ぜじろぐ

SAMBATOWN・ゼジの書くブラジル音楽やその他あれこれ

今こそヴィトル・ハミルに注目!の巻

2008-02-06 13:58:04 | CD

そういえばこの作品をまだクローズアップ現代。ワタシは一体何を言っているのでしょうか。というわけでVitor Ramil & Marcos Suzanoのデュオ作「Satolep Sambatown」を遅ればせながら紹介してみたいと思います。

まず人物紹介から。ヴィトル・ハミルはブラジル音楽通ならけっこうご存知の方も多い、南部出身のシンガーソングライター。カエターノ・ヴェローゾにも影響を受けたかのような繊細な歌を歌う人ですが、これまではひたすら「ネクラ」との評価を受け続けています。まあ確かにポップでダンサブルとは決して言い難い音楽ではありますが。更には彼自身がこだわりを見せる鉄弦ギターでの演奏。これはブラジルにあって雪さえ積もる地域に住む彼の提唱する「寒冷の美学」を表現すべく、あえて使用しているものなんだとか。なんやそれ。確かにガットギターに比べ、彼のフォークギターの音色はいくぶん冷徹で物憂げなニュアンスを作り出すのに一役買っていることは間違いありません。加えてその貧乏神(by 山形ブラジル音楽普及協会会長さん)的な風貌もずいぶん損している要素なのではないかとワタシはかねがね気の毒に思っていました。

それからマルコス・スザーノはもはや書くまでもなく、パンデイロという打楽器を世界的にポピュラーならしめた張本人。しかしながら自らが築き上げたパンデイロメソッドに安住することなく、常に新しい音楽を探究する姿勢がすんばらしいパーカッショニストであります。また大変な親日家で、90年代以降の日本におけるブラジル音楽ムーヴメントをずっと牽引し続ける水先案内人のような役割も果たしてくれています。

そんな二人の組み合わせによるこのSatolep Sambatown。ガウショとカリオカ。日本で言うと北海道の酪農家と神戸っ子とのコラボレーションみたいなものでしょうか。逆にさっぱり意味不明になってきましたが、それはさておき、アルバムタイトルがウチの屋号とダブるのでなんとも嬉しくもあり、また恥ずかしくもあり。肝心の内容はと申しますと、結果論になりますが、これは非常に興味深い化学変化というか相互補完をもたらす結果となったとワタシは感じています。

まず、それまで暗い暗いと揶揄され続けてきたヴィトル・ハミルの音楽に、多様なリズムという強力な要素が加わりました。かの中原仁さんが表現するところの「サウンドの下半身が固められる」というやつです。またスザーノは近未来的なエフェクトを使うのも大のお得意。それにより、ヴィトルの音楽に都会的なテイストが味付けされるという効果も生み出しました。そこへきてゲストに知る人ぞ知る女性ヴォーカリストのカチア・ベー、そしてウルグアイを代表するミュージシャンにまで成長したホルヘ・ドレクスレルが参加しており、一段と洗練された雰囲気をまとうことに成功しています。そういえばスザーノのかつての相棒レニーニは自身の音楽を「コスモポリタン」と表現しましたが、それを言うならこのSatolep~は、その七倍(当店比)くらいコスモポリタンな音楽だと言い切っても支障ないでしょう。そしてヴィトルの音楽性というものは、ブラジル最南端部の出身とあってかアルゼンチン音響派あたりにも激しく訴えかけるものを帯びているのではないかと店主は密かに予想している次第です。とにかくスザーノのバックアップにより、これまでイジケ気味にも聴こえたヴィトルの歌にダイナミズムと陰陽の輝き、そして何より光の差す出口みたいなものがもたらされたように感じられます。

そして一方、スザーノの音楽にも「歌ごころ」という、最も求められていた部分が見事に埋められています。これはかねてからスザーノのファンで、上記の部分に共感される方にとっては非常に嬉しい改善事項ではないでしょうか。もちろん彼の専売特許であるドラムのようなパンデイロプレイは随所に登場(出現率は大体アルバムの4割くらい)しますが、クイーカやヘピニキ等のサンバパーカッションもさりげなく登場したり、例のエフェクトも楽しめますので、パーカッショニストを目指す人にも実に参考になります。音の作り込みも緻密で、さすがは職人スザーノ、サウンドオタクぶりが伺えて微笑ましい限りです。

唯一注意すべきはこの作品の音楽としての方向性で、アゲアゲでノリノリな音楽を期待される方はまず拍子抜けというかハズレをつかまされた気分にすらなりかねないでしょう。そもそもそういう目線でこのCDを聴くべきではありません。あくまで歌い手であるヴィトル・ハミルの持つ音世界の次元が広がったというベクトルですので、今の気分として貴方の心の中にボウボウと赤い焔(ほのお)が燃え立っているか、それともふつふつと青き炎(ほむら)が静かにゆらいでいるか、それがこのアルバムを聴くべきか聴かざるべきかの分かれ道となると思います。聴くべきは当然後者の方。ていうか別にそんな読みがなにまで凝らいでも。いずれにしましても、いくぶん内省的な精神状態の下で聴くことが大切なんであります。

ワタシは聴き始めの頃は気付かなかったのですが、面白いことにこのアルバムはヴィトルの鉄弦ギターをそのままヴィオラゥン(ガットギター)に置き換えたイメージで聴くと、めちゃめちゃカッコいいサイバーボサノヴァに変身します。なるほど、ちゃんとブラジル音楽しとりますわい。たぶんこのあたりのサウンドプロデュースはスザーノの手腕によるところが大きいと店主は勝手に想像したりします。

それでもなお「うーんそれでもちょっとなんかなー」とお感じの方には最後の手段として、「これは雪国のセルソ・フォンセカ、これは雪国のセルソ・フォンセカ・・・」とセルソ・フォンセカの名前を10回唱えましょう。するとアラ不思議、紅麹に長年漬け込んだダンシングベイビーか、はたまた真っ赤に茹で上がったキューピーのようなジャケットのこのCDが、セルソ・フォンセカ&ホナウド・バストスの超名盤「パラディーゾ(Paradiso)」の寒冷地仕様に早変わり!既にSatolep Sambatownをお持ちで、セルソ・フォンセカもお好きな貴方、騙されたと思って是非お試しあれ。

というわけでYouTubeにも投稿されている二人のライヴ映像をば。隠し撮りらしくひどい音ですが、雰囲気は把握いただけると思います。

雑学ネタとして、このタイトル「Satolep Sambatown」とは、彼ら二人が作った二つの仮想都市を並べたもので、まずSatolepの方はというと、ヴィトルの生まれ故郷Pelotas(リオ・グランヂ・ド・スル州)を逆さ読みしたもの。一方Sambatownは、かねてからスザーノが呼んでいるリオデジャネイロの別称。まさにサンバタウンですよね。残念ながら店主ゼジに捧げるオマージュ的作品なんかでは決してないのであります。クスン。

店主は初入荷からおよそ3ヶ月後の最近になって、狂ったように聴き続けている状態です。聴けば聴くほど魅力が滲み出てきます。いや深い。実に深い。それでもやっぱアンニュイなことには変わりないんだけどね。

最後に宣伝になりますが(えへへ)、このSatolep SAMBATOWN、今ならどこよりもお安い価格設定にて大プロモーション中でございます。どうぞよろしく。

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