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一日一書 1519 寂然法門百首 (2)

2019-01-09 19:28:45 | 一日一書

 

是諸衆鳥和雅音

 

鶯の初音のみかは宿からにみななつかしき鳥の声かな

 

半紙

 

筆・黒文字楊枝

 

 

【題出典】

是諸衆鳥、昼夜六時、出和雅音(『阿弥陀経』)

この諸もろの鳥、昼夜六時に、和雅の音を出す。

 

【通釈】

聞くべきは鶯の初音ばかりであろうか。宿が宿だけに(ここは極楽であるから)皆慕わしい鳥の声だよ。

 

【考】

この世で最も美しい鳥の声は鶯の声。極楽浄土にもその鶯がいるという。

さらに極楽では鶯に劣らない様々な鳥が法をさえずるのだ。

極楽に身を置き、そこでの風景を詠むのは、俊成の「極楽六時讃歌」と同様の手法。

春の鶯の初音をはじめ、様々な鳥のさえずりが、そのまま極楽浄土の妙音として聞こえてくる。


いずれも、『全釈』による。


 

『寂然法門百首』の構成については、『全釈』では次のように解説しています。

 

『法門百首』は、仏典の句を題とした法門歌による百首歌で、

春・夏・秋・冬・祝・別・恋・述懐・無常・雑の十の部立ての中に十首ずつを配し、

その一首一首の左に注文(左注)を伏したものである。

 

したがって、この歌の後にも、「左注」があるわけですが、割と長いので引用はしていません。

 

 

「百首歌」とか、「百物語」とか、あるいは「百人一首」とか、よく「百」という単位が使われますが

ぼくもかつて、「100のエッセイ」というシリーズを書いていたことがあります。

「100」は適度な量といえるのかもしれません。

 

 

この極楽浄土のイメージというのは、キリスト教の天国とはまったく雰囲気が違います。

キリスト教の天国では、「鶯」は鳴きません。

そればかりか、鳥など登場しない。

それでは味気ない国なのかというと、そうでもなくて、

生物の影はないけれど、「愛」という精神的なものに満ちています。

どちらがいいかということじゃないことは確かです。

 

 

「鶯の初音のみかは」に注目。

この世で最も美しい鳥の声は鶯の声」だとされていても

その「最高」のものだけが、「聞くべき価値」を持っているわけではないというわけです。

極楽では、すべての鳥の声が美しいのだから、

極楽ならぬこの世でも、私たちは「鶯」ばかりを愛でるのではなく、

すべての鳥の声を「極上の声」あるいは「法を説く声」として聞くべきではないのか、

というこの考え方には共感します。

 なにか「一番」のもだけが素晴らしい、というのではなく

意味もない価値の序列化をやめて、

すなおな目で、耳で、「この世」を味わいたいものです。

 

 

 

 

 

 

 


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