明治37年の日露戦争では、当時代々幡村と呼ばれたこの地からも多くの人々が出征しました。日露
戦争後、小笠原長生子爵の筆による「表忠碑」が、幡代小学校に建立されました。裏面には、戦没者9
名、出征者56名の名前が刻まれています。
第二次大戦後、表忠碑は軍国主義の象徴として多くが取り壊されましたが、この表忠碑は地元の人々
の要望で、代々木八幡宮の境内に移転され、毎年3月25日に慰霊祭が行われています。
臼田亜浪の句碑 「そのむかし 代々木の月のほととぎす」 臼田亜浪(1879~1951)俳人、長野県
出身、法政大学卒。大須賀乙字と俳誌「石楠(シャクナゲ)」を創刊して、高浜虚子らの俳誌「ホトトギス」
に対抗しました。この碑は、その創刊20周年を記念して昭和9年に建てられました。(写真Mr麹町)
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