れる政治が続きました。その間隙を縫って、地方では「ゲリラ戦で農村から都市を包囲する」毛沢東主義の革命戦略を掲げるマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)が次第に台頭。やがて内戦に勝利し、王制から連邦共和制への転換を勝ち取ります。しかし、その後も政情不安が続き、失業率は30パーセントを超えるまでに。職を求めて多くの国民が日本を始め海外に流出。これがネパール人バイト急増のもう一つの理由です。(上記のNHK・BSドキュメンタリー番組の解説参照)

私はこれを見て、「共産党の中でもさらに時代遅れの、武装闘争至上主義のマオイストが、何故ネパールでは内戦に勝利出来たのか?」疑問に思い、調べました。そうしたら、マオイストが掲げる男女平等思想が、身分差別のカースト制の重圧に苦しむ女性の心をつかんだ事が分かりました。アフガニスタンやイランでは女性蔑視のタリバンやイスラム原理主義勢力が台頭する中で、ネパールではそれよりも「進歩的」な思想を掲げた集団が革命を成し遂げたのです。この中で、マイオスト自身も、武器を捨て、より民主的な議会主義の政党に変わっていきました。でも、長期のゲリラ戦で培われた闘争至上主義は、議会政党になっても、そう簡単には変わりませんでした。他の政党と同じように、民衆を置き去りにして、政争に明け暮れるようになってしまったのです。

この中で、現代の日本は一体どういう役割を果たしているのか?本来なら、平和憲法を掲げる日本こそが、ネパールの戦後復興や民主主義、国民生活の向上や人権確立に、多大な貢献が出来るのではないでしょうか?しかし現状は、せっかく職を求めて日本に来たネパール人を、低賃金の捨て駒として酷使するだけの、単なる「貧困ビジネス」の提供者になり下がってしまっています。このままではネパール人も、今のベトナム人と同じように、日本に見切りをつけて、もっと賃金や労働条件の良い他の国に移住するようになるでしょう。

確かに、マオイストも、ネパールという国自体も、まだまだ未熟です。しかし、女性兵士の割合が40パーセントにもなるマオイスト。それに対し、女性国会議員の割合がいまだ10パーセントに満たない日本。60年代には政党も禁止されて、まともな選挙もなかったのに、民主選挙で平和的に連邦共和国に移行出来たネパール。それに対し、いまだに天皇陛下万歳から抜け出せず、不便な元号制度やLGBT差別も克服出来ない日本。それを考えると、未熟なのは一体どちらか?

暗い話題ばかりでも何ですので、明るい話題も一つ。私の住む大阪でも、ネパール料理のレストランが続々と開店しています。今日はその一つ、南海本線住ノ江駅前にある「ニサ」というインド・ネパール料理のレストランに、昼食を食べに行って来ました。注文したのはAランチ。今日の日替わりカレー(チキンとナスのカレー)にサラダ、ナン、ドリンクが付いて700円。カレーの辛さは甘口・普通・中辛・辛口・激辛の5種類から選べます。ドリンクも、チャイ(ミルク紅茶)・ラッシー(ヨーグルト飲料)・コーヒーのアイスやホット、コーラなどから好きな物を選べます。私は普通の辛さのカレーに、ホットのチャイを選びました。ナンは大きく食べごたえがありました。

私は食べた後に、「ダルバートはないのか?」店員に聞きました。そうしたら「ない。そんな物作っても売れないから」と返されてしまいました。ダルバートというのは、豆のスープにご飯、野菜炒めの食事です。日本で言えばご飯、味噌汁、納豆・漬物に相当する、ネパール料理の定番です。でも、今の日本人には地味すぎて、余り人気はないのでしょう。日本でも、私たちが普段食べる味噌汁や納豆よりも、めったに食べれない寿司や天ぷらの方が、美味しくて異国情緒も味わえるので、外国人には人気があります。(上の絵がダルバートです)

私の会社でもそれは同じです。食堂メニューにベトナム風うどんのフォーを載せても、誰も注文しません。だから最近では、日本の焼きそばとほとんど変わらない物を、「ベトナム風焼きそば」として提供しています。日本人と同じように箸を使い、日本人好みの料理も多いベトナムですら、そんな感じなのに、その上、箸も使わず(スプーンで食べる)、牛肉も食べない(ほとんどがヒンズー教徒だから)ネパール人が増えたら、会社は一体どうするつもりでしょうか?労働者を単なる「捨て駒」としか見ない国では、どんな国の人を雇っても、また同じ愚を犯す事になるでしょう。(最後はまた暗くなってしまいました。スミマセン)

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もうこの国は終わってしまった

2023年02月19日 07時25分00秒 | 職場人権レポートVol.3
 
昨日の午前中は私と外国人女性バイト2人の計3人で農産物の仕分けをした。外国人バイト2人のうち1人はいつも作業しているベトナム人のベテランだが、もう1人はネパール人の初心者だった。
 
ネパール人の初心者バイトも、派遣会社の通訳係(この人もネパール人)から、作業の基本的な内容はあらかじめ聞いているので、最低限の仕分け作業は出来る。
 
しかし、最低限の事しか出来ないので、応用は全く利かない。ベトナム人のベテランも、言葉の違うネパール人の初心者相手に、作業手順の説明に四苦八苦していた。
 
私も検品やハンディスキャンで手一杯で、ネパール人やベトナム人のフォローなぞする余裕は無かった。そこに商品の入荷遅れも加わり、作業はだだ遅れに。最後は皆で手分けして、予定時間も大幅に超過して、ようやく作業を終える事が出来た。
 
作業終了後、「何故、ベトナム人に加えてネパール人も雇うようになったのか?」副所長に聞いた。そうしたら、「最近はベトナム人も、賃金や労働条件の良い他の国に出稼ぎに行くようになり、ベトナム人だけでは人手不足の穴埋めが出来なくなってしまったからだ」という事だっだ。
 
確かに日本に住む在留外国人の国別割合を見ると、約26万人の留学生のうち、多い順に中国人11万、ベトナム人4.4万、ネパール人3.2万と、ネパール人がベトナム人の次に多い事が分かる(昨年6月時点)。留学生と言っても実態は人手不足の穴埋めだ。日本では法律上、外国人の出稼ぎ就労は出来ないので、技能実習生や留学生による学業補助のアルバイトという名目で、外国人労働者を受け入れているのだ。
 
私はこの副所長の返事を聞いて、正直「もうこの国は終わってしまった。もう、こんな国に居ても仕方ないのではないか?」と思った。
 
何故なら、日本を見捨てつつあるのはベトナム人だけではないからだ。今や日本人ですら、日本にいても低賃金でこき使われるだけなので、時給も高く、休みも自由に取れる海外に、出稼ぎに出るようになってしまった。やがてネパール人も、その流れに加わる事になるだろう。
 
 
以前、NHKの「クローズアップ現代」で、日本の若者が海外でバイトするようになったと報じていた。その一例として、オーストラリアでのブルーベリー摘みのバイトに応募した人のインタビューを流していた。その人いわく、「頑張って収穫したら、月に50万円は稼げる」という話だった。
 
「農場での単純な収穫作業なので、英語が全く喋れなくても何とかなる」そうだ。それで「月に50万円も稼げて、休みも自由に取れる。もう日本で働くのがバカらしくなった」と。
 
今まで日本は、労働者を使い捨てにして来た。労働基準法を骨抜きにして、労働組合も骨抜きにして、過労死を蔓延させて来た。賃金も、先進国の中で、唯一日本だけが、何十年も賃金を低いまま据え置いて来た。国内にはブラック企業がはびこり、パワハラやセクハラ、派遣差別や男女差別がまかり通って来た。
 
そのツケが今、一気に噴出しているのだ。若者の海外への出稼ぎも、国内のブラック労働を拒否した一種の「ストライキ」だ。まさに自業自得という他ない。今、ニュース速報で、北朝鮮が日本海にミサイルを発射したと騒いでいる。しかし私に言わせると、もうこの国はミサイル攻撃される前に、とっくに滅んでしまっている。今や、外国人だけでなく日本人にも見捨てられつつあるのだから。
 
それは一体誰の責任か?長年に渡り、自民党の悪政を支持、黙認して来た多くの国民の責任だ。無駄なカートの積み替え作業一つ是正出来ない「社畜、奴隷」国民の責任だ。
 
こんな事を書くと、すぐネトウヨ(ネット右翼)は私の事を「反日」呼ばわりするだろう。しかし、私に言わせれば、今まで自民党の悪政を黙認し、日本をここまでダメ国家にしたネトウヨの方が、よっぽど「反日」だ。あいつらは、強い者には何も言えず、弱い者イジメで日頃のうっぷんを晴らすしか能のない、ただのネットオタクに過ぎない。そんな奴らから「反日」呼ばわりされる筋合いなぞ一切ない。
 
 
以下、2月3日付「女性自身」の記事より↓
 
2月1日、NHK番組「クローズアップ現代」で取り上げられた、海外の“賃金水準”がネット上に衝撃を与えている。
 
同番組では「“安いニッポンから海外出稼ぎへ”~稼げる国を目指す若者たち~」というタイトルで、長時間労働と低賃金に耐えかねた若者たちが、続々と海外へ出稼ぎに行っていると紹介。出稼ぎに行く場所はアメリカやカナダ、ポーランドなど多岐にわたるという。
 
番組内では、実例としてオーストラリアへ出稼ぎに出た若者たちが取り上げられた。
 
まず紹介されたのは、共同生活を送りながら働く20人ほどの日本人の若者たち。仕事は農場で行う収穫最盛期のブルーベリーの摘み取りで、語学能力は問われず、時間は朝8時から14時までの6時間。残りの時間はそれぞれ副業や趣味などの時間に費やすという。給料は歩合制で、シーズンによって差はあるようだが、良い時は日給約2万4000円で、月給は50万円ほどと紹介された。
 
さらにもう1人、日本で脳神経外科の看護師として働いていたという女性も登場。オーストラリアでも人材不足が深刻だという介護現場で、30人以上いる日本人アルバイトの1人として働いている彼女の給料は、1週間でトータル2488ドル(約22万4000円)。日本の介護職の平均月収25万円に対して、多いときで月収80万円だと紹介された。
 
日本でも今年に入って、ユニクロを始めとする大手企業が賃上げを発表している。しかし、日本の全従業者の7割が就業している中小企業ではそうした動きはほとんどなく、日々高騰する物価にあちこちで悲鳴が上がっているのが現状だ。
 
そんな状況で取り上げられた、日本では考えられない賃金水準とその好待遇ぶりに、ネット上は衝撃の声が相次いでいる。
 
《ごめん、日本で働く意味ある?w》
《なぜ同じ仕事をしてもこれだけ稼ぎも生活のゆとり感も違う?》
《そら頭の良い日本人は海外出稼ぎに向かうよ。 夢も希望もない日本はオワコン》
《30年前は日本が東南アジアなどから憧れられて出稼ぎに来ていたのにと思うと、国力が落ちまくったんだなと実感する》
《昨日たまたまNHKつけたらクローズアップ現代でワーホリ出稼ぎの特集だった。オーストラリアでアルバイト介護職で月収90万円だという。。おれもあのまま帰国しなければ今頃どうなっていたか。日本がここまでダメ国家になるとは当時はまったく予測してなかった》
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「裸の王様」支える「奴隷の勤労」

2023年02月15日 07時24分46秒 | 職場人権レポートVol.3
 
 
私の勤務する物流センターの部署でも、昨日からカゴ車ではなくカートで商品を仕分けする事になりました。「カートの方が小回りが利くので、商品をカートに積んだまま売り場に搬入出来るから」だそうです。
 
でも、カートはカゴ車とは違い、奥行きがないので、大きな商品を積むのには向いていません。特に農産物は、大きな段ボールで納品される商品が大半なので、そのままカートに積んだら商品がカートからはみ出てしまいます。
 
しかも、横幅が縦幅の3倍ぐらいしかないので、牛乳ケースのような立方体の箱でないと、3列にぎっしり積んで置いていく事が出来ません。写真の春キャベツのような長細い箱では、縦に置くとはみ出るので、横に置くしかありません。そうすると1列に7段ぐらいしか積めず、横に中途半端な隙間が出来てしまいます。その隙間を埋めないと収まりが悪くなり、商品が落下してしまいます。しかし、そんなに都合よく形の揃う商品が入荷して来る訳ありませんから、仕分けすればするほど、中途半端に隙間の出来たカートが現場にあふれかえる事になります。
 
その上、出荷ラベルの枚数はまだカゴ車積み付けを基準に発行されるので、10ケースぐらいだと1枚しか発行されません(15ケースぐらいになって始めて10ケースと5ケースに分割発行されるようになる)。10ケースを5ケースずつ2台に分けて積もうとしても、ラベルは1枚しかないので、2台のうちの1台は出荷ラベルも貼られずに出荷する事になります。これでは作業中に行方不明になってしまいます。
 
ラベルに合わせてカート1台に無理に収めようとすれば、もう写真のように縦に段ボールを積むしかありません。商品によっては、ネギやアスパラガスのように、天地無用(積み方に指定のある商品)の物もあるのに。これでは何も積めなくなってしまいます。
 
このラベル発行システムについては、所長から見直す旨の返事がありましたが、それで問題が解決する訳ではありません。前述したように、カートは非常に積載効率が悪いので、そのまま棒積みしただけでは、商品とカートの間に隙間が出来てしまい、商品が落下してしまいます。その為、落下防止の為に、運転手が全車ラップで巻いて配送車に積み込まなければなりません。お陰で、運転手はトラック1台配送するたびに、ラップのロールを持ち歩かなければならなくなりました。そのラップ代が既に百万円を超えたそうです。
 
これでは何の為にカゴ車からカートに変えたのか分かりません。店の都合だけで、積載効率の悪いカートに変えて、現場を大混乱させた上、百万円も無駄金使っていたら世話ないです。
 
 
そもそもカートなんて、少量多品種の商品をバラ仕分け・運搬する為の台車でしょう。そんなカートで、重くて嵩張る段ボールで梱包された商品を仕分け・運搬しようとしても、運びきれなくなる事ぐらい、誰が考えても分かります。(モノタロウのサイトに載っていたカートラックとカゴ車の上記写真を比較すれば一目瞭然)
 
いわば、宝石や時計のショーケースに、業務スーパーで売っているような玉葱やジャガイモの段ボールを、そのまま陳列するようなものです。「カゴ車だと嵩張り小回りが利かないのでカートに切り替える」のであれば、取り扱う商品の形状や仕分け方法も、それに見合う形に変えてから導入すれば良いのに。また、同じカートに変えるにしても、背もたれの仕切り板が付いたタイプにすれば、わざわざ百万円も出してラップを巻かずに済むのに。
 
カート導入の件は、半年ぐらい前から分かっていた事です。仮に、商品の形状を全て変える事は出来なかったとしても、背もたれの仕切り板のあるカートに変更するぐらいの時間は、充分あったはずです。なのに、何故それすらやらなかったのか?
 
目先の事しか考えていなかったからです。見てくれだけ取り繕う事しか考えていなかったからです。「店舗従業員の労働時間を減らさなければならない。だったら商品を売り場に直接運べるように、カゴ車からカートラックに変えれば良い。その結果、物流センターでどんな問題が起ころうとも、そんな事は店の知ったこっちゃない」。おそらくそんな感じで導入したのでしょう。
 
「日本人の働き方は、長時間労働の割には労働生産性が低い」と長年言われて来ました。それを改善する為に、働き方改革が導入されたはずですが、タイムカード上の労働時間削減ばかり気にして、社員のサービス残業や下請けの長時間労働は視野の外。だから、いつまで経っても長時間労働や過労死がなくならないのです。
 
むしろ逆に長時間労働を美化する傾向すらあります。労働基準法では、あくまで1日8時間労働が基準なのに、17時で定時退勤しようものなら、逆に「残業している同僚の仕事を手伝え」と言われる。そんな事しなくても良いように、全員が定時で帰れるようにするのが、上司や経営者の手腕なのに。
 
私に言わせれば、そんなものは「奴隷の勤労」でしかない。昔はどこの小学校にも二宮金次郎の銅像が建っていました。薪を背負って運びながら本を読んで勉強した二宮金次郎の銅像が。「お前たちも、あの銅像を見習ってよく勉強するのだぞ」。今、そんな事言ったら、逆に「児童労働を美化するのか」と問題になります。
 
ところが日本人は、いまだにこの二宮金次郎を美化する人がまだまだ少なくない。外国人が日本のそんな働き方を見て「ニホン、スゴイ!」と称賛するテレビ番組が受けたりするのですから。そりゃあ、長時間労働も過労死もなくなるはずがない。
 
このカート導入の件でもそうです。誰が見ても失敗するのが目に見えているのに、偉い人や親会社の命令には逆らえないと、何でも言いなり。まるで「裸の王様」そのものです。日本人は、北朝鮮のマスゲームの映像を観て、「あんな独裁国家に生まれなくて良かった」と思う人がほとんどですが、たかがカートの導入ひとつ再考を求める事も出来ずにいる日本人も、本質的には、あの北朝鮮のマスゲームに動員された人々と似たり寄ったりではないでしょうか。
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高津宮の献梅祭に行って来ました。

2023年02月12日 10時58分28秒 | なにわB級グルメ探訪

昨日2月11日に高津宮(こうづみや)の献梅祭に行って来ました。高津宮は大阪市内の谷町九丁目駅近くにあります。上町台地の高台にある神社で、高津神社とも呼ばれ、梅や桜の名所としても知られています。私は2年前の冬にもここに来た事があります(当時の記事)。昨日はここで献梅祭が行われ、茶菓が振舞われると聞き、早速行ってみる事にしました。 

駅を出て、千日前通りの一本北の筋を左に曲がり、180メートルほど坂を下ると高津宮の鳥居の前に出ます。鳥居をくぐって参道を行くと、やがて梅之橋という石橋に行き当たります。今は橋だけが残っていますが、昔はこの橋の下を梅川という川が流れ、今の道頓堀川に繋がっていたそうです。

 

梅之橋のそばには献梅碑や梅ノ井という井戸の跡があります。天王寺から谷町にかけてのこの付近一帯は、上町台地の谷間から湧き出る井戸があちこちにありました。今はもうその井戸のほとんどが涸れてしまいましたが、その井戸を復活しようという工事も境内で行われていました。

 

高津宮の本殿。祭神は仁徳天皇です。井戸掘りの工事現場も本殿のすぐ近くにあります。 

 

「民家からかまどの煙が立ち上るまでは税を免除した」という仁徳天皇の故事にちなんで、大阪市の歌が制定されました。その大阪市歌の碑が本殿の横にある絵馬殿の前に建っています。

1番 高津の宮の昔より よよの栄を重ねきて 民のかまどに立つ煙 にぎわいまさる大阪市 にぎわいまさる大阪市
2番 なにわの春のあさぼらけ 生気ちまたにみなぎりて 物みな動くなりわいの 力ぞ強き大阪市 力ぞ強き大阪市
3番 東洋一の商工地 咲くやこの花さきがきて よもに香りを送るべき 務(つとめ)ぞ重き大阪市 務ぞ重き大阪市

物価高騰に苦しむ庶民そっちのけで、防衛費倍増や福祉予算削減、消費税値上げに突き進む岸田首相、都構想で大阪市廃止をもくろんだ吉村・大阪府知事や松井・大阪市長にこそ、是非聴かせてやりたい歌です。

 

献梅祭(春祭)斎行の案内文。その案内文によると、渡来人の王仁(わに)博士が、仁徳天皇に次の和歌を梅の枝に添えて奉った故事にちなんで、毎年2月11日に行われるようになったとあります。

難波津に さくやこの花 冬こもり 今は春べと さくやこの花(難波津に咲いたよ、この花が。冬の間はこもっていたが、春になったので咲いたよ、この花が)

 

梅花奉献の様子です。前に座っておられるのは神職の方と氏子さんでしょうか?

 

献梅祭でいただいた梅昆布茶と梅まんじゅう。どちらも大変美味しかったです!

 

 

献梅祭の後は富亭(とみてい)カフェでほうじ茶と氏子ロールセットをいただきました。富亭カフェは高津宮の境内にある神社直営の喫茶店で、800円の氏子ロールセットが名物です。2年前の冬に来た時は、ロールケーキだけ注文して、出されたほうじ茶と一緒にいただきました。昨日はコーヒーとセットでいただきました。

富亭は落語の「高津の富くじ」にちなんで名付けられたそうです。宿代を踏み倒して富くじ(宝くじ)を買った人が千両当てたという話が落語に出て来ます。大阪の護国神社なんかと比べたら、非常に庶民的な神社です。だからでしょうか、2月11日の建国記念の日も、護国神社が「天皇陛下万歳」一色になるのとは対照的に、梅花奉献でお菓子が振舞われたりするのは。競馬的中のお祈りもすれば良かった!w

 

本殿の前を左に行くと絵馬殿があります。昔はここから大阪湾が一望できたそうです。その眺望を見るための遠眼鏡を売る商売もはやったそうです。ビル群に囲まれた今となっては想像も付きませんが。

 

絵馬殿の両隣は坂になっています。左の方が相合坂(あいおいざか)。別名、縁結びの坂とも呼ばれています。横の説明板によると、明治後期、氏子の土地奉納により今のような坂ができた。横から見ると二等辺三角形で男女が両方から同時に登り、頂点でピタリと出会うと相性が良いと言われているそうです。

 

相合坂とは反対側の、絵馬殿の右側にある坂が西坂(縁切り坂)。明治初期まで坂の形状が三下り半になっていて俗に縁切り坂と呼ばれていました。今は諸々の悪縁を絶つ坂としてひそかに知られている(昔は離縁状を三下り半の形式で書いていた)そうです。

 

高津宮の本殿、社務所や末社(本殿付属の神社)の高倉稲荷神社の右隣は崖になっていて、崖に三つのお社と陰陽石が祀られています。白菊社(野の神)、千年社(商業の神)、常高社(つねたかしゃ、山の神)の三社で、これらを総称して谷末社(たにまっしゃ)と呼ぶそうです。男根、女陰をかたどった自然石の陰陽石も、子孫繁栄、商売繁盛の神様として崇拝されてきたと、横の説明板にありました。崖の上から見下ろすと、確かにお社が三つありました。どれがどの神社か分かりませんでしたが、大阪市内に居ながら、まるで山中の深い谷底にいるような気分が味わえました。気分転換には持って来いの場所です。

 

先程の崖沿いに小道が高津宮の裏まで続いていて、梅見の散歩道になっています。その奥には高津公園が広がっています。ここも梅見の名所です。私が来た時は、高津公園の梅はある程度咲いていましたが、小道の方の梅はまだチラホラとしか咲いていませんでした。

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千切り大根格闘記w(追記あり)

2023年02月07日 21時10分57秒 | なにわB級グルメ探訪
 
1月23日(月)
 
本日、職場でキズモノ商品の社販がありました。レジ袋一杯詰め込んで500円均一。このような社販は今までも時々あり、前回は結構掘り出し物を手に入れる事が出来ました。しかし、今回は余り目ぼしいものが見当たりませんでした。
 
それでも、一人暮らしなので、なるべく日持ちする物を選んだら、切干大根を何と10個も買ってしまっていましたw。それに合わせて人参とさつま揚げも仕事帰りにスーパーで買い込みましたが、果たしてどれだけ消化出来るでしょうか?w
 
 
 
2月5日(日)
 
ずっと前に社販で買った千切り大根をずっと置いていましたが、いつまでも置いとけないので、今日ついに調理して食べる事にしました。
 
包材の袋には千切り大根を使った味噌汁のレシピが載っていました。しかし、私はそれよりも、昔、子どもの頃に食べた千切り大根(切り干し大根)の煮しめの味が忘れられなかったので、それを一度自分で作ってみる事にしました。でも、包材のQRコードをクリックして、宮崎県経済連のサイトに飛んでも、千切り大根の製造工程しか載っていなくて、煮しめのレシピはどこにもありませんでした。
 
職場の同僚に作り方を聞いても、「作った事がない」と言う人が大半でした。今はもう外国産も含め、色んな食材が出回っているので、もうこんな手間のかかる「おばん菜」系の料理は作らなくなっているのかも知れません。
 
ネットのレシピも幾つか見ましたが、「水を何リットル入れろ」とか言われても、うちには計量カップなんて無いので無理です。仕方がないので、適当に水と砂糖・醤油・味醂を継ぎ足し、人参と薄揚げを入れて炒めて作りました。
 
そして、今日の晩ごはんで、主菜の豚野菜炒めの付け合わせに、副菜として出しました。
 
私はどちらかと言うと、「千切り大根=保存食=缶詰やレトルト食品」のイメージがあったので、もっと手軽に作れるものだと思っていました。さすがにカップ麺ほど簡単に作れるとは思っていませんでしたが。それでも、どちらかと言うと、それに近いイメージの料理を想像していましたw。でも、実際に作ってみると、水洗いしたり炒めたり、人参や薄揚げも揃えなければならず、調理には結構手間のかかる事が分かりました。
 
それでも、どうにか食べれる程度には仕上がりましたが、やはり「昔のおふくろの味」と同じものは再現出来ませんでした。大根の食感もなんだかパリパリしていて、全然みずみずしさが感じられません。
 
今日1日だけではとても食べ切れないので、後2日ぐらいに分けて食べて行こうと思います。残りの千切り大根は兄夫婦や生命保険のオバチャンに幾つか上げましたが、それでもまだ3袋残っています。当分おかずには困らないでしょうw😭
 
 
2月7日(火)出勤前の朝
 
千切り大根の食感がまるで福神漬みたいにパリパリで、本来のしっとり感がなかった原因が分かりました。袋のレシピには「しぼらずにそのままザルに上げて、水に浸さず約10分間置いて戻す」とありますが、ネットのレシピには「ひたひたの水に15分漬けておく」とあります。どうやら、大根の戻し方にコツがあるようです。次はネットのレシピで試してみます。
 
 
同上 帰宅後の夕方
 
仕事から帰って来て早速、ネットのレシピで千切り大根を戻してみました。
 
大根を水洗いした後、ボウルに水を張り、その中に15分間浸けておきました。そうしたら昔食べた千切り大根と同じぐらい柔らかくなっていました。その後、千切り大根をギュッと絞って水気を取り、フライパンで人参と炒め、砂糖・醤油・味醂で味付けしました。但し、薄揚げはもう前回で使い切ってしまっていたので今回は無しです。
 
大根の浸け汁も、大根のうま味成分が染み出てきたようだったので、炒める時に少しフライパンにつぎ足しました。
 
千切り大根だけでは愛想がないので、大根を炒めたフライパンで、玉葱・じゃが芋・鯖みそ煮缶の鯖を味噌汁にして、夕飯のおかずに出しました。味噌汁で体が温まりました。大根の煮しめも、味付けはまだ不十分ながらも、昨日の「福神漬け」みたいな千切り大根よりは、はるかに食感が良くなっていました。あと数日はこれを夕飯の副菜に使う事が出来ます。
 
でも、予想以上に作るのに時間がかかってしまいました。やっぱり千切り大根よりマーボ豆腐やポトフの方が手軽に出来て良いです。
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山河荒れて国滅ぶ

2023年02月01日 10時34分00秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
先週末(1月28~29日)に徳島県南部を走る阿佐海岸鉄道のDMVに乗りに行って来ました。その報告記事をようやくブログに載せる事が出来ました。本当はもっと早くに載せるつもりだったのですが、動画編集に手こずり今になってしまいました。申し訳ありません。
 
DMVはDual Mode Vehicle(デュアル・モード・ビークル)の略で、線路と道路の両方を走行出来るようにした車両の事です。見た目はボンネット型のマイクロバスで、道路を走る時はタイヤで走行します。線路を走る時は、タイヤの代わりに鉄の車輪が飛び出て、レールバスとして走ります。
 
今まで車でしか行けなかった場所にも駅から乗換なしで行けるようにする事で、利便性の向上を図り、赤字ローカル線再生の切り札として、世界で初めて実用化されました。但し、バス並みの輸送力しかない上、バスに列車の機能を無理に継ぎ足したからか、その日は車両故障で運転休止が相次ぎ、最終便でようやく乗る事が出来ました。最終便で宿の最寄り駅に着いた時はもう夜で、駅周辺も真っ暗闇でした。DMVは翌日も乗ったので、ブログには翌日に撮影した写真を載せます。
 
 
初日の夜は宍喰駅近くの民宿に泊まりました。古民家をリノベーションした民宿です。古き良き日本のたたずまいで、しかも清潔。夕食は和食のコース料理、朝食も地元の食材を使った新鮮な魚や野菜が出ました。お風呂も小さな家族風呂でしたが、セパレートの清潔なお風呂で、久しぶりに浴槽の中で足を延ばす事が出来ました。お布団もふかふかで大満足。これで料金割引やクーポンも付いて1泊7300円と、手頃な価格で心づくしのサービスを味わう事が出来ました。
 
 
翌日の朝もDMVに乗りました。宍喰駅から上り方面終点の「阿波海南文化村」停留所まで乗った後(上記写真の上2枚が宍喰駅、下2枚が阿波海南文化村)、折り返しの便で、大阪行き高速バス乗り場のある下り方面終点の「道の駅宍喰温泉」停留所まで乗りました。そして、9時過ぎの便で高速バスに乗り、15時頃に大阪に帰って来ました。
 
本当はもっと長時間滞在したかったのですが、9時過ぎの便を逃すと、次は12時まで便がありません。それでは大阪着は夜9時過ぎになってしまいます。仕事柄、翌朝も早朝4時過ぎには起きなければなりませんので、余り長くは滞在出来ないのです。そういう訳で、今回の旅は、DMVに乗りに行っただけで終わってしまいましたが、それでも初めて乗るDMVで色んな事が体験出来て良かったです。
 
DMVがバスモードから鉄道モードに切り替わる瞬間も動画撮影する事が出来ました。既にLINE読者の方には動画に編集して流しています。しかし、なぜかYouTubeに動画をアップ出来なくなっており、このブログにも容量オーバーで載せる事が出来ません。代わりに以下の動画リンク・写真・メモを載せておきますので、それでご了承下さい。
 
 
 
メモ:阿波海南駅でDMVがバスモードから鉄道モードに切り替わるまでの様子
 
 
①阿波海南駅の乗り場ではまだバスモードです。この駅はJR牟岐(むぎ)線との乗換駅で、DMV導入前は線路もJRと繋がっていました。今は線路も切断され、DMVが直接乗り入れるようになっています。
 
②乗り場を発車したら直ぐにインターチェンジに進入します。ここでバスモードから鉄道モードに切り替わります。
 
③阿波踊りのお囃子(はやし)が流れたらモードチェンジが始まります。
 
 
④やがてお囃子が終わり、「フィニッシュ」と音声が流れたらチェンジ終了。その間わずか15秒。
 
モードチェンジで前輪のタイヤが引っ込み、代わりに鉄の車輪が浮き上がります。車体が浮いて前の方が高くなります(少し分かりにくいですが、1枚目よりも2枚目の写真の方が、前方のボンネットやミラーの位置が高くなっています)。
 
⑤モードチェンジが終わってもDMVは直ぐには発車しません。運転手が安全確認の為にDMVの周囲を一巡します。
 
⑥運転手の安全確認が終わり、「チン」とベルが鳴ったら発車します。
 
※ちなみに、上記の説明で使った紙の模型は、列車運休のお詫びに当該鉄道会社の社員からタダでいただいたペーパークラフトですw。
 
 
DMVの駅と車内の写真も載せておきます。
 
DMVは列車というよりもむしろバスに近いです。車体にはナンバープレート、社内には運賃箱や整理券発券機、座席にはシートベルトが取り付けられています。鉄道駅のホームも、旧ホームは昔走っていた列車の高さに合わせていますが、現在のホームはDMVの高さに合わせて、路面電車のホームみたいな低床式になっています。
 
鉄道駅の両端から先は完全にバスに変わり、道の駅のバス停まで運行しています。ほとんどは徳島県海陽町と隣の高知県東洋町の道の駅までしか行きませんが、土日の1便だけは、室戸岬の少し先まで走っています。(冒頭の路線図参照)
 
道の駅ではDMV関連グッズが一杯並べられています。Tシャツやポーチ、お菓子、クッションなど。「道の駅宍喰温泉」ではDMVのジオラマ(鉄道模型)を堪能する事が出来ます。
 
 
しかし、その涙ぐましい努力にもかかわらず、阿佐海岸鉄道の経営収支は、地方ローカル線の中でも超最悪です。輸送密度(1日1キロ当たりの乗客数)で示すとわずか135人しかいません(下図参照、出典元:全国ローカル私鉄「輸送密度ワーストランキング」。2000未満の路線全リスト | タビリス (tabiris.com))。旧国鉄の赤字ローカル線の基準が4千人以下、「2千人を切ると補助金なしには従業員の人件費もまかなえなくなる」と言われる中で、この数字は地方私鉄の中でも最悪の部類に属します。
 
 
昨日泊まった民宿の女将に聞いても、「もはや通学の高校生も乗らなくなっている」のだそうです。そりゅあそうでしょう。全区間乗っても約10キロしかないのに(鉄道4駅、バス停3駅)、片道運賃は800円もします。その上、わざわざネットで予約して乗らなければなりません。毎日通学するのに、いちいちネットで予約なんかしていられません。(実際は数席の予備席が確保されているので、地元の方が急用で乗らなければならなくなった時は、予約なしでも乗れるそうです)
 
しかも、基本の造りはバスなので、タイヤで道路上を走行する分には何の問題もありませんが、鉄の車輪で線路上を走行する間は振動がまともに車体に伝わり、乗り心地が余り良くありません。
 
阿佐海岸鉄道は、もともと工事中の国鉄新線(阿佐線)の一部でした。徳島市から室戸岬を経由して高知市まで鉄道で結ぶ予定で、新線を建設中でした。しかし、その後、自動車の普及で鉄道の需要は減少。国鉄自身も赤字解消、経営再建を名目に分割民営化され、今のJR四国に。その中で、新線建設計画も立ち消えとなります。但し、徳島県の牟岐から高知県の甲浦(かんのうら)までと、高知県の後免(ごめん)から奈半利(なはり)までは、工事がほとんど完成していたので、前者は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線、後者は阿佐海岸鉄道阿佐東線という名称で、それぞれ第三セクターの鉄道会社として開業しました。
 
ところが、今や高速バスに乗って大阪に出た方が、早く着くし料金も鉄道の半額で済むのですから、鉄道がすたれるのは当然の成り行きです。
 
所要時間・料金比較 
徳島バス 9:30南海なんば高速ターミナル~(直通)~14:48宍喰(阿佐海岸鉄道・道の駅宍喰温泉と共有のバス停) 5千円
地下鉄・JR 9:32なんば~(新大阪・岡山・徳島・阿波海南で乗換)~15:58阿佐海岸鉄道・宍喰駅 12330円 
 
だから阿佐海岸鉄道でも集客に躍起となっているのです。今、同鉄道が最も力を入れているのが「四国みぎした55(ゴーゴー)フリーきっぷ」の宣伝です。高知県側も巻き込んで、鉄道やバスの乗客を、1人でも多く「道の駅」などの観光施設に誘い込んで、1円でも多く金を落としてもらおうと躍起になっています。DMVの導入も、もはや地元利用者の利便性向上なぞ二の次で、観光客集めのアトラクションが目的になってしまっています。
 
 
「こんな金儲けの事しか考えていない赤字ローカル線なぞ、さっさと廃止してしまえ!」と、多くの人は思うでしょう。実際、鉄道ファンの私ですら、DMVに乗りに来るまでは、そういう気持ちに傾いていました。
 
でも、実際はそんな単純な問題ではなかったのです。何故なら、赤字なのは鉄道だけでなく、路線バスや高速バスも同じだからです。実際に私が乗った大阪・徳島間の高速バスも、乗客数だけで言えば、阿佐海岸鉄道と似たり寄ったりでした。
 
それでもまだ、高知県側は土佐くろしお鉄道が高知駅まで乗り入れているので、ある程度の鉄道需要はあります。それに引き換え、徳島県側は徳島駅への乗り入れもないので、県南部はもはや「陸の孤島」と化してしまっているのです。大阪から徳島市までなら高速バスで約3時間で着きます。しかし、そこから先の県南部に向かうには、さらに3時間近くかかります。
 
JR牟岐線も、徳島から阿南までは30分間隔のダイヤで運行されています。しかし、そこから先は2時間に1本のダイヤとなります。そのJR牟岐線の更にその先にあるのが阿佐海岸鉄道です。
 
実際、高速バスの車窓から眺めても、徳島から阿南までは大都市近郊の街並みです。しかし、阿南より南に下ると、山がまじかに迫り、住宅は数えるほどになります。トンネルを抜けると海沿いの道となり、漁師町が点在するようになります。私が泊まった宿のある海陽町の宍喰も、漁師町で朝が早いからか、夕方6時を過ぎると、街灯と所々灯る家の灯り以外は、街全体が漆黒の闇に包まれてしまいます。
 
この寂れようは一体何なのか?宿に置いてあった徳島新聞の今朝のトップニュースは何か?特殊詐欺の事件でも、自民党の不祥事でも、防衛増税でも、コロナ5類引き下げでもありません。地方議会の定数割れです。
 
 
地方では、過疎化や高齢化の影響で、地方議員の成り手もいなくなってしまっているのです。前日に泊まった民宿のある町の目抜き通りも、翌朝は誰一人歩いていませんでした。ところが国は、農産物の輸入自由化で国内農業を壊滅に追いやり、若者や主婦を低賃金の非正規雇用に塩漬けにしたまま、「結婚しない若者が悪い、子どもを産まない女性が悪い」となじるばかり。
 
挙げ句の果てに、肝心の自国民を見捨てて、外国からカジノや観光客を呼び込んだり、外国人を使い捨ての労働力として呼び込む事にばかり躍起になっている。これでは、国は国民を見捨てたも同然ではありませんか。
 
こんな状態で地方が栄える訳ないでしょう。「国破れて山河あり」ならまだ良い。現状は「山河荒れて国滅ぶ」です。地方ローカル線の赤字も、根本的には地方そのものの衰退が原因です。ただ単に赤字の鉄道をバスに置き換えただけで、解決する問題ではありません。
 
宍喰の目抜き通りもDMVの車内もガラガラ。
 
その地方の惨状を放置して、幾ら防衛費だけ増やしても、肝心の国民が飢えて死ねば何もならないのに。「国あっての国民」ではありません。「国民あっての国」です。国民を見捨てておきながら、防衛費増だけ押し付けるのは、余りにも虫が良すぎます。「何が国防か笑わせるな」と言いたいです。
 
それでも、国があくまで一般庶民を見捨て、都会に住む一握りの金持ちや、外国人観光客、外国人労働者だけを当てにする政策を続けるなら、阿佐海岸鉄道も一層の事、外国人観光客からバカ高い運賃をむしり取って、その金で地元の客は予約なしにDMVにタダで乗せるようにしたらどうでしょうか。そうすれば、地元の高校生も鉄道で通学するようになるのではないでしょうか。
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