京都大学教授・佐伯啓思 TPP本質は経済観の差
私は若いころ主として経済学を学んでいたが、そのころからどうも譲り渡すことのできない信念というべき経済観があった。それは次のようなものだ。
確かに自由な市場競争は社会主義の計画経済よりは優れている。しかし、市場競争そのものは市場原理にのらない「社会」の安定性によって支えられなければならない。それが崩れてしまえば、市場経済それ自体が壊されてしまう、ということだ。
ところで、社会の安定性を確保するものは何か。まず人々の社会生活の安定がある。そのためには、医療、福祉、地域の安定が必要だろう。防災も必要となる。質のよい労働力の確保も必要となり、そのためには教育は重要な意味をもつ。また、社会秩序の確保のためには、人々の倫理観や道徳的精神もなければならないが、それは、その国の文化や伝統・習慣と不可分だろう。また、資源、食糧の自給率の向上も不可欠である。さらにいえば、国民生活の安全確保には、それなりの軍事力を整備しなければならない。
ところで、上にあげた事項は、市場で提供できるものではない。公共性の高いものであり、そもそも効率性や利益原理で測れるものではない。だが、こうした「社会」の安定があって初めて市場競争はそれなりに機能するのである。そして「社会」の秩序は基本的にその国の文化や習慣のなかで歴史的に作りだされてきたもので、容易に作り替えられるものではない。グローバルスタンダードなどといって標準化できるものでもない。いくら市場競争が効率的だといっても自由な市場競争に委ねるわけにはいかないのだ。
日本のTPPへの交渉参加が決まり、ルール作りの交渉が続いている。もちろん国によって経済構造が違い、得意分野が違うからこそルール作りが必要だということはできるだろうし、交渉によって各国の利益が実現できる、といういい方もできるだろう。しかし、TPPがあくまで域内という限定内ではあるものの、徹底した自由化と市場競争化を目指していることを忘れてはならない。ルール作りもあらゆる経済活動を原則、自由な市場競争にさらすという方向でのルール作りなのである。
医療、教育から資源、知識(知的資源)、環境への権利まで市場取引に委ね、基本的にあらゆるものを市場化しようというのが、アメリカの経済観である。ここでいう「社会」の安定に関わるものまで、効率性と生産性という市場競争の原則に委ねようというのだ。この経済観は、個人主義や能力主義、成果主義、そして、すべてを客観的な数値で示すことで普遍性を確保できる、という価値観に基づいている。そしてこの価値観こそはまさしくアメリカ文化の中枢なのである。
だから、TPPにかかわる日米交渉も、その本質は、日米の経済観の相違、その背後にある文化や価値観の相違からくるものである。利害の調整という外観に踊らされて、経済観の対決という面を理解しないと、取り返しのつかないことになりかねない。(さえき けいし) (MSN産経)
TPPをどう考え、どのように決着すればよいのか?どこで線引きをすべきなのか?「国益」と漠然と言えても、現実的にどこがラインなのか? いまいち自分でよくわからなかったのですが、この記事を読んですんなり腑に落ちました。TPPに関する考え方の基準が、この記事でわかったような気がします。
資本主義がよりよく機能するためには、ある程度の社会の安定が前提であること。社会の安定を揺るがすような医療や教育などなどを市場に委ねることは、その国の(日本の)市場経済自体を混乱させ、破壊しかねないと佐伯氏は主張しているのだと思います。アメリカの経済観に日本を委ねるわけにはいかないこと。
アメリカが根底にしている経済観と日本が培ってきた社会の土壌と経済観は違うことを忘れないこと、日本社会の基本的な安定を損なわないことが大事であること。
その上でTPPルール交渉に臨むべきです。首相と内閣、そして官僚の認識に期待するしかないのですが・・・
(2008年7月に佐伯氏の記事を取り上げたことがあるのですが、その時よりもはっきり理解できました)<個人主義や能力主義、成果主義、そして、すべてを客観的な数値で示すことで普遍性を確保できる」というアメリカの価値観、経済観・・・・・アメリカの良い面と同時に負の面を考えてみれば、それも納得してしまいます。
よろしければクリックを