12/20でしたが、亡くなったのは17日だったようですね。
自分にとっての岸田今日子さんは、
何と言っても 「ムーミン」 なんですね。
他には考えられない。
最近のムーミンは絵もちょっとかわいくなってしまいましたが、
自分は以前のムーミンが好きなんですよ。
歩く度に "ピロピロ" と音がして、
男の子とは思えない岸田さんの声が、
実は妖精なんだ、というムーミンの雰囲気を
とてつもなく不思議に醸し出していた。
ああ、久しぶりにムーミンに会いたくなった。
2005年の10月24日、アメリカ合衆国で "公民権運動の母" と呼ばれたローザ・パークスさんが亡くなった。享年92歳。
↓新聞からの抜粋
1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリで、帰宅中の混雑したバスの中、白人男性に席を譲るよう運転手に強要され、これを拒否したため逮捕された。
この逮捕に対する抗議として、5万人の地元黒人社会がバス会社を1年以上にわたりボイコット。この抵抗運動で頭角を現わしたのが、当時27歳だったマーティン・ルーサー・キング牧師だった。
当時のアメリカ合衆国南部では人種分離政策が施行されていたが、パークスさんの逮捕について連邦最高裁は56年に、バス会社による黒人差別は違憲だと判決を下した。
65年から88年にかけては、民主党下院議員の議員秘書として働いた。全米黒人地位向上協会(NAACP)をはじめ、様々な団体から表彰され、1999年のクリントン政権下では米政府が文民に与える最高の栄誉「自由勲章」を受けた。
たとえ、正しいと信じることであっても、流れに逆らい意志を貫くのは半端な勇気ではできないことだろう。
ましてや、女性が身体を張った抵抗をしたのである。
彼女が多くの変化のきっかけを作ったことは、歴史に記録されるべきことだろう。
今だ多くの人種偏見の残るアメリカ合衆国、そして世界。
人々がお互いを敬いながら暮らすなんてことは、夢のまた夢なんだろうな。
昨年の4月2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が亡くなった。
2月以降、入退院を繰り返し、最期は心臓・腎臓の機能が低下し危篤状態に。死因は敗血症によるショックと心不全。
本名 : カロル・ユゼフ・ヴォイティワ
1920年5月18日 ポーランドのクラクフ近郊生まれ。
ナチス・ドイツ占領下、地下組織の新学校で哲学・神学を学ぶ
戦後 司祭
67年 枢機卿
78年 第264代目法王
イタリア人以外の法王は455年ぶり。
83年 母国ポーランドにて弾圧されていた自主管理労組「連帯」を支持
在位は四半世紀余りにわたっていた。
↓新聞からの抜粋
ポーランドで生まれた法王にはユダヤ人の友が多く、収容所に送られた人もいた。即位後、初の里帰りではアウシュビッツ収容所を訪れ、声を放って泣いた。
改革者にして超保守主義者。
「暴力と武器は問題を解決しない」
世界平和に限らず他宗教との和解にも努めた。
↓新聞からの抜粋
晩年、イエス・キリストの足跡をたどる旅を自らの課題として、病をおしてイスラエルをはじめ、エジプト、シリア、レバノンの中東各地を歴訪。ローマのユダヤ教寺院を訪れたほか、シリア・ダマスカスでイスラム礼拝堂を訪れ、ローマ法王として史上初めて、かつて敵対したこの2つの宗教の礼拝堂で祈りを捧げた。
「空飛ぶ聖座」と呼ばれただけあって、129カ国にも訪問したらしい。
そう、あのキューバにも98年に訪問していたっけ。
81年2月来日し、広島を訪問。
「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うこと。広島を考えることは、平和に対しての責任を取ること」
「ライサ、この方が世界至上の道徳の権威だ」
マルタ会談前日、ソ連共産党のゴルバチョフ書記長(当時)は、ヨハネ・パウロ2世を妻にそう紹介した。
それでも、中絶や離婚など、カトリックの教義については、保守的な姿勢をとり続けていた。
死去から9日間続く一連の典礼。各国首脳の参列。
世界のカトリック信者や政治指導者たちが、死を悼んだ。
クワシニエフスキ・ポーランド大統領(当時)
「悲しい日だ。だが世界に善と知恵と正義を伝えた人を、ポーランドが生んだことを誇りに思う」
そして、あのキューバも3日間の喪に服した。
自分はクリスチャンでも何でもないけれど、何故かしら彼の顔には安らぎのようなものを感じたな。
詳しいことは何も知らないけど、いい人なのかなってね。
まぁ、自分がとやかく書かなくても、偉大な人への賛辞は世に溢れているものだけれどね。