まずはお詫び、昨日の記事「揺れた五山の送り火」は引っ込めたい思いだ。
12日(金)の朝日新聞の朝刊をもとに、「被災松は大文字でも」燃やされ、
「五山そろって被災地の薪をもらすことで決着した」ものと信じ込んでいた。
ところが、13日(土)の朝刊を見てびっくり。
一面トップで“被災松 送り火使用中止”と大見出しを打ち、
「薪から放射性セシウムが検出されること自体、そもそも不思議ではなかった」と指摘している。
さらに「目安を持たず、“燃やす”“燃やさない”と方針を二転三転させたことが問題だ」と
他人事のように解説している。
放射性セシウムの検出が読めているのなら、どうして前日の12日に“決着”という表現を使ったのか。
また、京都市が検査をしていることも知っていた。
どう対応するのかを質しておけば、こんな取り留めのない記事にはならなかっただろう。
専門家の三様の見方を並べてお茶を濁そうというのは、あまりのも姑息である。
前日の寂聴さんの怒りは提供情報の不足によるミスリードとしか言いようがない。
社会面には“振り回された被災松”という見出しが踊っているが、
余計な波を立てるのは程々にしてもらいたい。