先週の続きで、白河戦の敗戦の深刻さが日に日に重たくなり、戦火会津に迫るの回。
よーするに、あそこの総大将が西郷頼母でさえなかったら!!という痛恨の話になってくるのですが、まあ当然ですが、ドラマ上ではそういう問題は頑なにスルーでしたね。
その件は、先週も文句いいましたけど、会津戦争の敗因を兵器の質の差だけに求めるのは無理があると思います。やっぱり、拙策の部分も包み隠さず…ってほど念入りでなくてもいいけど、それなりに正確に点描したほうがいいと思うよね。たとえば、せっかく出ている斎藤一でもいいし、あと細谷十太夫とか、フリーな視点で批判できる立場の人を、そのためだけでいいので出して、思いっきり列藩同盟の批判をさせるとかしてさ。
そんでもまあ、よくやっていると思いますよ。列藩同盟の拙策を描写しないといっても、反対に悲劇のほうをコテコテに盛るでもなく、そのへんは節度があっていいです。今回は、「二本松少年隊の悲劇」ということで、サブタイからしてどんだけベタベタかと覚悟していたんですが、けっこう淡々としてて、それがかえって切なさを演出していて、たいへん良かったと思います……が、どこらへんがポイントの悲劇なのかな。12,3歳の子供が前線に出て玉砕したのが悲劇なら、どういう事情でそういう悲劇になったのか、ようは、二本松の大人はどうしてたのかは、さらっと説明しておいた方がよろしかったんじゃないかと。
ようは、白虎隊とか二本松少年隊とか会津娘子軍とかの、悲劇それそのものに依存しないほうがいいという、先週も不安に感じたところなんですが。まあ、それなりによく出来てるドラマの中で、そのあたりが一抹の不安を感じさせるところではあります。
第23話 「二本松少年隊の悲劇」
○あんつぁまの吉田松陰化
あいかわらず薩摩の牢獄に、もう半年以上いる覚馬(西島秀俊)は、口述筆記で、新政府への意見書「管見」を書き上げます。
あんつぁまの扱いも酷いもんだけど、書き上げるそばから「また新政府の悪口をば書いちょっとかあー」とか言って没収してグチャグチャにする牢番も酷いよね。先週死んだ世良修蔵のミニチュア版みたいなの。
まあ実際は山本覚馬の監禁中の扱いは、それなりに丁重で、「管見」だってきちんと扱われたみたいなんですが、会津であんなひどいことになってるのに、あんつぁまだけが楽ちんなお客様扱いではドラマにならんのでしょう。
先週、あんつぁまが、まだできることがある!と言ったのはこのことのようで、そうか…と納得したわたしでした。なにを納得したかというと、ドラマの序盤で吉田松陰が登場した意味です。あれは、べつに小栗旬をどこかにねじ込みたかったから、だけではなかったのですね。獄中で「留魂録」を書いた吉田松陰と山本覚馬をリンクさせることで、個人が時代の転換期の荒波のなかで、まともに、真っ当に国の未来を思うということを表現しているのだな。
先週もいいましたけど、わたし、けっこうこーゆーパターンに弱いので、やはりグッときてしまいました。といっても「管見」そのものには、留魂録というより、横井小楠の国是十二条の影響のほうが感じられるので、のちのちご縁のできることでもあるし、春嶽さまのつながりもあるしで、松陰を出して小楠を出さなかったのがちょっと不自然な気がするのですが。やっぱりそこは、小栗旬を序盤のツカミにねじ込みたかったのかと(以下略)
○会津藩重役会議の不毛
白河城は、なんども奪還戦を仕掛けるもののことごとく失敗、ついにあきらめた西郷頼母(西田敏行)は、独断で戦線離脱して帰国し、「たのむから停戦恭順して」と殿に泣きつく仕儀になります。
そんなこと言ったって、どんだけ恭順を願い出ても無視されて、今日の事態にいたったのではないか。この上恭順の印になにを差し出すというのだ、と困惑する重臣たちに、頼母は、「ここにいるみんなが腹を切ってその首を差し出せばいいんだ」と極端なことを。さらに、「だからあのとき京都を捨てて帰国していれば!」と今更なことを蒸し返す。あーーーーーもーー漂ってる漂ってる、ダメオーラが。
さらに、新政府軍とは兵力差があってどうにもならないし、意見の違う同盟軍のまとめも楽じゃないし、どーでも勝てっていうならすぐに銃器類を最新式に一新しろ、すぐに反射炉作って大砲を鋳造しろっっ!などと無茶ぶりする頼母に、ブチ切れた神保内蔵助(津嘉山正種)が、「(戦場を見たわけでもない)お前が言うな」と、決定的なことを言い放ちます。
まあ、そー言うなら最初からこんなのを大将にしなきゃよかったって話なんですがね…。会津のご重臣にも、感情的なものばっかりあって知恵がないよな。門閥大事の慣習に疑問をもたずに人選したのが敗因だって気づかない。そこでやっと容保様(綾野剛)の「任を解く」のひとことで解任されるのですが、遅いですよもう。
えーっと、わたしよくわかんなくなってきたんですが、ここで西田敏行を、どういう役にしているのでしょうか。ひとりだけ悲惨な未来がわかっていて、必死の警告を繰り返して来たのに相手にされず、最期は悲劇を一身に負った人という、いわゆるカッサンドラですか?
わかるけど、それじゃ大甘だろ、と思います。そう描きたいんなら会津の根本的な拙策の部分もしっかりやるべきですよ。ざっくり「圧倒的な武力の差」ばっかり言ってないで。
そのあと、解任された頼母は家に帰り、母・律子と妻・千恵子(宮崎美子)に戦にあたっての覚悟を述べます。頼母の母は58歳、妻は34歳、一男五女の子供たちは16歳を頭に下は2歳とか、そんな感じだったと思いますけど、西田敏行の年齢問題に御相伴して奥方も御母堂もそれなりの御年になったので、子供たちが、どうみても子供というより孫でした。会津戦争のフラグ立てだと思いますが、へんなところで年齢設定の無理のしわ寄せを見てしまった。
○今週の小ネタいろいろ
○八重ちゃん(綾瀬はるか)が鉄砲を教えていた伊藤悌二郎、高木盛之進が白虎隊に入隊がきまり、山川家の健次郎(勝地諒)は却下されます。
が、この健次郎君は意外にも理系脳の男子であり、鉄砲の撃ち方というよりその構造や火薬の調合などに興味を示し、あっというまにものにしてしまいます。尚さま(長谷川博已)も健次郎君の指摘で、棚倉藩の火薬の調合が「関が原レベル」ということに気づき、これは…と深刻な危機感を持つのでした。
これも、のちのち理学博士として東大総長になる将来へのフラグ立てなのですが、まもなく未来を絶たれる白虎隊の男の子たちとの対照もあって、涙をさそいますね。
○白虎隊の初出動は、福良へ若殿・喜徳公(慶喜の弟)の出陣の御供。新選組と一緒に出掛けた白虎隊は、宿舎で、京都時代の新選組の武勇伝に夢中になって話をねだります。
そこで、「新選組っていうのは、会津に古くからあった隊名なんです」ということを子供の口からきかされて、ハッとする土方歳三(村上淳)。子どもらが寝たあと、斎藤一(降谷健志)に、「会津の飼い犬なんかになるかと思ってたが、会津の殿様はあれで存外、オレらのことを信用してたんだな」としみじみします。
このシーンが、なんか良かった。土方歳三は、戊辰戦争をつうじてだんだん人間の角がとれて、人格的に向上していき、函館ではみんなに父のように慕われるくらいになったそうですが、そういう逸話も腑に落ちる描写ですよね(あと、最初に新選組が拝謁したとき容保様が無反応だった件も解決)。白虎隊の子たちの話を、すこし表情を緩めて聞いている風情も良かったです。
また、斎藤一が、とくに自分の意見を言ったりとかしないんだけど、だまって聞いてる表情の中に、しみじみ納得するものもあり、でも彼としてはまだ反発もあり、みたいな複雑な気持ちが感じられて良かったの。
ってか降谷さん!こんどはセリフなしで内面の葛藤を表現できる域に行ったのですか。すごい、わずかの間に長足の進歩だ。もうあと残るハードルは、顔を見せずに背中で語るってことだけ。これができちゃったら、もう大河ドラマの主役が張れます。あの福○×●に出来たんだからハードルはさほど高くない。がんばって下さい。
○まえにも言いましたが、ことしの木戸孝允のネチッコイ感じ、いいですよねえ。さきの谷原章介の爽やかイケメンさんなコゴちゃんにはなかった、深―い屈折した恨みが感じられ、そのプライベートな憎悪が過酷な会津処分に関与したってことは、多分あるよな…と考えちゃいました。
なので、松平春嶽さま(村上弘明)の「なにを恐れておられるのか」という指摘は、なかなかズバッとツボを突いてて、長州系列には刺さるところではないですか。150年前のこういう行為の延長線上に、今の政権もあるわけですからね(だれか参院選で、阿部ちゃんののった自民党の選挙カーに指さして「何を恐れておられる!」とか言わんかな。笑)
二本松少年隊の悲劇
はい、今週のタイトルロール。やっぱり思った通りダルマが死亡フラグで、南天の刺繍につづいて、またしても…(涙)。
新政府軍が二本松に迫り、城下の男子、下は12歳から上は17歳くらいの、いまでいえば小4~中3くらいの子たちが出陣することになります。剣道の防具にゲベール銃。お母さんがつけてくれた迷子札みたいな名札をつけて。うう(涙)
イケメン藩士・木村銃太郎が引率して、新政府軍がせまる城下町のそと・大壇口へ迎撃のために出動した少年隊。こんな6年1組と先生みたいな規模で(25人だったそうです)、バリケード代わりの畳一枚もって、どうする気だったんでしょうか。自爆じゃなきゃこれで防戦する気だったんかな。ほんと可哀想だわ…。実際の戦場の情報ってものを、なにも知らなかったんだね。
まあ、実際はこの25人だけで防衛したなんてことはないのですね。二本松の攻防と落城は、のち陸軍大将として日露戦争の奉天会戦で活躍する野津道貫が、「戊辰の戦で一番の激戦」といっているくらいだから(まあ、官軍側の自慢話は自分の参戦した戦のクライマックスを「一番の激戦」とてんでに語るので、一番の激戦がやたらあちこちにあるわけだが 笑)。。
あんまり突っ込み入れたくないんすけど、サブタイが二本松少年隊の悲劇だからといって、二本松少年隊以外はだだっ広い戦場にだれもいなくて、城下に撤退しても城下町がほぼ無人、みたいなのってすごく不自然じゃない? そこまで少年隊に特化しなくても…と思います(みんな籠城してたから?)。
お話のほうはだいたい数週前に予想した通りで、八重ちゃんの指導で目をつぶる癖を克服した少年Aが、おまもりのダルマを胸に出陣し、おさない命を散らすという展開でありましたが、思った通りとはいっても、この少年Aが、城下町に侵攻してきた新政府軍に果敢に捨て身の特攻を仕掛け、不意を突かれて刺された官軍の兵士が、「子供だ、殺すな」といった、これが実話のエピソードだと漏れ聞いて、さすがに涙腺を直撃されました。
そうなんだよね…。会津でも、10代の子供のこの手のエピソードに事欠かないのが、資料など読んでいてもうっかり涙腺やられちゃうツボだったりします。
で、二本松少年隊は負傷者を背負って会津まで……え、いくの?わざわざ? まじですか。いくらなんでもそこまでは…と思いますが、こどもたちが巻き込まれた戦の悲惨さに、号泣し、思わず鬼の目になるヒロイン八重ちゃんの変貌ぶりがここのキモなので、まあヨシとします。
今週の八重ちゃん出直し学習会
陽のあたらない英雄名鑑(今週はちょっと遊んで脳内キャストつき)
はい、会津戦争も絶賛佳境にちかづいてまいりましたが、会津落城の悲劇に特化するためか、奥羽越列藩同盟の綺羅星のごとき人材に陽があたらないのが、残念でしょうがない庵主でございます。
まあ、そこまで手を広げちゃうとドラマとして収拾がつかないのでしょうけど…。いっそスピンオフドラマで、BSプレミアムあたりでやって貰いたい、ということで、
長岡藩・河井継之助
河井継之助は、文政10年(1827)うまれで、西郷隆盛とおない年です。若い時から藩を担う人材として江戸留学しますが、30歳をすぎたとき、備中松山の儒学者・山田方谷の元に単身出向いて教えを乞い、農政をはじめ藩政改革の要諦と、人生の指針を学びました。
その後、江戸、長崎、京都詰めをへて多いに他藩の人材と交流をむすび、長岡藩に帰国後はバリバリと藩政改革。すごく合理的で質実剛健な改革で、藩財政を短期間に裕福にしました(遊郭を全廃して風俗業界から強いバッシングうけたりしたけど)
家老になったのは、幕府が瓦解し、戊辰戦争がはじまった慶応4年。藩主のほぼ全権委任をうけて、近隣の奥羽諸国や新政府との交渉を切り回しますが、当初の方針は「局外中立」。この中立のための自衛手段として、江戸藩邸や重代の家宝などを処分してつくった軍資金で、ガットリング機関砲をはじめ凄い最新兵器を買い入れたのは有名な話。
新政府軍軍監・岩村精一郎との、小千谷慈眼寺での交渉が決裂し、中立を放棄して列藩同盟に参入したのが、慶応4年5月。長岡藩の陣頭に立って猛攻し、さんざん新政府軍を苦しめるも力及ばず、長岡城は落城。
その後、落城した長岡を奇襲で奪還するも、ふたたび支えきれなくなり、再奪還され(「長岡の二番崩れ」)、会津に撤退する途中の只見で、負傷が悪化して亡くなりました。享年42歳。
この役は、ドラマ中ではチョイ役扱いでしたので、岡森諦さんには悪いんですけど、スピンオフするなら遠藤憲一さんにやっていただきたいと思います。
仙台藩・玉虫左太夫
文政6(1826)年、仙台藩の中級藩士の次男に生まれ、若いころに一度脱藩して江戸に出奔、素浪人として様々なバイトで生計を立てていました。が、仙台藩の学者・大槻磐渓の骨折りで、大学頭・林復斎の学僕になります。湯島聖堂の雑巾がけから苦労を重ね、頭角を現して塾頭に出世します。
その後、学者として江戸の仙台藩校に帰参。才能が注目されて、幕府の遣米使節団の一員に抜擢されてアメリカに渡りました。ここでアメリカの民主政治というものを肌で感じてガラッと人生観が変わります。以後、理想の国家像を高く掲げて、藩政の中枢で改革の努力を重ねますが、戊辰戦争が勃発すると、会津を朝敵とした新政府の方針を強く非難。列藩同盟の参謀として対新政府軍の先頭に立つことになります。
海外を経験し、深い学識もあり、合理的な頭脳の持ち主でしたが、性格は激しく義侠心が強かったようです。この人が、「会津に罪はない。薩長は暴力的で手段は卑劣、これに政権を取らせると日本の将来は大変なことになる」と断じたことは、そのまま奥羽越列藩同盟のポリシーになります。
だけど仙台という藩は、もともと徹底抗戦派と恭順派が拮抗していたんですね。それに藩内事情としては、藩祖伊達政宗の親族を中心とした藩主の連枝がすごく多く、全土一丸となるのが困難、というか実質無理でした。世良修蔵を暗殺したことで後へ引けなくなったものの、白河城の陥落で藩論は大きく傾いて、慶応4年9月に藩主決定で降伏してしまいます。
その後、玉虫左太夫は、函館に向かう榎本武揚と合流して仙台を捨てて戦い続ける覚悟だったのですが、榎本の船との連絡がうまくいかなくて、ピックアップに失敗。諦めて出頭して罪に服することになります。
ですが、この罪が想定外に重くなって(というか結果として仙台は、玉虫たちの首を差し出して保身したことになるのですが)、玉虫左太夫は慶応二年4月、護送された江戸で処刑されました。享年47歳。
この役は、これは絶対!ですが、堤真一さんに演じてほしいです。風貌も非常に似ています。
仙台藩・星恂太郎
仙台藩士。天保11(1840)年生まれ。すごバイタリティのある人物で、若いころに慷慨から藩要路の暗殺を企てて、未遂におわって脱藩。海外脱出を企てて失敗。その後諸国を放浪し、放浪するうちに幕府の西洋砲術家のところに草鞋をぬいで、舶来の銃火器の知識を深めます。さらに知識を深めたくて、横浜で米国人のヴェン・リードという商人のところに居候して、英語や西洋兵法を学びます。
そうこうするうち戊辰戦争が勃発。星は、在野の人材として見出されて、仙台藩に帰参。西洋砲術指南役、のちに仙台藩の正規軍をまかされることになりました。その正規軍の名は、額兵隊。
額兵隊は、おもに藩内の次男・三男の中から敢死の猛士を志願で集め、訓練で鍛え上げた部隊で、その統率も意気も藩内最強でした。ですが、残念ながら急ごしらえのため、藩からの弾薬の補給が整備されておらず、実際の戦闘で実力を発揮できないまま、藩は降伏恭順してしまいます。
納得できない星は、額兵隊を連れて函館に脱走、新政府軍への激しい抗戦を続けます。が、明治2年5月、函館が陥落すると、捕縛謹慎となり、その後開拓地へ流刑。赦免されたのちは、開拓使に出仕し、北海道で製塩所を営んだりしますが、経営に行き詰まり頓挫、不遇のうちに明治9年、37歳で病死しました。
この役は堺雅人さんにやっていただきたいなあ。風貌も似てますし、見た目が女性のように柔和で性格は激烈だったというキャラクターにもピッタリ。
仙台藩・細谷十大夫
天保10(1839)年、仙台藩の下級藩士の家に生まれます。直情型の暴れ者で、行動力も抜群。戊辰戦争が勃発すると、偵察方として派遣され、商人や旅館の下男など様々に変装して各地の情報を収集します。その途中、第一次白河戦争で惨敗して敗走してくる列藩同盟の兵士を目撃し、あまりの不甲斐なさに憤慨して、自分でゲリラ部隊を結成することに。郡山で現地の博徒の親分衆をあつめ、妓楼を本陣に志願兵を募集します。こうして集まったのが60人くらい。
彼らは忍者みたいな黒装束に身を包み、脇差1本ふところに、神出鬼没の機動性で、白河の新政府軍を翻弄しました。この働きが目に留まり、正式に仙台藩のお抱えとして「衝撃隊」という名をさずかりますが、本人たちは気に入らず、もっぱら土地の者に称された「鴉(からす)組」を名乗っていました。
第二次、三次の白河奪還戦でも、鴉組のゲリラ戦法は大きな援護になったのですが、機動性を持って戦うことができるのが鴉組くらいという状況では、焼け石に水でした。その後、仙台藩の最後の戦いになる旗巻峠の戦いに参戦。破れて仙台が降伏したのち、衝撃隊を現地解散して出奔します。
その後、明治になるまで逃亡生活をつづけ、戊辰戦争の戦犯の大赦が行われたのを期に姿をあらわして、星恂太郎とともに北海道開拓にもかかわります。でも失敗。西南戦争や、日清戦争にも従軍しました。最後は故郷仙台の、龍雲寺の住職となって、明治40年、67歳で死去。
この役は、男くささと陰りのあるいい役ですので、最近とみにコクが増し、進境著しい山田孝之さんに演じていただきたい。
あーごめん、庄内の酒井玄蕃、桑名の立見鑑三郎、米沢の雲居龍雄、あとスネル兄弟なんかについても書く予定だったんだけど、いつ終わるかわかんなくなるので、今回はこの辺で。この企画の続きは、また次回(できれば)やります!
よーするに、あそこの総大将が西郷頼母でさえなかったら!!という痛恨の話になってくるのですが、まあ当然ですが、ドラマ上ではそういう問題は頑なにスルーでしたね。
その件は、先週も文句いいましたけど、会津戦争の敗因を兵器の質の差だけに求めるのは無理があると思います。やっぱり、拙策の部分も包み隠さず…ってほど念入りでなくてもいいけど、それなりに正確に点描したほうがいいと思うよね。たとえば、せっかく出ている斎藤一でもいいし、あと細谷十太夫とか、フリーな視点で批判できる立場の人を、そのためだけでいいので出して、思いっきり列藩同盟の批判をさせるとかしてさ。
そんでもまあ、よくやっていると思いますよ。列藩同盟の拙策を描写しないといっても、反対に悲劇のほうをコテコテに盛るでもなく、そのへんは節度があっていいです。今回は、「二本松少年隊の悲劇」ということで、サブタイからしてどんだけベタベタかと覚悟していたんですが、けっこう淡々としてて、それがかえって切なさを演出していて、たいへん良かったと思います……が、どこらへんがポイントの悲劇なのかな。12,3歳の子供が前線に出て玉砕したのが悲劇なら、どういう事情でそういう悲劇になったのか、ようは、二本松の大人はどうしてたのかは、さらっと説明しておいた方がよろしかったんじゃないかと。
ようは、白虎隊とか二本松少年隊とか会津娘子軍とかの、悲劇それそのものに依存しないほうがいいという、先週も不安に感じたところなんですが。まあ、それなりによく出来てるドラマの中で、そのあたりが一抹の不安を感じさせるところではあります。
第23話 「二本松少年隊の悲劇」
○あんつぁまの吉田松陰化
あいかわらず薩摩の牢獄に、もう半年以上いる覚馬(西島秀俊)は、口述筆記で、新政府への意見書「管見」を書き上げます。
あんつぁまの扱いも酷いもんだけど、書き上げるそばから「また新政府の悪口をば書いちょっとかあー」とか言って没収してグチャグチャにする牢番も酷いよね。先週死んだ世良修蔵のミニチュア版みたいなの。
まあ実際は山本覚馬の監禁中の扱いは、それなりに丁重で、「管見」だってきちんと扱われたみたいなんですが、会津であんなひどいことになってるのに、あんつぁまだけが楽ちんなお客様扱いではドラマにならんのでしょう。
先週、あんつぁまが、まだできることがある!と言ったのはこのことのようで、そうか…と納得したわたしでした。なにを納得したかというと、ドラマの序盤で吉田松陰が登場した意味です。あれは、べつに小栗旬をどこかにねじ込みたかったから、だけではなかったのですね。獄中で「留魂録」を書いた吉田松陰と山本覚馬をリンクさせることで、個人が時代の転換期の荒波のなかで、まともに、真っ当に国の未来を思うということを表現しているのだな。
先週もいいましたけど、わたし、けっこうこーゆーパターンに弱いので、やはりグッときてしまいました。といっても「管見」そのものには、留魂録というより、横井小楠の国是十二条の影響のほうが感じられるので、のちのちご縁のできることでもあるし、春嶽さまのつながりもあるしで、松陰を出して小楠を出さなかったのがちょっと不自然な気がするのですが。やっぱりそこは、小栗旬を序盤のツカミにねじ込みたかったのかと(以下略)
○会津藩重役会議の不毛
白河城は、なんども奪還戦を仕掛けるもののことごとく失敗、ついにあきらめた西郷頼母(西田敏行)は、独断で戦線離脱して帰国し、「たのむから停戦恭順して」と殿に泣きつく仕儀になります。
そんなこと言ったって、どんだけ恭順を願い出ても無視されて、今日の事態にいたったのではないか。この上恭順の印になにを差し出すというのだ、と困惑する重臣たちに、頼母は、「ここにいるみんなが腹を切ってその首を差し出せばいいんだ」と極端なことを。さらに、「だからあのとき京都を捨てて帰国していれば!」と今更なことを蒸し返す。あーーーーーもーー漂ってる漂ってる、ダメオーラが。
さらに、新政府軍とは兵力差があってどうにもならないし、意見の違う同盟軍のまとめも楽じゃないし、どーでも勝てっていうならすぐに銃器類を最新式に一新しろ、すぐに反射炉作って大砲を鋳造しろっっ!などと無茶ぶりする頼母に、ブチ切れた神保内蔵助(津嘉山正種)が、「(戦場を見たわけでもない)お前が言うな」と、決定的なことを言い放ちます。
まあ、そー言うなら最初からこんなのを大将にしなきゃよかったって話なんですがね…。会津のご重臣にも、感情的なものばっかりあって知恵がないよな。門閥大事の慣習に疑問をもたずに人選したのが敗因だって気づかない。そこでやっと容保様(綾野剛)の「任を解く」のひとことで解任されるのですが、遅いですよもう。
えーっと、わたしよくわかんなくなってきたんですが、ここで西田敏行を、どういう役にしているのでしょうか。ひとりだけ悲惨な未来がわかっていて、必死の警告を繰り返して来たのに相手にされず、最期は悲劇を一身に負った人という、いわゆるカッサンドラですか?
わかるけど、それじゃ大甘だろ、と思います。そう描きたいんなら会津の根本的な拙策の部分もしっかりやるべきですよ。ざっくり「圧倒的な武力の差」ばっかり言ってないで。
そのあと、解任された頼母は家に帰り、母・律子と妻・千恵子(宮崎美子)に戦にあたっての覚悟を述べます。頼母の母は58歳、妻は34歳、一男五女の子供たちは16歳を頭に下は2歳とか、そんな感じだったと思いますけど、西田敏行の年齢問題に御相伴して奥方も御母堂もそれなりの御年になったので、子供たちが、どうみても子供というより孫でした。会津戦争のフラグ立てだと思いますが、へんなところで年齢設定の無理のしわ寄せを見てしまった。
○今週の小ネタいろいろ
○八重ちゃん(綾瀬はるか)が鉄砲を教えていた伊藤悌二郎、高木盛之進が白虎隊に入隊がきまり、山川家の健次郎(勝地諒)は却下されます。
が、この健次郎君は意外にも理系脳の男子であり、鉄砲の撃ち方というよりその構造や火薬の調合などに興味を示し、あっというまにものにしてしまいます。尚さま(長谷川博已)も健次郎君の指摘で、棚倉藩の火薬の調合が「関が原レベル」ということに気づき、これは…と深刻な危機感を持つのでした。
これも、のちのち理学博士として東大総長になる将来へのフラグ立てなのですが、まもなく未来を絶たれる白虎隊の男の子たちとの対照もあって、涙をさそいますね。
○白虎隊の初出動は、福良へ若殿・喜徳公(慶喜の弟)の出陣の御供。新選組と一緒に出掛けた白虎隊は、宿舎で、京都時代の新選組の武勇伝に夢中になって話をねだります。
そこで、「新選組っていうのは、会津に古くからあった隊名なんです」ということを子供の口からきかされて、ハッとする土方歳三(村上淳)。子どもらが寝たあと、斎藤一(降谷健志)に、「会津の飼い犬なんかになるかと思ってたが、会津の殿様はあれで存外、オレらのことを信用してたんだな」としみじみします。
このシーンが、なんか良かった。土方歳三は、戊辰戦争をつうじてだんだん人間の角がとれて、人格的に向上していき、函館ではみんなに父のように慕われるくらいになったそうですが、そういう逸話も腑に落ちる描写ですよね(あと、最初に新選組が拝謁したとき容保様が無反応だった件も解決)。白虎隊の子たちの話を、すこし表情を緩めて聞いている風情も良かったです。
また、斎藤一が、とくに自分の意見を言ったりとかしないんだけど、だまって聞いてる表情の中に、しみじみ納得するものもあり、でも彼としてはまだ反発もあり、みたいな複雑な気持ちが感じられて良かったの。
ってか降谷さん!こんどはセリフなしで内面の葛藤を表現できる域に行ったのですか。すごい、わずかの間に長足の進歩だ。もうあと残るハードルは、顔を見せずに背中で語るってことだけ。これができちゃったら、もう大河ドラマの主役が張れます。あの福○×●に出来たんだからハードルはさほど高くない。がんばって下さい。
○まえにも言いましたが、ことしの木戸孝允のネチッコイ感じ、いいですよねえ。さきの谷原章介の爽やかイケメンさんなコゴちゃんにはなかった、深―い屈折した恨みが感じられ、そのプライベートな憎悪が過酷な会津処分に関与したってことは、多分あるよな…と考えちゃいました。
なので、松平春嶽さま(村上弘明)の「なにを恐れておられるのか」という指摘は、なかなかズバッとツボを突いてて、長州系列には刺さるところではないですか。150年前のこういう行為の延長線上に、今の政権もあるわけですからね(だれか参院選で、阿部ちゃんののった自民党の選挙カーに指さして「何を恐れておられる!」とか言わんかな。笑)
二本松少年隊の悲劇
はい、今週のタイトルロール。やっぱり思った通りダルマが死亡フラグで、南天の刺繍につづいて、またしても…(涙)。
新政府軍が二本松に迫り、城下の男子、下は12歳から上は17歳くらいの、いまでいえば小4~中3くらいの子たちが出陣することになります。剣道の防具にゲベール銃。お母さんがつけてくれた迷子札みたいな名札をつけて。うう(涙)
イケメン藩士・木村銃太郎が引率して、新政府軍がせまる城下町のそと・大壇口へ迎撃のために出動した少年隊。こんな6年1組と先生みたいな規模で(25人だったそうです)、バリケード代わりの畳一枚もって、どうする気だったんでしょうか。自爆じゃなきゃこれで防戦する気だったんかな。ほんと可哀想だわ…。実際の戦場の情報ってものを、なにも知らなかったんだね。
まあ、実際はこの25人だけで防衛したなんてことはないのですね。二本松の攻防と落城は、のち陸軍大将として日露戦争の奉天会戦で活躍する野津道貫が、「戊辰の戦で一番の激戦」といっているくらいだから(まあ、官軍側の自慢話は自分の参戦した戦のクライマックスを「一番の激戦」とてんでに語るので、一番の激戦がやたらあちこちにあるわけだが 笑)。。
あんまり突っ込み入れたくないんすけど、サブタイが二本松少年隊の悲劇だからといって、二本松少年隊以外はだだっ広い戦場にだれもいなくて、城下に撤退しても城下町がほぼ無人、みたいなのってすごく不自然じゃない? そこまで少年隊に特化しなくても…と思います(みんな籠城してたから?)。
お話のほうはだいたい数週前に予想した通りで、八重ちゃんの指導で目をつぶる癖を克服した少年Aが、おまもりのダルマを胸に出陣し、おさない命を散らすという展開でありましたが、思った通りとはいっても、この少年Aが、城下町に侵攻してきた新政府軍に果敢に捨て身の特攻を仕掛け、不意を突かれて刺された官軍の兵士が、「子供だ、殺すな」といった、これが実話のエピソードだと漏れ聞いて、さすがに涙腺を直撃されました。
そうなんだよね…。会津でも、10代の子供のこの手のエピソードに事欠かないのが、資料など読んでいてもうっかり涙腺やられちゃうツボだったりします。
で、二本松少年隊は負傷者を背負って会津まで……え、いくの?わざわざ? まじですか。いくらなんでもそこまでは…と思いますが、こどもたちが巻き込まれた戦の悲惨さに、号泣し、思わず鬼の目になるヒロイン八重ちゃんの変貌ぶりがここのキモなので、まあヨシとします。
今週の八重ちゃん出直し学習会
陽のあたらない英雄名鑑(今週はちょっと遊んで脳内キャストつき)
はい、会津戦争も絶賛佳境にちかづいてまいりましたが、会津落城の悲劇に特化するためか、奥羽越列藩同盟の綺羅星のごとき人材に陽があたらないのが、残念でしょうがない庵主でございます。
まあ、そこまで手を広げちゃうとドラマとして収拾がつかないのでしょうけど…。いっそスピンオフドラマで、BSプレミアムあたりでやって貰いたい、ということで、
長岡藩・河井継之助
河井継之助は、文政10年(1827)うまれで、西郷隆盛とおない年です。若い時から藩を担う人材として江戸留学しますが、30歳をすぎたとき、備中松山の儒学者・山田方谷の元に単身出向いて教えを乞い、農政をはじめ藩政改革の要諦と、人生の指針を学びました。
その後、江戸、長崎、京都詰めをへて多いに他藩の人材と交流をむすび、長岡藩に帰国後はバリバリと藩政改革。すごく合理的で質実剛健な改革で、藩財政を短期間に裕福にしました(遊郭を全廃して風俗業界から強いバッシングうけたりしたけど)
家老になったのは、幕府が瓦解し、戊辰戦争がはじまった慶応4年。藩主のほぼ全権委任をうけて、近隣の奥羽諸国や新政府との交渉を切り回しますが、当初の方針は「局外中立」。この中立のための自衛手段として、江戸藩邸や重代の家宝などを処分してつくった軍資金で、ガットリング機関砲をはじめ凄い最新兵器を買い入れたのは有名な話。
新政府軍軍監・岩村精一郎との、小千谷慈眼寺での交渉が決裂し、中立を放棄して列藩同盟に参入したのが、慶応4年5月。長岡藩の陣頭に立って猛攻し、さんざん新政府軍を苦しめるも力及ばず、長岡城は落城。
その後、落城した長岡を奇襲で奪還するも、ふたたび支えきれなくなり、再奪還され(「長岡の二番崩れ」)、会津に撤退する途中の只見で、負傷が悪化して亡くなりました。享年42歳。
この役は、ドラマ中ではチョイ役扱いでしたので、岡森諦さんには悪いんですけど、スピンオフするなら遠藤憲一さんにやっていただきたいと思います。
仙台藩・玉虫左太夫
文政6(1826)年、仙台藩の中級藩士の次男に生まれ、若いころに一度脱藩して江戸に出奔、素浪人として様々なバイトで生計を立てていました。が、仙台藩の学者・大槻磐渓の骨折りで、大学頭・林復斎の学僕になります。湯島聖堂の雑巾がけから苦労を重ね、頭角を現して塾頭に出世します。
その後、学者として江戸の仙台藩校に帰参。才能が注目されて、幕府の遣米使節団の一員に抜擢されてアメリカに渡りました。ここでアメリカの民主政治というものを肌で感じてガラッと人生観が変わります。以後、理想の国家像を高く掲げて、藩政の中枢で改革の努力を重ねますが、戊辰戦争が勃発すると、会津を朝敵とした新政府の方針を強く非難。列藩同盟の参謀として対新政府軍の先頭に立つことになります。
海外を経験し、深い学識もあり、合理的な頭脳の持ち主でしたが、性格は激しく義侠心が強かったようです。この人が、「会津に罪はない。薩長は暴力的で手段は卑劣、これに政権を取らせると日本の将来は大変なことになる」と断じたことは、そのまま奥羽越列藩同盟のポリシーになります。
だけど仙台という藩は、もともと徹底抗戦派と恭順派が拮抗していたんですね。それに藩内事情としては、藩祖伊達政宗の親族を中心とした藩主の連枝がすごく多く、全土一丸となるのが困難、というか実質無理でした。世良修蔵を暗殺したことで後へ引けなくなったものの、白河城の陥落で藩論は大きく傾いて、慶応4年9月に藩主決定で降伏してしまいます。
その後、玉虫左太夫は、函館に向かう榎本武揚と合流して仙台を捨てて戦い続ける覚悟だったのですが、榎本の船との連絡がうまくいかなくて、ピックアップに失敗。諦めて出頭して罪に服することになります。
ですが、この罪が想定外に重くなって(というか結果として仙台は、玉虫たちの首を差し出して保身したことになるのですが)、玉虫左太夫は慶応二年4月、護送された江戸で処刑されました。享年47歳。
この役は、これは絶対!ですが、堤真一さんに演じてほしいです。風貌も非常に似ています。
仙台藩・星恂太郎
仙台藩士。天保11(1840)年生まれ。すごバイタリティのある人物で、若いころに慷慨から藩要路の暗殺を企てて、未遂におわって脱藩。海外脱出を企てて失敗。その後諸国を放浪し、放浪するうちに幕府の西洋砲術家のところに草鞋をぬいで、舶来の銃火器の知識を深めます。さらに知識を深めたくて、横浜で米国人のヴェン・リードという商人のところに居候して、英語や西洋兵法を学びます。
そうこうするうち戊辰戦争が勃発。星は、在野の人材として見出されて、仙台藩に帰参。西洋砲術指南役、のちに仙台藩の正規軍をまかされることになりました。その正規軍の名は、額兵隊。
額兵隊は、おもに藩内の次男・三男の中から敢死の猛士を志願で集め、訓練で鍛え上げた部隊で、その統率も意気も藩内最強でした。ですが、残念ながら急ごしらえのため、藩からの弾薬の補給が整備されておらず、実際の戦闘で実力を発揮できないまま、藩は降伏恭順してしまいます。
納得できない星は、額兵隊を連れて函館に脱走、新政府軍への激しい抗戦を続けます。が、明治2年5月、函館が陥落すると、捕縛謹慎となり、その後開拓地へ流刑。赦免されたのちは、開拓使に出仕し、北海道で製塩所を営んだりしますが、経営に行き詰まり頓挫、不遇のうちに明治9年、37歳で病死しました。
この役は堺雅人さんにやっていただきたいなあ。風貌も似てますし、見た目が女性のように柔和で性格は激烈だったというキャラクターにもピッタリ。
仙台藩・細谷十大夫
天保10(1839)年、仙台藩の下級藩士の家に生まれます。直情型の暴れ者で、行動力も抜群。戊辰戦争が勃発すると、偵察方として派遣され、商人や旅館の下男など様々に変装して各地の情報を収集します。その途中、第一次白河戦争で惨敗して敗走してくる列藩同盟の兵士を目撃し、あまりの不甲斐なさに憤慨して、自分でゲリラ部隊を結成することに。郡山で現地の博徒の親分衆をあつめ、妓楼を本陣に志願兵を募集します。こうして集まったのが60人くらい。
彼らは忍者みたいな黒装束に身を包み、脇差1本ふところに、神出鬼没の機動性で、白河の新政府軍を翻弄しました。この働きが目に留まり、正式に仙台藩のお抱えとして「衝撃隊」という名をさずかりますが、本人たちは気に入らず、もっぱら土地の者に称された「鴉(からす)組」を名乗っていました。
第二次、三次の白河奪還戦でも、鴉組のゲリラ戦法は大きな援護になったのですが、機動性を持って戦うことができるのが鴉組くらいという状況では、焼け石に水でした。その後、仙台藩の最後の戦いになる旗巻峠の戦いに参戦。破れて仙台が降伏したのち、衝撃隊を現地解散して出奔します。
その後、明治になるまで逃亡生活をつづけ、戊辰戦争の戦犯の大赦が行われたのを期に姿をあらわして、星恂太郎とともに北海道開拓にもかかわります。でも失敗。西南戦争や、日清戦争にも従軍しました。最後は故郷仙台の、龍雲寺の住職となって、明治40年、67歳で死去。
この役は、男くささと陰りのあるいい役ですので、最近とみにコクが増し、進境著しい山田孝之さんに演じていただきたい。
あーごめん、庄内の酒井玄蕃、桑名の立見鑑三郎、米沢の雲居龍雄、あとスネル兄弟なんかについても書く予定だったんだけど、いつ終わるかわかんなくなるので、今回はこの辺で。この企画の続きは、また次回(できれば)やります!
私が大河ドラマを見始めたのは、滝田栄さんの『徳川家康』からですが、小さい頃、祖父母の影響で、『大岡越前』や『水戸黄門』の再放送を見て育ったため、時代劇が大好きです。
今回の『八重の桜』、昨年の発表以来、楽しみにしていていました(私は生まれも育ちも広島ですが、昨年の清盛は辛かった・・・』。いろいろ大人の事情もあるのでしょうが、もう1ケ月位、会津編を延ばして、いろいろ描いて欲しかったなと思います。
このドラマは伏線がはられまくりと思っていましたが、吉田松陰の「起ち上がれ!」がここに来るとは!ビッリしました。となると、
「豆が良く出来てる・・・」と上手な姉さまはあそこで豆を作り、そしてそれを
「私が行きます!」と尚さまの背中が遠ざかり、大八車に轢かれ、
「かえって厄介をかけてしまって・・・」
と面倒を見てもらえるのか心配です。。。
でも、出石には碑が出来たそうで、137年後だけれども評価された。こういうのが大河ドラマの役割かなとも思います。
戊辰戦争編には、二百三高地から太平洋戦争への伏線を感じます。新政府は、あそこまでやってはいけなかった。それは奥羽越も同じですが・・・
また、次回を楽しみにしております!
「長州征伐の裏返し」と痛い所を突かれ、不快も露わに狼狽する木戸と、軽くいなす岩倉のリアクションを興味深く見ました。
斎藤一は、浅田次郎の『一刀斎夢録』『壬生義士伝』『輪違屋糸里』に描かれている、薄気味悪い偏屈者だけど実は…、という人物像が私はとても気に入っていますが、実像は、今回のドラマぐらい若くてギラギラしていたのかもしれませんね。
庄内藩の酒井吉之丞については、佐藤賢一の小説『新徴組』の中で、新選組の沖田総司の義兄で新徴組隊士だった沖田林太郎の視点から、総司のキャラクターと重ね合わせて描かれているのが面白く、以来、気になっています。
奥羽越列藩同盟の英雄名鑑にも感心しました。
ドラマに加え、庵主さまのツボを得た詳細な解説のお陰で、幕末維新史にどんどんハマっています。
劇中、春嶽公が「なぜ会津の嘆願書を握りつぶしたのか」って。いや、あんたがつぶしたんやろ。
「こんな嘆願書では、会津藩は本気で消滅させられる」って。しかも会津藩は嘆願書を2回しか出してまへん。