湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

メイ・サートン冬のダイアリー

2014-12-04 18:21:32 | 文学

江の島シーキャンドルのイルミネーションを見ると冬が来た~って感じます。
冬、詩人は独りで何を読み何を考えたのかとふと思い、メイ・サートン「独り居の日記」12月2日の項を読んでみました。

今朝はテイヤール・ド・シャルダン(『神のくに』)を開き、次の文章を見出す。(略)
各人はその人生の行程においてたんに従順に従うことを示すだけではすまされない。彼は誠実をつくして、彼自身というもっとも自然な領域から始め――地上のありとある要素(エレメント)の何かがこめられた仕事を、作品を築きあげなくてはならない。人は地上にある生涯のすべてを通して、みずからの霊魂を作る。そして同時に彼は、彼の個人的業績と言う展望を無限に超越するとともに、それを狭く規定もするもう一つの仕事、もう一つの作品、すなわち、世界の完成という協働作業に加わるのである。
 われわれは、霊魂を創造していると信じられるときはじめて、人生に意味を見出すことができる。しかしそれをいったん信じたなら――私はそう信じるし、常にそう信じてきたのだが――私たちの行為で意味をもたぬものはないし、私たちの苦しみで、創造の種子を宿さぬものはない。私はあのひどい書評以来(それ自体重要ではない)、どんなに不公平な書き方がされていようと、あれは私があの小説を発表するについて、物質的な面に気をとられすぎたことへのメッセージだったと確信するようになった。私はベストセラーへの危険な希望を抱き、また今度ばかりは、批評家、つまり権威者から今までよりよい評を得られるのではと思惑し、仕事がそれ自体で独立し、一人歩きをし始め、自分が発見した森に咲く野の花を見出した人の興奮で少数の人に見出され、心から心へ伝わってゆくことをもう一度願わなかったことへの警告だったと。私の仕事を発見してくれるであろうどこかにいる誰かの孤独と私の孤独のあいだには、真のコミュニオンがある。過ぐる何年かのあいだ、私はその祝福に恵まれていた。それは野心から“解放されて”いて、ポピュラー・ソングの言いぐさではないが、“世間を忘れさせる”。これこそ私の希望できることであり、私はそれより多くをも少なくをも望むべきではない。

あのひどい書評とは、小説「総決算の時」に対する評価のことです。
野心をもたず自分自身の霊魂を築いていくようにします

「独り居の日記」口絵からメイソンの家の前に立つサートン。氷柱に積雪。寒そうです。この後、次の日記本のタイトルにもなっている「海辺の家」に引っ越すんですね。
コメント
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