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Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

【21世紀の死】 岸田今日子 ~ムーミン

2006-12-25 08:05:17 | 死・自死
岸田今日子さんの死が伝えられたのは、
12/20でしたが、亡くなったのは17日だったようですね。

自分にとっての岸田今日子さんは、
何と言っても 「ムーミン」 なんですね。
他には考えられない。
最近のムーミンは絵もちょっとかわいくなってしまいましたが、
自分は以前のムーミンが好きなんですよ。
歩く度に "ピロピロ" と音がして、
男の子とは思えない岸田さんの声が、
実は妖精なんだ、というムーミンの雰囲気を
とてつもなく不思議に醸し出していた。

ああ、久しぶりにムーミンに会いたくなった。

【21世紀の死】 青島幸男氏

2006-12-21 08:15:18 | 死・自死
彼の死は衝撃です。

もうちょっと頑張って欲しかった。
もうひと花、咲かせて欲しかった。

略歴やなんやかやは、あちこちの新聞に任せておいて、
ここは自分の感じたこと。

彼は放送作家、作詞家、俳優、政治家など多才な人物であるけれど、自分にとって一番印象が濃いのが、やはり東京都知事の彼である。

都民は計算ずくめの腹黒い政治家たちに辟易していた。
だから青島氏が選ばれた。
何も選挙運動をしていないのに。

「都知事と同じ名前の青島です」
彼が就任してすぐに始まったドラマ「踊る大捜査線」で、織田裕二扮する青島刑事の自己紹介のキマリ文句。
なつかしい。

でも、巨大な官僚組織はそんな青島都知事をイジメ抜いた。
彼の公約を受け付けまいと、議会も彼をイジメ抜いた。
大人の世界であるはずの都政の中で、公然とイジメがまかり通っていたのだ。

その上、イジメられ続けた彼を、今度はマスコミや世論も批判した。
そして、彼は憔悴していった。

自分は絶対に、青島氏の都知事選への再選出馬は有り得ないと思っていた。
あんな思いをしてまで、自分のプライドを日々切り刻まれる世界に居続けるなんて、普通の神経があったらできないことだからだ。

政治家の世界、国の中枢の機関が清く正しくならなければ、
世間一般の企業からも、
ましてや小中学校や高校からだって、
イジメなんてなくならない。

大人がしっかりできなくて、
子どもに何を要求できよう。

それを彼はしっかり分かっていた。
信念も持っていた。
それまでの行動を見れば一目瞭然、彼自身本当はとても強い人だった。
その彼さえも、耐え切れず萎えてしまうような、大人のいじめ。

もう一度、別の世界でいいから、立ち上がって欲しかった。
でも、気が付いたら既に高齢と言ってもいい年齢になっていたのですね。

悔しくて仕方が無い。
ああいう人を排除しなくてはならない、都政も都議会も許せない。

そのバックグラウンドを正確に報道できないマスコミにも
腹が立つ。
それに流される世論も。

彩りのある才能を持った人が、亡くなった。

自分ごとぎが失礼かもしれないが、
心からご冥福をお祈りしたい。

ペット

2006-11-20 11:39:11 | 死・自死
日本人は牛や豚の肉は食べるくせに、
犬の肉を食べる中国人のことを気味悪がったりする。

方や、ブランド物のバッグでも買うかのように、
流行の子犬を買っていく人がいる。
命を育てていくことの大変さも考えずに。

そうして、バッグのように買い替えられたペットたちが、
捨てられる。

そういうペットたちが集められた施設では、
日々動物たちが安楽死させられている。
新しい飼い主をもちろん探すが、
どうしても成長してしまった動物は飼い主が見つからない。
手立てがないから殺すしかない。

殺している人たちだって、別に平気で殺しているワケではない。
日々悼みを感じながら、しかし、精神を保つために、
わざと感情移入しないように心がけているという。
それくらい心に負担がかかる仕事なのだ。

なのに、この仕事にも差別や偏見がある。

そういう差別や偏見を持ってる人に限って、
最初に書いた中国人を気味悪がったり、
命の重さを考えずにペットを買ってマスコットにしてる。

実際そういう人がいたんですよ、自分の側にね。
どこぞのホテルのお嬢様でしたがね。

【21世紀の死】 「顔のない男」 マルクス・ウォルフ

2006-11-17 10:57:30 | 死・自死
こんな小説の悪役みたいな人が実在していたのですな。


旧東独政府スパイ部門の元責任者で、冷戦の主要人物の1人として知られたマルクス・ウォルフ氏が亡くなった。享年83歳。

現役時のウォルフ氏は国家保安省(シュタージと言うそうです)スパイ機関対外諜報の幹部で、約33年の在任中、西側情報機関はその写真さえ入手できなかったため、「顔のない男」と呼ばれたそうだ。

ドイツ生まれですが、彼の父親がユダヤ人だった為、モスクワへ渡り、共産主義教育を受け、旧東ドイツへ帰国。
東西ドイツ統一直前に国外へ逃げるも、91年帰国。
その後、スパイ勧誘の際の監禁罪とやらで執行猶予付きの判決を受けている。

彼が息をひきとった11月9日は「ベルリンの壁」崩壊から、ちょうど17年目に当たる日。
因縁?怨念?

お願いです。

2006-11-13 07:59:36 | 死・自死
死なないで下さい。

例の自殺予告をした少年らしき自殺の記事は見当たりませんでした。
これは、彼に対するいじめが無くなったと信じていいのでしょうか?

それでも、人は自殺を続けてます。
単位未履修問題、渦中の高校の校長も自殺しました。
中学生の女子も自殺しました。男子も自殺しました。
そして、いじめを隠蔽していたと問われた中学校の校長も自殺しました。

つらいのでしょう。
いじめられる子どもたちも、
日々責め続けられる大人たちも。

死にたいと思うほど、心に負担がかかっていたのですね。
いつになったらいじめられなくなるのか.....楽しい学校生活を夢見ることさえできない日々を送る子どもたち。
責任を問われ続け、マスコミに追いまわされ、それまでの自分を全否定されたかのような新聞記事に、打ちのめされる大人たち。

こんな毎日は耐えられない、と思ってしまうのでしょう。
それでも、お願いだから死なないで下さい。


人は "生まれ" を選択できません。
せめて "死の時" くらい "充実感" や "至福感" を持つことを選択しませんか。

今は確かに、辛く、苦しく、死にたいと思うほど心が重く、忍耐の限界なのかもしれません。
誰にも相談できず、一人で苦しみを背負っているかもしれません。
でも、"永遠" なんて無いんです。
いつなのかは分からなくても、その苦痛から距離を置ける日が必ず来るのです。
その時、生きてて良かったと、一瞬でも感じると思うのです。

そして、"充実感" や "至福感" を感じて死の時を迎えられる道を選択しませんか。

苦痛から逃れようと、もがいて死んで行ってしまうのでは、苦痛から切り離されることで楽になるのかもしれないけれど、そこに "充実感" や "至福感" は無いのではないでしょうか。


わかったようなことを言ってと思われるかもしれないけれど、綺麗ごとと思われるかもしれないけれど、自分はそう考えます。



お願いです。
つらい気持ちのまま死んで行かないで下さい。

自分には何もできない

2006-11-11 01:28:11 | 死・自死
7日の新聞に掲載されていた、自殺予告をした少年。

彼は、その手紙が公開されても、8日までにいじめが無くならなければ、今日、11月11日に学校で自殺すると言っていた。

もう、その日になってしまったよ。

昨日一日、ずっとそのことを考えていた。

彼は生き続けることを決心してくれているだろうか.....

今日も明日も、彼の死を伝えるニュースが流れないことを祈るばかりだ。

人は死ぬために生きている。
その死の瞬間が至福の時であるために、
日々、一歩でも前に進もうともがいている。

彼はまだ、もがいている途中じゃないか。
死ぬにはまだまだ、充足感が足りないんじゃないのか?

同じ様な手紙が、その後も相次いで届いているらしい。
「自分の悲痛な叫びを、周りの誰も聞いてくれない」、もしくは「言えない」のか。
そんな子たちが8日の記事を見て、同じ行動をとったのだろうか。
どこかに、自分の叫びを聞いてくれる人がいることを信じて。

いっそ、あの手紙が偽物だったらいいんだが。
日本中のいじめを一斉に無くしてしまう為の、策略だったらいいんだがな.....

イキヨウヨウ

2006-11-06 07:59:40 | 死・自死
「意気揚揚」 いきようよう

「生きようよ」 いきようよ

似て非なり。

意気揚揚と生きることはかなりの難題だ。

そんな前向きな生き方はできないね。

人は死ぬために生きている。
死に意味を持たせるために、
日々葛藤を続けている。

だな。

とりあえず、生きようよ.....ってことか。

【21世紀の死】 「第1回ブラジル移民」中川トミ

2006-10-25 07:40:44 | 死・自死
日本からブラジルへの最初の移民は1908年6月だった。
その時、移民船「笠戸丸」に乗船した約800人の移住者の中に、両親とともに乗船した当時1歳の中川トミさんがいた。

この中川トミさんという方が、第一回移民船で移住した、ただ一人の生存者だった。

しかし、その中川トミさんも2006年10月11日午前6時30分、老衰で亡くなった。享年100歳。

異国で暮らした一世紀の年月は、彼女にとってどんな人生だったのだろうか。
いや、恐らく彼女にとってのブラジルは母国だったのかもしれない。

戦前の歴史が、また一つ記録だけのものになる。

いじめられた奴は忘れないよ

2006-10-23 07:59:10 | 死・自死
ずいぶん昔だけど、NHKか何かのドラマで、
学生時代にいじめられたという男のセリフがあった。

「俺のこといじめてた奴と何年か振りにバッタリ会ったんだ。そうしたらそいつ、何もなかったかのように『ようっ!』って挨拶するんだ。俺はとてもそんな明るく挨拶なんてできなかった。いじめた奴はそんなこと忘れちまうんだ。でも、俺の心の中から、あの屈辱は一生消えない」

今のいじめは陰湿を極める。

自分が学生の頃もいじめはあった。
それは、誰もがいつでも、何かをきっかけにいじめられる対象になる、というもので、一人を長くいつまでもいじめるというより、順番にターゲットが移っていくようなものだった。
だから、自分がいじめの対象になったとしても、ただじっと、ほとぼりが冷めるまで、対象が他の人に移るまで、ただじっと我慢していればいい、そういうものだった。

しかし、あの完全に人であることを無視され、いやがらせをされた屈辱は、消えるものではない。
忘れられるものではない。

ましてや、今のいじめはかなり継続的なようだ。

あの屈辱感に終わりが無いなんて。

終わりを迎える方法が、自殺しか無いなんて。

どうして、繰り返しても繰り返してもなくならないんだ?

若い心に、教育をするどころか、屈辱を与えるような学校なんて、無くなってしまえ。

そんなところでは協調性なんて育つワケがない。

勉強なんて、本人にやる気さえあれば、場所を構わずどこでもできる。


教師が教師の役割を果たせないような学校なんて、無くなってしまえ。
親が親の役割を果たせないような家庭なんて、無くなってしまえ。

【21世紀の死】 「東京ローズ」アイバ・戸栗・ダキノ

2006-10-21 12:24:28 | 死・自死
こういう人々の存在をしりませんでした。

第二次大戦中、米軍兵士向けに日本を宣伝するラジオ放送があったらしい。
「太平洋のみなし児さん、あなたたちの船は全部沈んでしまった」
そのアナウンサーのことを米兵は「東京ローズ」と呼んでいた。

「東京ローズ」は何人もいたらしいが、その中で唯一の日系アメリカ人、アイバ・戸栗・ダキノさんが9月26日、死去した。享年90歳。老衰。

日本人の移民を両親に1916年、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。
カリフォルニア大学を卒業。
親戚を訪ねて訪日中に開戦。
帰国できないまま、さまざまな職に就く。
そして、捕虜となっていた連合国軍の兵士と共にプロバガンダ放送「ゼロ・アワー」に出演した。
しかし、その間も日本政府の帰化要請を拒否して米国への忠誠心は示し続けた。
敗戦直後、米当局に戦犯容疑で調べられるが、証拠不十分で釈放。
しかし、世論を受け、司法省が捜査を新たに進め、1949年に反逆罪として罰金1万ドル、禁固10年の有罪判決。
市民権もはく奪されたが、1977年にフォード大統領の恩赦で釈放される。
仮釈放まで6年の服役。
釈放後は、シカゴの郊外で暮らしていた。


戦争っつーのは、色んな人の人生をグシャグシャにしてるんだな。


彼女の人生をフランク・ダラボンが映画にするらしい。

【21世紀の死】 ヤセル・アラファト

2006-08-26 11:22:37 | 死・自死
この人の顔は非常に特徴がある。
なかなか忘れられない顔だ。

特に印象深いのは、映画『D.I.』の中で風船に書かれた彼の顔。
他の誰にも見えない、間違い無く彼の顔。

その彼が亡くなって、もう2年近く経つのだな。

パレスチナ自治政府、ヤセル・アラファト議長(当時)。
本名はムハマド・アブドル・ラフマン・アブドル・ラウーフ・アラファト・アルクドワ・アルフセイニ。
2004年11月11日午前3時半(日本時間同11時半)、パリ郊外のペルシー軍病院で死去。享年75歳。

パレスチナを率い35年。
イスラエルへの抵抗の象徴として、カリスマ的存在。


以下↓新聞からの抜粋
1929年8月24日、エジプト・カイロで、パレスチナ出身の両親のもとに生まれる。
4歳の年に母親が病死。英国統治下のエルサレムの親類のもとで4年間暮らす。

47年国連総会がパレスチナ地方をアラブ国家とイスラエル国家に分割する決議を採択。
48年イスラエルが建国を宣言。
49年第1次中東戦争。アラファト氏は反イスラエル活動続ける。
戦争後、本格的にパレスチナ解放運動に参加。58年までに後のパレスチナ解放機構(PLO)主流派となる「ファタハ」を創設。
56年にはエジプト軍の下士官となり、スエズ危機や第2次中東戦争に従軍。
65年からはファタハの軍事部門アシファを指揮し、ヨルダンやレバノンを拠点にイスラエルにテロ攻撃を続ける。
69年にはPLO議長に初選出。
72年9月には、「黒い9月」を名乗るアラブ人武装組織がミュンヘン五輪選手村を襲撃し、イスラエル代表団の選手11人とドイツ人警官を殺害。アラファト議長はこの事件についてコメントしていないが、「黒い9月」はファタハの内部組織だったとされている。
1974年には初めてニューヨークの国連総会で演説。

「私は平和のオリーブの枝と自由のための闘士の銃を携えて、ここにやってきた。オリーブの枝がこの手から落ちるようなことにはしないでほしい」

PLOはその後もレバノンを拠点にイスラエル攻撃を続行。
82年イスラエルのシャロン国防相(現首相)が、PLO掃討のためレバノン攻撃を断行。アラファト氏は北アフリカのチュニジアに逃れる。
88年パレスチナ民族評議会(PNC)で、ヨルダン川西岸とガザ地区におけるパレスチナ自治の確立を宣言。
同12月国連総会で、イスラエルの生存権承認とPLOのテロ放棄を宣言した。
90年にはイラクのクウェート侵攻でフセイン政権を支持。国際社会で孤立。
93年9月米ホワイトハウスで、中東和平の大枠を定めた暫定自治宣言(オスロ合意)にイスラエルのラビン首相と共に署名。
94年ラビン首相、ペレス外相と3人でノーベル平和賞を受賞した。
96年オスロ合意に基づいて成立したパレスチナ自治政府の初議長に就任。財政と治安権限を握るワンマン体制を貫き、治安問題などでイスラエルとの対立が再燃した。
2000年7月クリントン米大統領の仲介でバラク首相(労働党)とキャンプデービッドで和平交渉を行ったが、交渉は決裂。
同年9月リクードのシャロン党首によるイスラム教聖地訪問を機に、ガザ地区などで第2次インティファーダが発生。
01年3月にバラク政権が倒れ、シャロン政権が誕生して以来、イスラエルと自治政府の対立は激化。
同年12月イスラエルはパレスチナ武装組織によるテロ攻撃を放置しているとして、議長をラマラの議長府に軟禁。
02年6月アラファト議長退陣を条件にパレスチナ暫定国家創設を容認する新中東和平案、提示される。「アラファト外し」
パレスチナの若い世代からも独裁ぶりや腐敗、不明朗な資産管理などに批判が噴出、晩年の権威は揺らぎがちとなる。

アラファト氏はイスラム教スンニー派で、「私はパレスチナと結婚した」と独身を続けたが、91年にはキリスト教パレスチナ人のスーハ夫人と結婚し、長女ザワフ(ザフワ?)さんがいる。

議長は主義や理論ではなく、世界を飛び回る行動力と天性の政治的嗅覚でいくつもの危機を生き延びてきた。



顔もそうだが、行き方というか人生というか、非常に "濃い" 人だ。

いったい、誰がどこで、オリーブの枝を折ってしまったのだろうか。

【21世紀の死】 橋本龍太郎

2006-08-24 08:07:51 | 死・自死
橋本龍太郎元首相が亡くなったのは、今年。
7月1日。多臓器不全と敗血症性ショック。享年68歳。

1937年生まれ。慶応大学卒。
63年26歳で総選挙初当選。
95年、自社さ連立の村山政権下の自民党総裁選で小泉現首相を破り第17代総裁に就任。
96年1月の村山首相辞任で、首相の座に就いた。
首相時代は中央省庁再編や財政再建に取り組んだっけかなぁ?...
確かに消費税率は3%から5%に上がりましたね。
クリントン米大統領との間で、沖縄県の米軍普天間飛行場返還で合意。←実際はまだまだ道は険しいですが...
98年7月の参院選の自民党惨敗で退陣。
再び01年に総裁選に立候補するも小泉現首相に敗れる。
日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件の責任を取って派閥会長を辞任。
昨年の総選挙を機に引退。

この人がいい事をしたのか、悪いことをしたのかと言えば、
悪いことをしたのでしょうね。
でも、そんな悪いことをするような人が首相になれるような国ってことですよね、この日本は。

【21世紀の死】 ローザ・パークス

2006-08-18 07:55:48 | 死・自死

2005年の10月24日、アメリカ合衆国で "公民権運動の母" と呼ばれたローザ・パークスさんが亡くなった。享年92歳。

 ↓新聞からの抜粋
1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリで、帰宅中の混雑したバスの中、白人男性に席を譲るよう運転手に強要され、これを拒否したため逮捕された。
この逮捕に対する抗議として、5万人の地元黒人社会がバス会社を1年以上にわたりボイコット。この抵抗運動で頭角を現わしたのが、当時27歳だったマーティン・ルーサー・キング牧師だった。
当時のアメリカ合衆国南部では人種分離政策が施行されていたが、パークスさんの逮捕について連邦最高裁は56年に、バス会社による黒人差別は違憲だと判決を下した。
65年から88年にかけては、民主党下院議員の議員秘書として働いた。全米黒人地位向上協会(NAACP)をはじめ、様々な団体から表彰され、1999年のクリントン政権下では米政府が文民に与える最高の栄誉「自由勲章」を受けた。



たとえ、正しいと信じることであっても、流れに逆らい意志を貫くのは半端な勇気ではできないことだろう。
ましてや、女性が身体を張った抵抗をしたのである。
彼女が多くの変化のきっかけを作ったことは、歴史に記録されるべきことだろう。


今だ多くの人種偏見の残るアメリカ合衆国、そして世界。
人々がお互いを敬いながら暮らすなんてことは、夢のまた夢なんだろうな。


【21世紀の死】 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世

2006-08-16 08:11:34 | 死・自死

昨年の4月2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が亡くなった。
2月以降、入退院を繰り返し、最期は心臓・腎臓の機能が低下し危篤状態に。死因は敗血症によるショックと心不全。

本名 : カロル・ユゼフ・ヴォイティワ
1920年5月18日 ポーランドのクラクフ近郊生まれ。
ナチス・ドイツ占領下、地下組織の新学校で哲学・神学を学ぶ
戦後 司祭
67年 枢機卿
78年 第264代目法王
イタリア人以外の法王は455年ぶり。
83年 母国ポーランドにて弾圧されていた自主管理労組「連帯」を支持
在位は四半世紀余りにわたっていた。



 ↓新聞からの抜粋
ポーランドで生まれた法王にはユダヤ人の友が多く、収容所に送られた人もいた。即位後、初の里帰りではアウシュビッツ収容所を訪れ、声を放って泣いた。


改革者にして超保守主義者。

「暴力と武器は問題を解決しない」

世界平和に限らず他宗教との和解にも努めた。

↓新聞からの抜粋
晩年、イエス・キリストの足跡をたどる旅を自らの課題として、病をおしてイスラエルをはじめ、エジプト、シリア、レバノンの中東各地を歴訪。ローマのユダヤ教寺院を訪れたほか、シリア・ダマスカスでイスラム礼拝堂を訪れ、ローマ法王として史上初めて、かつて敵対したこの2つの宗教の礼拝堂で祈りを捧げた。

「空飛ぶ聖座」と呼ばれただけあって、129カ国にも訪問したらしい。
そう、あのキューバにも98年に訪問していたっけ。

81年2月来日し、広島を訪問。
「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うこと。広島を考えることは、平和に対しての責任を取ること」


「ライサ、この方が世界至上の道徳の権威だ」
マルタ会談前日、ソ連共産党のゴルバチョフ書記長(当時)は、ヨハネ・パウロ2世を妻にそう紹介した。


それでも、中絶や離婚など、カトリックの教義については、保守的な姿勢をとり続けていた。


死去から9日間続く一連の典礼。各国首脳の参列。
世界のカトリック信者や政治指導者たちが、死を悼んだ。


クワシニエフスキ・ポーランド大統領(当時)
「悲しい日だ。だが世界に善と知恵と正義を伝えた人を、ポーランドが生んだことを誇りに思う」

そして、あのキューバも3日間の喪に服した。



自分はクリスチャンでも何でもないけれど、何故かしら彼の顔には安らぎのようなものを感じたな。
詳しいことは何も知らないけど、いい人なのかなってね。


まぁ、自分がとやかく書かなくても、偉大な人への賛辞は世に溢れているものだけれどね。


【21世紀の死】 マーロン・ブランド

2006-08-14 08:04:18 | 死・自死
2004年7月1日、かの名優マーロン・ブランドが死んだ。


前日夜にロサンゼルスの病院に入院し、そのまま帰らぬ人となった。死因は肺疾患。享年80歳。
プライバシーを重んじる人だった為、葬儀に関わる一切が非公開。密葬は5日ロサンゼルス市内にて。

1924年4月3日 アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ生まれ。
44年 ブロードウェー・デビュー。
50年 映画デビュー。
51年 『欲望という名の電車』にてアカデミー主演男優賞ノミネート。
54年 『波止場』にてアカデミー主演男優賞受賞。
72年 『ゴッドファーザー』にて再びアカデミー主演男優賞に選ばれるも、受賞拒否。
拒否の理由は、映画産業界の北米先住民族への不当な扱いに対する抗議。
94年 自伝『母が教えてくれた歌』発表

死後は遺産が2160万ドルあったとか、受取人は、46歳から10歳までのブランドの子供10人だとか、その金目当てなのかどうなのか債権者と名乗る人々が次々押し寄せてるとか。
しばらく色々書かれてたな。


自分が彼を知ったのはフランシス=F・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』だ。
天声人語をして "「永久欠番的」な、はまり役" と言わしめたドン・コルレオーネ役。

しかし、彼は当初ドン・コルレオーネ役を拒否したらしい。
助手から『ゴッド・ファーザー』の本を手渡された時、「マフィアを美化したくない」と、かんしゃくを起こして助手に本を投げつけたというエピソードがある。

彼の中にどの様な意識の変化があったのかは、知る由も無いが、彼が翻意してくれたことによって、その後の映画界には、とてつもなく大きな影響を与えている。

太ってしまってから、醜い自分を晒したくないと、映画出演を拒み続けていたが、『ゴッド・ファーザーpartⅡ』にて若かりしドン・コルレオーネを演じたロバート・デ・ニーロからのオファーだけは断れなかったのだろう。彼との共演作『スコア』が遺作となった。

『スコア』のNG Filmには久々の現場を楽しむ、愉快なブランドの姿があった。
楽しそうで楽しそうで、あのデ・ニーロさえも呑み込んでしまうほどのヤンチャ坊主ばりの腹からの笑い声が忘れならない。


イイ男だよ、ホント。