como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「篤姫」出直し学習会 VOL7

2008-02-16 22:27:55 | Cafe de 大河
皆様こんにちは。
幕末外交事情…とか言いつつもなかなか黒船がこないので、ネタ切れし、ちょっとお休みしてしまった学習会でございます(汗)。
第6回の次週予告で、画面を江守徹(徳川斉昭)が横切ったので、いよいよ盛り上がる!とテンションが急上昇!
今回は、第7回以降登場する皆様ついて、軽く予習をばということで、

ものいう殿様たち(1)

☆ニュータイプ大名の登場

江戸時代の大名たちはざっとみて、①真の貴族 ②オーナー会社の飾り物社長、③高級官僚・めざせ永田町 ④地方の役所の所長さん、のタイプに分かれます。

①②は、御三家や御一門などのセレブ大名、譜代の上席、そして外様の国持大名たち。殿様はバカでも無能でもいいから、とにかく鷹揚でお上品で、何事も家来まかせ、静かに水辺の生き物でも観察しているのが望ましい(!)とされて、実際そのとおりに育ったタイプ。優良お坊ちゃま。困るのはたまに出る浪費家くらいです。

③は中の上~上の下くらいの譜代大名家、つまり老中・若年寄になる格の殿様です。バリバリのキャリア志向で、地盤の年貢は湯水のように猟官運動につぎ込みます。うまくいけば出世すごろくを進み、あがりは老中。基本的に転勤族で、地方行政には関心はありません。地元にとっては災難以外の何ものでもないですが、この手の殿様が実質、江戸政界を仕切ってきたわけですね。

④は、セレブでもオーナー会社でもないし、中央政界とも縁の無い、地味~な譜代小藩の殿様たち

こんなかんじの殿様たちの集合体として、250年ものあいだゆる~く運営されてきた江戸幕府ですが、幕末の声を聞く頃、江戸城殿中には、①②③④のどれでもない、ニュータイプの「ものいう殿様たち」が登場してきます。
以下、殿様たちのプロフィールをご紹介していきます(年齢順)。

☆殿様№01 徳川斉昭 

(とくがわ・なりあき 1800-1860)
ご身分/水戸藩35万石 徳川家 第九代藩主
お生まれ/水戸藩第7代藩主の三男
ご性格/和モノ大好き 外国大嫌い 攻撃的で敵が多い

 徳川御三家・水戸徳川家のうまれ。生まれも育ちもセレブ中のセレブですが、よくある話で、三男。兄が藩主を継ぐにあたって、29歳といい年までパラサイトの部屋住みとして暮らしました。
 これもよくある話で兄上が病弱で、子供が無いまま死んだため、日の目をみるチャンスに恵まれます。が、藩は財政難。おりしも、艶福家の時の将軍・家斉公の25人もいる子供のひとりを養子に引き取れば幕府から助成金がおりるという美味しい話があり、それに乗ろうとした藩と最初のケンカをしました。
 このときは、タカ派の学者の藤田東湖、会沢誠志斉などが、藩主の血統を絶やすなといって運動を起こし、斉昭は藩主の座を奪取したのです。この思想家たちは後に斉昭のブレーンになって、幕末を血で染める過激思想を全国に広めることになります。

 ちなみに幕末志士の合言葉「尊皇攘夷」は、この方が創設した水戸藩校・弘道館の校訓が始まりです。
 藩政をバリバリ改革し、民政も熱心にやりましたが、なにしろ御三家の水戸を過激な思想結社にしてしまったのが中央の反感を買い、藩主になって15年ほど(弘化元年)で、強制隠居を命じられます。

斉昭が押し込められて不遇の日々を送る中、七男の七郎麿が、御三卿の一橋家に養子に入りました。
水戸家からは慣例で将軍の継嗣は出せないため、英才の呼び声高い七郎麿は、ことによっては将軍の座も夢ではないところに、駒を進めたことになります。
 そう、いうまでもなくこの七郎麿が、のちの十五代将軍・徳川慶喜です。

 幕政からも藩政からも締め出されていたあいだ、斉昭は、若き老中首座の阿部正弘と文通し、熱心に幕府の政策について訴えつづけます。
 これが、「鎖国は何があろうと破ってはならない。外国人は見つけ次第皆殺しだ」という世にも過激なもの。ようは蟄居中の空想の世界ですから、どんどん無責任に勇ましくなっていくのですね。
 その持論の迫力に、ついつい心動かされてしまった阿部正弘は、斉昭の処分を解くよう運動し、返り咲かせると、いきなり「海防参与」という、日本の防衛の要職に任命してしまいました。
 このタイミングでペリーが黒船を連ねて来てしまったせいで、もう大変なことになります。日本にとっても、この殿様にとっても。

☆殿様№02 島津斉彬

(しまづ・なりあきら 1809-1858)
ご身分/薩摩藩77万石 島津家 第11代藩主
お生まれ/薩摩藩第10代藩主・島津斉興の長男
ご性格/新し物好き 理工系好き 陰謀大好き 

えーっと、この人はいまさら説明要らないですよね。まあ、ドラマを見てくださいね、ということで。

☆殿様№03 伊達宗城

だて・むねなり(1818-1892)
ご身分/宇和島藩10万石 伊達家 第8代藩主
ご出身/直参旗本三千石・山口直勝の三男
ご性格/洋モノ大好き 軍事フェチ 社交的でお友達多い

 この人はもともと旗本の三男坊です。旗本としても名門で、おじいさんが宇和島藩・伊達家から山口家へ養子に来たという、近い親戚の間柄だったのですね。
 12歳のときに男の子がいない伊達家の養子になり、27歳で宇和島藩主となりました。
 
 一連のものいう殿様たちに共通ですが、この人も藩主になると大張りきりでバリバリ藩政改革しました。
 もとは旗本退屈男(!)なので、藩政を仕切るの大好きで、農政改革や殖産なども相当楽しんでやったようです。
 また、無類の新し物好き。洋モノ好き。機械ものはめちゃくちゃ大好き。いわゆるオタク気質の殿様で、早くから軍備の洋式化にも熱心でした。蛮者の獄で投獄されてお尋ね者になっていた高野長英を宇和島に招いて、洋書を翻訳してもらったり、軍制改革のアドバイザーにしたりしました。幕府に知られたら大変です。
 長英が去った後は、長州の村田蔵六(→大村益次郎)をリクルートしてきて、翻訳させた洋書をもとに軍制改革。火薬製造所をつくり、大砲を鋳造し、鉄砲隊をつくったり、さらこっそり軍艦の建造などもやってしまいます。
 当時まったくの無名のお医者さんだった村田蔵六は、洋書読みというだけで、軍艦や兵器のことなど全く知らなかったのですが、結局のところこの殿様の唯一最大の功績は、大村益次郎という明治維新の立役者のひとりを発掘し、眠れる才能に目覚めさせたことなのかもしれません。殿様ご本人は、そんなつもりはまったく無かったでしょうけど。

 この方は生まれついてののセレブ若様ですが、お大名育ちとちがってコミュニケーション能力に長けていました。
 宇和島藩主になると、江戸城などで気のあった大名たちとフランクに社交。すごく親切な性格なので、他家のお家騒動もほうっておけません。薩摩の島津家のお由羅騒動や、土佐の山内家の継嗣をめぐる混乱なども、話を聞くとすぐ老中に働きかけ、新藩主にシフトできるように、頼まれてないのに熱心に根回ししてくれます。おかげで多くの殿様たちが、この方に頭が上がらなかったとか。
 やがて、この伊達宗城をハブにして薩摩の島津斉彬、福井の松平慶永などがつるみ、老中の阿部正弘も仲間にはいって、日本の防衛構想や将軍家の跡継ぎについていろいろ話し合い、根回しや策謀をめぐらして、一種の「裏政界」を形成することになります。これがやがて、じんわりと幕末日本の根幹を揺るがしていくことになるのでした。


殿様ファイルはまだ続きますぞ☆


12 コメント

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殿様ファイル万歳! (SFurrow)
2008-02-17 08:43:49
お久しぶりでございます。「幕末大名列伝」いいですね~「従来の4タイプとニュータイプ」すっごくわかりやすいです。桃太郎のオトモダチ阿部伊勢守は(3)ですね? 藤沢周平の海坂藩は(4)だろうなぁ。
それから「伊達宗城」ですが、実はこの人ずっとナゾだったのです。幕末四賢侯って諸説ありますが、この人だけは必ず入っているわりに「何した人?」って地味な感じだったんですよね。そうかハブだったのなら必ず入るはずですね。出身は幕臣だったっていうのも初めて知りました。

名前が話題になっている「ジョン万次郎」ですが、私はこの「ジョン」はいわゆる「二つ名」で、名前というよりも当時の日本人にとっての「異国全般」を表すようなものかなと思っていました。で、Mack the Knife が「匕首マック」になるように、英語では二つ名のほうが後に来るから、米国で「ジョン・マン」と呼ばれていたのも「訳わからん言葉でマンとか名乗っている馬の骨野郎」というような意味だったのかなと。

先日、薩摩藩の江戸屋敷の跡(上・中・下・蔵と4つもある!)と生麦事件の碑を見てきました。生麦事件の跡は現在のキリンビール工場です。「麦」つながりか?
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ジョン万次郎の悲しみ (庵主)
2008-02-17 10:30:33
>SFurrowさん

どーもですう♪

伊達宗城。
宇和島藩からはこれといった人材が出ていないこともあって、この殿様も何した人なのかよくわかんないですよね。
いや、目に見える功績といったら大村益次郎を発掘したことに尽きるのかもしれませんけど(笑)。

>訳わからん言葉でマンとか名乗っている馬の骨野郎

そうそう((笑)
Jhon・Manていう名前には、なんだかワケ解らない野郎だしサルみたいだけど、サルでなくて「人間の男」には違いないわというような、そういうレベルで付けられたような悲哀も漂いますよね。

たしか、ジョン万次郎が「ジョン万次郎」と呼ばれるようになったのは、本当は大正になってから、彼の物語が読み物として流布してからなんだそうです。
まあ、本人も本当は、そんな怪しい芸人みたいな名前、名乗りたくなかったでしょうからねえ(笑)

>麦つながり

ええ!
それも凄い(笑)。

ちなみに京都の藩邸跡は立教大学ですよね。
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うっかり (庵主)
2008-02-17 21:11:47
↑すんません、京都の薩摩藩邸の跡、同志社大学でしたね。
立教じゃないわ((笑))
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こんばんはです (ikasama4)
2008-02-17 23:07:10
伊達宗城に関しては有名な話があります。
幕府が造船建造を認めた時に薩摩と共に宇和島でも
造船を作り上げました。

薩摩藩では斉彬は藩を上げて造船製作に取り掛かったそうですが

宇和島藩では宗城候は
その責任を姓を持たぬ一人の裏借家の職人に託したそうです。

ペリーが来航してから6年後
薩摩藩は外国人の手を借りたりして造船を完成させた数日後

宇和島藩もまた造船を作り上げたそうです。
一人の職人の独力で。
まさしく手作り造船だったそうです。

で、一人の職人が造船を完成させるために
宗城候は彼を長崎まで研修に行かせたりしたそうです。

そんな彼が決断をした思いを感じさせるものに
こんな言葉が残されているそうです。
「異人に出来るものが、宇和島で造れぬはずがあるまい」

それに幕府・諸藩の反対を抑えて
イギリス船を宇和島に入港もさせたりしたそうです。

そういう点ではかなり革新的な方です(笑)


以上、私の地元・愛媛のちょっといい話です(^▽^)

引用URL↓
http://www.pa.skr.mlit.go.jp/matsuyama/e_port/uwajima/index.html
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町人嘉蔵のミラクル物語 (庵主)
2008-02-18 22:03:03
>ikasama4さん

あ!ご当地だったんですね!
それはそれは失礼をば。でも、いいところですよね~。四国って、とっても気候温暖で穏やかなイメージがあって好きです。

職人嘉蔵の奇跡の物語は司馬遼太郎さんもお気に入りのようで、短編「伊達の黒船」と長編「花神」に、それぞれかなり念入りに書いてらっしゃいますよね。
大河ドラマ番の「花神」では、嘉蔵を相川欽也さんがか演じてましたが、ナカナカはまり役だったと思います。

いい話ですよね。一人の手先の器用な町人が蒸気機関を、自力で作り上げる物語が爽快で、なんともいえません。
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こ、これは・・・ (なおみ)
2008-02-18 23:54:17
庵主さん、こんばんは!
>殿様ファイル
凄いッスね~!そしてよく調べますよね~ひたすら感心しちゃいますよ☆
そして面白い・・・あははははは◎
今度これネタに使わせて頂いても宜しいですか?・・・ってかダイレクトに「特別講師」ですね、やはり。うんうん。

>徳川斉昭
こういうのが親父だと「一ツ橋」のような独特なキャラが誕生するんでしょうかね?ドラマでは誰が慶喜を演じるんですか?はっ!?まさか、またあのカマキリ・・・小笠原・・・?2年連続大河出演!?
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マル秘情報 (庵主)
2008-02-19 07:15:04
>なおみさん

ありがとうございます。お好きなように使ってやってくださいませ。
後半は近日アップいたします。

>誰が慶喜を…

これが…(ひそひそ)なんか平幹二朗さんの息子さんですってよ。てことはお母様は佐久間良子よ。これが俳優デビューじゃあないですが、メジャーなドラマではほぼ初出らしいそうです。

…ってなんだか同じ匂いがする。去年の姫と。
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宇和島 (SFurrow)
2008-02-19 07:23:56
わ~ご当地の方いらしたんですね。地味とかいっちゃってすみませんでした!
「花神」は原作を読んで大河も見たんだけど、浅丘ルリ子さんの目玉しか記憶にないわ~あの頃は録画もなかったしな(言い訳)
今回の慶喜は平幹二郎さんの息子さんですよね?実は慶喜は調所の隠し子だった(んな馬鹿な)
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あら (SFurrow)
2008-02-19 07:27:29
投稿を押したら庵主さまだ♪
おはようございます~
平さんの息子さんは週刊誌のアガワ対談だったかで以前拝見しましたよ~あんまり露出はないけどかなり大物みたいですよ~双子ちゃんの妹さんは芸能界には入らなかったのかしらね。
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双子ちゃん (庵主)
2008-02-19 10:08:27
>SFurrowさん

おはよーございます♪気が合っちゃったみたいで(笑)

>「花神」のルリ子さん
きれいでした。あのころはまだカラーコンタクトもなかったと思うけど、ホントに青い目にみえましたもん。

平さんのお子さんたちは双子ちゃんというのは聞いてたんですが(離婚後、子供たちの通学路でそっと物陰から見守っていたとか。涙)片割れは娘さんなんですね~。知らなかったです。
顔立ちだけみるぶんには(顔の大きさは不明)かなり濃い…いや整っていて、双子子役で出れば売れただろうにとか思ったんですが。男女ね。
お嬢さんも綺麗でしょうが、出たらほんとに去年の姫(笑)。
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