幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

日本百名城探訪・湯築城

2024-04-02 | お城

長く伊予を支配した河野氏も、最後は秀吉の四国攻めに敗れ湯築城を明け渡し、やがては廃城となったとされる。

湯築城跡の発掘調査は昭和63年に開始され、遺構や遺物が発見され当時の様子が復元されている。

今は公園となっていて、道後温泉の近くであり、観光客が一足伸ばすのに良い場所である。

 

松山市街から道後温泉行の伊予鉄の路面電車が便利である。

 

「道後公園」で降りると目の前が湯築城跡(道後公園)である。

こちらの入口が搦手(裏門)に当たり、大手門は反対側の位置になる。

 

湯築城は外堀、内堀の二重の堀と、外堀土塁、内堀土塁の二重の土塁に守られた構造である。

近世の城のような石垣は無い。

 

復元されたエリアには2棟の武家屋敷が建っている。

その屋敷を守るように作られた土壁は、今まで見たことがないような厚さである。

 

城全体の規模は大きくなく、ゆっくり斜面を登っていくと、すぐに山(丘?)のてっぺんに出る。

そこは「本壇」といわれる城の中心部で、今は展望台になっている。

松山市街の方角を見ると、降り出した雨にけぶる松山城の天守を見ることができる。

 

城跡を一通り見て歩き道後温泉に向かうと、松山市立の「子規記念博物館」がある。

城跡の見学を終え、正岡子規の生きた時代、その作品などについて豊富な資料で学ぶことができる。

「春や昔 十五万石の 城下哉」の句を覚えたのが収穫のひとつ。

これを機に、最新の「子規顕彰 全国俳句大会入賞句集」を読んでみることにした。