ご覧になった方もあるだろうが、阿蘇・熊本空港の出発ロビーには
「熊本の偉人達」と5人の人々を紹介してある。
時間があったので一部をメモをしてみた。
夏目漱石(1867-1916)
29歳の時、松山から熊本の第五高等学校(現熊本大学)に赴任。
熊本を「緑の都」と讃え、英国に留学するまで四年間英語教師として過ごした。
宮本武蔵(1584-1645)
57歳で細川忠利に招かれ没するまで5年間過ごした。二刀流の創始者。
細川ガラシャ(1563-1600)
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
細川忠興に嫁ぎ、運命に翻弄されながらも美しく強く生き「恩寵」を意味する
「ガラシャ」の洗礼名を与えられる。自らの命を絶ち、壮絶な最期を遂げた。
加藤清正(1562-1611)
熊本では「せいしょこさん」と呼ばれ親しまれている。
日本三名城の一つ、熊本城を築いた肥後熊本藩の領主。
23年間にわたり熊本を統治し「土木の神様」とも呼ばれ治水、利水事業に
貢献した。
天草四郎(1622-1638)
江戸時代、「島原の乱」で過重な年貢と相次ぐ凶作のため飢餓に苦しむ
農民の先頭に立ち、十字架を掲げて幕府と戦った。カリスマ性もあり
容姿端麗、「天から下った救世主」として信仰を集めた。
「熊本の偉人達」と5人の人々を紹介してある。
時間があったので一部をメモをしてみた。
夏目漱石(1867-1916)
29歳の時、松山から熊本の第五高等学校(現熊本大学)に赴任。
熊本を「緑の都」と讃え、英国に留学するまで四年間英語教師として過ごした。
宮本武蔵(1584-1645)
57歳で細川忠利に招かれ没するまで5年間過ごした。二刀流の創始者。
細川ガラシャ(1563-1600)
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
細川忠興に嫁ぎ、運命に翻弄されながらも美しく強く生き「恩寵」を意味する
「ガラシャ」の洗礼名を与えられる。自らの命を絶ち、壮絶な最期を遂げた。
加藤清正(1562-1611)
熊本では「せいしょこさん」と呼ばれ親しまれている。
日本三名城の一つ、熊本城を築いた肥後熊本藩の領主。
23年間にわたり熊本を統治し「土木の神様」とも呼ばれ治水、利水事業に
貢献した。
天草四郎(1622-1638)
江戸時代、「島原の乱」で過重な年貢と相次ぐ凶作のため飢餓に苦しむ
農民の先頭に立ち、十字架を掲げて幕府と戦った。カリスマ性もあり
容姿端麗、「天から下った救世主」として信仰を集めた。
コメントありがとうございました。ガラス越し
なので上手に写真が撮れませんでした。
熊本を去るときに見たので、もっと前に
知りたかったです。
でも、到着ロビーにあったとしても到着した人
は先へ先へと進むから、ゆっくり見ないでしょうね。
過去の偉人達が職責を残され、そして今の熊本の基礎をつくって行ったのですねー。
勿論現代でも偉人は居るでしょうが、歴史の流れの中で偉業を成し遂げた人達、熊本の底力を支えた人達、ほんの一部かもしれませんがそれだけでも熊本県の深い土台が忍ばれます。