神様は
人間に“自由な心”を与えたのだが、
別に“迷う心”というものを
与えたわけではない。
迷うというのは
人間が与えられた自由な心をもって自由意思でするのであって、
神が与えた“実相の心”“神の心”というものは、
全く迷ってなどいないのである。
そこで
この現象世界も
実相においては
完全なる“神の心”の示現であるから
実は円満完全なるものなのだ。
実相円満完全の意識を
常時維持できるように、
実相を念ずる観「実相は即ち吾れ、吾れ即ち実相」を
毎日一回は、
それのみでやっていこうと思っている。
罪と病と死とは
本来存在せずと
谷口雅春先生は説き続けたが、
これら(罪・病・死)は迷い心の所産であるから、
現象我を実相我に変えてしまうことによって
その真理も分ってくるはずだ。
人間に“自由な心”を与えたのだが、
別に“迷う心”というものを
与えたわけではない。
迷うというのは
人間が与えられた自由な心をもって自由意思でするのであって、
神が与えた“実相の心”“神の心”というものは、
全く迷ってなどいないのである。
そこで
この現象世界も
実相においては
完全なる“神の心”の示現であるから
実は円満完全なるものなのだ。
実相円満完全の意識を
常時維持できるように、
実相を念ずる観「実相は即ち吾れ、吾れ即ち実相」を
毎日一回は、
それのみでやっていこうと思っている。
罪と病と死とは
本来存在せずと
谷口雅春先生は説き続けたが、
これら(罪・病・死)は迷い心の所産であるから、
現象我を実相我に変えてしまうことによって
その真理も分ってくるはずだ。
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