私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

たでのはな美術館 芹沢 介の世界

2014-01-26 15:05:45 | ギャラリー散策
 1月26日(日)  天気:晴れ のち 曇り 一時 雨 のち 晴れ   室温:14.9℃

 きょうは 赤穂まで ドライブしてきました。 まず 尾崎にある ”たでのはな美術館” へ行き 「芹沢介の
世界」 を見て 赤穂御崎の ”赤穂ハイツ” へ。 お風呂(温泉ではない)に入り 昼食。 次に ”桃井ミュー
ジアム” へ行き 「岡部宝英 能面展」 を見て 伊和都比売神社へ寄って お参りし ”CAPE HOUSE”
へ行き 「赤穂緞通」 を見てきました。 1月23日の新聞に 「能面展」 と 「芹沢介の世界」 が 載って
いました。 27日まで です。

 9:40 出発。 国道2号線を西へ走り 相生を縦断し 高取峠を越えて 南へ下り 坂越橋を渡らず 直進。
県道459号線で 赤穂市街に入り 主婦の店の信号で右折すると 100m先の角が たでのはな美術館です。
10:25 到着。 狭い敷地に 駐車。 ここまで 25.0km。 


 型絵染の人間国宝 没後30年 「芹沢介(けいすけ)の世界」 をしています。 入館料は 200円。
芹沢介(1895-1984)は 静岡生まれ。 1927年 柳宗悦の 『工芸の道』 を読み 深い感銘
を受けて親交を重ねる。 1935年ころから 柳宗悦の依頼により 雑誌『工藝』 の装丁を手がけることで
染色作家として 民芸運動に 本格的に 参加するようになる。
 また 再三 沖縄を訪れ 沖縄の紅型の美しさに 強い衝撃を受けて 染色家になることを決意する。 紅型と
和染に学び 図案・型彫り・染めまでを一貫して行う 「型絵染」 の技法を生み出し 明るい色調と 明快な
文様を特徴とする作品を数多く制作した。 1956年 重要無形文化財 「型絵染」 の保持者(人間国宝)
に 認定され 「型絵染(かたえぞめ)」という呼び名は その際 案出された。 1976年には 文化功労
者に 選ばれた。
 館内は 写真禁止なので 館長さんに お願いして 本を撮らせていただきました。
≪追 記≫
 芹沢介は 今まで 聞いたことのない名前でしたが 2月2日の新聞に 倉敷の大原美術館で 1978年
 染色家の故・芹沢介氏のコレクション展が開かれた・・という記事がありました。 芹沢介が 話題ではなく
 美しい品々の中に 小鹿田(おんた)焼の柳瀬朝夫作のすり鉢がありました という記事ですが・・・。 




 県道32号線で 赤穂ハイツへ行きます。 10:50 着。 たでのはな美術館から 3.2km。
赤穂ハイツでは ロビーに 大道位久男 剪画2014「午」 が 展示されていました。


 奥には 水野清司さんの ペン画 「坂越のまち並」 を 展示中。 ガラス面の光の反射は 何ともなり
ません・・・。


 フロントで 入浴料600円を払って 地階の風呂へ。 以前は 500円だったのに いつの間にか 値上げして・・。
温泉でさえ 600円なのに 温泉でもないのに・・。 風呂上りに 食堂で 定食を食べようとすると 定食は 予約
客のみ・・。 赤穂ハイツは サービスが悪くなった・・。 カレーを食べながら 目を凝らすのですが いくら
目を皿にしても 明石大橋が 見えないし・・・。 これは お天気のせい?
 赤穂ハイツのお風呂は 上水に含まれる硬度成分を 除去し 肌に優しい軟水を使用しています。 軟水の風呂
は ナトリウム温泉の泉質に近く 美肌作用、保湿効果が あるそうですが・・・。


 播磨灘にに浮かぶ家島の男鹿島は 軍艦のような形で ハゲているので すぐ分かります。 男鹿島の左に
小さい島が 四つあり 一番左の上島と その右のクラ掛島の間に 明石大橋が 見えると思うのですが・・・。


 県道32号線を南へ下り 桃井ミュージアムへ行きます。 12:11 着。 赤穂ハイツから 1.9km。
雨が降ってきました。 桃井ミュージアムは 桃井さんの雲火焼の展示場です。 入館 無料。


 赤穂雲火焼は 江戸後期に誕生し、明治後期に 衰退した赤穂の伝統陶器で 赤穂出身の鋳物師・大嶋黄谷が
創設。 釉薬を使わず 窯に入れる際 わらや米ぬか、炭などで 囲んで焼き上げることで 独特の色彩を付けます。
 夕焼け空を連想させる あかね色や白、黒の不定形の模様が 特徴です。
しかし 雲火焼は 一代で 途絶え 長らく ”幻の焼き物” となっていました。 昭和54年ごろ 桃井香子さんは
雲火焼の復元に 取り組む造園業 長棟州彦さんと出会い 自らも その魅力に引き込まれ 「美しい模様を再現した
い」 との一念から 2人で 試行錯誤を繰り返し 試行錯誤の末 昭和57年に ようやく 雲火焼らしい作品が 完成し
再興に成功しました。 その後も 新たな技術革新と 創意工夫が重ねられ 現代によみがえった雲火焼は 今では
赤穂の新しい郷土工芸品として 親しまれ 平成5年には 兵庫県の伝統工芸品に 指定されました。


 これまで 常設展示する施設がなかったため 桃井さんが 使われていなかった 親族が経営する会社の寮
を 改装して 2011年 「雲火焼展示館 桃井ミュージアム」として 生まれ変わらせました。
建物は 御崎にあり 2階建てで 2人の作品約200点と 収集した黄谷の約20点を展示しています。
 現在も 桃井香子さんと、長棟州彦さんの2人の作家で 瀬戸内窯を守っておられます。



 ここからは 能面師・岡部宝英 「能面展」 です。 翁や般若の面が 約30点 展示されています。
27日までの会期中 岡部先生 在廊時には 能面制作の実演を 見ることができます。 展示品の即売も。




 桃井ミュージアムを後にして CAPE HOUSEへ行きます。 赤穂御崎の先端を 回る手前に 伊和都比売神社
があります。 12:39 神社の境内 石燈籠の前に 駐車。 桃井ミュージアムから 1.5km。
 伊和都比売神社は 伊和都比売を おまつりしています。 もともと 伊勢外宮の豊受比売ともいわれ または
播磨の国 一宮の伊和大神 即ち 大穴牟遅(おおなむちの)神の比売神ともいわれ 古くから 御崎明神と称せら
れた 赤穂民族の祖神です。
 もとは 海上の八丁岩の上に おまつりしてあったのを 天和三年(1683) 浅野内匠頭長直が 現在の地に
移したもので 「播磨なる 御崎の石だたみ 海の底まで 行くぞ見る」 と歌われているように 奇岩の上に 老松が
舞い 岩礁の地です。


 神社の右下に ”CAPE HOUSE” があります。 カぺハウスかと思いきや ケープハウスです。 御崎な
ので 当然 ケープでしょう。 ここは 「赤穂緞通」 のギャラリーですが 狭いので 展示数が少ない・・・。


 赤穂緞通は 鍋島、堺と 並び 日本三大緞通と称される 木綿織りの敷物です。 江戸末期から明治のはじめに
かけて 児嶋なか という一人の女性が 開発したものです。 その後 次々と 緞通場が開業し 明治末期には 御召
列車の敷物として 天蚕を使用した赤穂緞通が 採用されました。 大正から昭和にかけては 遠く海外にも 販路を
広げ 全盛期を迎えましたが 手作業でしか作れない 赤穂緞通は 近代化に取り残され 時代の流れとともに 緞通
場は 次々と 廃業していきました。


 現在では 赤穂市による技術講習会を受けた 織手を中心に 伝統工芸としての保存 および 技術の伝承、地場
産業として 赤穂緞通の名を 全国に広めていくことに 努めています。
 赤穂緞通は 敷き物ばかりかと 思っていましたが 額に入れた飾りものも 多いようです。 大きいものは 制作に
時間がかかるが 小さい方が 簡単に出来て 紋様も広く選べ 売れやすく 普及しやすい・・・。




 13:00 車に戻り 帰路につきます。 御崎を回って 県道32号線に戻り たでのはな美術館の傍を通り
来た道を戻ります。 国道250号線で 高取峠を越え 相生を抜け 国道2号線で 帰りました。
13:52 帰着。
 本日の走行距離は 往路:たでのはな美術館まで 25.0km 赤穂ハイツまで 3.2km 桃井ミュージアム
まで 1.9km 伊和都比売神社まで 1.5km 復路:27.1kmで 計:58.7kmでした。
 ガソリンを 入れたばかりですが 前回は 22km/L しか 走らなかったのに きょうは 59km走って
燃費は 25km/L を示しています・・・。

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コメント
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