TVおじさん

世相の鏡であるテレビから学び、時として批判も。メディア表現にも触れる。まだ元気、散策の想い出も綴りたい。

被災松も読者も振り回された

2011-08-14 | メディア

まずはお詫び、昨日の記事「揺れた五山の送り火」は引っ込めたい思いだ。

12日(金)の朝日新聞の朝刊をもとに、「被災松は大文字でも」燃やされ、

「五山そろって被災地の薪をもらすことで決着した」ものと信じ込んでいた。

 

ところが、13日(土)の朝刊を見てびっくり。

一面トップで“被災松 送り火使用中止”と大見出しを打ち、

「薪から放射性セシウムが検出されること自体、そもそも不思議ではなかった」と指摘している。

さらに「目安を持たず、“燃やす”“燃やさない”と方針を二転三転させたことが問題だ」と

他人事のように解説している。

 

放射性セシウムの検出が読めているのなら、どうして前日の12日に“決着”という表現を使ったのか。

また、京都市が検査をしていることも知っていた。

どう対応するのかを質しておけば、こんな取り留めのない記事にはならなかっただろう。

専門家の三様の見方を並べてお茶を濁そうというのは、あまりのも姑息である。

前日の寂聴さんの怒りは提供情報の不足によるミスリードとしか言いようがない。

 

社会面には“振り回された被災松”という見出しが踊っているが、

余計な波を立てるのは程々にしてもらいたい。