安田義定ゆかりの牧ノ荘を辿ると、ここにも歴史ロマンが
あった! 今号は、記念すべき「令和元年」の5月号だが・・・、
小田野山城の「馬場」にあった「正法山法眼寺」を紹介します。
小田野山城は「馬場」から臨むと如何にも山城に相応しい山容だ!
※牧丘・西保の「馬場」。現在も安田義定ゆかりの「馬場」の地名が残る。
安田義定は元服して牧ノ荘を領有した時、先に”牧”に「馬場」を構築し、
高いレベルの駿馬を訓練して・・・、献上馬を養育したと見ている。
そして、小田野山城を築城した時、”牧”育成の軍馬の乗馬訓練場として
更に進化させ、小田野城と西御所を守護する集落として強化されたと見る。
小田野から見た「馬場」の里は、安田義定が集落を構築した古郷!
写真中央ラインの鼓川に沿って樹林で囲まれている台地が「馬場」である。
写真中央ライン上右側に見える緑濃い竹藪の辺りに「法眼寺」があった!
現在は、山梨県道(窪平~塩平線)の常盤橋で交差し、甲州市勝沼から
山梨市、笛吹市の甲府盆地東~北斜面の果樹地帯を結ぶ広域農道が開通、
通称フルーツライン山梨は道幅も広く信号も少ないので快適なドライブ道。
甲州勝沼から山梨フルーツパークへの果樹観光ルートとして人気である。
但し、広域農道でもあるので心してドライブを楽しんでほしいもの・・・。
「馬場」=(ばんば)とは・・・、
地名「馬場」の由来は、安田義定が小田野山城を築城して西御所
を中心に牧ノ荘のインフラを形成する集落に、「馬場」は上記
写真の通り、まさに小田野山城の正面に位置した要にあった。
※「馬場」は、もともとは古代日本で兵の騎射会の会場を意味
していた。
注)中世~近世でも城下町には必ずと言って良いくらい武家地
には「馬場」があり、城下に存在する武士が乗馬訓練を行って
いたことなど、武家社会のインフラの先端を伝えるものではない
かと推論は膨らむ。
※安田義定は、牧ノ荘の”牧”を基調にしたインフラ整備(国造り)
を解析してみると要害小田野山城と城下の西御所を中心に・・・、
戦略的にインフラの配置をしていることが考察できる。
そのインフラ構築の重要な戦略には、神社、仏教信仰に造詣の深
い安田義定は、小田野山城築城にあたり、守護寺として東城戸・
小田野に「妙高山普門寺」、西城戸・在華に「旧蹟西源寺」を
創建し、鬼門の備えとして現在の倉科の位置に「往観山無量院」
を開基している。且つ、周辺の集落造りに神社が勧請されている。
小田野山城が最も急峻に映える「馬場」に「正法山法眼寺」
があった!甲斐国志によると、この寺は安田氏の臣下が安田義定
死後供養のために興したものと伝わり、開基は空性院覚浄円居士。
近世、西保の「長松山西源寺」の末寺となり「西源寺の隠居寺」
とも称した。
現在の法眼寺跡。西源寺兼帯で小さなお堂を建て縁の仏等が祀られる!
法眼寺跡境内には、往時を偲ぶ石仏が残る!
「シリーズ⑥長松山西源寺の在華にあった旧蹟西源寺は安田義定
が西城戸の守護寺として創建した」とブログ2月号で紹介しています。
バックナンバーでご覧下さい。
「新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見」 https://blog.goo.ne.jp/yssoho/
春の美しい桜咲く境内の様子を追記掲載します!
西源寺の春は美しい!参道から見上げる山門は荘厳の世界へ導く!
荘厳の本堂は・・・、先祖への念仏と祈りが聞こえる。
鐘楼堂を兼ねる山門からは、今でも心の鐘の音を里人に届けている!