三渓園は、明治から大正にかけて製糸、生糸貿易で財をなした原三渓(本名・富太郎)が、こ
の地に造り上げた、広さ5万3千坪の日本庭園です。明治39年(1906)に一般公開された外
苑と、原三渓が私庭としていた内苑の二つからなっています。京都や鎌倉などから集められた
17棟の歴史的建造物と、四季折々の自然とが調和した景観が見どころです。
鶴翔閣は旧原家住宅で、明治35年(1902)に建てられたものです。広さ290坪に及び、こ
の建物は上空から見ると、鶴が飛翔している姿を思わせることから鶴翔閣と名付けられまし
た。内苑の御門は、江戸時代の宝永5年(1708)ごろ京都東山の西方寺で建てられた薬医門
で、大正年間に移築されたものです。(写真Mr麹町)