七宝家・並河靖之の旧邸である記念館を訪ねた。
平安神宮に通じる神宮道から少し入ったところ。
飾られている七宝作品は、
精緻な技法で細かい文様を描き出しており、
深みのある色合いは印象的。
私が抱いていた七宝の作品とは似ても似つかぬ、
と言うか、あまりにも素晴らしい。
これはそれぞれ自分の目で確かめてほしい。
同時にこの邸がアピールする遊び心にも目を向けてほしい。
七宝家・並河靖之の旧邸である記念館を訪ねた。
平安神宮に通じる神宮道から少し入ったところ。
飾られている七宝作品は、
精緻な技法で細かい文様を描き出しており、
深みのある色合いは印象的。
私が抱いていた七宝の作品とは似ても似つかぬ、
と言うか、あまりにも素晴らしい。
これはそれぞれ自分の目で確かめてほしい。
同時にこの邸がアピールする遊び心にも目を向けてほしい。
丹後に間人(たいざ)あり。
この地名を知らなくても、名物の間人ガニは聞いたことがあるだろう。
ただ、間人を「たいざ」と読むのはかなり無理があるようだ。
聖徳太子ゆかりの森之宮神社にこの地名の由来が記してあった。
それによると、聖徳太子の母・間人(はしうど)皇后は
蘇我氏と物部氏の争乱を避けて
大浜の里と呼ばれていたこの地に身を潜めたという。
皇后はこの地を退座されるとき、世話になったこの地に
自らの名前“間人(はしうど)”を贈った。
「大浜の里に昔をとどめてし 間人(はしうど)村と世々に伝えん」
この地の人たちは皇后の名を地名につけるのは
あまりにももったいないと考え
皇后の退座の際の贈り物であることを勘案し
「たいざ」としたそうだ。
平城宮から出土した木簡にも
「竹野郡間人」明快に記されていると言う。
非常に古く由緒のある地名であることに違いない。
すでに故人となったが、昔我が家に出入りしていた人物が間人の出身、
この地名をどう読むか尋ねられて答えられなかったことを覚えている。
その時皇后さまの御名とは知らず、冗談で「怠惰か」と言ったりもした。
そうか、間人とは“たいざ”退座だったのか。納得
先月28日に脱線事故を起こした神戸電鉄、きょうの始発から運転を再開した。
まる3日半、どうしてこんなにも時間がかかったのか。
ほぼ毎日神戸電鉄を利用しているものとしては、気が気でない。
私は「乗って残そう」という粟生線を使っているが、
いつ同じような事故が起こるやも知れない。
もしそんなことになれば、並走している神姫バスに流れることは間違いない。
事故対応にこんなにも時間がかかったのは解せない。
利用者からの問い合わせの電話が殺到したようだが、
全くなしのつぶてで、私が知るだけでも不満たらたらだった。
神鉄に、事故に備えた態勢はあるのでしょうか。
その点についてメディアは殆どふれていない。