アフガン・イラク・北朝鮮と日本

戦争も人権抑圧もNO!万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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「革命」フランスと「奴隷」日本の違い

2010年10月31日 21時39分00秒 | その他の国際問題
・飛幡祐規のパリの窓から:年金改革反対運動に揺れるフランス(レイバーネット日本)
 http://www.labornetjp.org/news/2010/1023pari
・「高校生であることと市民であることは矛盾しない」 (仏年金カイカク反対の高校生運動指導者の言葉)(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2061.html
・年金カイカク反対デモをするフランスの高校生たち(同上)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2051.html
・フランス:上院が年金改革法案採択、労組側はデモ継続へ(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20101023k0000e030016000c.html
・フランス:マルセイユ、路上にゴミ1万トン…スト2週間超(同上)
 http://mainichi.jp/select/world/news/20101026k0000e030034000c.html

 日本ではあまり報じられていませんが、フランスでは、この夏以降、年金制度の改悪に反対する人民の闘いが急速に広まっています。サルコジ政権が進める、年金支給開始年齢の60歳から62歳への段階的引き上げや、年金保険料支払い期間の1年延長などの措置に対して、野党や労組は一致して反対を表明しています。フランス国内の世論調査でも、国民の約7割もの人々が、この改悪案にノーを突きつけています。各地のデモやストには、既に300万人近くの人々が参加するまでになっています。その中でも特に、若者や高校生が続々と反対運動に立ち上がっている事が、この間の大きな特徴です。村野瀬さんのブログにその若者の声が掲載されていますので、その一部を次に引用しておきます。

・(何故デモに参加するのか問われて)「なんでって、引退の時のためだよ!」
・「何歳までかわからないけど、ずっと働かされて仕事で死ぬのは嫌だよ。横断幕もないけど、適当に即興でデモをやっているよ。」
・「引退は若者の問題である」「若者は苦役にあえぎ、高齢者は貧困にあえぐ、こんな社会は要らない!」(若者たちがデモで掲げたアピール・スローガン)
・「仕事からの引退は高校生の問題でもある。ぼくらの両親はぼくらのために働いて、ぼくらは両親のために働く。親たちがあまり遅い年齢にならないうちによい引退生活をおくれるように。ぼくらがその年齢になるときにはもう年金システムはないかもね。」
・「若者に仕事を与えず、高齢者にはさらに仕事をさせるってことか。」

 このフランスの高校生たちの何と偉い事か!自分たちが高校生だった頃はどうだったか振り返ってみれば、その偉さが分かります。実際に、私も高校生の頃は、年金や高齢者の雇用・福祉の問題なぞ、及びもつきませんでした。それが、このフランスの若者たちは、将来の年金支給額がそれまでの生涯賃金によって決定づけられ、若い時の低賃金・不安定雇用がそのまま老後の福祉の貧困に繋がっている事を、既に高校生の年齢で見抜いているのです。
 翻って今の日本の若者は、高齢者は一体どうでしょうか。若者は若者で、「俺らはこんなに低賃金で働かされているのに、何でオヤジは俺たちよりも恵まれているのだ」と、「妬み差別」宜しく、その不満の矛先を「団塊の世代」に向けるしか能がない。もう方やオヤジもオヤジで、「俺らはひたすら馬車馬のように働いてきたのに、今の若者はたるんどる」と、高度成長期にしか通用しない精神論を一方的に振り回すばかりで、今の貧困問題の深刻さをなかなか理解しようとしない。そうして、フランスの若者が「搾取されている事自体に怒る」のとは対照的に、日本では若者も高齢者も「搾取が公平でない事に怒る」(呆)。この違いは一体どこから来るのでしょうか。
   

 一つには歴史の違いがあるでしょう。フランスは何と言っても「フランス革命」「人権宣言」の国です。人民自らが国王専制を倒して自由と人権を勝ち取ってきた歴史があります。
 この点については、フランスは欧州の中でも特に秀でています。英国がいまだ王室や貴族のくびきから完全に解放されずに、米国の言う自由が所詮は「資本家天国の下での搾取の自由」でしかないのに引き換え、フランス人民は、国王・貴族の圧制とも資本家の横暴とも、互角に闘ってきたのですから。
 翻って日本ではどうか。明治維新は、単に権力者が幕府から天皇の政府に交替しただけであって、お世辞にも革命だったとは言えません。戦後の民主化も、それを米国に強いる上で日本国内外の世論の後押しがあったとは言え、それでも直接的には米国から与えられたものでしかなかった。日本にも、自由民権運動や大正デモクラシーなどの形で一定の芽生えはありましたが、これが革命にまで発展する事は遂にありませんでした。

 それが日仏の学校教育の違いにも現れています。日本では、「ゆとり教育は子どもを甘やかす」「競争教育でビシバシ鍛えろ」と、愚にもつかない精神論が今だに幅を利かせています。しかし、フランスではそうではありません。日本の様に「とにかく覚えろ、無条件に従え」と競争で締め上げたり、それに付いて来れない落ちこぼれを「ゆとり教育」で放ったらかしにするのではなく、「何故そうなるのか」「ずっとそのままで良いのか」「変えるとしたら、どこを、どのように、どの方法で変えるべきなのか」を、みんなでとことん議論する中で、何らかの結論を導き出そうとします。その中から、付け焼刃ではない真の学力が育まれるし、付和雷同でも利己主義でもなく、自分の人権も他人の人権もともに尊重できる人間が育つのです。

 その件でいつも不思議に思うのが、靖国右翼だけでなく橋下徹あたりの政治家までもが、「平成維新」と称して、やたら当時の価値観を持ち上げようとする事です。確かに坂本龍馬はカッコ良いですが、あれもドラマだから言える事であって、21世紀のこの日本の現実政治に、当時の尊皇攘夷の価値観をそのまま持ち込まれたのでは、国民は堪ったものではありません。幾らそれが例えに過ぎないにしても、あまりにも例えがアナクロ過ぎます。
 今だ「真の革命成らず」の日本では、ストやデモは「あまり良からぬ事」にしか過ぎず、それよりもひたすら「暴れん坊将軍」「水戸黄門」的なものにすがろうとする、そんな封建的な雰囲気が、この21世紀になってもまだ其処彼処(そこかしこ)に残っているでしょう。その寄りかかりの対象が「小泉純一郎」「橋下徹」であったり「小沢一郎」であったりする訳ですが、これと北朝鮮の金正日崇拝と一体どこが違うのでしょうかね。「日本は北朝鮮とは違って民主的だ」と、幾ら上辺だけ取り繕った所で、本質的な部分では何ら変わらないと思うのですが。北朝鮮の国民も、これが「我々流の民主主義」だと思い込んでいるからこそ、自国の正式国名に「民主主義人民共和国」の文字を冠しているのでしょうに。

 以上少し横道に逸れましたが、勿論、そのフランスの民主主義にも限界はあります。その最大の限界は、せっかく革命と人権の理念を掲げながらも、長い間その対象が生粋のフランス人だけに限られ、旧植民地の人たちや東欧・中東からの移民については、ほとんど顧みられなかった事です。いまだに南太平洋のタヒチやニューカレドニアに広大な植民地を有し、そこで核実験を繰り返し、フランス国内でもロマ人(ジプシー)やユダヤ人、アフリカ・中東系移民に対する差別が激しいのも、フランス人が植民地主義から完全に決別できていないからです。
 でも、それも近年、世論の運動や政府の施策によって、徐々に克服されつつあると聞いています。この点についても、翻って日本はどうかと尋ねられたら、返す言葉がないですね。在日コリアン・中国人・東南アジア系・日系外国人に対する差別が、今も拡大再生産されている現状一つとっても、日本人が植民地主義のくびきから完全に解放されるのには、まだまだ時間がかかるでしょう。

 ただ、これだけは確実に言えるでしょうね。
 若し日本でもフランス式の民主教育が行われていたら、ウチの職場の社畜・奴隷労働がそのまま容認されるような事はまず有り得なかったでしょうし、従業員と会社、下請けと元請の関係も、とっくに、もっと民主的なものになっているでしょう。
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個人日報と歩数計で過密労働の実態をあばく

2010年10月24日 23時59分31秒 | 職場人権レポートVol.1

 「いつまでこんな国勢調査みないな事を続けるんだ」と、職場で不評を買っていた個人日報ですが、とうとう昨日休止になりました。但し、所長曰く「あくまでも廃止ではなく休止」で「また必要に応じて復活するかも知れない」との事。どこまでも懲りない面々ですこと。
 前にも書いた通り、こんな個人別のデータを幾ら集めた所で、業務改善には糞の役にも立ちません。そもそも、個人の人の動きだけでなく、当日の作業人数や物量とも照らし合わせなければ、データを取る意味がありません。それも単に物量だけでなく、入荷タイミングや商品形状の違いによっても、作業の進み具合は違ってきます。そして、幾ら個人が効率アップを図った所で、人員不足には勝てません。完全にオートメ化された職場ならいざ知らず、そうでない限り、物流現場で最後に物を言うのは、やはり人海戦術なのですから。
 システムから見直さなければ、真の業務改善にはなりません。しかし、ウチの会社の社畜社員は、上には何も言えないので、こんな「小手先凌ぎ」の「個人への責任転嫁」で、ひたすらお茶を濁そうとするのです。

 しかし、これも物は考えようです。こんな業務改善には糞の役にも立たないデータでも、個人レベルの労働実態を暴くには、またとない証拠となります。今のままでは、腰痛でリタイヤする人間が必ず出てきます。そうなれば、上には何も言えない会社の事、労災もみ消しの挙に出てくる事も十分考えられます。それに備えて、今回、この個人日報を逆手にとって、これに歩数計のデータを重ね合わせる事で、過密労働の数値化・記録化に踏み切る事にしました。(上記写真参照)

■10/19~24日の日付別歩数等推移

 まずは10月19日(火)から24日(日)までの毎日の推移を次に記します。但し、23日(土)は測定不能です。何かの拍子にリセット・ボタンを押してしまったのか、途中でデータが飛んでしまいました。
 21日(木)、24日(日)が定休で、それ以外は出勤日です。出勤日のうち、19日だけが18時まで2時間残業で、それ以外は定時退勤です。

 各日付とも左から順に歩数、歩行距離、消費カロリーの表示です。但し19日については、歩数が測定上限の4万歩を超え、またゼロからの自動更新となった為に、後二者の数値については、そのままの形では表示出来なくなったので、他の値から下記の計算式で推定値を割り出しました。但し、これらの値は、あくまでも自分の体重を基にして割り出した登録値で、もちろん個人差があります。
 歩行距離(km)=歩数÷2000(歩幅0.5mで計算)
 消費カロリー(kcal)=歩数÷61.2
 
・10月19日(火) 18時残業終了時点 
 40673歩、20.336km(推定)、664.5kcal(推定)
・10月20日(水) 16時定時退勤時点
 36104歩、18.052km、589.3kcal
・10月21日(木) 定休日で17時41分に外出先から帰宅時点
 11852歩、5.926km、193.4kcal
・10月22日(金) 16時定時退勤時点
 37931歩、18.965km、619.2kcal
・10月23日(土) 定時退勤だが前述の理由で測定できず。
・10月24日(日) 定休日で18時01分に外出先から帰宅時点
 10182歩、5.091km、166.2kcal

 改めて驚かされたのが、定休日で少し出歩いただけでも、1万歩を超えてしまう事です。大体この歩数が健康ウォーキングの目安とされているので、こちらはまずまずかなと。ではそうすると、勤務日の3万歩から4万歩というのは、一体どうなるのかな。消費カロリーで見ても、ほぼランチ一食分に当たる訳で、そういう意味では充分ダイエットになってはいるんでしょうが、ここまで来れば、もう「健康ウォーキング」ではなく「酷使」でしょう。
 しかし、これだけ歩いても、労災認定の基準には届かないようなのです。確かに惨い数字ではありますが、飛び込み営業の人も毎日これ位歩いているので、それと比較されてしまうのだとか。この一事からも、今の厚生労働行政、ひいては日本の政治が、如何に非民主的(財界べったり)かという事がよく分かります。

■19日の時間帯別作業と歩数の推移

 冒頭の19日(火)付個人日報の写真をもう一度見て下さい。その一番左端に、作業場入構から事業所退勤までの歩数累計値が示されています(黄色枠で表示された数字がそれです)。
 この日は18時までの残業ですが、16時に定時退勤の日も、退勤までの作業の流れや時間の経過は、これとほぼ同じ内容です。物量の多寡に合わせて出勤数が抑えられているので、物量の多い日も少ない日も、個人当たりの作業負荷は変わりなく「ハード」なのです。

 では、19日当日の主な作業の流れと、節目ごとの歩数累計値の推移を、次に記します。

・06:50~07:05 作業準備
・07:05~08:19 資材2業者検品
・08:19~09:23 惣菜・水産ラインの商品仕分け
・09:23~09:40 畜産8℃帯ラインのメール仕分け
・09:40~10:00 搬送・紐付(ひもつけ)作業
 (注:仕分け済商品の台車を所定の待機場所に搬送しハンディに登録する作業の事)
・10:00~10:13 次の作業準備 ここまでの歩数14881歩
・10:16~10:46 前半30分の休憩(昼食もここで済ませる)

・10:46~12:53 野菜ドーリ・ラインの商品仕分け
 これまでの作業が、せいぜい10kg、重くても20kgまでの、比較的小物の商品をカートに仕分ける作業だったのに引き換え、ここではプラスチック製の緑色のバッカンを、毎日多い時は2千ケース近くも仕分ける。バッカンなので、きちんとかみ合わせて積まなければならない。入っている野菜も、カット野菜などの軽いものだけでなく、筍や牛蒡などの重たい土物まである。それを71店舗分も狭い場所で積んでいくので、どうしても中腰の姿勢での作業になってしまう。これをたかだか3名か4名だけでやっているのだ。午前中作業の山場の一つである。(下記写真参照)
・12:53~13:04 同上商品の搬送
  

・13:04~13:32 和日配(主に漬物や塩干小物)ラインの商品仕分け
 ボリューム的には、午前中の惣菜・水産・畜産ラインなどの仕分けと同じ。しかし最終盤以外は、ずっと小物類中心の仕分けが延々と続く。私が前述の作業を終わらせて応援に入る頃にも、まだ結構な量が残っているので、作業終了ノルマの13時半ギリギリまでかかる事も多い(下記写真参照)。
   

・13:32~13:43 搬送・紐付作業
 この日は結局終了予定時間よりも作業が後にずれ込んでしまった。その原因には、人手不足だけでなく、ギリギリまで商品を入荷させるからというのもある。それに対して、入荷時間制限のルールも一応あるにはあるのだが、それが全然守られていないのだ。しかもウチの社畜社員は、ひたすら上の顔色を伺うばかりで、業務上必要な意見すら言わないのだ。そして上も上で、如何に作業が後にずれ込もうと、現場の状況なぞお構いなしに、次から次へと商品を入荷させるのだ。そんな中で、次の作業準備も出来ないまま後半の休憩に入る。
・13:43~14:13 後半30分の休憩 
 ここまでで28365歩(13484歩の増)
 
・14:13~15:42 翌日分の牛乳の荷受・検品(担当分1社2226ケース)
・15:42~15:48 同上商品の搬送
 検品中も別チームが搬送してくれていたので、これだけの時間で済んでいるのだ。しかし、牛乳の仕分けもウチがしなければならなくなると、もうこんな余裕はなくなる。(左下写真参照)
  
・15:48~16:29 精肉パック入りバッカン・トレー(PC、右上写真参照)の格納・仕分け
・16:29~17:50 ここでようやく翌日分の作業準備にかかれる。
・17:50~18:00 帰り間際ギリギリに次のPCが入荷。
 このままでは帰りの送迎バスに乗れなくなるので、検品と0℃帯保管庫への格納だけに止める。
 ここまでで40673歩(12308歩の増)

■図らずも浮かび上がる職場の問題点

(1)根本原因の人手不足には手を付けず、個人の作業効率という自己責任の問題にすり替えている。
(2)それもこれも、私の勤務先の、二次下請けの業務請負会社の社員が、ひたすら元請の大手スーパーや、その系列下にある一次下請け会社の目ばかり気にして、業務上必要な事も言わないからだ。その結果、今まであったルールですら、守られないようになってしまっている(例:入荷時間制限のなし崩し)。
(3)その挙句に、労災上の危険すら起こりかねない状況になってしまっている。
 例えば23日(土)午後がそうだ。PC用ドーリの在庫管理もロクスッポしないまま、在庫が無いからと言って、PCをカゴ積みで入荷させて(左下写真)、バイトにドーリに積み替えさせる愚を、また平気で繰り返した(右下写真)。
 新自由主義の考え方が蔓延り、ひたすらコスト削減、人員削減だけが追求される中で、下請けは自縄自縛の奴隷根性に染まる一方で、大資本の横暴に全然歯止めをかけようとはしない。その中で、「在庫管理の徹底」などの業務上必要な意見具申すら出来ずに、そのしわ寄せを現場に擦り付けているのだ。これでは、意図的に腰痛を発生させていると言われても仕方ないだろう。少なくともこの件に関しては、これ以上黙っている事は出来ない。
  
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チリ鉱山作業員救出報道が決して伝えなかった真実

2010年10月21日 23時53分20秒 | 反弾圧・監視社会
・ウィキペディア「コピアポ鉱山落盤事故」の項目より
チリは鉱業国として長い歴史を誇り、事故当時は銅生産世界シェア35%程と、リチウム生産量世界一を誇っている。しかし、一方で採掘現場の安全確保は立ち遅れ、2000年から年平均で34人が採掘中の事故により亡くなっている。
1995年に鉱山労働組合は、サンホセ鉱山の閉鎖を要求し、話は裁判所にも持ちだされた。2005~2007年にかけて労働監督局は閉山を決定したものの、なんらの改善措置も行政監督もなく、2009年操業の再開が認められた。今回の事故の原因となった強度の欠如も、事故が起きる前の段階で予測が可能だった物を、早期に鉱山閉鎖をしなかった理由について国内外問わず論争を引き起こしている。全国地質・鉱山事業局(Sernageomin)の果たした役割が疑われ、Sernageominの17人の監督官による責任のなすりあいが行われる一方で、鉱山経営者との間に利益提供があったことが疑われている。アタカマ州には2000から3000の鉱山があるが、担当する監督官はわずか2名であった。
 
・8月26日付「しんぶん赤旗」
 チリ鉱山落盤/07年に死亡事故 避難階段設置せず/会社に批判 国が指導へ
 現地からの報道によると、事故が起きた鉱山は2007年にも岩盤崩壊で労働者が死亡。鉱山はいったん閉鎖され、政府は、事故発生時に労働者が地下から地上へ避難できる階段を設置するよう会社に指導していました。しかし会社は無視し、08年から掘削を再開しました。
 チリでは1973年から90年まで続いた軍事政権が、新自由主義の経済政策を取り入れ、労働安全基準の切り下げや非正規雇用の拡大などの規制緩和策を進めました。2006年発足のバチェレ前政権は新自由主義の弊害を是正する政策を取ってきましたが、今でも傷跡は多く残っています。
 同国最大の労働組合、中央統一労組(CUT)は、今回の事故は「利益を求める貪欲(どんよく)さが引き起こした」と述べ、背景に「会社による事故防止策の欠如」「政府の監督力の弱さ」があったと批判。労働条件がとりわけ劣悪な小規模鉱山では、会社が労災をもみ消す例もあることなどを挙げ、企業に対する政府指導の強化を求めました。
(以上、新聞等より引用)

 以上2つの記事を挙げました。いずれも、この夏に大規模な落盤事故が起こった、南米チリ・コピアポ近郊の、サンホセ鉱山の実態を報道したものです。この記事からは、今回の事故が、行政当局と結託した鉱山資本による安全軽視によって引き起こされたものである事がよく分かります。
 それだけではありません。この鉱山では、救出された作業員がマスコミの脚光を浴びる一方で、その他の230名の労働者への賃金未払いで、3度もストが起こっているのです。
 しかし、日本の殆どのマスコミは、この肝心な事は殆ど伝えずに、作業員33名救出作戦の垂れ流しや、お涙頂戴の「よく耐えた、頑張った」美談や、果ては「作業員の妻と愛人が救出現場で大喧嘩」みたいな報道ばかりに終始していましたね。今回の件でも、如何に日本のマスコミが腐っているか、ジャーナリズム精神のカケラもないイエローペーパーと化してしまっているか、官房機密費(マスコミ対策費)の毒が回っているかを、改めて思い知らされました。
 スポンサー大企業の機嫌を損ねるような、「派遣切り」や今回の事故の様な報道は、出来れば避けたいのでしょう。でも、全く報道しない訳にもいかないので、通り一遍の番記事や上っ面だけの美談報道でお茶を濁してきたのです。

 「911」と言えば、米国や日本では、2001年9月11日に米国で起こった同時多発テロの事を指します。しかし、中南米では全く様相が異なります。彼の地では、「911」と言えば、1973年9月11日に南米チリで起こった、米国CIAと右翼軍部によるアジェンデ政権打倒クーデターの事を指します。当時、選挙により成立したアジェンデ左翼政権に対して、鉱山国有化や農地改革などの政策を快く思わない米国が、ピノチェトを初めとした右翼軍人に、クーデターをそそのかしたのです。
 その結果成立したピノチェト軍事独裁政権の下で、その後に米国レーガン政権や英国サッチャー政権、日本の中曽根内閣や小泉内閣の下でも強行されたのと同様の、公共部門の民営化や、福祉・教育・医療・国内農業の切捨て、賃下げ・労働運動弾圧などの新自由主義政策が推し進められました。それが、上記のサンホセ鉱山での安全軽視を招いたのです。
 
 ※写真は、当時のクーデターによって虐殺された歌手ビクトル・ハラのポスター。

 中南米諸国では、何故、「911」が同時多発テロではなく、アジェンデ打倒クーデターの事を指すのか。何故、当時の膿を一気に吐き出すかのような勢いで、今や続々と各国に左派政権が誕生しているのか。それは偏に、当時荒れ狂った弱者切捨ての新自由主義経済政策が、余りにも酷かったからに他なりません。
 しかし、日本の全国紙・メディアの大半は、そういう事はおくびにも出さず、チリでの作業員救出劇の一挙手一投足ばかりを垂れ流していました。そして、南米チリの鉱山と同じく、会社の金儲け優先・安全軽視・ノルマ至上主義によって引き起こされ、現にこの日本で起こった、かつての北海道・夕張新鉱ガス爆発事故についても、その事実に触れたマスコミはごく僅かでした。

・2004年6月2日付「朝日新聞と北海道の45年(04年)」
 (5)北炭夕張新鉱事故―1981年10月16日 59人いるまま坑内注水
 事故直後、坑内に59人を残し、会社は延焼を防ぐため、注水を決断する。当時の林千明社長は「お命をちょうだいしたいということです」と家族に頭を下げた。
 ―今だって許してねえよ。遺体は上がってなかったし、お父さんの無線が応答しているって聞いてたから。生きてるもんを殺す気かって。
 会場となった清水沢体育会館は怒声で揺れた。須摩さんは直後から、折々の気持ちを便箋(びんせん)につづった。3枚目に《私は気も狂わんばかりに友達にすがって泣いた》と書いた。
 注水同意書への押印をもらうため、会社の2人が自宅に来た。
 ―「生きて返すんなら押してやる」って言ったらしいんだ。頭がぼーっとして自分では覚えてねえんだわ。義兄が代わって押した。近所では「殺す気か」って社員につかみかかった人もいた。
 23日午後1時半、注水を告げるサイレンが鳴った。あちこちでヤマ人が手を合わせた。寛さんの遺体が上がったのは翌82年3月23日。その5日後、163日ぶりに全遺体が収容される。
 ―繰込場のお父さんのロッカーを開けた瞬間、泣き崩れた。服や靴がきちんと整理されてるんだわ。きちょうめんな人だったから。

北炭夕張新鉱事故 
 81年10月16日午後0時41分、海面下809メートルの掘進作業現場付近で約60万立方メートルのメタンガスが突出、83人が死亡、39人が重軽傷を負った。その後の坑内火災で救護隊10人も死亡する大惨事に。
 石油危機を背景に「年産2千万トン体制の維持」を掲げる国の新石炭政策が打ち出された75年に営業出炭を開始。「国内最後の最有望炭鉱」と期待されるなか、出炭量が目標を下回ったことで、安全対策より出炭が優先された。事故が引きがねとなり、翌年閉山した。
(以上、新聞等より引用)
 
 ※写真は、北炭夕張新鉱の通洞口跡。 

 斯く言う私も、これらの事実について全て知ったのは、つい最近でした。日々仕事ばかりに追いまくられ、食う事にばかり汲々としていると、知らず知らずのうちに、こうなってしまうのです。「食う事にばかり汲々としている」のは、決して私たちの所為ではなく、政府・財界による弱者切捨て政策によるものなのですが。
 しかし、今さらそれを恨んでも始まりません。肝心なのは、一刻も早く、一人でも多く、この事実を知る事で、二度と夕張新鉱やチリ鉱山の被災者を生まないような世の中を作る事です。これは、決して数十年前の夕張や地球の裏側のチリだけに止まる話ではありません。方や、軍事政権とつるんで暴利を貪ってきたチリの鉱山主や、会社存続の為に生存者を見殺しにした夕張新鉱の経営者。もう方や、何でも上の言いなりで、労働者の安全や生存権は二の次のウチの会社。両者の間に、果たしてどれだけの違いがあると言うのでしょうか?

(追記:参考記事)
・サンホセ鉱山の労働者は英雄か犠牲者か(レイバーネット日本)
 http://www.labornetjp.org/news/2010/1287449592749staff01/view
・チリの亡霊は救われてはいない(マスコミに載らない海外記事)
 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-05b5.html
・ミッシング ―もう1つの9.11 チリの軍事クーデターとアメリカ―(人類猫化計画)
 http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20060805.html
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劉暁波さんから我々へのメッセージ

2010年10月19日 21時42分08秒 | 北朝鮮・中国人権問題
天安門事件から「08憲章」へ-中国民主化のための闘いと希望
劉 暁波
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 中国人権活動家の劉暁波(りゅう・ぎょうは、中国名リュウ・シャオボー)さんがノーベル平和賞を受賞されたニュースは、職場のみなさんもご存知でしょう。天安門事件での中国政府の弾圧を告発し、「08憲章」を起草して民主化を訴えてきた、彼の今までの功績が評価されたのです。彼は今も「良心の囚人」(政治犯)として中国の刑務所に収監されています。その解放を求める国際署名が既に取り組まれています。「ヤメ蚊」さんのブログでも紹介されていますので、パソコン・携帯でインターネットにアクセス出来る方は、是非ご協力をお願いいたします。

 劉さんの訴えは決して他人事ではありません。彼は訴えます、「言論・集会・結社の自由は中華人民共和国の憲法でも保障されている」「然るに中国政府は、その憲法で保障された人権を自ら踏みにじっている」「中国では憲法も人権も絵に描いた餅にしか過ぎない」と。
 果たしてこれは中国だけに止まる話でしょうか。我々には無関係なのでしょうか。違うでしょう。我々も、日本国憲法で保障された言論の自由や生存権が守られず、会社に対して言いたい事も言えず、人間でありながらまるでモノの様に扱われているという意味では、中国の民衆と何ら変わらないじゃないですか。
 なるほど、日本は中国とは違い、複数政党制も三権分立も、労組活動の自由も、「一応は」広く認められています。経済格差も中国ほど激しくはない。「あくまで建前上は」。しかし、それらが職場ではいずれも「絵に描いた餅」「学校の教科書の中だけの話」にしか過ぎず、実際は「何も言えない」という意味では、本質的には何ら変わらないじゃないですか。  
 劉さんの問題は、決して中国やその他の遅れた後進国・途上国だけに限った問題ではありません。世界的には先進国に分類される、この日本の我々の問題でもあるのです。劉さんの求める自由は我々の求める自由でもあり、劉さんの解放は我々自身の解放にも繋がるのです。またその逆も然りです。そういう観点でこの問題を見るべきだと、私は思います。

TankMan - Tiananmen Square Protests (with John Lennon)


 また、近年、歴史問題や領土問題などで、日本とその周辺のアジア諸国との対立が激化しています。中国との間でも、尖閣諸島の領有権を巡って、対立が続いています。
 マスコミ報道では中国国内デモの「反日ぶり」だけが殊更クローズアップされていますが、日本国内の反中国デモの中にも、中国の反日デモと瓜二つの、狭量で排外主義的な主張が見受けられます。例えば次のようなものがそうです。

・支那人排撃運動第一弾決行!(新攘夷運動 排害社ブログ 「排害主義者宣言」)
>在日特権を許さない市民の会の八木副会長も駆けつけて下さり、支那人の排撃を訴える。最後に弊社代表もマイクを握り、支那人の追放を叫ぶ。「いい支那人もいる、という意見があります。しかし、そんなものどこにいるんでしょうか!?UFO、ツチノコ、ビックフット、そして、いい支那人!もしいい支那人が見つかるようならば、それより先に上野の山にUFOが着陸し、渋谷駅の植え込みでツチノコが見つかり、山手線の車内でビックフットが発見され、新橋の噴水から石油が出る!」
 http://haigai.exblog.jp/12025320/

 上記デモには、「劉暁波さん釈放」の要求やチベット亡命政府の旗を掲げた者もいました。しかし、幾らそんな主張を掲げた所で、言っている事がこれでは、それら「劉暁波さん釈放」や「チベット解放」の要求も、所詮は中国人を悪し様に罵るための、只の「口実」でしかないと思われても仕方がないですね。
 「いい支那人なんていない」「全て悪い支那人ばかりだ」と言うのでは、劉暁波さんも「悪い支那人」でしかない。また、反日デモが激しかった四川省にはチベット系の住民も少なくない、その中には経済格差に対する怒りから反日デモに加わった人たちもいるかも知れない。しかし、それを全て「反日」と一括りで捉えている限り、そのチベット人の悲しみは見えてこない。

 この場合、「敵」はあくまでも中国政府であって、中国人民ではない筈です。「敵」はあくまで支配者であって人民ではない。それがここでは、ものの見事に民族・国家対立の構図に摩り替えられてしまっている。これでは、中国の反日デモの事をとやかく言う事は出来ません。
 それだけではありません。その中国政府を支えているのが、彼の国の政府と結託して、低賃金労働で甘い汁を吸っている日米欧「自由民主主義国」の多国籍資本じゃないですか。しかし、民族・国家対立の単純な図式に囚われている限り、その搾取の構造は見えてこない。
 それもこれも、中国の問題を、我が事として捉えられる事が出来ずに、所詮は他人事として捉えているからではないか。勿論、同じ事は中国側にも言える訳だが。

 この問題については、歴史問題も当然絡んで来ます。歴史問題について言えば、日本が過去の侵略と植民地支配に対して、未だきちんと国民レベルで総括を行い得ていない所に、真の原因があります。村山談話や河野談話は、それを取り繕うための「言葉だけの謝罪」でしかない。他方で中国も、この日本の後ろめたさに乗じて、最近はこの歴史問題を、自国の人権侵害を居直る為の「口実」に利用している。

 日本は「歴史問題」で脛に傷を持ち、中国は「人権問題」で脛に傷を持っている。だから、それを誤魔化すために、両者とも、ことさら民族・国家対立に逃げ込もうとするのです。
 その絡み合った糸を解さなければならない。これは他方がもう一方に阿る事では決してない。また何も難しい事でもない。「歴史問題」は「歴史問題」、「人権問題」は「人権問題」ときちんと切り分け、両者を絡ませなければ良いだけの話です。
 中国は歴史問題を、自国の人権侵害を居直る口実にしてはならない。他方で日本も、中国の人権問題を、過去の侵略や植民地支配を正当化する口実にしてはならない。それだけの事です。

 そして、他国の人権問題を自国の人権問題に敷衍する事が出来てこそ、初めて真の連帯が生まれるのです。同じ事は経済問題についても言えます。中国の低賃金が日本の低賃金や労働条件悪化の一因になっているなら、尚更のこと、人民同士がいがみ合うのではなく、両国人民を搾取している国際資本やそれと結託している日中両政府と、ともに闘うべく連帯すべきではないでしょうか。「世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない」(宮沢賢治)のだから。


※写真は送迎バス車内での日中両国語併用表記。
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参考資料:08憲章=中華連邦共和国憲法要綱

2010年10月19日 00時37分22秒 | 北朝鮮・中国人権問題
※以下、「思いつくまま」というブログから転載します。

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争(日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派の残酷な鎮圧にあって失敗した。辛亥革命(1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジアで最初の共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患の歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国を現代版全体主義の深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化の歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である。言論・出版・信仰・集会・結社・移動・ストライキ・デモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権:人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である。人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である。中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである。

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別・経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民の社会的・経済的・文化的・政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団・多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和的方法で公共の事務を処理することである。

 民主:もっとも基本的な意味は主権在民と民選政府である。民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民は真正の選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民の基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力と行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝の権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国の根本的な活路である。

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派も違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国の民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立:権力分立の現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則を確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関は直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所を設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会を解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員は政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障:人権を確実に保障し、人間の尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会を設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕・拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙:全面的に民主選挙制度を実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民の選挙参加は奪うことのできない基本的人権である。

8、都市と農村の平等:現行の都市と農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民の移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由:国民の結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制を届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争の原則を確立し、政党政治の正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由:平和的集会・デモ・示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民の基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由:言論の自由・出版の自由・学術研究の自由を実現し、国民の知る権利と監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値と市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識を確立し、社会に奉仕する国民の美徳を提唱する。

14、財産の保護:私有財産権を確立し保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会を設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権の帰属と責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義を確立し納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択(住民投票)や民意機関(議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体と競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民をカバーする社会保障制度を構築し、国民の教育・医療・養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境を保護し、持続可能な開発を提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織の環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動で政治的迫害を受けた人々とその家族の名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会を設立し歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国は世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会のメンバーとして、人類の平和事業と人権の進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感・責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的に市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

(括弧)内は訳注。

原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40
(転載自由、出典明示)
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上に政策あれば下に対策あり

2010年10月18日 19時32分55秒 | 職場人権レポートVol.1
  
 前回記事以降の事について、簡単に報告しておきます。
 まずは「決行予告」に書いた16日朝礼での「決起」の件ですが、当日は朝礼もそこそこに、現場で滞留していた大量のカゴ車を邪魔にならない場所にみんなで移動しなければならなくなってしまったので、残念ながら発言するタイミングを逸してしまいました。既に次の商品も入荷し始めている中で、下手に発言して朝礼を長引かせようものなら、私がみんなから顰蹙を買いかねませんでしたので。
 ひょっとして、これは、私の発言を阻止するために、会社側が仕組んだ罠ではないかw。まあ、そこまで疑い出したらキリが無いので、これ以上は書きませんが。それに、別に焦らなくても、どうせ遅かれ早かれ問題は表面化してくるのだから、いつでも発言を求める機会はあるし・・・。

 次に個人日報記入の件。「書く暇がない」というのをクリアする為に、作業コードと作業名を予め用紙に記入しておくようにしました。要するに自分専用の雛形を作った訳です。毎日やる作業は個人別に大体決まっているので、そこに実際の作業時間を現場で記入していけば、いちいち転記する必要もなくなります。後は変更があった部分だけ修正すれば良い。
 そもそも、こんな日報なんぞ糞の役にも立たないのだから。各個人の動きを把握するだけでなく、その時の頭数や物量とも照合しなければ、効率化も業務改善も図れる訳がない。しかし、ぶっちゃけた話、今の社員にはそんな余裕も能力もない。無理に社員にそれをさせようものなら、それこそブラック会社の替え歌の一節「今日も社泊かな♪」状態に陥ってしまうw。

 若しそんな日報でも使い道があるとするならば、それは業務面ではなく、腰痛や労働災害が起こった際の証拠資料としてです。そう考えて、私も「搾取ダイエット」に倣って、歩数計を買いました。流石に百均で売っているヤツは、見た目にも造りがチャチなので、それよりも少し上等の安価なモノを、家電量販店で買ってきました。さあ明日から証拠集めです。
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いささか手前味噌の宣伝ですが

2010年10月14日 20時58分44秒 | 職場人権レポートVol.1
 
 職場新聞の発行はやはり無駄ではなかったようです。徐々にではありますが、職場の雰囲気が確実に変わってきました。
 たとえば個人日報の件。前回記事で「日報つけろと言われても、そもそも書く暇もないじゃないか」という事を書きました。日報記入自体はしごく簡単な事です。既に主な作業名が用紙右半分にコード番号付で印刷されているので、そこから自分が今日一日やった作業を順番に抜き出して、それぞれに開始・終了時間を記入すれば良いだけです。それに補足する事があれば備考欄に書き足す。後になって思い出すのが面倒ならば、作業の節目ごとに終了時間をメモっておいて、最後に用紙に記入すれば良い。ものの10~15分もあれば書けます。しかし、一日の中で、そのたった10分、15分すら確保出来ないのが現状なのです。

 私の勤務シフトで言えば、一日基本7時から16時までの拘束9時間、実働8時間勤務の中で、休憩は前半30分、後半30分の1時間のみで、後は小休止もなく、ひたすら動き尽くめ、運び尽くめの毎日です。ギリギリの人数で仕事を回しているので、そうしないと配送便の出発時間に出荷が間に合わないのです。お陰で、ただでさえ少ない休憩時間が、日報記入で更に少なくなる。前半の休憩なぞ、早めの昼食と日報記入だけで終わってしまう。
 だから私なぞは、無理すれば当日退勤時に日報出して帰れるのに、「書く暇がない」と言って、わざと自宅に持ち帰って、翌日出勤時に出すようにしています。たかが紙切れ1枚書くのにも、そんな「無理」をしなければならない事自体が、そもそもオカシイのだと言う事を、上にも分からせる為に。

 それは、私だけでなく、他のほぼ全員が思っている事です。現に私以外にも、「そんなに日報書けと言うなら、時間ギリギリまで働かせるような真似なぞせずに、早めに上がらせてくれ」と、所長に直談判に及んだ人がいました。それに対して所長の言った台詞が、何と「帰りのバスの時間を後にずらせば良いんだろ」ですよ。翌日その人が憤慨して私に言ってきました。どこまでも時間一杯こき使いたいようです。そんなに「時間内に」書かせるのが嫌なら、そんな意味のない日報なぞ止めちまえば良いのに。
 そもそも、作業の遅延やミスも、全て大資本の新自由主義的「人減らし」経営と、それに何も言えない下請け社員の奴隷根性に起因する事なのに、それを労働者の「作業効率」や「モチベーション」の問題に摩り替えて、個人に責任を擦り付けようとする、上の魂胆が嫌みったらしい。

 昨日13日も帰りのバスの中は、その話題で持ちきりでした。しかも、言う内容が以前とは徐々に変化しています。以前なら「大変だ、かなわんな」「どうしよう?」という愚痴だけで終わっていたのに、今はもう「みんな大人し過ぎるんや、もっと言いたい事は言ったら良いのに」という声が、私以外の複数の人間からも上がるようになってきました。但し、それが労組結成などの具体的行動にまで踏み出せないのが、今の限界ですが。しかし、以前の「かなわんな」や「どうしよう?」だけの状態から、今の「オカシイんちゃうん」とはっきり言い始めた状態に、一歩前進しているのは確かです。ささやかながら、私の職場新聞も、その一助には確実になったのは間違いないでしょう。

 今日14日のシフト休みに、地域労組の事務所に出掛けて今後の進め方について少し相談した時も、この「個人日報」と「静音備品」の件で話が盛り上がりました。はっきり言って、労組の人も呆れ返っていました。
 「そんな意味のない日報書かせるよりも、人や時間の使い方にムダやムラが出ないように、現場で適切な指示が出せるように社員教育するほうが、よっぽど先決じゃないか」とね。
 「指定店舗には静音備品で出荷しろ」との指示に対しても、「そんな面倒な事を無理強いするくらいなら、一層の事、全て静音備品で統一すれば良いのに」。実際そうですよね。わざわざ仕様変更なぞしなくても、順次ドーリの車輪を音の出ないタイヤ製に切り替えて、カートに緩衝材を施していけば、それで済む問題じゃないですか。今も続々と新店をオープンさせている大スーパーに、「それぐらいの金もない」とは言わせません。
 そのくせ、配下のバイトに「静音備品を使用させろ」と言うばかりで、入荷受付窓口で注意書きを渡させるなどの具体的措置は一切取ろうとしない下請け社員の姿勢についても、「そもそも、バイトが少しでも作業しやすいように業務改善を図るのが、社員本来の仕事じゃないか」「その肝心な仕事をせずして、バイトと一緒になって仕事に埋没しているようでは、何の為の社員か分からない」とね。どれもこれも至極当然の意見です。

 最後に、今回の職場新聞の紙面差し替えについて。当初は北朝鮮での後継者内定のニュースを受けて、そのネタで行こうと思っていましたが、その後に牛乳仕分けや個人日報の話が出てきて、職場新聞もそちらの話題に対応しているうちに、当初のニュースがすっかり霞んでしまいました。全文はブログの方で見ていただくとして、こちらでは下記にその要点を引用するだけに留めておきます。

 
(引用開始)
職場の労働強化の問題も、最終的にはスーパーの新自由主義(金儲け至上主義)的な経営方針や一次下請けによるピンハネを是正しない事には、何ら解決しない。でもそれだけが問題ではない。その元請の新自由主義やピンハネを唯々諾々と受け入れている二次下請けの「社畜・奴隷根性」の問題もあるのではないか。それら「搾取する側」と「される側」の双方の問題が一掃(それが適わないならせめて軽減)されない限り、我々はこの生き地獄から抜け出せない。
(中略)
北朝鮮では次の指導者に金正日(キム・ジョンイル)三男の金正恩(キム・ジョンウン)が指名された。国の指導者を選挙ではなく世襲で決めるというのが、この独裁国家のやり方だ。しかし、それを「自由がない」とか「非民主的だ」と言って嘲笑する日本社会も、では自分たちはどうなのか。現に私の勤務先の会社も、北朝鮮と似たような有様ではないか
(中略)
一日12時間も13時間も働かされているのに、上司や会社には何も言えずに、「公務員は定時で帰れて贅沢だ」とお門違いの八つ当たりに出たり、「弱肉強食が世の習い、日本は資本主義なんだから仕方無い、それに文句を言う奴は怠け者だ」なぞと言って、そうやって自らの不甲斐なさを誤魔化しているだけじゃないか。
(中略)
今の日本社会の右傾化・保守化現象も、案外これが本当の姿ではないでしょうか。それは決して、今までの自民党政治が支持された訳でも、安倍や田母神が支持された訳でもない。「もうこれ以上良くならない」「ひたすら今よりも、他のもっと悲惨な誰それよりも悪くならないことを祈るのみ」と現状にしがみついているだけではないか。そんな諦めと奴隷根性が、「大勢順応」とか「勝ち馬に乗る」という形に靡くのが、パッと見には、恰も社会が右傾化・保守化しているように映っているだけではないか。
(引用終了)

 実際、労組の人も心配していました。「発注元のスーパーが利益追求・コストダウンに走り、下請けも上の顔色を伺う事ばかりで暴走を諌めようとしない、上記の”ロジ・ジョンイル”のような状況では、若し何か事故やトラブルが起こっても、誰も責任を取らないのではないか」と。それに対して、若し下請け社員が「上に逆らって、従業員の生活がどうなっても良いのか?」と脅かしてきたら、言い返してやれば良い。「従業員の生活が」ではなく「己の生活が」だろう、「己の生活」さえ守る事が出来れば「後はどうなっても良いのか?」と。
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社畜の奴隷根性が新自由主義をはびこらせる

2010年10月13日 01時00分36秒 | 職場人権レポートVol.1
  
 いよいよ本日から個人別に作業日報をつける事になった。「従業員各個人の一日の仕事の流れを時系列で洗い出し、業務配分や人員配置のムダ・ムラを無くす」のだそうだが、「冗談も大概にしろ」と言いたい。
 日報を書く時間もないのに、どこにそんな「ムダ」があると言うのか。「乾いた雑巾を更に絞る」ような真似をするな。
 業務配分や人員配置にムラが出来るのも、社員が適切な指示をろくに出せずに、仕事を全部バイトに丸投げしているからではないか。そこが改まらない限り、我々バイトの作業を幾ら洗い出してもムダだ。問題はバイトの作業効率ではなく社員の姿勢にある。

   
 この野菜ドーリの仕分けにしてからが、そうじゃないか。緑色のケースに入った商品を、ドーリという台車に乗せて店別に仕分けし、ハンディ・ターミナル(右上写真)で商品・店名ラベルのバーコードを読み取って、出荷していく作業なのだが、「先に全部商品を撒いてから、後でハンディで読み取った方が、効率が良い」という事でやり方を変えた所、かえって混乱。
 そりゃあそうだろう。毎日2千ケース近くも入荷するのに、ハンディの読取りを後回しにしたら、読み漏らしが多発するのは当然。現場を知らずに、頭の中だけで目先の成果を追うから、そうなるのだ。正に「ロジ・ジョンイル」を地で行く話だ。

  
 午後から「あわしま堂」という和菓子メーカーの商品が入荷したが(上左)、当日の入荷予定表には載っていなかった(上右)。こんな事は今までも日常茶飯事だった。その結果、従業員が今までどれだけ不意の残業を強いられてきたか、上は知っているのか。
 これもこれも全て、元請スーパーやその子会社の所で、入荷コントロールが全然出来ていないのが原因ではないか。それを棚に上げて、下請けの我々の「作業効率」の問題に責任転嫁しようったって、そうは問屋が卸すか。

   
 住宅地にあって、夜間納品時の騒音クレームを避けるために、静音仕様の備品に積んで出荷しなければならない店舗が幾つかある。上記のカート(台車)も、えんじ色の通常カートとは別に、静音仕様の白色カートがあるのだが、前者と後者とはどう仕様が違うのか、片っ端から社員に聞いても、誰もまともに説明出来なかった。それでようよう聞けば、「白カートには緩衝用のゴムが横に付いている」のだそうだ。それがこの写真なのだが、どう見ても気休めでしかない。しかも、台車の足回りは今までのものと全く変わらない。台車同士が擦れ合えば、幾らでも騒音が発生する。かと言って、そんな事を気にしていたら仕事にならない。

 以上、一事が万事「頭隠して尻隠さず」「行き当たりばったり」の「責任逃れ」なのだ。それもこれも、現実を無視して、頭の中だけで「目先の効率」ばかり追うからだ。最初の「個人別作業日報」にしても、次の「商品先撒き、後でハンディ・スキャン」の彌縫策(びほうさく=小手先のつじつま合わせ)にしても、全てはそんな発想の為せる業だ。
 その基を正さなければ何も変わらないのに、奴隷根性のウチの社畜社員は、元請やその子会社が怖くて何も言えない。これが「個人別日報」や「野菜ドーリの仕分け」だけに止まっているうちはまだ良い。しかし、それが牛乳の自前仕分けで、従業員に腰痛が多発するようになっても、同じように「頭隠して尻隠さず」「行き当たりばったり」の「責任逃れ」で済ますつもりなのか。

 標題に掲げた「新自由主義」こそが、そんな「目先の効率、採算性、会社の金儲けだけ」を重視する考え方なのだ。この数十年来、何でも採算ベースだけで、「官から民へ」と言うことで、病院や保育所などの民営化が進められただろう。その最たるものが国鉄分割民営化であり、郵政民営化だった。
 その結果どうなった。JRで言うと、民営化当初こそ多少サービスが向上したものの、そんなものは「騙し絵」にしか過ぎなかった。その陰で、ATS設置などの安全面への投資は、採算ベースに合わないからといって、軒並みカットされていった。そして無理なダイヤ改正が強行され、運転士には「日勤教育」の恫喝が加えられた。その行き着く先が、数年前のJR尼崎事故だったではないか。

 翻ってウチの職場はどうなのか。元請スーパー資本による「目先の利益追求至上主義」といい、下請け社員の「何でも言いなり奴隷根性」といい、その両者が合わさっての「労働者をモノ扱い」といい、JRの体質と瓜二つじゃないか。
 勿論、この資本主義社会で、企業として存続していかなければならない以上、儲けを度外視する事は出来ない。しかし、それは「労働者・消費者・取引先あっての儲け」でなければならない筈だ。労働者の犠牲の上に胡坐をかいた利潤追求の姿勢は、やがては下請け虐めや、消費者をも省みない耐震偽装や日付・産地偽装などの犯罪行為を生み出すに至り、最後には企業そのものの存続をも脅かすようになる。
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決行予告

2010年10月10日 18時42分07秒 | 職場人権レポートVol.1
   

 バイト先で今年4月頃から話が表面化し、私が地域労組に個人加入するキッカケともなった「牛乳の自前仕分け」作業が、この10月18日からいよいよ導入されます。18日店着分からなので、実際には17日午後からの作業となります。
 会社側は、バイト朝礼では、さも尤もらしく「今までの様な派遣頼みではなく、直雇用での人員補充を図る」なんて言っておきながら、後でこっそり総務社員に聞くと、新規の募集も応募も全然やっていないようなのです。それどころか、「下手に人を入れたら今までいるバイトの残業代が払えなくなる」みたいな事まで言っていました。

 直前になっても何ら手が打たれないようなら、私は生憎17、18日と連休のシフト休みなので、その前日16日の朝礼で会社の姿勢を糾すつもりでいます。その時の成り行きによっては、地域労組に加入の件も公然化して、団体交渉の申し入れにまで話が発展するかも知れません。それもまた好しです。
 確かに、私一人が言ったからといって、それで会社が変わる訳ではないかも知れません。でも、誰かが何か言わなければ、ますます元請や会社の好き勝手し放題になってしまう。黙っていても「やられる」のなら、同じ「やられる」にしても、少しでも「やり返さなければ損」じゃないか。

 いきなり「牛乳の自前仕分け」が云々と書かれても、一般読者の方にとっては事情がよく分からないでしょうから、ここで簡単に説明しておきます。
 私の会社は某大手スーパーの物流センターで業務を請負っており、私はそこで毎日7時から16時まで働いています。そこの物流センターでは、毎日午後からは翌日早朝店着分の牛乳・乳製品が、多い日では2万ケース前後まで、少ない日でも2~3千ケースから入荷します。明治・森永・日本ミルク・・・と、主な乳業メーカーの商品が、多岐にわたって納品されます。
 それらの牛乳の店別仕分けを、今までは納品業者による外注作業で行っていました。私たちは、主に荷受け・検品と、業者が仕分けした商品の搬送に携わってきました。既に幾つかのメーカー分は自前仕分けに切り替わっていますが、全体からすれば、まだまだ小物中心の限られたものでした。それがこの18日店着分からは、主要メーカー分についても私たちが仕分けするようになります。最初は明治乳業の分だけですが、ゆくゆくは他のメーカー品も自前仕分けに切り替えていく予定だそうです。詳しい経過については、4月頃の「職場人権レポート」カテゴリー記事を参照して下さい。

 この「牛乳の自前仕分け」作業の問題点は、大体下記に集約される筈です。
 第一に、純粋に業務上の必要から出た話ではなく、徹頭徹尾、採算ベースからの発想でしかない。狙いは外注費の削減だけです。要するに「コスト削減まず先に在りき」で、その為に下請けの労働者がどうなろうと知ったこっちゃない、という事です。
 第二に、この儲け本位のスーパーの発想に対して、その下請けの私の会社はと言うと、只々言いなりになるばかりの、成り行き任せで、自社従業員の健康や安全に責任を負う姿勢が全然感じられない。「全く上の言いなり」で、そのくせ「自分たちの責任は回避しよう」「ツケは全て現場の労働者に転嫁しよう」というのが見え見えなのです。

 恐らく会社としては、同じ時間帯に仕分けしていたチョコレート・菓子類が、秋になり低温仕分けから常温仕分けに変更になるので、その「余剰」人員を振り分ける事で当座を凌ぐつもりなのでしょう。しかし、これから冬場にかけて、ますます物量が増えるというのに、いつまでそんな「綱渡り」みたいなやり方で凌ぐつもりか。
 そもそも、それ以前に、今ですら、センター内のどこの部署でもカツカツの人員で作業を回しているというのに、どこにそんな「余剰」があると言うのか。「椅子を増やす」という抜本策には一切手をつけないまま、いつまで現場に「椅子取りゲーム」を強いれば気が済むのか。
 会社はそれに対して、恐らく「財源がない」と言い訳するのだろうが、本当にそうか。この際はっきり言うが、同族企業のこの会社には、ロクスッポ仕事もしない職制や社員も少なくないじゃないか。上に言うべき事も言えないのなら、そのツケはまず自分たちが背負うべきだろう。上に言うべき事も言えず、そのくせ自分に火の粉が飛んでくるのだけは避けたいからと、そのツケをひたすら下にしわ寄せして、自分はそ知らぬ顔では、余りにも虫が良すぎる。

 憲法や労基法などに書かれた権利は、決して「只の飾り」でもなければ、「学校の教科書の中だけの、絵に描いた餅」でもない。それは、使いこなされてこそ、初めてその真価を発揮するものだ。その権利について無知で、行使する術を知らなかったが為に、前の職場で一週間只働きさせられた挙句に退職されられても、それが違法である事すら認識出来なかったバイトがいた。みんなは彼の事を、仕事が出来ないとバカにしていたが、「何も知らない」「幾ら違法な事をされても何も言えない」という意味では、他のみんなも彼と同格でしかない。

 まず18日までは会社の様子を伺います。その間、地域労組とも連絡を取ります。そして、会社がスーパーと結託して、上記第一、第二の姿勢で臨んで来る事がいよいよはっきりすれば、直前の朝礼でその姿勢を糾し、相手の出方次第によっては労組加入の公然化と団体交渉の申し入れにまで話を持っていくつもりでいます。
 そうなれば、たとえたった一人の組合員からのものであっても、会社は労組の団交要求を拒否できない事は、労働組合法第7条にもある通りです。月々僅か1200円の組合費とは言え、貴重なお金を毎月「掛け捨ての保険料」のように労組に払ってきたのも、偏にその時の為だったのだから。俺は、これ以上モノのようにこき使われるのは、もうゴメンだ。

     
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奴隷根性に支えられた搾取と右傾化

2010年10月10日 08時23分56秒 | 職場人権レポートVol.1
 私が発行している「ワーキングプア解放新聞」という名の職場新聞ですが、最近では「職場人権レポート」カテゴリーに所収の職場ネタだけでなく、それ以外の話題についてもなるべく掲載するようにしています。この直近の尖閣諸島・マルクス関連の記事も、当該新聞に載せて配布しました。狭義の職場ネタだけに限っていては、どうしても視野が狭くなってしまいますし、ネタも尽きてしまいますので。勿論、その場合でも、あくまでも「ワーキングプア解放」の視点は外さないようにしていますが。
 でも、そうなると今度は、読者のほうで、何がなんだか訳が分からなくなってしまうのでは、という心配も一方であります。「職場の問題を取り上げている」という事で読んでみたら、それ以外の難しい話も一杯出てくる。たとえ難しい話でも、「ワーキングプア解放」に繋がる大事な話は、今後も出来るだけ取り上げていくつもりですが、せっかくの新聞も読者に読んで貰わなければ意味が無い。それに、職場ネタは書き出せばキリが無くなる。という事で、今後は職場ネタについては、その名も「社畜作業日報」というコラム欄のページを作って、出来るだけそちらで取り上げるつもりです。

 「作業日報」というのは毎日我々が現場で記入する作業報告書で、それをブログ・新聞にも準えたものですが、その前に付された「社畜」の語が、人によっては物議を醸すかも知れません。何故敢えてそんな「嫌らしい」名前にしたか。それも偏に、職場から奴隷根性の一掃を図る為です。私の勤め先は、以前にも言ったように、某大手スーパーの物流センターで業務を請負っている、二次下請けの会社です。職場の労働強化の問題も、最終的にはスーパーの新自由主義(金儲け至上主義)的な経営方針や一次下請けによるピンハネを是正しない事には、何ら解決しない。でもそれだけが問題ではない。その元請の新自由主義やピンハネを唯々諾々と受け入れている二次下請けの「社畜・奴隷根性」の問題もあるのではないか。それら「搾取する側」と「される側」の双方の問題が一掃(それが適わないならせめて軽減)されない限り、我々はこの生き地獄から抜け出せない。この名前にはそんな思いが込められています。

 下記が、そのコラム欄「社畜作業日報」の直近の記事と図柄です。北朝鮮の後継者内定のニュースを揶揄したもので、タイトルもずばり「ロジ・ジョンイル」。但し、図柄の青字の部分は、ブログ公開用に新たに書き加えた説明書きです。部内報の職場新聞には載っていません。



 北朝鮮では次の指導者に金正日(キム・ジョンイル)三男の金正恩(キム・ジョンウン)が指名された。国の指導者を選挙ではなく世襲で決めるというのが、この独裁国家のやり方だ。しかし、それを「自由がない」とか「非民主的だ」と言って嘲笑する日本社会も、では自分たちはどうなのか。現に私の勤務先の会社も、北朝鮮と似たような有様ではないか・・・と皮肉ったのが、上記コラムの内容です。
 実際にも、北朝鮮や中国の事となるとやたら興奮するくせに、では己自身はどうかと問われれば、彼の国の独裁者と同じくらい人権意識の希薄な人が、最近とみに目に付きます。そういう人に限って、自分の事は棚に上げて、「左派・人権派」叩きのネタとして、殊更この問題を持ち出してきます。「北朝鮮・中国を見ろ、あれが社会主義の真の姿だ、何だかんだ言っても資本主義が一番良いんだ、所詮世の中は弱肉強食なのだ、それを差別とか言う奴は親北朝鮮の反日分子だ、強い奴が弱い奴を差別して何が悪い・・・」という具合に。ネットウヨクなんて、その典型でしょう。
 しかし、ではその北朝鮮・中国を批判する当人はどうなのか。一日12時間も13時間も働かされているのに、上司や会社には何も言えずに、「公務員は定時で帰れて贅沢だ」とお門違いの八つ当たりに出たり、「弱肉強食が世の習い、日本は資本主義なんだから仕方無い、それに文句を言う奴は怠け者だ」なぞと言って、そうやって自らの不甲斐なさを誤魔化しているだけじゃないか。実際に、今までもそういう人を何度も見てきました。自分が「働く機械」、モノ扱いされているのに何も言えずに、「女性は産む機械」発言の柳沢厚労相(当時)を露骨に擁護した前任地の所長などを筆頭に。

(注)尚、だからと言って、今の北朝鮮・中国を擁護する気は毛頭ありませんので。あんな国は、もはや社会主義でもなければ労働者の国でもない。私がここで問題にしているのは、あくまでも、自らを誤魔化すために北朝鮮・中国批判に便乗する、上記のような人たちです。以上、念のため。

 「日本社会が右傾化した、保守化した」と言われるようになって、大分経ちます。しかし、本当に右傾化・保守化したと言えるのか。私も、かつてはそう捉えた時期がありましたが、今は「必ずしもそうではない」と思うようになりました。何故なら、本当に「日本が右傾化した、保守化した」というのであれば、「維新政党・新風」や「たちあがれ日本」などはもっと議席を得ている筈ですし、安倍政権が退陣に追い込まれたり、麻生政権・自民党があのようなブザマな敗北を喫して政権交代に至るような事は無かった筈です。
 確かに、現象面だけを見れば、田母神俊雄(元自衛隊空幕長)の講演会が人気を呼んだり、佐藤正久(イラク派遣自衛隊の「ヒゲの隊長」)なんかが国会議員に当選したりもしていますが、それはニュースなどで取り上げられマスコミで話題になったからに過ぎません。かつての「蟹工船」「派遣村」ブームと同様の、一時の盛り上がりでしかない。前者との違いは、これら「右」のブームは、財界筋・スポンサー企業からの資金力をバックに持つ右翼・御用メディアの影響力が、「左」のそれよりも遥かに大きく、どんな小さな本屋にも「正論」「諸君」「WiLL」などの右翼雑誌が置かれているが為に、恰も「猫も杓子も右に靡く」ように思わせられている所にあるのではないか。
 その「正論」以下の雑誌にしても、かつて60~70年代に「朝日ジャーナル」や「本多勝一」「小田実」が一世を風靡したのと、同じでしかないのではないか。「全共闘運動・大学紛争」や「公害反対運動・革新自治体」華やかなりし当時も、一番力を持っていたのは、今よりも遥かに強かった自民党でした。

 その当時は、少なくとも「派遣村」や「ネットカフェ難民」の惨状はありませんでした。携帯やパソコンやコンビニもありませんでしたが、国民は、それなりに総中流時代を満喫していました。当時も、実際には、シングルマザーやパート労働者、中・高卒者や中小企業従業員、沖縄などの地方出身者や在日コリアン・外国人と、大企業社員との間の格差は厳然としてあった訳ですが、それは大多数の国民の目からは隠されていました。
 その当時から比べたら、今は誰の目にも貧困の実態が明らかになっています。これは聞いた話ですが、某大手製パン会社では、部署によっては、通常の昼勤者が夜もそのまま、翌日の昼過ぎまでぶっ通しで働かされている所があるのだとか。それだけ働いても、残業手当が出るのは10時間か20時間分までで、後はひたすら只働きなんだとか。そんな所ですから慢性的な人手不足で、勤務シフトもまともに組めず、次の休みも前日にならないと決まらないのだとか。そんなブラック会社とっとと辞めればいいのにと、普通は思うのでしょうが、もうそういう環境に染まってしまうと、逃亡するパワーも失せてしまうのだとか。(私の生協時代末期もそれに近い状態だった)
 ちなみに、その人は、正社員とパート・バイトの間にいる準社員です。パート・バイトとは違い、社会保険には一応加入し、給与も20万円前後はあるようなのですが、勤務時間が半端じゃない、でも辞めない。で、その話をした同じ会社の準社員も、自分も1日12時間以上も働かされているのに、「その昼夜ぶっ通しで働かされている人と比べたら、まだ自分はマシだ」とか、実際には昇格の望みなぞ殆どないのに「ひょっとしたら準社員から正社員に昇格できるかも知れない」と言って、辞めないのだとか。

 以上は、私が行きつけの鍼灸医さんから、患者さんの話として聞いたものです。まるで感覚が麻痺していますね。実際、鍼灸医さんがその患者さんと話をしていた時も、話がまるでかみ合わなかったそうです。その会社の名前を聞いて驚いたの何の、何と私も以前バイト面接を受けた事のある企業でした。不採用だったのか、当時二股も三股もかけて職探しをしていた私が、他に内定を得てその会社を蹴ったのか、大分前の話なのでもう忘れましたが、何にせよ採用されなくて良かった。そんな会社に採用されようものなら、それで数ヶ月無駄な人生を過ごす所でした。それどころか、下手したらその会社に殺されていたかも知れません。
 そんな会社、誰が考えてもオカシイと思うのが普通でしょうが、でも一旦そんな環境下に置かれてしまうと、それで当たり前のように思ってしまうのです。或いは、オカシイと思いながらも、抗う事の出来ない宿命であるかのように、それを受け入れてしまうのだとか。

 以上、話が少し飛びましたが、今の日本社会の右傾化・保守化現象も、案外これが本当の姿ではないでしょうか。それは決して、今までの自民党政治が支持された訳でも、安倍や田母神が支持された訳でもない。「もうこれ以上良くならない」「ひたすら今よりも、他のもっと悲惨な誰それよりも悪くならないことを祈るのみ」と現状にしがみついているだけではないか。そんな諦めと奴隷根性が、「大勢順応」とか「勝ち馬に乗る」という形に靡くのが、パッと見には、恰も社会が右傾化・保守化しているように映っているだけではないか。
 何のことは無い、北朝鮮や中国を一党独裁だと非難している日本人も、奴隷根性に囚われているという点では、彼の国の国民とも本質的には何ら変わらない。寧ろ、ストライキに立ち上がっている中国の労働者の方が、よほど元気がある。そう思うと、表面上の「右傾化・保守化」よりも、日本社会を蝕む奴隷根性の病巣のほうが、もっと根深く手ごわいのではないか。それを改めて実感させられました。

※当初の投稿(2010-10-07 23:50:24)に、更に手を加えました(2010-10-10 08:23:56)。
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