肉体は“完全なる霊”の
地上で“神の栄光をあらわす生活”を
送るための媒体である。
“霊”の完全さを心が自覚するとき、
肉体も完全になるのである。
肉体が健全さを現わしていない状態が
如何なるものであろうと、
“霊”は完全なのであると言う真理に立脚して
まずは実相の顕現を考えるべきである。
肉体の状態がよくなくても
そんなものを本当だと考えてはならない。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
<英語で“存在”を意味する語Beingは動詞である>
【“Being”は動詞である。あなたは“聖なる完全なる霊的存在”である。エマソンは「“霊”はそれぞれ、それみずから一個の“住む家”を建設する」、パウロは「天上の体あり、地上の体あり」(コリント前書第15章40節)と書いているのである。あなたは此の肉体という道具を“神の栄光をあらわす生活”を送るための媒体として与えられたのだった。その存在目的を知ってそれを称め讃えよ、人体は霊が創造せるもののうち最も荘厳なる創造なのである。それは神の霊が自己顕現せるところのものだといわなければならない。それはまた他の如何なるものよりも素晴らしい構造をもっているのである。
わたしの信ずるところでは、われわれの霊魂は常に“永遠の時”を通じて、何らかの自己表現するための“体”と称するある種の道具を有つにちがいないのである。わたし達は先ず今生の生活において自己の肉体と称する道具に感謝し、それが本来あるべき筈の健康状態を維持するようにつとめなければならないのである。】
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