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病気(肉体)は心の影

2014-12-20 14:32:03 | 日記
「肉体は心の影」という真理を
雅春先生が説いている
もっとも印象的なご文章が見つかったので
紹介したいと
思います。

(参考 生命の実相第39巻 谷口雅春著)
第4章 仏教とキリスト教とはかくして融合す
(九)
大阪実業会館で講習会のありました時の馬場九さんの話によりますと、ある日一人の婦人が20歳くらいの娘をつれて来たのであります。その娘は大腿部に小さな田虫ができたのを皮膚病薬を塗って治そうと試みましたがだんだん周囲にひろがってまいりまして、ついには腰から下両脚のゆび先までも田虫になってしまったのです。これでは皮膚薬を用いるにしても非常な分量を要するので大変です。そしてすでに婚期をひかえている娘のことですから、この皮膚病を治しておかなければ結婚もできません。ちょうどその頃馬場さんの噂をきいたので癒(なお)してもらいにやって来たのでした。
「病気なんて無いんですよ。人間は神の子なんですから。」
「だってうちの娘はこんな病気になったものですから、先生に医(なお)していただこうとわざわざ来たのです。」
「わたしは病気を医すのではありません。ただ病気の無いことを知らせるばかりです。」
「こんなにひどい病気になっているのに、病気がどうしてないのです。」
「ないものは無いのです。」
「だってあるから医してもらいに来たのです。」
「ないと言ったらないんですよ。神様は病気をお造りにならないから無いのです。」
「どうして病気が無いということが解るのです。」
「だって無いものは無い。それを信ずるほかはない。有るものなら理屈もあろうけれど、無いものにはどうしてという理屈はない。」
「だって腰から下ぶつぶつでいっぱいなんです。」
「そんなものは神様が造らないから無い。」
「だって、腰から下ぶつぶつがいっぱいあるのです。」
「それはあなたの心の中にぶつぶつがあるからそう見えるのだ。あなたの心の中のぶつぶつを捨てなさい。それは消えてしまう。神様は人間を神の肖像(にすがた)にお創造(つく)りになったのだから完全円満であって病気なんて無いんですよ。」
「無いものがあると見えるのは?」
「それはあなたがたの心の影なのですよ。神の創造の完全さを信じなさい。そしてあなたがたの生活から不平とぶつぶつを取り除きなさい。」
「だって、なんとか先生に娘の田虫を治していただけないでしょうか。」
「心にぶつぶつがなくなったら、もう身体のぶつぶつは無いんですよ。どれ、心のぶつぶつがとれたか見せてごらんなさい。」
馬場久さんは娘の裾をまくって患部を母親に見せました。
馬場さんにとっては患部を見ることは肉体を見ることではなく、心の具象化を見ることであった。
不思議なことに娘の下半身全体にひろがっていた田虫は、その時消えてしまっていたのであった。田虫を一種の寄生病原体による疾患だと思っている人にはこういう奇蹟は驚異すべきできごとだと思えるであろう。
わたしは田虫が寄生病原体のいる皮ふ病だというのを否定するのではない。しかし、それは心境が変化した「結果」であって「原因」は心の姿にあるのである。見られる世界は、観る人の心の姿であるという哲学は、ただの哲学ではなく、実践できる哲学なのである、自分の心の姿を対境に見ながら、ただの映像にすぎない自分の肉体の状態を実在と思うな。これは皮膚病にのみあてはまる真理ではない。肺結核にも癌腫にも筋肉瘤にもあてはまる。この書に諸君の患っている病気と同じ病気の名前がないからとて失望するな。原理は一つであり、真理は共通する。見える姿がどんなにあろうとも、神の創造り給える世界と人間との完全を疑うな。それのみが実在だ。実在は常に完全円満なのである。実在とは「見える」ということではない。実在とは「真にある」ということである。実在とは神の創造内容だ、そしてそれは常に完全なのであります。