散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

赤穂義士休息の地碑(江東区佐賀町)

2015-12-15 06:09:36 | 日記

        休息の地碑

           永代橋

 この時期になりますと各地で「義士祭」が行われますが、休息の地碑を紹介します。赤穂義士が

吉良邸討ち入り後、永代橋を渡って霊岸島を通り泉岳寺に至ったとのことです。途中、永代橋東詰

の佐賀町「ちくま味噌」で休息をした事を示す碑があります。ちくま味噌の敷地内です。    

 碑文によると 赤穂四十七士の一人大高源吾子葉は俳人としても有名であります。ちくま味噌の

初代竹口作兵衛とは、其角の門下として俳諧の友でありました。元禄十五年十二月十四日、討ち

入り本懐を遂げた義士たちが永代橋に差し掛かるや、あたかも当所乳熊屋味噌店の上棟の日に

当たり、作兵衛は一同を招き入れ、甘酒粥を振る舞い労をねぎらったのであります。大高源吾は棟

木に由来を認め、又看板を書き残して泉岳寺へと引き上げたのであります。ちくま味噌十六代竹口

作兵衛氏の「口上」です。


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4 コメント

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ありますねえ。。。 (kimasita)
2015-12-14 21:07:16
義士のゆかりを語る話は、いろいろと 

あの当時の、江戸の町は
討ち入りのうわさでもちきりだったんでしょうね 
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赤穂義士 (hibochan)
2015-12-15 07:15:45
この時期テレビで放映
先日も放映されました
また義士たちの討ち入り後から泉岳寺までのコース古地図で辿ってました
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kimasitaさん (sanpo63)
2015-12-15 10:14:51
 雪の日の明け方 わらじをはいた義士たち
さぞかし寒かったでしょうね

 甘酒は最高のおもてなしでしたね。
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hibochanさん (sanpo63)
2015-12-15 10:18:40
 討ち入りの装束では両国橋を渡れず
一の橋から南へ下がって 永代橋へと
向かったようです。霊岸島から泉岳寺へですね。
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