新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

17)石和温泉郷の観光振興に生涯をささげる山田清岡さん!

2011-05-23 | 山梨、地域振興に貢献する人々

石和温泉郷には、観光振興に生涯をささげる”旅人に親切で・・・、しかも、もの知りの・・・、”頼りになる無類のベテラン”がいます!

その人は、石和温泉観光協会駅前案内所に勤務する所長の山田清岡さん!

約50年もの間、地域観光振興に現役で貢献を続けておられる希少な人財です!

今も、石和温泉郷のみならず山梨県域の今昔の情報を常に収集していて、ほんとうに”もの知り”です。

・特に、郷土の歴史・史蹟などは、まるで学芸員の如く、勉強しておられるのには、いつも感心させられます!詳しく丁寧に教えてもらえますよ!

・正直、年齢を伺うまで、全く年齢を感じない、生涯現役のバリバリの人で・・・、元気をもらえます!

筆者は、以前、甲斐源氏の歴史に魅せられて、山梨県域の武田家ゆかりの里山をつぶさに歩いたことがあります。その調査で、石和温泉を訪ね、石和館(市部)跡、小石和跡や川田館跡への道順を伺いに石和温泉駅前案内所へ立ち寄った当時、太田さんというベテラン(今春退職)の女性がおられて、ついでに歴史と史蹟のことを教わろうと思ったら、「甲斐源氏のことなら、所長ほど詳しい人はいないので、紹介します」と言われて出会ったのが”山田清岡さん”なのです。

Photo

石和温泉 ”高温温泉湧出50周年”祭で活躍する山田さん!

・2011年5月”石和温泉足湯ひろば”にて

筆者は、若い頃から日本の津々浦々(秋田県のみ未到)を旅していて、観光案内所は必ずと言ってよいほど訪れますが・・・

”現役ガイドでも・・・、これほど学芸員並みに勉強している人”に出会ったのは、久しぶりです。

お世辞ではなく・・・、これほどの人を”石和の生き字引”(英語の、Isawa’s Walking Dictionary) というのであろうと思います!

山田さんは、旧石和町役場時代から現在まで約50年もの間、地域観光振興に生涯をささげ、現在も駅前案内所所長として勤務、観光客の最前線に立って、活躍しておられます。

常に最前線でお客様の声を聞き、心から石和温泉を愛し、憂いて、石和温泉郷の将来像と理想を夢見て、イベントや企画提案にも頑張っておられる姿には心を打たれます。

このブログで、「地域観光振興に貢献する人々」というカテゴリーを追加するきっかけになったのも、山田さんの現場最前線での情熱に感じ入り、”今の石和温泉で光るもの”に見えたことによるものです。

・山田清岡さんは、72歳にして石和温泉観光協会駅前案内所所長の他、ふじの国山梨観光ルネッサンス塾第一期生として”山梨観光の専門講座”を学び、風林火山武田検定最高位認定を取得、笛吹市スコレー大学歴史講座講師、県立博物館協力員、笛吹市国際観光振興会理事、ロータリークラブ会員等、まさに生涯現役の活躍ぶりです。

これほど地域を的確に知りつくし、愛している人は、余人には代えがたいということを筆者は、ここで強調しておきます!

・あちこちの観光案内所で働いている人の中には、観光知識もパンフレットに書いてあるくらいしか知らず、ホスピタリティを知らないベテラン風が多いのですが・・・、観光客も旅行前には、インターネット情報を含めて、詳しく勉強をして訪ねているのです。さらに、携帯電話もアイフォーンやスマートフォーンの時代なので、旅先でもすぐ現地情報を調べることができるのです。

もし観光行政の人がこのブログをご覧になっていたら、地元のことさえ詳しくしらない案内人は、旅人にとっては、今、必要でなくなっていることを、ぜひ知っておいて欲しいと思います。

・「今、旅人や観光客が旅先で必要なのは、世界の一流ホテルにいる”コンシェルジュ”のような案内係」なのだということを・・・。

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「笛吹市になった石和温泉郷は・・・、どんなところ!?」

縁あって、JR石和温泉駅前案内所で、太田さんや山田さんのような好感度の接遇に出会ったお蔭で、石和温泉郷の今まで知らなかった歴史の奥深さに興味を持つことができたことが、改めて”石和温泉郷”を見直し、その魅力を再発見するきっかけになったのです。

それ以来、幾度か石和温泉のあちこちを訪ねるうち、いつの間にか、「今の石和温泉郷は、いち温泉旅館を通じてみるのではなく、笛吹市域として広域に見ることで・・・、飽きることのない、多彩で、興味深い観光資源を有している」ことがわかるようになってきました。

・笛吹市{筆者は、勝手に”笛吹の里(郷)”と呼びたい}そのものが、石和温泉郷や果実郷を分布する観光名所なのだと・・・。

・山梨県の観光統計による「石和温泉郷・果実郷周辺」の分布が異存ないなら、「笛吹の里!石和温泉と果実の郷」であろうか!?

それぞれの地方(郷)には、必ずや、通りすがりでは見えない人々の長い歴史の営みと育まれた活きざまがあります。筆者はそれを”里山歩きの魅力”と言っています。

「そうだ・・・!京都へ行こう」ではないが、「そうだ・・・!笛吹の里へ行こう」がピッタリの魅力ある観光地になるかも!? 意外に・・・、様になるではないか!?

※温泉そのものが売り物の温泉地は全国に3000個所以上もあると言われています。時には、目線を変えて見ると、新しい旅のディストネーションに変わります。温泉が旅行の主目的でも、旅先で何をどう加味するか?によって、”忘れられない旅の思い出”を創造できます!

今の石和温泉郷は、笛吹市(笛吹の里)になって、一段とスケールが広がり、魅力の観光資源も多彩になって、飽きさせない観光地に変わっているのです!

詳しい観光情報は:http://www.isawa-kankou.org/  石和温泉観光協会へ

石和温泉駅前は、笛吹市の花”四季咲きのバラ”が、華やかに歓迎をしてくれる!

PhotoPhoto_2

Photo  ↑石和温泉駅前公園あしゆ

石和温泉”足湯ひろば”・・・。

・中心地小林公園にも”石和宿あしゆ”があって、市内の散策観光には、丁度、良い休憩地。

・”足湯ひろば”は、源泉湧出場所に隣接して、源泉給湯口そのままの温泉を楽しめる。

・川中島のさくら温泉通りにあって、目印はホテル八田の並びです。

・観光周遊バス発着所(季節運行)、・地元農産物直売所(季節開設)などもあって、翌日観光の拠点にもなっています。

石和温泉郷には、気軽に楽しめる足湯が市内の散策ルートに適宜設置してあります。

・市街化された温泉郷の街並みですが、さすがに源泉豊かな温泉町です。

・もちろん、市内42軒の温泉旅館が日帰り入浴OKなので、市内散策と温泉立ち寄りを組合せて楽しんで下さい。一日はあっという間です。※詳しくは、駅前案内所で温泉MAPをもらって下さい。但し、温泉立ち寄り湯も入り過ぎないよう、ほどほどに・・・!

笛吹市で、一番美しい風景は、何といっても、笛吹・一宮桃源郷から見る「南アルプス」の大パノラマ展望でしょう!?

今、石和観光のイメージポスターでは、この景色が最もインパクトが高いと思います。

Photo_3 日本一の一宮桃源郷と南アルプスの大展望

・南アルプス連峰は、白根三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)、鳳凰三山(地蔵岳、観音岳、薬師岳)、甲斐の国の歴史のシンボル甲斐駒ケ岳、遠くに八ケ岳が展望できる。

・ここから石和温泉郷の北東方向には、有名な大菩薩峠など、百名山も展望できるところで、山好きの人にはたまりません。

・石和温泉郷に泊まると、南方には、御坂山塊の垣間に、富士山頂の雄姿が望めます(旅館によりますが・・・)!

富士山は、相変わらず旅人の感歎の山で、日本一は、標高だけではありません。感動日本一の山なのです。

とにかく、笛吹市(石和温泉郷と果実の郷周辺)の展望スポットからは、南方に日本で一番高い山・富士山(3776m)、西方に二番目に高い山・北岳(3192m)が展望できる絶景は、日本の美しい原風景の中でも、”ダイナミックさ”は格別です。

※余談ですが、筆者が東京から山梨へ移住した理由は、東西南北に日本百名山が部屋から7坐も見えるところが見つかったからなのです。そんなことを喜んでいる筆者は山に興味のない人に笑われていますが・・・!?

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「石和温泉郷」の発展の歴史を、少しだけ・・・、要約紹介します。

・昔、「石和」は、「石禾」、「伊澤」とも書かれて、「東八代郡石禾郷(ごう)」と呼ばれていたところです。

石和温泉は、山梨県笛吹市石和町に属し、東京・新宿から、特急で1時間半の至便なところにあり・・・、

中央本線・甲州街道随一の大規模温泉街を形成しています。

詳しくは:http://www.isawaonsen.or.jp/main.html 石和温泉旅館共同組合へ

・2004年、東八代郡石和町と御坂町、一宮町、八代町、境川町、及び東山梨郡春日居町が合併して、笛吹市が誕生。その後芦川村が編入されて、石和温泉郷は昔の温泉町ではないのです。

・今や、笛吹市石和となって、新たな広域観光地に変貌をしているのです!

「甲斐国千年の都」というキャッチフレーズがぴったりの魅力ある観光地として、今の石和温泉郷を見直してみることも、新しい楽しみ方だと思います!

中心街石和橋の笛吹権三郎像と温泉旅館

Photo_3石和温泉らしい”さくら温泉通り”・・・・・Photo_5

・石和温泉郷の「さくら温泉通り」は、名前の通り、近津川(第2平等川)沿いにあって、桜並木が美しい散策路になっています。

・その両サイドには、「ホテル甲斐路」、ホテル君佳、石和常盤ホテル、ホテル八田など十数軒が立ち並び、最も石和温泉郷らしいところです。

突然の温泉湧出騒ぎで、「青空温泉}が誕生した当時の様子! Photo_5

※温泉湧出騒ぎの「青空温泉」市広報写真複写

・当時、この一帯は、ぶどう農園が盛んなところで、

突然、湧き出た温泉に、周辺の人達は、大人も子供も大喜びであった様子が良くわかります。

・後述するが、この「青空温泉」が、石和温泉の時の恵み(氏神)となって、今の石和温泉郷の起源なのです。

注)石和温泉の歴史は:http://isawa.info/history/  でも紹介されています。

その他、”石和温泉たびナビ” http://www.isawa-tour.com/info02.html  なども・・・・。

石和温泉は、明治時代に石和北部に位置する大蔵経寺山の麓に温泉が湧いたと記録されていますが、もともと近郊でも、岩下温泉と云う山梨県内で最古と言われる温泉などがあり、優良な源泉脈に恵まれていたことが分かっています・・・。

・昭和31年(1956年)、小松遊覧農場に温泉が湧き、ローマ風呂として開発されたのが、石和温泉開発のきっかけになって、昭和36年(1961年)1月、八田の山梨交通保養所で、井戸を掘削したところ突然、摂氏60度の高温温泉が湧出・・・、ぶどう畑に流れ出て、「青空温泉」が誕生し、大勢の人で賑わったことが起爆になって、温泉旅館や土産物やなど観光業が急拡大し・・・、現在の石和温泉郷の街並みが形成されていった歴史があります。

温泉は、アルカリ性単純温泉。泉温は43.7℃。

※現在、山梨県営で源泉管理をしていて、1号~6号源泉を保有、源泉温は、25.9℃~67.3℃があり、豊富な湯量で、管理事務所給湯口では、丁度適温の43.7℃の混合泉にして、加盟の各温泉旅館に供給されています。

・源泉も大切に保護されて、とても安心できる温泉です。

・PH値、8.8。温泉らしい泉質評価の温泉です。

※また、観光協会加盟旅館の内、自墳温泉を表示している温泉旅館は7軒ある。詳しくは案内所でもらえる石和温泉郷旅館ホテル一覧表の備考欄を参照。

最近、注目をされている「温泉新湯治と健康増進プログラム」は、石和温泉郷も、2008年に9軒の旅館が「温泉利用プログラム型健康増進施設」の認定を受け、条件は満たしていると思うのだが、残念ながら、専門家に作ってもらった立派なプログラムはパンフレットになっただけで、推進力がなく、眠っているのです。

旅館サービスも、未だに、昔の団体スタイルの接遇が多く、個人客への過ごし方の提案はなく、進化していないので、せめて過ごし方くらいは、旅行客が事前にプログラムして、楽しむしかなさそうなところです。※筆者の相対的な印象なので、ご容赦を!

・事実、地元で良く聞く言葉ですが、「インターネットなんかで・・・、お客様の方が地元のことを良くごぞんじですから・・・」と、居直っている人を良く見かけます。

本当は、地元の良さは、地元の人々が一番知っているはずなのに・・・。

石和町は、明治36年(1903年)中央本線開通により石和駅(現JR石和温泉駅)ができたことで、街並みが急激に成長して行った歴史もあるが、特に、周辺には、桃、ぶどう農園の他、養蚕業や蚕糸業が栄えて一時、主産業となっていたが、やがて養蚕業が衰退を辿る過程に至ったところへ・・・、

昭和36年の高温温泉湧出騒ぎが起こって、時の恵みの勢いで発展したのが、現在の市街化温泉・石和温泉郷でもあるともいえるのです。

丁度、同じ頃、日本では、池田内閣の時代(昭和35年)「所得倍増計画」が発表され、空前の消費ブームとレジャーブームの時代が到来したのを覚えておられますか?

”時代の波に乗る”とは、このことだと思いますが・・・。

・石和温泉は、当時、鉄道沿線に立地する強みも重なって、特に主都圏市場から大量の観光客が勢いよく”流出”して、あちこちに宿泊してもらえる時代がありました。

旅館を建てたら自ずと繁盛した時代もあったのです。

そんな時流の中で、あっという間に団体旅行のメッカになってしまったと言っても過言ではないところなのです。

大変、ぶしつけだが・・・、ぶどう畑に突然、温泉が湧出して、しかも大勢の観光客が時の話題に乗って、どっと押し寄せてくるのだから、予期せずして商売になるのだから、無理もありません。

・素人のぶどう農園主なども、土地持ちなので、農地転用して温泉旅館に転業した人もおられて、旅館は、本来の遠来の旅人を迎える真のもてなしを知らずして、”待ち受けるサービス”でいつの間にか発展したため、一過性でも儲かる商売を追及する人たちも増加し、熱海温泉などに追随して、風俗街まで備えた一大歓楽温泉街になってしまった。

これも歴史と時代に押し流された軌跡だと言わざるをえません。

一世を風靡したあの清里温泉も同じような風評にあったことがあるのはご存知のことと思います。往々にして、発展しそうなリゾート観光地には、都会から無造作に資本力が流入し、地域に思い入れのない従業員や地域になじまない経営者が混在するようになって、観光地が崩壊した例を全国のあちこちに目の当たりにしています。

それは、それで、過去の史実として受け止め、今の様変わりした石和温泉郷や多彩になった笛吹市観光の魅力再発見は、観光客に必ずや認め直してもらえる時代が来るであろうと、筆者も願っています。

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しかし、石和温泉の将来は、大いに楽しみです!

何故なら、ここで紹介している山田さんのように、地域を愛して、貢献を続ける力強いパワーと、旅館の最前線でも、近代経営を学んで、イノベーションに取り組んでいる頼もしい青年経営者達がいるからです!

今、山田さん達は、これからの石和温泉郷や果実郷の真の魅力を掘り起こして、こんなことを取り組んでいるのです!コツコツと熟成して欲しいですね!

石和には、既に、歴史や伝統を復元した人気の季節イベントが育っています。

①笛吹川の鵜飼いと片肌みこし

②川中島合戦戦国絵巻

その他にも、季節ごとに楽しみを提供してくれています。

今、もっとも重要な課題テーマは、石和温泉郷そのもののイメージチェンジ作戦のようです。

笛吹市になったことで「甲斐国千年の都」というキャッチフレーズができています。

これは「笛吹の里山」として見ると、ピッタリのイメージだと思いますが・・・!?

地域観光振興の戦略コンセプトとして活かされていないのが現実です。パンフレットの表題は出来ても中身は歴史・史蹟の解説書の段階なのです。要は、観光戦略化として組み込まれていないのが残念です。

「石和温泉とは、どんなところ・・・!?」、名前を聞いただけで情景(イメージ)が浮かぶようなインパクトがないのです。

これからの”観光インパクト作戦”では・・・、

旅人が便利に、笛吹の里を楽しんでもらえるよう、ボランティア観光ガイドが案内する・・・

「笛吹おもてなし観光バス」がスタートしました。

まだ、山田さんの私的研究の段階なので、ほんとうはオフレコなのですが・・・。

②スポーツコンベンションシティ・・・構想も考えられています!

③さらに、パワースポットの石和温泉郷・・・構想!なども面白そうです!

地域潜在資源の魅力を掘り起こし、その魅力を組合せてイメージできる、質の高いリゾート基地・石和温泉郷に生まれ変わるような、大きなコンセプト企画戦略が研究されています。

専門的にはスパイダースネットワーク(クモの巣)作戦のような緻密で多彩な組み立てをして、地域(ネット)に入ってきたら、クモの巣状のネットでソフトに受け入れてあげるような観光地になって欲しいものです。

・・・・これからが、楽しみですね!

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石和温泉郷のことを、データベースでも見ておきましょう!

山梨県の観光(行政)統計では、笛吹市は、「石和温泉郷・果実郷周辺」とエリア表示されています。観光エリアをわかりやすく表現していると思います。

ホテル・旅館軒数は、平成22年3月現在、ホテル7軒、旅館115軒、計138件、宿泊収容力は約9400人(旧来の2畳1名で換算すると約13000人超)の大規模温泉街です。但し、石和温泉観光協会加盟の旅館ホテルは現在、50軒、2165室で1室定員4名なら、約8600名。現在ニーズの1室2.5名平均で見た場合、実質、約5400名が石和温泉郷の現総収容力と思った方が的確だろう。

注)ニーズは限りなく1室2名に近づいている

注)実際には協会加盟の旅館ホテルの推計が、有効なキャパシティだと思われます。

一般観光客の皆さんには、石和温泉観光協会、旅館組合加盟旅館ホテルがお薦めです。

昭和21年度(1~12月)の年間観光客数は、年間321万人(前年344万人)

年間宿泊客数は、885,000人※収容力に比べて、宿泊客数は多くない。

注)データベース分析(基礎データ不足により推計概算)では、地域平均定員稼働率を算出すると、恐らく25%くらいにしかならないと思われ、大変、低い地域であることは推定できる。

※ちなみに、全国平均定員稼働率は43.6%、山梨県平均定員稼働率は38.0% ※平成21年度観光庁統計による

注)ようやく、観光庁の推進で、全国都道府県単位の標準観光統計が提供されるようになりました。しかし、地方の観光行政で気が付くのですが、上意下達で統計方針やシステムが組まれるため、未だ、地方行政では県に言われたからシステムに沿って、基礎データを送っただけというところが多く、地元で、自らの統計データが経営に活かされる日はほど遠い様子です。

もちろん、行政のみならず、民間の旅館経営者でもデータベース管理が時代遅れのところが多く、活かし方がわかるのは、第3者の専門家だけとはなさけないことだと思います!

ついでに言っておきますが・・・、もちろん、収容力(特に旅館の定員等が標準化されたいないので不正確)等や公式データ公開不足のため、全て現存公開データのみを応用して推計分析をせざるを得ないので、この分析が正しいとは云えません。ご容赦の上、本意をおくみとり願えれば幸いです。

もしも・・・、たくましい反論意見やデータがあれば、また、正しい実態を教えて頂けると嬉しいのですが・・・!

関係者の皆さんにエールを込めて・・・、将来を期待しながら・・・、辛口もありますが掲載しておきたいと思います。

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