幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

さるすべり(百日紅)

2022-08-21 | 花木

遊歩道の「さるすべり」が満開である。

幹がつるんとしていて猿も滑りそうだから「さるすべり」、そのまんまである。

別名として「百日紅」。

 

開いた花のそばには、丸いつぼみが控えている。

 

さらによく見ると、白い花が咲いている木もある。

百日紅には「紅」と言う字が用いられているが、白いものもあるのだ。

 

赤い花も白い花も、幹や枝はどちらもツルッとしている。

まさかこの木に登ったところで、滑り落ちる猿はいないであろうが・・・。

 

八月も半ばを過ぎ、枝越しに空を見上げると、なんとなく、天が高くなってきているようにも見える。

百日も咲いているのかは分からないが、青い空に「百日紅」の花が映える。

 

 


真夏の夕暮れをワインとともに

2022-08-20 | グルメ

一日が終わろうとするとき、西の空が徐々に赤く染まり、そしてグレーになりやがて真っ黒に変わっていくマジックアワー。

なんとなく人恋しくなる時間帯でもある。

juju's Cafeさんは、そんなときにとてもいい、アットホームなお店なのである。

 

冷えたビールで一息つく。

オーナーご夫妻は信州がお好きなようで、ビールは軽井沢の地ビール「軽井沢高原ビール」とこだわりがある。

 

ビールの後は、いつも通り赤ワインに替える。

最初のお料理は、チーズ、トマト、バジルの、白・赤・緑も鮮やかなモッツァレラ・チーズのカプレーゼ。

オリーブオイルに塩、こしょうが効いていてさっぱりとしておいしい。

サラダ感覚で頂く。

 

次は、4時間も煮込んだという牛のスネ肉。

余分な脂が抜け、硬いはずのスネも柔らかくなっている。

塩、あるいはニンニク醤油のたれを勧められたが、たれでいってみる。

適度な歯ごたえ、獣臭さの消えた味、ワインにはとても合い杯のお代わりが進む。

 

次の一品は、飯蛸を主にひよこ豆などを加え、トマトで煮込んだ煮込み料理で私の好きな味であった。

「辛いものが好きな人はどうぞ」と、ハバネロのソースを添えてくれたので適度に振りかけていただく。

その辛さがトマトの味を引きたて、さらにおいしくなった。

 

juju's Cafeさんは、女性客が多いように思う。

昨晩も、「おとこの客」は私一人で、あとは女性客だった。

完全に夜のとばりが下りる前から、楽しい会話をしながらお料理やお酒をいただく。

そして、早めに腰を上げて帰途につく。

近くにこんなお店があるのは有難い。

 


旅の想い出が甦るランチ「佐世保風バーガー」

2022-08-19 | グルメ

昨日の「昼めし」である。

早とちりしたが包装紙の表示には「佐世保バーガー」ではなく、「佐世保バーガー」と「風」がついていた。

佐世保まで食べに行ったわけではなく、スーパーのパンコーナーで見つけたものである。

レタス、ベーコン、パテ、卵サラダなどがたっぷりと挟んであり、バンズの大きさ厚さは昼めしとしては十分なサイズである。

 

変わって、こちらは佐世保市のご当地グルメ、本物の「佐世保バーガー」。

何年も前になるが、長崎旅行の時どうしても食べたくなり、佐世保に足を延ばしたときのものである。

お店の人に「佐世保バーガーとは?」と、その特徴を訊いてみた。

「地元の材料を使った」、「手作り」であることを挙げられ、当時は、形や味などには特別の決まりは無いようだった。

「こうでなければダメ」といったバッチリと縛りがあるのかと思っていたので、意外に感じたのを覚えている。

 

佐世保風のハンバーガーを食べながら、旅行の時のことを思い出している。

「うまいもの」が、旅行先の記憶の接着剤になっているのである。

 


くだものの端境期

2022-08-18 | 日記

知人に届けていただいた千葉産の梨である。

千葉県に親戚があり、その近くの町の農家から買ったのだと聞いた。

いわずとしれた千葉県は日本有数の梨の生産地である

 

それはそうと、「あ~、もう梨の時期なのか・・・」と季節の変わり目を感じてしまう。

やはりお盆を過ぎると気候にも多少の変化が見られ、果物もスイカ、メロン、桃などから秋の果物へとバトンタッチする。

 

梨の品種はとても多くなっているが、実は、この梨については聞き忘れてしまった。

よく熟れたことを感じさせる、透明感のあるのをひとつ頂いてみる。

真っ白でみずみずしく、甘さとシャリっとした食感があり、おいしい梨である。

 

 


セミ捕りに興じたころ

2022-08-17 | 日記

小さかったころ、夏休みにはセミやトンボなどの昆虫を捕るのが楽しみだった。

今も昔もそれは変わらないようだ。

公園や遊歩道では、朝から、虫捕り網をもった子たちの声が聞こえる。

 

私の子供の頃は「物」のない時代で、昆虫採集用の網など買ってもらえる子は少なかった。

母親が「古くなった蚊帳」を裁断して網を縫ってくれた。

円形にした太めの針金にその網を括り付け、竹竿の先にセットすれば捕虫網の完成だ。

そんな手製の捕虫網でも手にしたことはうれしかった。

仲間たちと、そんな網を振って走り回ったものである。

 

ただお盆の間だけは、大人たちからは「虫を捕ってはいけない!」と言われていた。

子供たちはその通りにしていた。

「ご先祖様が戻ってきているお盆には、殺生はいけない」ということだったように思う。

 

 

暑い毎日、アタマの上からは、うるさいほどのセミの声が降ってくる。

思わぬところで、脱皮したばかりのセミの殻が見つかることもある。

セミの一生は、地上に出てきてからは一か月あるかないからしい。

このセミも体全体を使って、大きな声で鳴いているものと信じよう。