死はたしかに人生の最終の目的なので、数年来、私は人間の最良の友である死に親しむことを自分のつとめだと思っています。そのためか、私はこの友のことを思い出しても別にこわくはなく、むしろ大きななぐさめと安らぎをおぼえるのです。真の幸福の鍵である死と懇意になる機会を与えられたことを私は感謝しています。いくら若くても、明日はもう生きていないかもしれない、と思わずに眠ったことはありませんでした。けれど私の知り合いで、私をむっつりした悲しそうな人間だと言う者はないでしょう。私はこのよろこびを与えられたことを毎日のように感謝して、ほかの人びとも同じよろこびを与えられるよう切望しています。 |
1787年4月4日 |
モーツァルトが父親に宛てた手紙 |
とある場所で会った、とある方が、
「自分が生きている意味があるのか...」
と悩んでおられた。
自分は口下手なので、
その場で気の利いたことなど言えるワケもなく、
今頃になってBlogにつらつらと書いております。
ちょっと前にも書いたことを思い出しながら。
人間って、生まれることを選べないんですよね。
だから、
「生きている意味があるか」、「生きていていいのか」、
「生きていることが迷惑なんじゃないか」 とか
考えなくていいんですよね。
だって、
自分のせいで生まれてきたワケじゃないんだし。
だから、意味があろうと無かろうと、
それは自分の責任じゃない。
そう考えると、自分を傷つけるとかできないよね。
自分の責任じゃないのに、
自分で自分を傷つけたり、自分で自分を殺しちゃったり、
それは悪いよね、自分に。
自分のせいで生まれてきたワケじゃないのに、
痛い思いしてまで、責任取ることないよね。
それじゃ自分に対しての冤罪だよね。
「自分が生きている意味があるのか...」
と悩んでおられた。
自分は口下手なので、
その場で気の利いたことなど言えるワケもなく、
今頃になってBlogにつらつらと書いております。
ちょっと前にも書いたことを思い出しながら。
人間って、生まれることを選べないんですよね。
だから、
「生きている意味があるか」、「生きていていいのか」、
「生きていることが迷惑なんじゃないか」 とか
考えなくていいんですよね。
だって、
自分のせいで生まれてきたワケじゃないんだし。
だから、意味があろうと無かろうと、
それは自分の責任じゃない。
そう考えると、自分を傷つけるとかできないよね。
自分の責任じゃないのに、
自分で自分を傷つけたり、自分で自分を殺しちゃったり、
それは悪いよね、自分に。
自分のせいで生まれてきたワケじゃないのに、
痛い思いしてまで、責任取ることないよね。
それじゃ自分に対しての冤罪だよね。
もし、この世に産まれ出る前に、
生きることがこんなに大変なことだと知っていたら、
産まれ出ていただろうか。
もし、この世に産まれ出る前に、
生き続けることがこんなに辛いことだと知っていたら、
産まれ出ていただろうか。
自分は臆病ですから、
選択ができるのなら、産まれることはなかったでしょう。
しかし、
産まれは選べない。
人間は、
死さえも選べないのか。
生きることがこんなに大変なことだと知っていたら、
産まれ出ていただろうか。
もし、この世に産まれ出る前に、
生き続けることがこんなに辛いことだと知っていたら、
産まれ出ていただろうか。
自分は臆病ですから、
選択ができるのなら、産まれることはなかったでしょう。
しかし、
産まれは選べない。
人間は、
死さえも選べないのか。
自分には再会したい人が二人おります。
一人は、33歳で自殺していった姉です。
母親の愛を求めていた彼女に、
そのままを自分から与えることはできなくても、
自分なりの方法で支えることができたかもしれない、
そう思うと、もう一度会って、心の底を語り会いたい。
もう一人は、幼い頃自分を面倒見てくれていた伯母。
育児を放棄した実母の代わりに、
幼な心にも、心の繋がりを感じた人。
今まで生きて来た中で、無償の愛を感じた唯一の人。
この二人に会えるのなら、
地獄にも行きます。
この二人に会えるのなら、
魂として彷徨って探し続けます。
この二人に会えるのなら、
入ることが許されなくとも、天国にだって潜り込みます。
人が死ぬことで、灰になり、魂が消え失せてしまうのなら、
自分も今すぐにでも死んで、
灰になり、魂を消してしまいたい。
しかし、どれひとつにも、
納得の行く解答が無い。
一人は、33歳で自殺していった姉です。
母親の愛を求めていた彼女に、
そのままを自分から与えることはできなくても、
自分なりの方法で支えることができたかもしれない、
そう思うと、もう一度会って、心の底を語り会いたい。
もう一人は、幼い頃自分を面倒見てくれていた伯母。
育児を放棄した実母の代わりに、
幼な心にも、心の繋がりを感じた人。
今まで生きて来た中で、無償の愛を感じた唯一の人。
この二人に会えるのなら、
地獄にも行きます。
この二人に会えるのなら、
魂として彷徨って探し続けます。
この二人に会えるのなら、
入ることが許されなくとも、天国にだって潜り込みます。
人が死ぬことで、灰になり、魂が消え失せてしまうのなら、
自分も今すぐにでも死んで、
灰になり、魂を消してしまいたい。
しかし、どれひとつにも、
納得の行く解答が無い。
随分と子どもの頃の記憶だけれど、
テレビ画面に映る「ベトちゃん、ドクちゃん」に
強い衝撃を受けた。
自分の身体の機能を考え、
彼らの身体はいったいどうなってしまったのか、
ショックだった。
ベトナム戦争の意味とか何も分からなかったけれど、
「米軍の枯葉剤」という単語は耳にこびり付いた。
思えば、あの頃から
米国人を何となく信用できなくなっていたのかも。
その後、
何年もして日本の協力で分離手術が成功したと知った。
ずーっと同じ時間を過ごすことを、
良くも悪くも強要されていた二人が、
やはり、良くも悪くも別々の時間を歩むようになる。
ドクさんのニュースはその後も時々報道されていた。
体力も付き、青年になり、彼女もでき、そして結婚。
ベットから決して離れることの出来なかった兄のベトさん
とは対照的だった。
そんなベトさんは時々症状が報道されるのみ。
そのベトさんが亡くなった。
26歳。
この世に産まれ出で、
幸せだったと思ってくれただろうか。
テレビ画面に映る「ベトちゃん、ドクちゃん」に
強い衝撃を受けた。
自分の身体の機能を考え、
彼らの身体はいったいどうなってしまったのか、
ショックだった。
ベトナム戦争の意味とか何も分からなかったけれど、
「米軍の枯葉剤」という単語は耳にこびり付いた。
思えば、あの頃から
米国人を何となく信用できなくなっていたのかも。
その後、
何年もして日本の協力で分離手術が成功したと知った。
ずーっと同じ時間を過ごすことを、
良くも悪くも強要されていた二人が、
やはり、良くも悪くも別々の時間を歩むようになる。
ドクさんのニュースはその後も時々報道されていた。
体力も付き、青年になり、彼女もでき、そして結婚。
ベットから決して離れることの出来なかった兄のベトさん
とは対照的だった。
そんなベトさんは時々症状が報道されるのみ。
そのベトさんが亡くなった。
26歳。
この世に産まれ出で、
幸せだったと思ってくれただろうか。
自分なんかはね、
なかなか変わり者ですから、
やっぱり、生きるだ、死ぬだってことも
変な考え方持ってたりするんですね。
このBlogでも、
幾度となく書いてきましたが、
せっかくこんな辛い世の中生きてるんだし、
死ぬときくらい幸福感の中で死にたいと、
そう思うんですね。
だから、死ぬ時は自分で選びたいと、
そう思って来ました。
このBlogにもそう書いてきました。
その他にも、色々死ぬことについて書いて来ました。
でも、最近、少しだけ、
考え方が変化したかも。
生まれたくて生まれたワケじゃない。
そう思うのです。
生まれたくて生まれたワケじゃない。
だから、
自分は、「生きている」 のではなく、
「生かされている」 のだと。
自力で生き続ける気力など、無いに等しいけれど、
自分の力など到底及ばないところで、
「生かされている」 のだと。
そんな風に感じるのです。
だから、
「死ぬときくらい幸福感の中で死にたい」 し、
「死ぬ時は自分で選びたい」 のは山々ですが、
自力ではないところで 「生かされている」 以上、
自力で死んではいけないのではないかと。
というか、自力で死ぬことはできないのではないかと。
「死ねない」 ということ。
だから、
もっと言わせてもらっちゃえば、
「生きる」 ことに無責任でもいいのではないかと。
「生かさせている」 のだし、「死ねない」 のだし、
ってことは、
生き続けるのが辛いのも、
自分のせいじゃないんですよ、きっと。
自分が変わり者なのも、
友人に変わり者が多いのも、
自分のせいじゃないんですよ、きっと。
だから、
辛いなら辛いで、大声で 「辛い!」 と叫んでいいだろうし、
叫ぶ気力も無いなら、
Blogに書いてもいいし、掲示板に独白してもいいし、
それも無理なら、
念仏のように 「辛い、辛い・・・」 と唱えてもいい。
だって、自分のせいじゃないんだから、
好きなだけ愚痴っていい。
自分の思うようにできないんだから、
文句をつらつらと書き連ねればいい。
だって、
死ねないんだから。
そんな風に考えるようになったのですね。
いやいや、Blogを始めて1年8ヶ月、
たかがこれっぽっちの期間で、
考え方が変わってるくらいですから、
また、いつ何時、変わっちまうんだか、
分かったもんじゃありませんが。
とにもかくにも、
そんな風に感じている、今日この頃です。
そして、モタモタしていたら、日付も変わってしまった。。。
なかなか変わり者ですから、
やっぱり、生きるだ、死ぬだってことも
変な考え方持ってたりするんですね。
このBlogでも、
幾度となく書いてきましたが、
せっかくこんな辛い世の中生きてるんだし、
死ぬときくらい幸福感の中で死にたいと、
そう思うんですね。
だから、死ぬ時は自分で選びたいと、
そう思って来ました。
このBlogにもそう書いてきました。
その他にも、色々死ぬことについて書いて来ました。
でも、最近、少しだけ、
考え方が変化したかも。
生まれたくて生まれたワケじゃない。
そう思うのです。
生まれたくて生まれたワケじゃない。
だから、
自分は、「生きている」 のではなく、
「生かされている」 のだと。
自力で生き続ける気力など、無いに等しいけれど、
自分の力など到底及ばないところで、
「生かされている」 のだと。
そんな風に感じるのです。
だから、
「死ぬときくらい幸福感の中で死にたい」 し、
「死ぬ時は自分で選びたい」 のは山々ですが、
自力ではないところで 「生かされている」 以上、
自力で死んではいけないのではないかと。
というか、自力で死ぬことはできないのではないかと。
「死ねない」 ということ。
だから、
もっと言わせてもらっちゃえば、
「生きる」 ことに無責任でもいいのではないかと。
「生かさせている」 のだし、「死ねない」 のだし、
ってことは、
生き続けるのが辛いのも、
自分のせいじゃないんですよ、きっと。
自分が変わり者なのも、
友人に変わり者が多いのも、
自分のせいじゃないんですよ、きっと。
だから、
辛いなら辛いで、大声で 「辛い!」 と叫んでいいだろうし、
叫ぶ気力も無いなら、
Blogに書いてもいいし、掲示板に独白してもいいし、
それも無理なら、
念仏のように 「辛い、辛い・・・」 と唱えてもいい。
だって、自分のせいじゃないんだから、
好きなだけ愚痴っていい。
自分の思うようにできないんだから、
文句をつらつらと書き連ねればいい。
だって、
死ねないんだから。
そんな風に考えるようになったのですね。
いやいや、Blogを始めて1年8ヶ月、
たかがこれっぽっちの期間で、
考え方が変わってるくらいですから、
また、いつ何時、変わっちまうんだか、
分かったもんじゃありませんが。
とにもかくにも、
そんな風に感じている、今日この頃です。
そして、モタモタしていたら、日付も変わってしまった。。。
皆さんもうよくご存知かと。
Luciano Pavarotti 享年71歳
2007年9月6日死去 すい臓がん
1935年北イタリアのModena生まれ。
イタリアでサッカー・ワールドカップ(W杯)が開かれた90年7月、決勝前夜のローマ・カラカラ浴場でスペイン人のプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともに、「3大テノール」公演。その後の94、98、02年のW杯でも続けた。
自分の育ての親である伯母と同じ命日になります。
Luciano Pavarotti 享年71歳
2007年9月6日死去 すい臓がん
1935年北イタリアのModena生まれ。
イタリアでサッカー・ワールドカップ(W杯)が開かれた90年7月、決勝前夜のローマ・カラカラ浴場でスペイン人のプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともに、「3大テノール」公演。その後の94、98、02年のW杯でも続けた。
自分の育ての親である伯母と同じ命日になります。
あの、人々を震撼させた事件から10年。 |
97年当時14歳だった犯人の少年は、更生したと判断され、 |
日本のどこかで暮らしている。 |
彼の本出所までの資料を抜粋したものが |
朝日新聞に載っていた。 |
その一人の若者の生活を読みながら、 |
涙が止まらなかった。溢れるように涙が出た。 |
自分はあーだこーだと言いたくないし、言えない。 |
勝手にいくつかのコメントを抜粋させてもらう。 |
↓更正施設の関係者の心の内として |
「罪と向き合うということは、むしろこれから始まるのだ」 |
↓本人 |
「ご遺族に会い、僕にどのような人生を歩めと言われるのか、聞かせてほしい。」 |
↓どこぞの教授 |
「被害者が受け入れなくても、男性には償いながら生き続ける責任がある。そのためには、男性を支える態勢も重要になる」 |
あのエリツィンが亡くなりましたね。 |
4月23日午後3時45分 |
私はロシア史上、初めて国民投票で選ばれた大統領だ。私の判断することは国民の判断だ |
ソ連からロシアになった時代に、 |
色んなことやった人ですが、 |
自分にはどうも酔っ払いのイメージが強く..... |
ロシアもそうですが、欧州とかでも、 |
ちょっと役職が上の方の人とかって |
勤務中でもお酒飲んじゃったりしてるじゃないですか、 |
しかも職場で。 |
それにしても、エリツィンはよほど飲んだのか、 |
よほど弱いのか、 |
よく酔っ払ったまま人前に出ちゃってましたよね。 |
ただただ、その印象が強いです。 |
まぁ、エリツィンが飲んでたのはウォッカでしょうが... |
豪快、豪傑な酔っ払い.....安らかに。 |
移民。
親やその親が、何らかの理由で母国を去り、
新しい土地で暮らし始める。
もし、その先が日本だったら.....
アイデンティティを見失いがちな彼ら。
日ごろから鬱憤が蓄積される。
中には、
その鬱憤をどこかで爆発させてしまう人がいる。
それが、日本だったら、
思いつきで簡単に銃は手に入らない。
確かに、包丁を使い、
多数の人が一度に殺されてしまった事件が
無かったワケではない。
それでも、
自分を見失ってしまったとき、
手元にあるのが銃でなく、包丁だったら。
犠牲者の数で事の重大さが判断されるものではないけれど、
それでも、もし、それが銃でなかったら.....
そう思わないだろうか。
それが、日本だったら、
爆発させる方法さえ思いつかないままかもしれない。
そして、自ら命を絶つという方向へ進んでしまうのかも。
存在し続けることが苦痛なのなら、
存在を自ら否定してしまうことに、
解決を求めてしまうのかも。
何が、正しいのかなんて分からない。
人間だから。
生きているのだから。
同じモノは二つとない。同じヒトは二人といない。
そこにアイデンティティを見つけられるよう、
誰かが彼に伝えてあげられたら.....
人を傷つけても、そこに自分を見出すことはできない。
それを知った以上、自らの存在を抹消するしかなかったのか。
人は死ぬために生きている。
自分の居場所を探し、彷徨い.....
たどり着いた幸福の中で死の時を迎えたい。
たとえ、幸福が見つからなくとも、
探し続けた充足感の中でこそ死に行きたい。
親やその親が、何らかの理由で母国を去り、
新しい土地で暮らし始める。
もし、その先が日本だったら.....
アイデンティティを見失いがちな彼ら。
日ごろから鬱憤が蓄積される。
中には、
その鬱憤をどこかで爆発させてしまう人がいる。
それが、日本だったら、
思いつきで簡単に銃は手に入らない。
確かに、包丁を使い、
多数の人が一度に殺されてしまった事件が
無かったワケではない。
それでも、
自分を見失ってしまったとき、
手元にあるのが銃でなく、包丁だったら。
犠牲者の数で事の重大さが判断されるものではないけれど、
それでも、もし、それが銃でなかったら.....
そう思わないだろうか。
それが、日本だったら、
爆発させる方法さえ思いつかないままかもしれない。
そして、自ら命を絶つという方向へ進んでしまうのかも。
存在し続けることが苦痛なのなら、
存在を自ら否定してしまうことに、
解決を求めてしまうのかも。
何が、正しいのかなんて分からない。
人間だから。
生きているのだから。
同じモノは二つとない。同じヒトは二人といない。
そこにアイデンティティを見つけられるよう、
誰かが彼に伝えてあげられたら.....
人を傷つけても、そこに自分を見出すことはできない。
それを知った以上、自らの存在を抹消するしかなかったのか。
人は死ぬために生きている。
自分の居場所を探し、彷徨い.....
たどり着いた幸福の中で死の時を迎えたい。
たとえ、幸福が見つからなくとも、
探し続けた充足感の中でこそ死に行きたい。
移民二世、三世のアイデンティティの問題は
米国に限ったことではない。
親やその親が、何らかの理由で母国を去り、
新しい土地で暮らし始める。
移住した当人たちは良い。
というか、それなりの覚悟の上だったのだろうから、
苦労を重ねることも、ひとつのステップとして受け入れられたのかもしれない。
しかし、その子供や孫となると違う。
生まれたときから住んでいるのに、
外国人のように見られる。
親から、またはコミュニティ内で身につく発音は、
なかなかネイティブにならない。
そんな中、見返してやろうと発奮するヤツもいるだろうが、
どんどんカラに閉じこもってしまうヤツもいるだろう。
心に重りをつけたまま思春期を過ぎ、
黙々と勉強し、せっかく大学に入学しても、
そこが、米国であれば人種偏見はプライドをえぐる。
そんな若者は、いくつもの危険信号を発していた。
それでも、彼に引き金を引かせたのは、
銃規制を怠り続けるアメリカ合衆国という国家だ。
そして、その銃弾に倒れたのは、
彼と同世代の多くの若者たちと、
彼の親と近世代であろう教諭たち。
あの第二次世界大戦時のユダヤ人迫害を逃れた
教授もいたという。
もし、彼が持っていたのが銃ではなかったら?
米国に限ったことではない。
親やその親が、何らかの理由で母国を去り、
新しい土地で暮らし始める。
移住した当人たちは良い。
というか、それなりの覚悟の上だったのだろうから、
苦労を重ねることも、ひとつのステップとして受け入れられたのかもしれない。
しかし、その子供や孫となると違う。
生まれたときから住んでいるのに、
外国人のように見られる。
親から、またはコミュニティ内で身につく発音は、
なかなかネイティブにならない。
そんな中、見返してやろうと発奮するヤツもいるだろうが、
どんどんカラに閉じこもってしまうヤツもいるだろう。
心に重りをつけたまま思春期を過ぎ、
黙々と勉強し、せっかく大学に入学しても、
そこが、米国であれば人種偏見はプライドをえぐる。
そんな若者は、いくつもの危険信号を発していた。
それでも、彼に引き金を引かせたのは、
銃規制を怠り続けるアメリカ合衆国という国家だ。
そして、その銃弾に倒れたのは、
彼と同世代の多くの若者たちと、
彼の親と近世代であろう教諭たち。
あの第二次世界大戦時のユダヤ人迫害を逃れた
教授もいたという。
もし、彼が持っていたのが銃ではなかったら?
ちょっと前の天声人語から..... |
「彼が解放されない限り、ぼくは救われない。解放されたとしても、彼の一生をつぶしたことになると思っている」。彼とは、66年に静岡県で一家4人を殺したとして刑が確定し、再審を求めている袴田巌死刑囚。一審担当の元裁判官、熊本典道さんが述べた。無罪を主張したが、合議で死刑に決まったという。 |
何度か、このBlogでも書いてますが、 |
自分は死刑には反対です。 |
せっせと記事が書けないので、
ついつい少し前のニュースになってしまいますが.....
2002年10月に、
プーチン大統領50歳を記念して開業された、
「ウリヤノフスカヤ炭鉱」
最新の設備のはずなのに、
19日の爆発事故で100人を超える人が亡くなった。
煙が充満し、坑内の天井も崩落。
深さ200メートルの坑内に残された
坑夫たちの不安は想像を絶する。
以前に、メタン・ガスの濃度が基準を超えていると
指摘を受けているにも関わらず、
炭鉱会社は操業を続けた。
...というか、続けられたことが信じ難い。
そして、皮肉にも新しい安全装置の点検中に
爆発が起きたとの事。
いかなる理由であれ、
以前の指摘に対し、誠実に対応していれば、
今回の事故は防げたのかもしれない。
坑夫たちも、給料欲しさに警報を無視することも多々あったとか。
ソ連時代の、古い設備の炭鉱ではなく、
今世紀に操業を始めた炭鉱なのに。
人の命とはこんなに軽いものなのか?
自身のコレカラに理想もあっただろうに。
最近のロシアは、
何かをどこかに置き忘れている雰囲気がある。
長期ゆえなのか、最近強権傾向の強い、
プーチン政権のせいとも思われる。
安定感の無さを繕うために、
負の部分に目をつむり、
世界の視線が集まる部分にばかり光を当てているような。
ついつい少し前のニュースになってしまいますが.....
2002年10月に、
プーチン大統領50歳を記念して開業された、
「ウリヤノフスカヤ炭鉱」
最新の設備のはずなのに、
19日の爆発事故で100人を超える人が亡くなった。
煙が充満し、坑内の天井も崩落。
深さ200メートルの坑内に残された
坑夫たちの不安は想像を絶する。
以前に、メタン・ガスの濃度が基準を超えていると
指摘を受けているにも関わらず、
炭鉱会社は操業を続けた。
...というか、続けられたことが信じ難い。
そして、皮肉にも新しい安全装置の点検中に
爆発が起きたとの事。
いかなる理由であれ、
以前の指摘に対し、誠実に対応していれば、
今回の事故は防げたのかもしれない。
坑夫たちも、給料欲しさに警報を無視することも多々あったとか。
ソ連時代の、古い設備の炭鉱ではなく、
今世紀に操業を始めた炭鉱なのに。
人の命とはこんなに軽いものなのか?
自身のコレカラに理想もあっただろうに。
最近のロシアは、
何かをどこかに置き忘れている雰囲気がある。
長期ゆえなのか、最近強権傾向の強い、
プーチン政権のせいとも思われる。
安定感の無さを繕うために、
負の部分に目をつむり、
世界の視線が集まる部分にばかり光を当てているような。
昨日の一般A紙のトップで記事になっていたので、
再考された方も多いのではないでしょうか。
自分もその一人です。
「死刑」
まず、自分は死刑については反対です。
死刑判決を受ける犯罪が、
殺人であること。
その犯人に死刑を執行してしまったら、
その時点で死刑囚と違いが無くなってしまう。
それこそ「目には目を」ということになってしまい、
「人を殺したから殺していい」ではその時点で、
殺人を犯した人と同等になってしまう。
それから、
世の中から冤罪というものが無くならない限り、
どんなに捜査を尽くし、覆し難い証拠があったとしても、
人が人を殺してはいけないと思う。
死刑判決に限らず、
事実、冤罪は存在し続けている。
人間は絶対ではない。
間違いも犯す。
感情にも流される。
理性を失う瞬間もある。
それだからこそ、人間。
被告側も人間だ。
間違いも犯す。
場の空気に流される。
圧力を受ければ、どうでもいいと捨て鉢になり、
虚偽を真実と思い込むこともある。
弱い弱い人間だから。
凶悪犯罪が増えているのも事実だろう。
被害者の感情を汲むことを忘れるワケにはいかない。
しかし、被害者だって、
万が一間違った犯人が死刑判決を受け、
死刑執行されてしまっては、
それでは気は安らがないだろう。
自分の愛する人を殺されて、
殺した人も死刑になり、
自分より先に故人と冥界で再会されてしまっては、
それは何より不快だろう。
死刑は反対です。
刑期短縮を絶対認めない終身刑を最高刑とするべきだと。
再考された方も多いのではないでしょうか。
自分もその一人です。
「死刑」
まず、自分は死刑については反対です。
死刑判決を受ける犯罪が、
殺人であること。
その犯人に死刑を執行してしまったら、
その時点で死刑囚と違いが無くなってしまう。
それこそ「目には目を」ということになってしまい、
「人を殺したから殺していい」ではその時点で、
殺人を犯した人と同等になってしまう。
それから、
世の中から冤罪というものが無くならない限り、
どんなに捜査を尽くし、覆し難い証拠があったとしても、
人が人を殺してはいけないと思う。
死刑判決に限らず、
事実、冤罪は存在し続けている。
人間は絶対ではない。
間違いも犯す。
感情にも流される。
理性を失う瞬間もある。
それだからこそ、人間。
被告側も人間だ。
間違いも犯す。
場の空気に流される。
圧力を受ければ、どうでもいいと捨て鉢になり、
虚偽を真実と思い込むこともある。
弱い弱い人間だから。
凶悪犯罪が増えているのも事実だろう。
被害者の感情を汲むことを忘れるワケにはいかない。
しかし、被害者だって、
万が一間違った犯人が死刑判決を受け、
死刑執行されてしまっては、
それでは気は安らがないだろう。
自分の愛する人を殺されて、
殺した人も死刑になり、
自分より先に故人と冥界で再会されてしまっては、
それは何より不快だろう。
死刑は反対です。
刑期短縮を絶対認めない終身刑を最高刑とするべきだと。