ぜじろぐ

SAMBATOWN・ゼジの書くブラジル音楽やその他あれこれ

記憶は巡る

2009-12-17 21:31:48 | CD

皆さんは覚えておいででしょうか。

2007年5月。
そう、モンちゃんことかのマリーザ・モンチ姫の二度目の日本ツアーのあった月です。
名古屋、そして東京のめくるめく公演でございました。
ワタシは26日(土)の名古屋会場しか出かけられませんでしたが、あの日のZepp名古屋はホール周辺数km圏が完全にブラジル化し、治外法権という四文字熟語が頭をよぎりそうな(ていうか実際によぎったけどな)凄まじい状況を呈しておりました。あのようなシチュエーションでモンちゃんのショウを拝むことができた我々は、本当に類稀なる体験を共有できたと申し上げてよいでしょう。

そして、5月27日。
そんなモンちゃんの華々しいコンサートツアー日程の合間を縫って、あるシークレットライヴが東京・青山のプラッサ・オンゼで敢行されました。
そう、あのダヂの、なんと初の本人名義でのショウであります。

何、ダヂをご存知ない?いけません、それはいけませんですよ。
かのノーヴォス・バイアーノスのメンバーにして、ジョルジ・ベン改めジョルジ・ベンジョールのバックバンドも長く務め、その後はア・コル・ド・ソン時代を経て、2000年以降は爆発的ヒットを飛ばしたあのトリバリスタスのサポートメンバーにも名を連ねた、MPB界になくてはならぬ人物なんであります。
余談ですがカエターノ・ヴェローゾの名曲O Leãozinhoのモデルがこのダヂだというのは有名な話です。

で、そのダヂ郎さんのライヴの話。
ショウの告知がされるや、その情報はコアなブラジル音楽ファンの間を光の速さで駆け巡り、なんとその日のうちにソールドアウト。受付終了したにもかかわらず「そこをなんとか」と事務局やプラッサ・オンゼに哀願の予約申し込みが殺到したというエピソードからも、ものすごい騒ぎであったことが伺い知れます。
(このライヴについては、中原仁さんが自身のブログで大いに語って下さっています)

そのダヂのライヴが、あの伝説の一夜の記録が、CDとなって遂に登場しました。
息子ダニエル・カルヴァーリョの渾身のミキシングによる、混じりっ気なしの、おそろしいまでの臨場感に満ちたサウンドです。
人前で歌い演奏したことがある人ならば、誰しもがこのような空間で演れることができたならと羨望の思いにかられることと思います。

あの魔法の夜を体験できた方がこれを聴けば、ライヴの記憶が完璧な形で蘇るでしょう。
モンちゃんのライヴは観れてもダヂの方は見ることが叶わなかった人がこれを聴けば、あの当時の一連の興奮があなたの身体を再び包み込んでくれるはずです。
そしてモンちゃんのもダヂ夫さんのも両方ペケだった方、これを聴いて、あの頃こんなに素敵な時間が日本のどこかで確かに存在していたのだという事実にただただ感動しましょう。

ワタシの場合、モンちゃん一味のツアーが終了した後に、サンバタウン杁中店舗の営業終了をアナウンスしようと決めていた頃で、このときは誰にも言えずに悶々としていました。
それでもモンちゃん名古屋公演チケットの整理番号1番から50番までをサンバタウンが見事に獲りましたし、日本中からありとあらゆるブラジル音楽ファンが詰めかけ、サンバタウンにも立ち寄ってくれたりしました。名古屋とは思えぬ盛り上がりぶりだった公演後の打ち上げも、ほんのちょっと前の出来事のようです。

そういう思い出が、このダヂのライヴCDを聴き始めるや、一気に溢れ出てきてたまらない気持ちになりました。
マウロ・ヂニス御大の「MPBではこう弾け」とでも言わんばかりの職人技カヴァキーニョが泣かせてくれます。

既に過ぎ去ってしまったもの。だけど確かに存在していたもの。
そして今も心の中に生き続けているもの。

つくづく感じます。音楽の力ってすごい。