大学時代、クラスは違ったが、グリークラブ、心理学専攻でよく行動を共にした友。
通学生だったが、寮生活をしたいと最後の一年は寮生活も一緒だった。
勤めも偶然同じで、私は青山の初等部、彼女は高等部だったのて、時々職員室を抜け出してお茶をした。
結婚式には私が結婚行進曲を弾き
スビーチもした。
お互い子供が出来ると子供ぐるみでお庭のプール遊び、小学生になると市民プールで一緒にあそんだ。
食べ盛りの子供達の為に、両方の真ん中辺の肉の卸問屋へ出かけ、デートした。
その後体調が不調という風の便りをきいていたがいつしか、引越しされ年賀状だけになったが、それも二、三年途絶えていた。
朝早く彼女の御主人から電話があった。
お葬式の日取りを知らせてくださった。
まだ先なので良かったら会ってやってほしいとのこと。
50年前うかがったお宅だが駅周辺の変わりようが凄まじく、駅まで迎えていただいたが全く新しい場所だった。
彼女は和室で一人横たわっていた。
もっと早くに会いに来られたら良かったと後悔する。パーキンス病と頬のガンだったそうだ。
食べることが大好きだったから最後は思うようにいかず苦しまれたようだが、優しい御主人とお嬢様に甘えられてお幸せだった。
どうぞやすらかにお眠り下さい。
お葬式にはまたうかがいます。
苦しい闘病生活だったのでしょう。
それでも見送って下さるお身内がいらしてお幸せと思います。
親しかった方に先立たれる事は、この上なく寂しい事ですね。
お察し申し上げます。
コメントありがとうございます。
大学時代からずっと一緒に歩んできたのに、数年前彼女が病気で字が書けなくなって音信不通になりました。病気を知られたくないのかしら?しつこく言ってはいけないとそのままになっていたのが悔やまれます。加齢の為だんだん音信不通になってしまうことがありますが気をつけなくてはと思います。今日も雨の中、お葬式に行ってまいります。