como siempre 遊人庵的日常

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八重の桜 第9回

2013-03-05 00:32:33 | 過去作倉庫11~14
 今週は、あえて申しますが、ネ申でした。
 第9回にして神回が出たということはこれは…少なくとも、佳作の領域に手をかけたのではないかと思います。去年がズダボロ、それ以前の3年もダメダメという大河ドラマのダメスパイラルの果てに、ほんと久しぶりに感じる(控えめにいっても)佳作の予感に、待っていた春を感じますよ(涙)。
 というわけで、今週は、文久三年八月十八日の政変。この事件は、最近の幕末史劇では簡単な説明でスルーされることが多かったので(龍馬とか新選組とか西郷・大久保など、近年の主役が直接からんでいなかったため)、こんなにガッツリ、発端から経過まで、裏も表も時系列で見せるのはめずらしく、その意味でも見ごたえありましたが、なんと申しましても、武装して勢ぞろいした会津武士団の壮観は! 
 こういうのが見たかったのよ。
 いや、武装した男優さんたちの豪華絢爛さも眼福なんですが、歴史上の事件を、ストレートにドラマでやる。そして歴史の本来のドラマを際立たせ、それぞれの登場人物の立ち位置とか、その心境なんかもきっちり表現する。この当たり前のシンプルなことが、ここんとこずっとできてなかったんだよねえ。特に去年。歴史上のことを、いちどでいいからそのまま直球でやってくれんかな、登場人物の無駄にベタベタした心境なんかどーでもいいから、と、なんど歯ぎしりしたことか。

 ってなことで、今週はもう、どっちを向いても目がキラキラしてしまうような眼福、八重の桜・ひな祭りスペシャルです(ちょっと違うか?)

第9回「八月の動乱」

○覚馬の桜

 このまえ、勝先生に「10年先100年先のことを考えるんだ!」と言われた覚馬(西島秀俊)は、すなおな性格なのでほんとにちゃんと考えて、10年先100年先のために…と、在京藩士のための洋学学問所を開くことを思いつきます。それも、会津藩に限らず広く門戸を開いたものにしたい、と。それはいいんだけど、「藩内は頭の固いバカが多いから」と難色をしめす秋月悌二郎(北村有起哉)。
 そんなとこへ、薩摩藩士の高崎佐太郎という者がとつぜん、訪ねてくるんですね。この人物のプロフィールについては学習会でふれますが、とにかく薩摩藩士がやってくる、というのがちょっと穏やかではなくて、緊張するあんつぁまと悌二郎さん。
 高崎佐太郎がいうには、いま計画中の大和行幸は、主上の本意ではない。長州が三条実美(篠井英介)をあやつってやらせたことで、ようは主上を御所から担ぎ出して拉致し、箱根あたりで倒幕の兵を挙げさせる、と。
 これを容保様(綾野剛)に注進した覚馬と悌二郎は、特命を帯びて、中川宮朝彦親王に接触。中川宮。演じるのは、もと第三舞台の小須田康人さんという方です。この人物が幕末史劇に出てくるの、意外と珍しいんですよ。黒幕みたいな、かなり濃いキャラの人物なんですが、すごい玉虫色の存在なので、ドラマ上の処理が面倒なんだと思います(わたし長年、この中川宮を篠井英介さんに演じてほしいと思ってたのよ)。
 そんな一級の黒幕公家さんと接触し、裏歴史に関わるほどに出世したあんつぁま。素朴な会津のにいちゃんが、思えばすごいことですね。殿からも「覚馬!」と直のお言葉がけで、「鉄砲隊の働き、期待しておるぞ」と。あんつぁま感無量。テクノクラートとしては競争相手もなく、京都デビューしていらい絶好調です。そのぶん嫉妬もあるみたいですけどね。

○ 容保の桜・トミーの桜

 大和行幸に担ぎ出されようとしている主上(市川染五郎)は、内心の不安を押し隠し、笑顔で容保に「大和行幸には会津と一緒にいきたいな」と言いますが、いぢわるな三条実美に却下されてしまいます。
 この必死な主上のSOSを、どこかで感知していた容保様は、覚馬と悌二郎から、「大和行幸は偽勅、主上をお救いし奉るため、薩摩と共同戦線を張って長州排撃を」という申し出が上がってきたとき、即座にピンとくるわけですね。
 そこからの行動は早かった。容保様の鋭い現場判断で、サクサクと薩会(会薩)同盟は成り、会津藩士たちは武装して、中川宮からもたらされる帝の勅を待ちます。在京の会津藩士千人に、2日前に交替で帰国の途に付いた前任も呼び戻されて、合計二千の大部隊です。
 そして待っていたゴーサインが出ると、8月18日午前零時、容保様は参内。会津藩士たちは、鞭声粛々夜川を渡るの如く、京都の町をかけぬけ御所を固めます。この臨場感がタマラナイ
 愛の証しの赤い陣羽織を着た容保様は、御所の奥深くで帝をお守りし、去年の清盛にいたみたいなアホな公家さんたちに「長州は何万もいるのに会津の二千でだいじょぶなんやろか」などと言われても、キリリとして「そんなものは流言です。会津の精鋭二千で命に代えて主上をお守りし奉ります」と。もう遠慮なく帝LOVE全開。

 そして参内してきた三条実美は、守りを固める会津兵に追い返され、参内禁止を言い渡されて、長州は禁裏守護からの解任を宣言されます。
 一戦も辞せず!と言い張る久坂玄瑞に、ヘタレな三条卿は「ちょ…御所に弓引いたら朝敵やし~」と腰が引け、結局、押しかけてきた長州軍は、「朝敵」のひとことの前に、禁裏の御門になにもできず、終日会津とにらみ合ったあと、撤収していきます。
 その日はギラギラ残暑の太陽が照ってるような描写でしたけど、夜から雨になり、有名な「雨の七卿落ち」の場面になります。ヘタレ三条ほかの長州派の公家たちが、都から落ちて、徒歩で、山口まで逃亡したのですね。
 いっぽう、会津のほうは達成感に酔います。容保様自ら、馬にも乗らず、藩士と同じ目線から「皆、よくやった」とお言葉がけして、全員で勝どきをあげてカンゲキ。この場面は、御所の主役が公家から武家にハッキリと変わったような、幕末史の象徴的な場面で、とても印象的でした。

 主上の全幅の信頼を勝ち得た容保様と会津藩士のところに、宸翰と御製が届けられます。先週もよかったけど、ふたたび、宸翰を前に全員が平伏する所作が、ほんとうに美しいですね。
 その中で、家老の横山主税(国広富之)が、宸翰と御製を朗読するんですが、これが孝明帝の直の声とシンクロする演出もよかった。

 たやすからざる世に武士(もののふ)の忠誠の心を喜びてよめる
和(やわ)らくも武きこころも相生の松の落ち葉のあらす栄ん


 トミーの朗読がまた美しかったです。トミー…いつのまにこんな渋い老臣役が似合う渋い役者になっていたんでしょう。あの「赤いシリーズ」のお兄様が…(古すぎ)
 画面の右側に行書体で字幕が出てくるみたいな、清盛のトラウマを刺激する演出もなくって(つい反射的に悪寒がしてしまったけど、ホッとしました)、ひとつひねって現代語訳の字幕だったのも、この御製の意味(朝廷と武家がともに手を携えて栄えていこう、という内容)の重大さが伝わって、すごく良かったですね。
 そして、容保様が感動してポロポロ涙してしまうのも、なんかもうお約束だけど(笑)、でもよかったわー。この人の場合、心の綺麗さがダイレクトにつたわって、いるだけで感動してしまうんだよね。見た目だけでなく、つつむ空気がキレイ。いいもの見たわ~って感じです。

○そして、おまたせしました今週は 尚之助の桜

 照姫様(稲森いずみ)が会津入りし、武家の女性たちが集う薙刀の道場をご視察。そこに蟄居中の頼母様の妻女・千絵様(宮崎美子)も来て、まわりの奥様連に、貴女ちょっと空気読みなさいよ、ご主人停職中じゃないの、とか言われて揉めるんだけど、美しい照姫様の、「国を思う心がひとつなら、いさかいも一時のこと。会津のおなごなのですから。強くうつくしくありましょうぞ」とのお言葉で、みんなの心が氷解…と、この場面もよかったんですが、今週最大のサービスシーンはこのあとですね。
 ってか、こうでもしないとヒロインの出番が(笑)。それでも、今週は八重ちゃん(綾瀬はるか)の見せ場は、あったほうでしたよ。いえ、わたしは、過去のおなご大河のように、ヒロインがどこへでもしゃしゃり出て行って無作法な口を利いたり、アポなし突撃で歴史上の要人の心を蕩かすみたいな、そーゆー作り話は勘弁してと思うほうなので、八重ちゃんのまことに地味な存在感には好感を持ってます。歴史上の動乱と(いまのところ)関係がなく、彼女の完結した平和な世界でほっこり成長しているすがたは、ほとんど癒しの域にあるのでは?
 そんで、八重ちゃんの癒し力が全開したのが、以下ですね。
 薙刀の稽古場で照姫様のお目に留まった八重ちゃんは、姫の祐筆に選ばれるのでは…という評判が高まり、本人もその気に。祐筆になれば、独身でもキャリアとして生きていけますからね。でも、結局えらばれたのは時尾ちゃん(貫地谷しほり)でした。
 八重ちゃんは、「またお父っつぁまとおっ母さまをがっかりさせてしまった…」と(この理由も可愛い)落ち込んでいますが、それをみた尚さま(長谷川博已)は、夜の角場で、「勝手ですけど、八重さんが選ばれなくてホッとしています。新式銃の開発に八重さんはなくてはならない人ですから。あなたの替わりはいません」と言ってなぐさめるんですね。
 これにすごく反応した八重ちゃん。いえ、べつに尚さまにとって「なくてはならない人」という、そっちじゃなくて、新式銃の開発になくてはならない、その言葉にすごく感動して、ぶちょお……じゃないや(爆)「ありがてえなっし」と、ポロポロ涙こぼして。
 これに、どうリアクションしたものか、すごい困惑する尚さま。可愛すぎます。会社の女の子を、練りに練ったキメ台詞で口説いたつもりが、仕事を評価されたと思いこまれ、無駄に張り切られて取り残された上司のようです。
 でもまあ、この八重ちゃんのずれっぷりが、近年のおなごヒロインにはない可愛さで、、尚さまの困惑したリアクションも、二人そろってなんともいえない癒しパワーを発してますよ。このふたりの将来を思うと、胸が痛むものがあるけど。


今週の八重ちゃん出直し学習会

「大和行幸の詔」は、文久3年8月13日に正式に発布されてますので、これから、御所の勢力地図を塗り替えるクーデターまで、わずか5日の出来事です。すごい。
 大和行幸とは、ようするに天皇の攘夷親征ですね。天皇がみずから大和(奈良県)に行って神武天皇陵に参拝し、攘夷戦争の必勝を祈願。神武天皇の御前で軍議を催したのち、伊勢神宮に行幸」という。ですがイベントは隠れ蓑で、実はそのまま天皇を関東に拉致して、全国の大名に倒幕の勅を発するという陰謀でした。黒幕は三条実美と過激派の公卿たち、裏で実行に動いたのは、久留米の神主・真木和泉と、長州藩のもっとも過激な久坂玄瑞たち一党です。
 怖くて不安でたまらないけど、どうすることもできない孝明帝。ご飯も喉を通らず、不眠に陥り、憔悴しきっているのを見かねたのが、「薩州関白」こと前関白の近衛忠煕でした。
 篤姫を見ていたかたならご記憶でしょう、このひとは、篤姫の戸籍上の仮親として、姫を将軍家に入輿させた人物ですね。薩摩島津家とは何代にもわたり縁が深いのです。

 第8話で、松平容保が、宸翰をうけて激しく心ふるわせている描写があったけど、実は孝明帝は、だいたい同じような内容の宸翰を、薩摩の島津久光にも送ってるんですよね。しかも、久光に対しては、すぐ薩摩兵を率いて上京してくれ、朕を助けてくれと、すがるような切実な懇願。
 だけど、三条実美たちは、勝手に勅命の「取り消し」を発行して久光の上京を差し止めます。まあ、久光としても、ちょうど薩英戦争がおこって鹿児島湾でドンパチやっている最中で、呼ばれても上京どころじゃないのが実情だったしょうけど。
 この偽勅の沙汰に、ついに天皇はキレました。退位すると激しくゴネて、まわりが宥めてすかしてオダテあげて…という、めずらしい騒ぎが持ち上がります。
 そんな事情で、島津久光も、天皇の意思決定が一部の過激派公卿と、バックについた長州藩にいいように動かされていることを知っていて、当然ながら事態をかなり重く見ます。
 そこで、久光の御庭番のようなことをしていた高崎佐太郎が、久光の命をうけて近衛前関白から情報を収集。中川宮に接触して、クーデターの青写真を描きました。
 
 この高崎佐太郎という人物。有名なお由羅騒動、薩摩のお家騒動がからんだ疑獄事件ですね、その事件は別名を「高崎くずれ」といいますが、この「高崎」が、高崎佐太郎の高崎なんです。
 佐太郎の父の高崎五郎衛門が、お由羅の暗殺をはかった門で一方的に断罪され、切腹させられたことが発端で、芋づる式に検挙されて、どんどん切腹や島流しにされます。若き日の大久保利通も、これで辛酸をなめました。最後には幕府の耳にも届く大問題に発展するのですが、事件は公式には、最初の逮捕者の名を冠して「高崎くずれ」と呼ばれました。当時僅か15歳だった佐太郎も連座して遠島、一連の事件の最年少の被害者になりました。
 明治維新後は、宮中の侍従をつとめ、歌人として名前を残しています。

 で、高崎佐太郎が、会津の秋月悌二郎に接触し、長州勢追い落としのクーデターを提案したのが、8月13日。大和行幸の詔が発せられたのと同日です。
 なので、天皇がそれを深く憂えて…というのも、先に貰っていた偽勅云々の宸翰と合わせて信ぴょう性があり、容保の心を動かしたのだと思います。

 そして会薩同盟は成り、中川宮が孝明帝に、クーデター計画を打ち明けます。勅が降りたのが八月十七日の深夜。中川宮の参内を合図に、待機していた会津兵二千(正確には1800あまり)が、御所を取り囲みました。
 で、薩摩は?
 蓋を開けたら150です。150って…いくらなんでも少ない。実はこのクーデターは薩摩と会津だけでやったのじゃなく、小さいところもいれると27藩の在京藩兵が出動して、協力してるんですけど、会津の1800はダントツ、ケタ違い。対して、薩摩の150ってのは下から数えたほうが早いです。
 まあ、薩摩は乾御門の警護から解かれていたし、地元では薩英戦争があって、人手不足はわかりますが、いろいろ立ち回って謀を凝らしたわりに、金と人は出し渋るみたいで。あんまりイイ感じしないですよね。どーみても会津をだまして兵力だけ拝借した、おいしいとこ取りにしか見えないし。

 で、クーデターは鮮やかに成功し、三条実美以下7人の公卿は官位はく奪され、長州に落ち延びていきました。
 同時に長州藩主親子の上京と参内も禁止され、長州藩士は御所九門の内に立ち入り禁止。のみならず、長州藩邸へ藩兵の駐留も禁止され、長州は事実上、都から追い払われたわけです。
 これはやっぱり、薩摩の思うつぼ……。
 その後、長州藩士は上から下まで薩摩と会津のことを深く憎んで、下駄の裏に「討会奸薩賊」と書いて踏んで歩くのが流行ったとか。

 いくら薩摩に利用されたいっても、孝明天皇には会津の忠心はつたわっており、こころづくしの御製は、ドラマ内で紹介されたとおりですが、この御製はもう一首あって

武士と心あはして いはほをも貫きてまし 世世の思ひ出

 なんかこっちのほうが、リアルに気持ちがにじんでいるようで好きだなあ。松平容保が、死ぬまで、肌身離さず持っていたというのは、この御宸翰と御製のことです。

また来週!


1 コメント

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勉強になりました。 (江馬)
2013-03-05 01:59:13
初めてコメントさせて頂きます、八重の出身地在住の者です(会津ではありませんが)。

『風林火山』感想記事を一読して以来、歯に衣着せない(笑)感想、楽しみにしております。


薩摩が実はあまり兵を出していなかった云々というのは初耳でした。

昔学習漫画で読んだイメージ(西郷隆盛が騎乗して蛤御門を警護するというシーン)が強過ぎたので、てっきり薩会半々程度の割合で警護してたんだろう、などと思っておりましたが、そんなに少なかったんですね。

もう少し勉強しようと思います。


八重が出しゃばっていなくて好感が持てるとのご意見、全く同感です。

無理矢理歴史的瞬間に立ち会わせなくても、史劇は成立しますもんね。

『風林火山』以降(『坂の上の雲』は除く)、長らく愛想を尽かしながら惰性で大河を観ておりましたが(笑)、数年振りに日曜八時を楽しみにしている自分がいます。

このまま端整な史劇が続いてくれると良いですね。
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