アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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参考資料:私が会社に提出したパワハラ事件の上申書

2008年05月29日 19時54分32秒 | 秋葉原・森事件関連
※関連エントリー:5月29日付「似非弱者の差別暴力を許さない

      上  申  書
            2008年5月24日
            ××業務請負会社××センター出張所  
            契約社員 ×× ××(プレカリアートの実名)

■本日蒙った職場内パワー・ハラスメント被害についての報告

(1) 発生日時:2008年5月24日(土)
(2) 発生場所:××(某大手スーパー)××センター内の冷室及び休憩室
(3) 事実経過概要
●12:40頃 
 私が冷室内で、△△店×便××(業者名)積載カゴ車のチェック作業をしていたら、森和弘(仮名、派遣会社A社員)からいきなり、「お前、遅いしムカつくんじゃ」という意味の暴言を吐かれて、つっかかって来られ、それに抗うと今度は胸ぐらをつかまれる。その時は野崎さん(仮名、業務請負会社正社員で私の直属上司に当る)に止めに入ってもらい、とりあえずその場は収まる。
●14:30頃
 3便荷出し終了直後に、森に呼び止められ、2人で休憩室に行く。休憩室に入るや否や、いきなり森にまた胸ぐらをつかまれ、押し倒され、首を締め上げられ、「お前、謝らんか!謝らないと殺すぞ!」と暴言を吐かれ、顔面に唾を2回吐きかけられる。「何故謝らないといかんのか」と押し問答を繰り返すも、森はまったく聞く耳を持たず、「お前なんか殺しても平気なんやぞ、もう今日でここは辞めたるさかいに、俺に謝れ!」と言いながら、室内備付のパイプ椅子を顔面に振り下ろそうとする。途中で休憩室内の異常事態を察した三木さん(仮名、派遣会社B社員)が入って止めに入ってもらってからも、押し問答は続く。私は全く納得がいかないまま、こんな事でバイト先で殺されては適わないので、とりあえず謝り、やっと拘束を解いてもらう。
●15:00頃
 野崎さんに以上の経過について説明する。野崎さんからは、「多分森君が××さん(プレカリアート)に言いたかった事は、××積載カゴ車のチェックよりも×便一番手荷出し分カゴ車の引込を優先して欲しかったという事ではないか」という事を、初めて聞く。しかし、仮にそういう言い分があるとしても、どちらが正しい作業のやり方かという事は全く別問題である。また今回はそもそも、それ以前の問題として、そういう考え方の違いを、事前の説明や議論もないまま、暴力で一方的に押し付けられたという事が、事の本質である。その旨を野崎さんに言う。
●当方の物理的被害状況
 殴られはしなかったので打撲傷はなし。但し押し倒され締め上げられた事による擦過傷が左上腕部と首すじ前面に残る。

■ 今回蒙った職場内パワー・ハラスメントの本質(当方の言い分)

(1) あくまで個人的見解にしか過ぎないものを、いきなり暴力的に押付けられた。

 私がそれまで聞いていたマニュアルは、「×便については、基本的には××店は13時までに、その他の店舗については一番手から順に、出荷商品の仕分け・検品・チェック・引込・管理表記入・荷出しを13時半までに終える」という事のみである。
 その他の具体的な作業手順や優先順位は、その場に応じて臨機応変に決めるべきものであり、また作業者個人によってもそれぞれやり方は異なるし、私はそれが普通だと思っていた。その中で、×便××積載カゴ車等のチェックについては、(中略)遅くとも午後12時半過ぎには××のチェックにかかっていないと、到底荷出しには間に合わないし、後になって誤配仕分けが見つかっても対応できなくなるから、そこから逆算して作業にかかっていただけである。
 また、決まっていたのは一番手から順にチェックを進めるという事だけで、その一番手出荷先のどちら側の接車バース分から先行させるかという事も、その時の作業者の判断に任されていた筈だ。ちなみに私は、今までも前室分から荷出しされる事が多かったので、当日は接車バース△△番側(△△店など)からではなく××番(××店)側からチェックを始めたに過ぎなかっただけの事だ。そこで仮に森の言い分にも幾許かの正当性があったにしても、それならそれで何も△△店だけに固執せず、他のチェック済の一番手出荷分の店舗を引込めば、何の問題も無かった筈だ。
 要するに、どれが絶対正解のやり方というのはそもそも無くて、どういうやり方であろうとも13時乃至は13時半に所定の作業を終えれば、それで良いだけの話なのだ。それに対して「俺はこのやり方が正しいと思う」とそれぞれ思うのは、私や森も含め全く個人の自由だが、それを事前の擦り合わせもなく、いきなり「俺の流儀に逆らうな」と暴力的に強要する権利など、誰にもない筈だ。

(2) 森の根底にあるのは差別者・ファシストの論理でしかない。

 上記の「みんな違って、みんな好い」という程度の内容が事の本質であるにも関わらず、その互いの見解の相違を認めず、また仮にその違いが問題であるとしても、そこで自分の方から、暴力でなく互いに民主的に提案を出すなりすれば、それで済む話だ。しかし彼はそうせず、いきなり暴力的に自分の見解を他の作業者に押し付けた。これではまるでファシストの論理である。つまり、フセインが今も大量破壊兵器を隠していると勝手に思い込んで一方的にイラク戦争をおっ始めた米国ブッシュや、北朝鮮で欲しいままに独裁制を敷いている金正日と、全く同じ論理であるという事だ。休憩室での押し問答の際にも、私は首を絞められながらそれを森にそれとなく指摘してやったのだが、森はその意味すら理解できずに、「そうじゃ、俺は金正日じゃ、だから何の気兼ねも無く気に入らないお前を殺すんじゃ」「金正日とか何とか、こいつバカじゃないの」と喚いていただけだった。
 また、森はこうも言っていた。「誰に口を聞いているんじゃ」と。要するに「俺はお前よりずっと仕事が出来るのに、何を対等な口の聞き方しているんじゃ」と言いたいのだ。それはそうだろう。派遣社員でスポットでしかこの××物流センターに勤務していないとは言え、何時から勤めだしたのかは知らないが、のべ勤続年数や経験・技能では私より森の方が秀でているのは、言われるまでも無く当たり前の事だ。しかし、先輩だからといって、仕事でもプライベート(私はそんな気は最早微塵も無いし、それは森とて同じだろうが)でも、何でも無条件につき従わなければならない謂れなどない筈だ。同じ身分のバイトであれば、業務習熟度に関わり無くみんな対等平等である。また業務を離れれば、たとえ社員や上司・取引先であろうと、人格的にはみんな平等である。誰も森の奴隷ではない。こんな事、いちいち言われるまでもない事だと思うが。
 そして、仮に百歩譲って、森の業務上での言い分が全て正しかったとしても、それならそれで後進のメンバーに丁寧に分かりやすく業務を指導するのが、先進者・経験者の役目ではないか。それが何だ。「俺はお前よりずっと仕事が出来るのに、何を対等な口の聞き方しているんじゃ」とは。これではまるで幼稚園児のガキと同じではないか。森は私と同じ一介のワーキングプアにしか過ぎないが、その発想においてはブッシュ・小泉・安倍・金正日などの「勝ち組」差別者・搾取者・反動ファシストと、全く同類である。

■ 当方の職場に対する当面・最低限の要求

 ここで本来ならば、まず真っ先に森和弘当人の謝罪を要求するのが筋であるのは、私ももとより承知の上です。しかし、森は以上述べてきたような自己中心的な人物なので、今更私に謝罪などする筈もないし、私とてそんな偽りの謝罪など聞きたくはありません。今ここで私が御社(私が働いている業務請負会社)に最低限望む事は、下記の2点だけです。

(1) 森に直接雇用責任・指導監督責任・安全配慮義務を負っている派遣会社A社の担当者による私への謝罪。
(2) 金輪際、森を××物流センターに派遣しない(させない)事についての明確な確約。特にこの第2点が保障されない限り、私もこんな目にはもう二度と遭いたくありませんので、身の安全が確認されない限り、当面の就労は見合わせて頂きたく存じます。

                                    以 上

※当該上申書をウェブ上に公開するに際し、下記事項に限り、必要最小限度の編集を加えました。それ以外は全て上申書の原文をそのまま転載しました。
(1) 固有名詞(個人名・会社名等)は全て仮名・伏字等に置き換えました。
(2) 余りにも業務の専門的事項に偏した記述は、煩雑になるのを避ける為に、一部割愛しました。
(3) 原文中の誤字脱字については、その度、訂正を加えました。
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似非弱者の差別暴力を許さない

2008年05月29日 19時53分52秒 | 秋葉原・森事件関連
 ブログ更新が滞り大変申し訳ない。実は私、ついこの間、バイト先で派遣社員から暴行を受ける破目に遭ったのです。所謂パワハラ(パワー・ハラスメント)です。この事については書こうかどうか迷いましたが、やっぱり書くことにします。
 
 詳しい内容は、別掲の参考資料をご覧下さい。ここではまず事の顛末について簡単に説明します。
 私の職場は某大手スーパーの物流センターで、私はそこの仕事をスーパーから委託されている業務請負会社のバイトです。私に暴行したヤツというのは、派遣会社A社から当該センターにスポットで働きに来ていた、森(仮名)という30歳ぐらいのやせぎすの背の高い男です。私が見た所では典型的な一匹狼タイプで、あまり誰とも喋らない(従って私とも今まで殆ど喋った事が無かった)人物です。但し、私が今の職場に異動になるずっと以前から、断続的に此処に派遣されてきていて、仕事も私の会社のベテラン・バイト並みにこなす、そういう人間でした。

 問題の私へのパワー・ハラスメントが発生したのは、この5月24日の昼過ぎです。午後からの当日最終便の出荷作業に追われていた時に、森が運びたかったカゴ車の積載商品のチェックを私がやっていたのを捉えて、いきなり「お前、トロイ(鈍い)しムカつくんじゃよ」と、突っかかってきたのです。しかも、他にいつでも運び出せる、チェック済のカゴ車が何台もあったのにも関わらず。「トロイ」というのも全く事実無根。私がチェックしていた商品は、やっと前工程の作業者が仕分け終わり、それを最終便の荷出しに間に合わせる為に、ギリギリのタイミングで私がチェックを入れていたものです。

 そこで私が「何じゃ、そのモノの言い方は!」みたいな感じで返すと(当然でしょう)、今度はまたいきなり「誰にモノを言うとんじゃ!」と掴み掛かってきたのです。その時は私の会社の社員さん(野崎さん、仮名)が止めに入り、かろうじて喧嘩にはなりませんでした。しかし、森はそれ以降もしつこく私の事を根に持ち、荷出し終了直後に私を呼び止め、無人の休憩室に連れ込みました。森に難癖を付けられる筋合いなぞ、これっぽっちも無かった私としては、いい加減疎ましく思いながらも、「まあ相手の言い分も聞いてやろう」ぐらいの気持ちで、奴の後について行きました。

 それが、休憩室(上記写真参照)に入った途端に、いきなり森に羽交い絞めにされ、押し倒されて上から押さえつけられて、一体何が気に入らなかったのかも最後まで一切明らかにしないまま、「謝れ!謝らんと殺すぞ!」ですよ。顔に唾を吐き掛けられ、室内備付のパイプ椅子を上から振り下ろされながら。別の派遣会社B社の三木さん(仮名)が、室内の異常を察知して駆けつけてくれましたが、その人が止めに入ってくれなければ、私は危うく殺される所でした。

 そこまでされながら、私はこんな所で殺されたのでは堪らないので、全く納得がいかないながらも、押え付けられながらも散々押し問答を繰返した挙句に、仕方なく一言「ゴメン」と言いました。謝らなければならない理由など何もわからないまま。すると相手はやがて私の身体から身を離して、「お前、俺はもうこれでこの職場には来ないけど、帰るまでこの事は誰にも喋るなよ。若し喋ったらその時は本当に殺すからな!」と捨て台詞を残して帰って行きました。(三木さんに既に現場を見られているのに、アホと違うか)

 やがて三木さんの通報で、この職場内パワー・ハラスメントの一件が程なく明るみになります。職場のみんなも概して私に同情的でした。そりゃそうでしょう、私には謝るべき理由なぞ何も無いのですから。その中で不幸中の幸いだったのが、押え付けられただけで殴られはしなかったので、軽い擦過傷だけで済んだ事です。若しこれでパイプ椅子の先端で突き刺されて失明でもしていたら、一体どうなっていたか。ただ、そんな目に遭いながらも、私は思ったより冷静で居られました。それは殴られなかった事も然る事ながら、自分自身に後ろめたいものが何も無かったからに他なりません。

 そして先述の野崎さんからまず事情を聞かれる事になったのですが、そこで野崎さんが言うには、「多分、森君は××さん(私の事です)に斯く斯く云々の事を言いたかったのではないか?」と、仕事の手順に関する事を挙げてきたのです。私はそれに対して、「そんなの理由になりません、若しそれが森の言い分だったとしても、それが正しいかどうかは全く別問題です」「そもそも、それ以前の問題として、相手のやった事はもはや単なる喧嘩ではなく、れっきとした暴行・傷害・脅迫罪で、もはや謝って済む程度の問題ではありません」と答えました。そりゃあそうでしょう、こんな事で殺されたのでは、堪ったものではありませんから。

 また、野崎さんは「森はもう多分ここには来ないでしょう」と言っていましたが、「多分」なんかでは困るのです。常識的に考えれば、その通り翌日からもう来ないでしょうが、万が一という事もあります。若し、翌日もあのキチガイの森が何食わぬ顔で制服を着て、いつも通り仕事についていたら、私はその場で当日の就労を拒否し、その足で警察に被害届けを出すつもりでいました。

 そういう事もあったので、ここは絶対に白黒をはっきりさせておかねばと思い、自ら進んで別掲の上申書をしたため、翌日に職場に提出したのです。いい加減な喧嘩両成敗でお茶を濁されたのでは、もう堪ったものではありませんから。

 私がその上申書の中で、森をわざわざ「ブッシュ・金正日」にたとえてまで、その「天狗・お山の大将・ファシスト」ぶりを強調したのも、その為です。森がスポット派遣、方や私が業務請負会社のレギュラー・バイトという事で、その事でたとえ僅かでも森に同情が行く事も、私にとっては我慢なりませんでした。
 若し彼が本当の弱者であるならば、「誰に向かって物を言うとんねや」とか「ちっこい(小さい)身体のくせしてチョコマカ動きやがって」という夜郎自大で差別的な発言なぞ、出てくる筈がありません。若し私が在日朝鮮人や身体障害者だったら、森は多分その事も論っていたであろう事は、容易に想像がつきます。

 要するに、森も一種のアンクルトムなのでしょう。アンクルトムというのは、例えば右翼団体の構成員に未解放部落民や在日朝鮮人の方が意外と多いのに典型的に見られる様に、「差別から逃れる為に、自ら進んで差別する側に回る」という、倒錯した人間心理を揶揄した言葉です。今風に言えば、人材派遣会社ザ・アール社長の奥谷禮子なぞが、その典型です。「私は生理休暇も取らずに頑張ったから社長にまでなれたのだ、労基法なぞ必要ない!」というのが、彼の人たちの論理なのです。
 ところが、「何か知らんけどウットウシイ、生け好かん奴」「内心密かにバカにしていた、未熟者の背の低い奴」が予想外の抵抗を示したので、「時給や待遇で差をつけられている日払いワーカーとしての惨めな現実」に引き戻される事になった森はパニックに陥り、「たとえ具体的な理由なぞ無くても、とにかく相手を平伏させて、サッパリした気持ちで此処を去りたい」という衝動に、瞬間的にとりつかれたのではないか。そうとでも考えなけば、今回の事は説明がつきません。

 その上申書の末尾で私は、自分の勤めている業務請負会社に対して、最低限の要求として次の2点を出しました。(1)森が登録していた派遣会社A社担当者による私への謝罪と、(2)今後一切、森の派遣を受け入れない事。(1)については、逝かれた森には今更常識が通じるとは到底思えませんでしたので、それに代ってA社の担当者に謝罪を要求したのです。

 この上申書は、予想以上の効果を発揮しました。事件発生翌日以降の数日間というもの、私は通常業務の合間を縫って、業務請負会社から今回の件に関して事情聴取を数回に渡って受ける事になるのですが、既にこの上申書を準備していたおかげで、説明に苦労せずに済みました。早速翌25日から本社の課長と次長が私から話を聞いていったのを皮切りに、26日の月曜日には要求通り先方の当該派遣会社A社の担当者も来て、上申書の内容に沿った方向での処理がされる事になったのですから。文書無しの口頭だけでは、こんなにスムーズには事が運ばなかったでしょう。

 更に傑作だったのは、私が森を「ブッシュ・金正日」に例えたくだりで、26日にA社担当者を交えた席で、所長が「本当に森はこんな事を喚きながら、××さん(プレカリアート)に襲い掛かって来たのか?」「若しそれが本当なら、森は右翼団体の構成員か、ひょっとしたらシャブを打っていた可能性がある」と発言した事です。この「ブッシュ・金正日」のくだりは、あくまで私の比喩にしか過ぎないのに。
 「右翼団体構成員」の可能性については、まず無いでしょう。そんなに政治的関心のある若者には見えません。ただ、最後の「シャブ」の可能性については、私には何とも言えません。有無を言わせずいきなりの暴行劇でしたし、その割には肝心の「暴行理由」を相手は殆ど明らかにせず、結局は一言「ゴメン」で終わっただけという、後味の悪さだけが残った「変な事件」でしたから。

 私が上申書で要求した2点については、基本的にはそのどちらも通りました。A社担当者が改めて私に謝罪し、森の派遣登録抹消(懲戒解雇に相当)の措置が取られました。それと同時に、受け入れ側の私の会社としても、森にはずっと目を光らせておく事が確認されました。そして、私の方には一切何の落ち度も無い事も。

 ただ、相手は日払いワーカー故に、完璧にはチェックし切れない事も言われました。派遣会社と日払いワーカーの契約はその日限りのものにしか過ぎず、履歴書でワーカーの人となりを把握している訳ではないので、極端な話、連絡がつかなくなったら、もうそれで終わり。そして現実問題として、二重派遣などの違法就労が現場で横行している以上、A社がいくら気をつけていたとしても、他の派遣会社を渡り歩いた挙句に、ピンチヒッターのそのまたピンチヒッターとして、こちら側のチェックをすり抜けて入り込まれる可能性も、全く無いわけではないのです。まあ、その可能性は、現実的には殆ど無いと思いますが。
 また、プライベートでいつ何時鉢合わせになるかも知れません。それで、私の方にも、「森らしき人物を見かけた時には直ぐに会社に連絡をする様に」と依頼がありました。

 そういう不本意な面も残しはしましたが、基本的には一応これで、とりあえずは落ち着く所に落ち着いたのでは、と思います。私の会社の方でも、「担当者による謝罪」と「森の永久追放」だけで私の気が治まるのであれば、下手に訴訟を起こされて大手スーパーとの業務委託契約まで打ち切られる様な破目になるよりは、よっぽどマシだと思ったのでしょう。

 この記事は、当初は「モンスター・ワーカー」というタイトルでアップするつもりでした。学校現場で近年とみに問題になっているクレーマー保護者「モンスター・ペアレント」に引っ掛けて付けたタイトルです。しかし記事を書いているうちに、もっと本質的な部分が見えてきました。それが今のタイトルにある「階級連帯」の問題です。「モンスター・ペアレント」も学校教師も、広義には共に今の格差社会や差別・選別教育の犠牲者だという意味では、別に当初のタイトルでも良かったのですが、何かそれだけでは余りにも表面的過ぎるような気がしたので、今のタイトルに変更したのです。

 共に非正規雇用のワーキングプアという点では、森も私も「搾取される側」の一員です。しかし、私が業務請負会社に直接雇用されている時給900円の常用バイトであるのに対し、森はそこに不定期に派遣されて来ている時給850円の日払いワーカーであるという意味では、森は「搾取される側」で私は「する側」です。その一方で、先輩バイトでありながら、後輩バイトに対して、ただ単に自分の意のままになる手足であるかの看做し、イチャモンとしか思えない理由や、身体・外見上の差別としか思えない理由で、アンクルトムの「お山の大将」として振舞う森は、私にとっては明確な「差別者・ファシスト」であるとも言えます。

 ワーキングプア、労働者階級同士の連帯というのは、基本的には互いに対等平等の立場に立っている事が大前提です。どちらか一方による差別・被差別の関係を残したままでは、連帯なぞ出来ません。連帯は服従に非ず。況してや「差別者・ファシスト」とは、連帯なぞ出来る訳が無い。 
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チベット問題を本当に人権問題として捉えていたか?

2008年05月18日 16時35分09秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 さる5月12日に中国・四川省で発生したマグニチュード7.8の大地震は、阪神・淡路大震災の30倍の規模に相当し、最終的には死者は5万人にまで膨れ上がるだろうと言われています。この未曾有の震災被害に対して、既に日本を始め諸外国から救援隊が被災地に入って活動を開始し、日本国内でも赤十字を始め各団体で救援募金の取り組みが始まっています。そして同時に、中国国内においても、各地から救援ボランティアが続々と現地に集まっていると言います。この今回の震災被害のニュースを通して、改めて色々と考えさせられた事があります。それは、私自身も含めて、「チベット問題を本当に人権問題として捉えていたのか?」という事です。

 今回の中国大地震が起こった後、インターネット上には「中国人に天罰が下った、ざまあみろ」といった醜い書き込みが流れたそうです。某マイミクさんからの情報で、それを知りました。私はそんな書き込みなど見たくもないし、そんな事に時間と労力を煩わされるのも嫌なので、一々調べませんでしたが、どんな事が書かれているかは、大体察しがつきます。

 どうせ「シナ人は」云々といった内容でしょう。それを批判するのは容易い事です。―被災者には中国人だけでなくチベット族などの少数民族も大勢いるのに。そんな書き込みをしたら、チベット族に同情的な人も含め、中国人全体を敵に回してしまう事にしかならない。チベット人も中国人も、両方貶める事にしかならず、正に「百害あって一理無し」。ネットウヨクは「阪神大震災の時に中国人は日本人に対して同じ様な事をしたじゃないか」と言っているようですが、そこまで行ったらもう「子ども喧嘩」のレベルでしかない。第三者からすれば「目糞、鼻糞」で、両方とも「世界の物笑いの種」にしかにしかならない事に、何故気がつかないのだろう―と、幾らでも批判する事は出来ます。
 しかし、そのネットウヨクの醜い書き込みを批判している私たちにも、心の片隅には、そのネットウヨクと同じ気持ちが、ひょっとしたらどこかに在ったかも知れない。最近そんな事を思うようになりました。

 今回の震災の後、日本国内でも救援募金の取組みが始まり、現時点で既に日赤のネット募金だけでも1500万円以上の金額が集まっています。また中国国内でも、国内各地から震災救援のボランティアが続々と現地に集まっていると言います。そのいずれもが、私の予想外の出来事でした。
 先の冷凍餃子農薬混入事件や、この前のチベット人権弾圧・北京オリンピック聖火騒動を通して、中国政府の消費者行政や人権感覚の在り方が問われました。そして今回の震災被害についても、温家宝首相の現地での陣頭指揮のニュースと同時に、支援物資の奪い合いや建築工事の手抜き疑惑などの事例も大きく報道されました。

 そんな報道ばかりを目にしているうちに、ネットウヨクの醜い書き込みを批判している筈の私たちの方でも、「作られた中国人像」や「作られた日本人像」が、知らず知らずのうちに自身の心の中に出来上がっていなかったか。曰く「中国は一党独裁国家で世論は存在せず、官僚主義や拝金主義も横行しているので、ボランティアの動きなぞ絶対に起こらないだろう」とか、「日本人はみんな大なり小なり反中国感情に囚われており、救援募金などとても集まらないだろう」という思い込みに、次第に陥っていなかっただろうか。
 確かに、それらの「××人像」も決して間違いではありません。それらの側面も中国・日本それぞれの一断面には違いありません。しかし、それが全てでもありません。中国人にも日本人にも色々な人がいます。決して一色に染め上げられるものではありません。そういうごく当たり前の事が、マスコミの情報洪水の中で、ともすれば見失われがちになっていなかったか。

 その様な中で、幾ら言葉の上では「チベット問題を日中間の民族・国家対立の次元で捉えてはいけない」とか「悪いのは中国政府の一党独裁・開発独裁政治であって、中国人民には何の罪も無い」と、知識の上では分かったつもりでいても、実際は知らず知らずのうちに、「作られた中国人像」や「作られた日本人像」を、自分の心の中に抱くようになっていなかっただろうか。だから、中国国内の震災ボランティアの動きや、日本国内での震災救援募金の集まりも、予測できなかったのではないか。中国社会も日本社会も、実際はもっと多様で千差万別なものであり、決して「××人は」と一括りで捉えられるものではないにも関わらず。そんな事を思っています。

 尚、「天罰が下った、ざまあみろ」とか「シナ人は」云々の書き込みそのものについては、もうこれは論外です。こういう輩が、単に自分たちの偏狭な反米・反朝・反中国感情や、戦争への敵討ちや、或いは日頃の鬱憤晴らしのネタとしてだけの為に、いくら広島・長崎・沖縄やチベットの問題を持ち出してきても、もうそれは滑稽という他ありません。そういう輩は、ダライ・ラマが何故、チベットとは直接関係の無いヒロシマ・ナガサキや反核・平和の問題にも逐一言及するのか、一度たりとも考えた事がないのでしょう。

(関連記事)
・四川大地震 あしなが育英会の奨学生らが街頭募金(神戸新聞)
 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001050279.shtml
・県内で四川大地震支援の輪広がる(新潟日報)
 http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=110402
・四川大地震:救援に立ち上がる成都市民(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/world/0805/0805140102/1.php
・【現地ルポ】市民記者が体験した中国大地震(1)~(3)(オーマイ・ニュース)
 http://www.ohmynews.co.jp/news/20080515/25074
 http://www.ohmynews.co.jp/news/20080515/25077
 http://www.ohmynews.co.jp/news/20080516/25122
・内閣主席大臣による声明:中国四川省で発生した大地震について(ダライ・ラマ法王日本代表部)
 http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080513_release.html
・広島国際平和会議
 ダライ・ラマのメッセージ、及びチベット問題の全面解決を目指すキャンペーンについての詳細。
 http://www.hiroshimasummit.jp/
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これの一体どこが反日映画なの?

2008年05月16日 23時32分36秒 | 映画・文化批評
 今話題の映画「靖国 YASUKUNI」を、大阪・十三の第七芸術劇場で見てきました。巷の一部では「反日映画」とも目されている作品ですが、「一体これの何処が反日?」という感じでした。反日どころか、寧ろ見ようによっては右翼の宣伝映画とも取れなくも無い。そんな映画でした。

 この映画は、ご存知の通り、右翼国会議員たちの圧力によって一時は劇場公開を危ぶまれていたものが、「言論・表現の自由を守れ」との声に押され、大阪・第七芸術劇場を皮切りに、全国で上映の運びとなったものです。
 封切り初日の大混雑の話は聞いており、私も今まで見に行く暇が無かったので、今日のシフト休日まで見るのを待っていたのでした。封切り日からほぼ6日経ち、平日昼間の上映という事もあって、「もういい加減空いているだろう」と高をくくって行ったのですが、それが実は甘かった。上映開始20分前には映画館に着いていたのですが、既に入り口では長蛇の列、補助席まで出して整理券を発行する騒ぎになっていました。

 そして補助席のパイプ椅子に座っての映画鑑賞となったのですが、一体全体これのどこが反日映画なのかよw。靖国刀の制作場面や刀匠へのインタビューを縦糸に、特に前半から中盤にかけては、靖国神社に参集する右翼たちの狂信じみた姿や彼らへのインタビューが続き、はっきり言って胸糞悪かったです。硬いパイプ椅子の上で、うんざりしながら見ていました。後半部分になってやっと、靖国合祀取下げを求めている台湾先住民や日本人遺族の動きも紹介され、私はそこで初めて救われた気分になれました。

 ただ前半の中で傑作だったのは、「小泉首相の靖国参拝を支持する」と書いたプラカードと星条旗を持った、ブッシュ・ネオコン支持と思しき米国人が、最初は周囲の右翼から歓迎されていたものの、その中の一人から「ここは日の丸を掲げる所だ」と難癖を付けられ、最後には周りから「米国は広島で何をした」と罵倒されて追い返されてしまう場面です。日本の改憲・右傾化を米国が陰で支えている事や、日本の右翼がその米国から見てすら時代錯誤の代物でしか無い事が、はかなくも白日の下に曝け出された格好になっていて、見ていて面白かったです。
 「米国は広島で何をした」と罵倒した右翼にしても、不戦や核兵器廃絶なんて一切考えてなくて、単に「いつか米国に仕返ししてやる」という自身の偏狭なナショナリズムを満足させるダシとして、ヒロシマ・ナガサキをも利用しているに過ぎない事が、余すところ無く曝け出されていましたから。

 中盤までは、右翼に好き勝手な事を言わせる場面が延々と続きます。小泉首相は「もう二度と戦争をしない為に」靖国参拝したと言いましたが、それが途方も無い大嘘である事が、靖国神社の遊就館の展示や右翼自身の言い分によって、充分証明されていました。実際、彼らは「あの戦争(第二次世界大戦、アジア太平洋戦争)は正義の戦争だった」「今は臥薪嘗胆で耐えて、いつか仕返ししてやる」と、今でも言っているのですから。
 本当は、(1)確かにあの戦争は、欧米から見ても日本から見ても、帝国主義戦争としての側面があった、(2)しかしその両者の思惑をも乗り越えて、世界の反ファシズム勢力やアジアの民族解放勢力が、両方の帝国主義を駆逐し、次第に平和・人権を確立していく転機とした―というのが歴史の真実であるにも関わらず。

 後半からは、その戦争が実際は日本とアジアの民衆にとってどういう意味を持つものであったのかが、やっと示される事になります。台湾先住民や日本人の遺族が、当時の植民地統治や戦時体制の下で、有無を言わさず侵略戦争の尖兵に仕立て上げられていった事。戦後も「徹頭徹尾、国家意思のみ在りき」と、遺族の想いなぞお構い無しに、ひたすら「御用愛国心を体現する人身御供」として、真の慰霊とは似ても似つかない形で、亡くなった兵士が今も靖国神社に祀られている事。それらの事実も提示される事で、ようやく前半の右翼のプロパガンダ臭が薄められ、全体のバランスが取れた作品に変化します。

 あと後半部分で目を引いたのは、靖国神社境内での右翼の奉祝集会に乱入した反戦系の若者を、集会参加者が寄って集ってつまみ出す所です。その若者はれっきとした日本人であるにも関わらず、何とかの一つ覚えで「中国人は中国へ帰れ」と追い返す。そして境内の外につまみ出され警察のパトカーに連行される所にまで押しかけて、逆に警察から押し止められます。
 右翼がよく現代の日本を指して「米国(これは当たっている)と左翼が支配している」という事がありますが、多分それはこういう場面を指して言っているのでしょう。自分達のはねっ返り行為が弾圧されただけなのに逆上して、その靖国神社を支えているのが戦後の自民党政府である事には全然想いが及ばない近視眼的思考が、そこでも垣間見えて滑稽でした。

 それら前・後半の流れを横軸、靖国刀の制作場面と刀匠の想いを縦軸として、ひたすら脚色を排してドキュメンタリータッチに話が展開されて行きます。その際の映画の主役は、あくまで縦軸の方です。靖国神社を巡る左右両翼の軋轢とは一切関わり無く、刀匠はひたすら刀作りに励む。この辺の描写は、かつて私が子ども時代に見たNHK番組「新日本紀行」を彷彿とさせるものがあります。
 この辺の視点の斬新さが、この映画の一つの見所でしょう。今まで靖国神社といえば、ともすれば歴史認識や政教分離からの観点で語られる事が余りにも多かったですから。しかしそれは、当の靖国神社が、歴史認識や政教分離の問題から逃げてきたからに他なりません。
 実際私も、この映画を見るまでは、靖国刀の存在なんて全然知りませんでした。そういう意味では大変勉強になりました。最後にその刀が中国その他の戦地での捕虜惨殺に使われた事も含めて。

 映画監督が中国人だからとかいうのが、この映画が右翼からは反日的だと言われる所以なのでしょう。しかし私から見れば、三島由紀夫のファンを自称する監督が作っただけあって、見ようによっては逆に右翼の宣伝映画とも取れる内容なのですが。実際、これだけ話題になっていなければ、少なくとも私について言えば、こんな映画など、わざわざ1800円も払って見る気にはなりませんでした。正直言って、その後の時間帯に上映されている「今夜、列車が走る」の方が、よっぽど興味があった。更に穿った見方をすれば、映画の人気を高める為に、三島ファンの監督と右翼が実は裏で示し合わせていたのではないかとw、考えられなくもない。

 或いは、靖国参拝する右翼の最敬礼や、軍隊調のコスプレや、反戦青年の暴力的排除や、ネオコン米国人とのイザコザ・内ゲバなどの場面が、右翼議員たちの癇に障ったのかも知れません。しかしこれも、自分達が恥ずかしいと思うのなら、そうしなければ良いだけの事です。自分達はそれが美しいと、或いはそれが正義だと思ってやっているのでしょう。ならばその姿を映画に曝け出されて、一体何が問題なのでしょう。本来ならば右翼宣伝の格好の場面として、寧ろ監督に感謝しなければいけない位ではないでしょうか。
 それが何故右翼議員たちの癇に障ったのか。考えられる理由はただ一つ。それら全てが、陰に隠れて衆を頼んで個人に圧力を掛ける段には有効であっても、堂々と公にされては困る場面だからでしょう。

 また右翼議員たちは、映画の内容云々ではなく、中国人制作の反日映画に国の助成がされる事が問題だと言います。しかし、この言い分も矛盾だらけです。政府の映画助成や国際映画祭受賞の基準は、あくまで芸術的に見てどうかという事でしょう。反日(或いは政治的映画)かどうかなんて一切関係ありません。反日(政治的)であっても優れた映画もあれば、反対に下らないものもある。その事は、親日にしても、或いは反米・親米その他にしても、みんな同じです。その芸術性を、国際映画祭実施団体や独立審査機関が、あくまで自身の基準に沿って選んだだけの事。そもそも、それを門外漢の外野が、とやかく言う事自体がナンセンスです。そんな事を言い出したら、「アルジェの戦い」も「ホテル・ルワンダ」も、全て反政府・反戦映画の一事で以って封殺されてしまいます。

 私としては、この映画も確かに悪くはないのですが、それでも右翼の絶叫オンパレードの前半部分は、それにつき合わされるのは、ちょっと辛いものがありました。後の「今夜、列車が走る」の方がよっぽど見たかった。そして、この程度の「映画の政治性」に対してすら、「反日」だの何だのとアホの一つ覚えみたいにレッテルを張って、それでいい気になっている、あの小泉チルドレンを筆頭にした売名右翼のバカさ加減だけが際立った、そういう映画でした。
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9条輸出こそ真の国際貢献 改憲派こそが奴隷の一国平和主義

2008年05月12日 12時14分11秒 | 反改憲・戦争協力
 日記の更新が遅くなってしまいましたが、まずはこの話題から。先日5月6日に、休みを取って9条世界会議・関西に行ってきました。9条世界会議というのは、「日本国憲法第9条の考え方を世界にも輸出しよう」という趣旨のイベントで、GW期間中に、千葉・幕張メッセを皮切りに、大阪・仙台・広島でそれぞれ開催されたものです。私が参加したのは地元・大阪でのイベントで、8千人近くの人が集まりました(4会場全体ではのべ2万2千人が参加)。

 会場となった舞洲(まいしま)アリーナへは、JR桜島線経由で行きました。GW連休最終日という事で、桜島線の車内は大混雑。私は当初、「どうせ共産党系のイベントだろう。車内の大半はUSJに向かう行楽客で、一つ手前のユニバーサル・シティを過ぎれば大分空くだろう」と高を括っていたのですが、豈図らんや、そこを過ぎても一向に車内の混雑が緩和されません。そして終点の桜島駅についたら、何と舞洲アリーナ行きのシャトルバスが運行されていて、既に長蛇の列が出来ているではありませんか。

 9条世界会議の腕章を巻いたスタッフがそこかしこに立っていたので、「会場で食べる所はありますか?」と聞いたものの、今ひとつ返事が曖昧。「ままよ、どうせ屋台か何かが必ず出ているだろう」と思いバスに乗り込みましたが、これが実は大誤算でした。バスの車内になると流石に若い人はあまり見かけなくて中年の男女が中心でしたが、驚いた事に、動員臭が殆ど感じられないのです。今まで参加した事のあるメーデーや「赤旗まつり」とも少し雰囲気が違う。規模の違いを脇において準えれば、昨年9月に沖縄で開かれた集団自決検定意見撤回県民大会も恐らくこんな感じではなかったのか。

 会場に着いたのは午前11時過ぎ。まずは昼食の確保をと思いきや、屋台や弁当販売の類などは一切皆無。会場隅にレストランがあると聞いてやっと訪れたものの、既にランチもおにぎりも売り切れで、うどん・そばもいつ売り切れるか分からないとの事。慌ててかけそばを注文し、それと近くで売っていたフランクフルトで、どうにか腹ごしらえを終える事が出来ました。
 メーン・ホール前のブースには、お馴染みの生協や新婦人やAALAだけでなく、それ以外の「ふぇみん・婦人民主クラブ」やアタック関西、イラク平和テレビなどの市民団体も出展していて、これが単なる共産党系だけには止まらない広がりを持つイベントである事が、初めて実感出来ました。そういえば9条茶とかいうものも売っていたな。手頃な250mlサイズが無かった事もあり、「どうせ中身は普通のお茶だろう」と思って、私は買いませんでしたが。

 午後からは愈々メーン企画の始まりです。前半に在阪の大学生数人によるメッセージがあり、その後、戦後の憲法起草で活躍したベアテ・シロタ・ゴートンさんを初めとする海外ゲストの紹介が為され、中盤には休憩を挟んで小山乃里子さんと香山リカさんの対談や、私が心待ちしていたソウル・フラワー・ユニオンのライブなどがあり(私の参加目的の半分はこれが目当て)、当日夕方からのバイトに間に合うギリギリの時間まで、そのライブ演奏を堪能しました。
 その他の詳しい途中経過は、AMLの報告を参照して下さい。日記更新が遅れているし、私が書いても結論はほぼ同じなので、そこはもう「超・手抜き」しますw。ここでは印象に残った事だけを幾つか。

 前半の在阪大学生メッセージの中で、「私は実は改憲派」だと堂々と名乗った人もいて、少し驚かされました。但し、その方は「改憲派の私にもモノが言える護憲集会であって欲しい」「改憲であろうと護憲であろうと、堂々とモノが言える世の中であって欲しい」という趣旨の発言をされていたので、私的にはもうそれで納得。
 その後に登場のパネリストも多士済々で、先述のベアテ・シロタ・ゴートンさん以外にも、インド出身の国際法律家協会会長や、イラク反戦兵士エーラン・ワタダ中尉の活動を支援している米国の退役軍人、台湾にも憲法9条を広めようと活動している准教授などが紹介されていました。

 世界には既に軍隊の無い国が27ヶ国もあるという話も、その中で出されました。それらの非武装国家の大半は北欧・EU圏や南太平洋の小国で、中には米国に防衛・経済の首根っこを押さえられている国々も少なくありません。しかし、それらの国々でも日本と同様に、対米追従派とのせめぎ合いの中で非核平和政策が追求されている、というお話でした。
 その代表的な国が中米のコスタリカ。先住民が早くに駆逐された為に(これはこれで問題有りだと思う)、貧富の差の少ない白人同質社会が出来上がり、民主主義を支える下地が出来た事。米軍基地こそないものの、米国に経済的に支配されている事。近隣のニカラグア革命やパナマ運河返還運動への干渉基地として同国を利用しようとする動きがあり、その動きとのせめぎ合いが続いている事。イラク戦争の折りもそれが表面化し、政府の派兵容認政策をくい止める事に成功した事など、日本との比較で色々考えさせられました。
 それと同時に、キューバが若し北朝鮮や中国の代わりであったならば、東アジアもとっくに、今の南米大陸の様に新自由主義を放逐出来ていたのに、という想いが頭をよぎりました。北朝鮮拉致ではなくキューバの無料医療スタッフが日本で活躍していたら、今頃は医療難民の問題などとうに解決されているのに。中国も、タンザン鉄道建設の例に見られるように、かつてはそういう時期があった筈なのに。

 そして、15時半過ぎからは、愈々お待ちかねのソウル・フラワー・ユニオンのライブが始まりました。私もその名前だけは知っていたものの、実際に彼の人たちの演奏を聞くのは初めてで、ボリュームに圧倒されました。
 演奏曲目は「海行かば 山行かば 踊るかばね」「インターナショナル」「平和に生きる権利」などでしたが、その中でも特に圧巻だったのが「うたは自由をめざす!」。演奏された歌詞にソウル・フラワーの面々が更に即興でアドリブを加え、「バグダッドから、ノース・コリアから、オキナワから、チベットから、うたは自由をめざす!」と歌っていたくだりなど、正にこのブログのテーマとぴったりじゃないですか。
 かつてはイラク反戦サウンドデモの音量に尻込みしていた私ですが、このライブを聞いた後では、それまで馴染んでいた「うたごえ運動」の曲が、何かすごく物足らないものに思えてきました。「インターナショナル」や「平和に生きる権利」は「うたごえ」の曲にもありますが、インパクトが全然違う。帰りがけに大枚はたいてソウル・フラワーのCDを買いましたが、そこには「うたは自由をめざす!」は収録されていませんでした
 
 そういう事で「世界は9条を選び始めた」事を実感できたイベントでしたが、世間では相変わらず産経新聞が、お仲間の読売新聞ですらそれなりに紙面を割いて取り上げた9条世界会議のニュースも完全に黙殺して、その価値を腐す様な言論ばかりを垂れ流している様です。
 当該記事によると、特定失踪者調査会の代表が「9条の所為で拉致問題が起こり、拉致被害者の救出が阻まれている」という趣旨の発言をしたとの事ですが、何をか況やです。かつての「ソ連が攻めてくる」式の使い古された反共攻撃を、北朝鮮・中国に置き換えただけのものにしか過ぎません。しかし、未だにこういう言論が世間ではまだまだ幅を効かせている現状がありますので、最後に反論しておきます。

 この人が言っているのは、「日本も再武装して北朝鮮・中国に対抗していかなければならない」という事でしょう。つまり「国家主義には国家主義で対抗するしかない」と。しかし、そんな事をしたら、北朝鮮・中国みたいな国が、東アジアにもう一つ誕生してしまうだけじゃないですか。
 「いや、日本や米国は自由で民主的な国なので、北朝鮮・中国みたいにはならない」というつもりなのかも知れませんが、一体こんな国の何処が自由で民主的なのか。確かに北朝鮮やミャンマーよりは「見せかけの自由」はあるかも知れませんが、格差社会やネットカフェ難民、老人姥捨て山の現状を考えると、人が人として尊重されていないという点では、本質的には北朝鮮・中国と全く同じじゃないですか。否、民衆支配の仕組みがより巧妙である分、余計に悪質であるとも言える訳で。

 そういう現状を抜きにして、高飛車に「日本を守れ」だの何だのと言われても、そんな論理は到底受け入れられません。この人は、最近は日本政府や「救う会」にも物申すみたいな態度を取っていますが、何の事はない、北朝鮮・中国の人権をダシにして、「下見て暮らせ傘の下」と「国体護持」の説教を垂れているだけではないですか。これでは政府や「救う会」と五十歩百歩です。
 私たちの目指す平和は、そんな欺瞞的なものではありません。今の日米の「見せかけの自由・平和・民主主義」でも、勿論北朝鮮・中国のソレでもない、真に自由・平等で人間が尊重される「もう一つの世界」を目指す、ある意味「自らの生存と尊厳を賭けた闘い」でもあるのです。これは単なる「安寧秩序」(奴隷の平和)だけを求めるものではなく、同時に「生存権」の確立をも求めて、世界の人々と共に歩んでいこうという主張なのです。

 私から見たら、この特定失踪者調査会代表の言っている事の方がよっぽど、「日本さえ好ければそれで良い」という「一国平和主義」であり、只の現状追認・復古反動・戦争美化・弱肉強食肯定の「奴隷の平和」「勝ち組平和」「ウヨクお花畑」でしかありません。
 北朝鮮拉致が日本だけでなく韓国・タイ・レバノン・ルーマニアなど世界各地で起こっている事一つとっても、「9条の所為で拉致問題が起こった」という言説の破綻は明らかです。北朝鮮・中国の独裁や人権侵害を無くすには、根本的にはそれを生み出した戦争・対立・抑圧・貧困の世界体制そのものを突き崩し、世界をもっと民主的なものに変革していく事しかありません。北朝鮮・中国に対抗して「もう一つ別の北朝鮮・中国」を作る事では、断じてありません。
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お飾り司法 vs イラク派兵違憲判決

2008年05月06日 23時00分29秒 | 反翼賛・二大政党制
・【ゲーム評】「逆転最高裁4」(ボーガスニュース)

>最高裁での裁判という独特のテーマを取り上げた異色のゲーム第4弾が、いよいよ登場。今作では「靖国参拝」「君が代強制」「従軍慰安婦賠償」など新たなシナリオを追加し、ますますボリュームアップ。愛国者なら誰しも楽しめる内容となっている。主人公はおなじみ、最高裁第三小法廷裁判官の御飾里司法(おかざりしほう)。各地の高裁で国に不利な判断が出た事件を、どのようにウヤムヤにして政府寄りの逆転判決を出すかが高得点のカギとなる。(以下略)
 http://bogusne.ws/article/38949347.html

 実は上記は、この間の立川テント村弾圧不当判決やイラク派兵違憲判決の話題を、裁判員制度の問題とも絡めて取り上げているブログ・エントリーからの引用です。余りにも話題がリアルなので、本当にそんなゲームソフトが発売されたのかと、一瞬マジで思ってしまいましたw。

 地裁・高裁段階で住民寄りの判決が出ても、最高裁では悉く政府寄りの御用判決が出て、原告は失望感を味わうことになる―違憲訴訟では今までもよく見られたパターンです。下記記事を読んだ後では、特にそれを感じます。三権分立や裁判官国民審査も、所詮は「イチジクの葉っぱ」にしか過ぎなかったのか。しかしそれではもう、パキスタンのムシャラフ旧政権と、やっている事は余り変わらない。

・「米軍違憲」破棄へ米圧力/59年の砂川裁判 一審判決直後 解禁文書で判明/駐日大使 最高裁長官と密談(しんぶん赤旗)

>安保条約にもとづく在日米軍の駐留を憲法違反とした一九五九年の砂川事件・伊達判決に対し、米駐日大使が当時の最高裁長官と「内密の話し合い」をもつなど、判決破棄へ圧力をかけていたことが米政府解禁文書で明らかになりました。(中略)米軍駐留違憲判決に対する米側の衝撃ぶりと、干渉を無批判に受け入れる日本側の異常な対米従属ぶりが分かります。(以下略)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-30/2008043001_01_0.html

 そういう行政・司法の馴れ合い状況を打ち破ったのが、今回のイラク派兵違憲判決でした。この判決は、自衛隊のイラク派兵・米軍協力が、憲法のみならずイラク特措法の規定に基づいて解釈しても、尚且つ違憲としての判断しか下せない事を、余すところ無く明らかにしたものでした。それでいて、主文の内容はあくまでも国側勝訴・原告請求却下の形を取っているので、国は控訴したくても出来ずに、とうとうこの事実上のイラク派兵違憲判決が確定してしまいました。
 裁判官国民審査制度の積極的活用によって行政・司法の馴れ合い状況を打ち破っていくのを、あくまで基本としつつも、場合によっては、今回の判決法理も積極的に取り入れる事で司法権の独立を守っていくのも、やり方としては充分「在り」でしょう。

・自衛隊イラク派兵違憲判決!(名古屋北法律事務所)
 http://www.kita-houritsu.com/tokusuru/080422-220617.html
・「イラク派兵違憲」判決を「差止訴訟の会」代表に聞く(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/government/0805/0804296005/1.php
・イラク派兵違憲判決(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
 http://web-kenpou.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_537c.html
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