皆様こんにちは。学習会のお時間がやってまいりました。
わたしは戦国時代はど素人で、ちまたで流行のゲームすらやったことないまったくのオンチなもんですから、ことしは出直し学習会なんておこがましいことはやらないと、まえまえから予防線張ってたんですけど、やはり、ずっと続けた学習会を停止というのも寂しいものがありますので。
今年企画しましたのは、超ユルユルかつ簡単な、「素朴な学習会」です。ドラマをみていて、戦国時代オンチのわたくしが感じた素朴な疑問を、ユルユルと調べてみようという試みです。いつもの常で行き当たりバッタリになると思いますが(笑)、ごいっしょに楽しんでいただけると嬉しいです。よろしくお付き合い願います。
というわけで、第1回のテーマは
石田三成(小栗旬)の髪型はどういうことなのか
です。
第1話のレビューでも話題沸騰しました、石田三成@小栗旬の髪型は、あれはどうなのか?
という問題に、アカデミックに迫ってみようと思います。
で、わたし早速でかけました。県立図書館へ。
戦国時代の髪型といってもいろいろなのですが、探した限りで、第1話における小栗旬の髪型に近いと思われるものは、以下の2点です。
図1
図2
おお、これを足して2で割って後ろ頭を三つ編みに合成すれば、小栗旬の髪型に!!(…なるか?)
どちらも、彦根城博物館収蔵・国宝「彦根屏風」に描かれたもので、桃山時代から江戸初期の、若衆の風俗を描いたといわれるものだそうです。
この桃山時代以前、戦国時代の武家の髪型というのはほぼワンパターンで決まったものでして、総髪にピーンと直立した髷です。オフィシャルでは烏帽子を被るので、烏帽子の座りがいいように、髷は垂直に立てるか頭のてっぺん近くで結われるわけですね。
これが秀吉の全盛期ごろになると、オフィシャル・シーンでも烏帽子というのがすたれます。烏帽子仕様の髷を結う必要がなくなると、男の髪型は様々に変化を見せ始め、いわば「なんでもあり」な状態になっていきました。
その顕著なものに、烏帽子着用を前提としていては結えない、後ろ頭やうなじで束ねた髷(図1)の出現があります。
トップも、ふつうの総髪撫で付けでは寂しいので、鎌倉時代仕様の広い月代の復活や、サイドに凝るとか(図2)、前髪の形(元服前に限る)に凝る、髷も垂らしたり、毛先を遊ばせたり、シニヨンのようなのとか、武家の男性は急におしゃれになってきました。
この時代、ファッション・リーダーの役をしたのが、権力者の小姓たちでした。こういうのは、平和な時代であり、かつ太閤秀吉のような絶大な権威が存在しないとありえぬことなので、この時代、日本人としては王朝いらいの、オシャレの狂い咲きといってよいでしょう。
権力者は、うら若い美少年の小姓を大勢、華美で奇抜な服装をさせて引きつれて歩くことで、自身の権威をビジュアル的に表現しました。秀吉などがど派手な衣装で美少年を着飾らせ、練り歩くことで、庶民の文化にも影響を与えたんですね。着物の色柄や着こなし、メイク、ヘアーなど、みな小姓たちが発信して庶民に降りていったようです。
若い武家の男の子が、町の女性のファッション・シーンをリードするという、日本史的にもちょっと珍しい時代だったようですね。
…というわけで、三成@小栗旬のようなのは当時の風俗を象徴するもので、不思議な髪型が画面をウロウロしていても、けっして不思議ではない、ということなのでした。
わたしは戦国時代はど素人で、ちまたで流行のゲームすらやったことないまったくのオンチなもんですから、ことしは出直し学習会なんておこがましいことはやらないと、まえまえから予防線張ってたんですけど、やはり、ずっと続けた学習会を停止というのも寂しいものがありますので。
今年企画しましたのは、超ユルユルかつ簡単な、「素朴な学習会」です。ドラマをみていて、戦国時代オンチのわたくしが感じた素朴な疑問を、ユルユルと調べてみようという試みです。いつもの常で行き当たりバッタリになると思いますが(笑)、ごいっしょに楽しんでいただけると嬉しいです。よろしくお付き合い願います。
というわけで、第1回のテーマは
石田三成(小栗旬)の髪型はどういうことなのか
です。
第1話のレビューでも話題沸騰しました、石田三成@小栗旬の髪型は、あれはどうなのか?
という問題に、アカデミックに迫ってみようと思います。
で、わたし早速でかけました。県立図書館へ。
戦国時代の髪型といってもいろいろなのですが、探した限りで、第1話における小栗旬の髪型に近いと思われるものは、以下の2点です。
図1
図2
おお、これを足して2で割って後ろ頭を三つ編みに合成すれば、小栗旬の髪型に!!(…なるか?)
どちらも、彦根城博物館収蔵・国宝「彦根屏風」に描かれたもので、桃山時代から江戸初期の、若衆の風俗を描いたといわれるものだそうです。
この桃山時代以前、戦国時代の武家の髪型というのはほぼワンパターンで決まったものでして、総髪にピーンと直立した髷です。オフィシャルでは烏帽子を被るので、烏帽子の座りがいいように、髷は垂直に立てるか頭のてっぺん近くで結われるわけですね。
これが秀吉の全盛期ごろになると、オフィシャル・シーンでも烏帽子というのがすたれます。烏帽子仕様の髷を結う必要がなくなると、男の髪型は様々に変化を見せ始め、いわば「なんでもあり」な状態になっていきました。
その顕著なものに、烏帽子着用を前提としていては結えない、後ろ頭やうなじで束ねた髷(図1)の出現があります。
トップも、ふつうの総髪撫で付けでは寂しいので、鎌倉時代仕様の広い月代の復活や、サイドに凝るとか(図2)、前髪の形(元服前に限る)に凝る、髷も垂らしたり、毛先を遊ばせたり、シニヨンのようなのとか、武家の男性は急におしゃれになってきました。
この時代、ファッション・リーダーの役をしたのが、権力者の小姓たちでした。こういうのは、平和な時代であり、かつ太閤秀吉のような絶大な権威が存在しないとありえぬことなので、この時代、日本人としては王朝いらいの、オシャレの狂い咲きといってよいでしょう。
権力者は、うら若い美少年の小姓を大勢、華美で奇抜な服装をさせて引きつれて歩くことで、自身の権威をビジュアル的に表現しました。秀吉などがど派手な衣装で美少年を着飾らせ、練り歩くことで、庶民の文化にも影響を与えたんですね。着物の色柄や着こなし、メイク、ヘアーなど、みな小姓たちが発信して庶民に降りていったようです。
若い武家の男の子が、町の女性のファッション・シーンをリードするという、日本史的にもちょっと珍しい時代だったようですね。
…というわけで、三成@小栗旬のようなのは当時の風俗を象徴するもので、不思議な髪型が画面をウロウロしていても、けっして不思議ではない、ということなのでした。
昨年からレビュ丸は時代劇のエキストラの仕事をボランティアでやっており、これまでにチョンマゲのカツラを装着する機会が何度かありました。装着したあと鏡を見て思ったのですが、「こんなにピチッとしたチョンマゲの人って、実際のところ、あまりいなかったんだろうなぁ・・・」と。 一日に何度も動き回ったり、寝っ転がったりしなくてはならないうえ、そんなに頻繁に結い直したり、洗髪したりしていたとも考えられないし・・・。当時の人は大変だったんだなぁと思いました。
それにしてもチョンマゲって変な髪型!! 頭頂部に手をやると、月代の上に自分の髪の束が載っかっているのですから!! おもわず「うひゃー」と叫んでしまいましたヨ。
髪型問題は案外奥が深く(笑)、追求しだすととまらないところがありますが、武家の男性髪型としては、この桃山時代がいちばん自由でアバンギャルドでなんでもありの爛熟時代だったみたいですね。江戸時代になると模範的な武家髷に統一されていきますし…。
年配男性は、ハゲて髷が結えなくなると隠居、という不文律もあったそうで、髪型もかなり人生に影響しているんですねえ。
そうそう、エキストラをなさってるのは存じ上げてまして、「居眠り磐音」なども目を皿にして拝見しました(笑)。
>月代の上に自分の髪の束
ヅラのチョンマゲって「一部地毛」なのですか!
そういえば、昔はヅラの月代の「のりしろ」部分がアップになるとはっきり分かったものだけど、このごろは、高画質でもヅラと額の境目が自然でわからなかったりしますね。ああいうものも進化しているのだなあ…と、ヘンなところに関心(笑)。
よろしくお願いします。
ところで、「石田光成(小栗旬)の髪型はどういうことなのか?」という表題で、大笑いして今しました。
しかし、いつもながらのすばらしき解説に、感動しております。
なるほど~~~~。
昔の小姓たちは今で言うアイドルのような存在だったのでしょうか??
「秀吉のところのミッチーってかっこいいよね~」とか言われていたのかな?
それにしても、写真の若者は2人とも口が小さいというか、「チュー」の口ですね。
それも流行なの???
私の周りでは、庵主さまのファンがひそかに増えております。
それぞれYou Tubeなどで大河を見て、そのあと庵主さまのコメントを読み、みんなで集まってもう一度大河について話すという「歴史の会」なるものが結成され、アメリカでの大河普及に努めております(?)。
これからも楽しいコメント・学習会期待してます。
いつも拝見してましたが、今年はこちらでも時々お話しさせていただきたいと思いまして。よろしくお願いいたします。
今回はタイトルでまず吹き出しました。
真っ先につっ込みたいところでしたので(笑)
そうか、何でもありなのか~。確かに髪型に限らず、あの時代は風俗が奔放な感じですよね。
そう考えれば、これまでのドラマみたいにみんな判で押したような髪型のほうがかえって不自然だったのかも、とも思えてきます。
ところで>若衆の風俗
若衆って、アレですよね、いわゆる「衆道」の若者のことですよね?単なる「若者」って意味じゃないでしょう?
これは、大河がオフィシャルに三成を受キャラにしちゃったってことでしょうか??(笑)
まあ、それも信長×森蘭丸の例を挙げるまでもなく、当時としては別段珍しいことではなかったんでしょうけど。ひょっとしてこうやって突っ込んで調べた人にだけわかる隠れた演出?庵主さまグッジョブ(笑)
これからも素朴な疑問に、時にゆる~く時には鋭く突っ込んでください。楽しみにしています!
>昔の小姓たちは今で言うアイドルのような存在だったのでしょうか
そのようですよ。わたしも、戦国時代の小姓は森蘭丸のような「戦う小姓」だと思ってましたが、桃山時代の小姓ファッションについては今回調べて初めて知りました。元服前の若衆は振り袖(!!)だったりして、当時の着物の流行なんかは、若い小姓が発信源だったんですって。
>「歴史の会」なるものが結成され、アメリカでの大河普及に努めております
きゃあ~~~!! 赤面赤面、だけど大河普及は嬉しい♪ 遠隔地で集って語り合えるのは、なにかとっても濃い感じで、素敵ですね!
わたしも頑張って…というか、なんか今年は前にもましてアホ全開のレビューになってゆく予感が早くもしてますけど(汗)よろしくお付き合いくださいませ。
ようこそいらっしゃいました♪ あちらでは、いつもどうもです。
…というかあっちでちょっと嫌なことあって、ブログとリンク切っちゃったりしたんですが(汗)、来ていただいて嬉しいです。これからも宜しくお願いしますね。
>これまでのドラマみたいにみんな判で押したような髪型のほうがかえって不自然だったのかも
わたしもそう思ったんですよ。なるほどな~、乱世の抑圧がパーッと取れて、風俗が一気に爛熟した感じですか? ならば小栗旬のみならず、もっと奔放な髪型の若衆をいっぱい出して、ド派手な画面になると楽しいと思います。そのへんは期待してます。
>大河がオフィシャルに三成を受キャラにしちゃったってことでしょうか??
……ですよねえ?
なんか、派手な若衆の風俗が「権力者の愛玩物」らしいと解るにつれ、じゃ今年の三成は…と、ちょっと胸がざわついてしまったんですけども。ひえ~~。
ま、そのへんは今後の展開で、どのような経緯をへて佐吉=三成があのファッションに成長していくのか、隠れた見所のひとつと思います(笑)。
はい、今年はもう、(去年の反動もあり…)めいっぱいユルく無責任に突っ込んでいこうと思いますので(笑)、今後ともよろしくお願いします。