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一日一書 1538 しづかなる空にもあるか春雲たなびく極み鳥海が見ゆ・斎藤茂吉

2019-04-29 16:17:36 | 一日一書

 

斎藤茂吉

 

しづかなる空にもあるか春雲たなびく極み鳥海が見ゆ

 

「白き山」より

 

 

昭和21年2月14日、大石田にての作ということを念頭に読むと、ひとしお感慨深いものがあります。

 

新潮社版「日本詩人全集 10 斎藤茂吉」に載っている年譜には、昭和21年の項にこうあります。

「2月、金瓶(茂吉の山形県の郷里)を去って山形県大石田の二藤部(にとべ)方の離家へ移る。握飯をもち、つまごをはき、敷物用のさんだわらを抱えて最上川のほとりを歩く。最上川は茂吉の少年の日からの忘れ難い故郷の川であった。老いた茂吉の心に再び創作意欲が燃え立った。」

 

昭和20年4月に茂吉は、郷里へ疎開するのですが、その翌月、空襲で青山の自宅と病院が全焼してしまいます。敗戦と自宅の消滅は茂吉に深い傷を与えたはずです。

それはそれとして、この年譜の「老いた茂吉」という表現には驚かされます。この時茂吉は64歳。なんと、今のぼくより5歳も年下です。この本が出たのは、昭和42年ですが、その当時は、64歳は「老いた」と書かれてなんら違和感がなかったのでしょう。ぼくはまだまだ「老いた」とは思ってないけどなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (105) 徳田秋声『新所帯』 25  新吉の「苦悩」

2019-04-27 14:38:31 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (105) 徳田秋声『新所帯』  25 新吉の「苦悩」

2019.4.27


 

 話はここで急展開する。お作の流産である。なんとなく予感はあったが、陰惨なことである。


 二月の末──お作が流産をしたという報知(しらせ)があってからしばらく経って、新吉が見舞いに行った時には、お作はまだ蒼い顔をしていた。小鼻も目肉(めじし)も落ちて、髪もいくらか抜けていた。腰蒲団など当てて、足がまだよろつくようであった。
 胎児は綺麗な男の子であったとかいうことである。少し重い物──行李を棚から卸(おろ)した時、手を伸ばしたのが悪かったか知らぬが、その中には別に重いというほどの物もなければ、棚がさほど高いというほどでもない。が何しろ身体がひ弱いところへ、今年は別して寒(かん)じが強いのと、今一つはお作が苦労性で、いろいろの取越し苦労をしたり、今の身の上を心細がったり、表町の宅(うち)のことが気にかかったり、それやこれやで、あまりに神経を使い過ぎたせいだろう……というのがいいわけのような愚痴のような母親の言い分であった。
 お作は流産してから、じきに気が遠くなり、そこらが暗くなって、このまま死ぬのじゃないかと思った、その前後の心持を、母親の説明の間々へ、喙(くち)を容(い)れて話した。そうしてもう暗いところへやってしまったその子が不憫でならぬと言って泣き出した。いくら何でも自分の血を分けた子だのに、顔を見に来てくれなかったのは、私はとにかく、死んだ子が可哀そうだと怨んだ。
 新吉も詳しい話を訊いてみると、何だか自分ながらおそろしいような気もした。そういう薄情なつもりではなかったが、言われて見ると自分の心はいかにも冷たかったと、つくづくそう思った。
「私(あっし)はまた、どうせ死んでるんだから、なまじい顔でも見ちゃ、かえっていい心持がしねえだろうから、見ない方が優(まし)だという考えで……それにあのころは、小野の公判があるんで、東京から是非もう一人弁護士を差し向けてほしいという、当人の希望(のぞみ)だったもんだから、お国と二人で、そっちこっち奔走していたんで……友達の義理でどうもしかたがなかったんだ。」といいわけをした。
「それならせめて初七日にでもいらして下されば……。」とお作は目に涙を一杯溜めて怨んだ。「それにあなたは、お国さんのことと言うと、家のことはうっちゃっても……。」と口の中でブツブツ言った。


 新吉は、改めて自分の「冷たい心」に驚いている。自分ではそんなに薄情なつもりはなかったが、お作の詳しい事情を聞いてみると、なるほどこれはやっぱり薄情というしかないか、という新吉の「気づき」は、それでもどこか他人事だ。自分が「薄情である」ことを認識はするが、それについての「道義的」な判断がない。「薄情な自分」が「おそろしい」ような気もするが、それはそういう自分を否定する契機にはならない。新吉は何があっても「変わらない」のだ。

 この氷の塊のように新吉という人間の中でどっかと腰を据えている「心」の正体はいったい何なのだろうか。それはいったいどこから来るのだろうか。「どうせ死んでるんだから、なまじい顔でも見ちゃ、かえっていい心持がしねえだろうから、見ない方が優(まし)だ」という考えは、新吉によって「薄情」だと認識されているが、そのこと自体を新吉は否定していないのが不気味だ。

 これを酷薄なエゴイズムといってしまえばそれまでだけど、どこかに「時代」の空気を反映しているような気もするのだ。というのも、これとまったく同じようなセリフを、岩野泡鳴の小説の中で読んだことがあるからだ。泡鳴の場合は、流産ではなくて、幼子の死だが、やはり死んだ子どもへの哀惜の念が皆無なのだ。どうせ死んだんだ、そんなものを見てどうする、という冷たさは、この新吉や、泡鳴だけのものではなかったのではなかろうか。

 当時は乳幼児死亡率が非常に高く、子どもをたくさん産んでも全部が生き延びるわけではなかった。そういう環境の中で、子どもの死は、とくに父親にとってはいちいち悲しむべきものとは思われていなかったのかもしれない。

 けれども、母親にとっては大事な子どもだ。新吉の薄情さは許せるものではない。思わず新吉をなじる言葉が口をついて出る。お国のことだ。

 

 これが新吉の耳には際立って鋭く響く。むろんお国は今でも宅へ入り浸っている。一度二度喧嘩して逐(お)い出したこともあるが、初めの時はこっちが宥(なだ)めて連れて帰り、二度目の時は、女の方から黙って帰って来た。連れて来たその晩には、京橋で一緒に天麩羅屋へ入って、飯を食って、電車で帰った。表町の角まで来ると、自分は一町ほど先へ歩いて、明るい自分の店へ別々に入った。何の意味もなかったが、ただそうしなければ気が済まぬように思った。それからのお国は、以前よりは素直であった。自分も初めて女というものの、暖かいある物につつまれているように感じた。
 それから二、三日は、また仲をよく暮らすのであるが、後からじきに些細な葛藤が起きる。それでお国が出てゆくと、新吉は妙にその行く先などが気に引っかかって、一日腹立たしいような、胸苦しいような思いでいなければならぬのが、いかにも苦しかった。


 ここで初めて、お国はまだ新吉の家に入り浸っていることが明らかになる。新吉は愛想をつかしたのだが、なんだかんだいって、新吉もお国を諦め切れていないのだ。そこをお作につかれて、新吉は腹を立てる。


「莫迦を言っちゃいけねえ。」新吉はわざと笑いつけた。「お国と己(おれ)とが、どうかしてるとでも思ってるんだろう。」
「いいえ、そういうわけじゃありませんけれどね、子供が死んでも来て下さらないところを見れば、あなたは私のことなんぞ、もう何とも思っていらっしゃらないんだわ。」
 新吉は横を向いて黙っていた。むろんお作の流産のことを想い出すと、病気に取り着かれるようであった。彼奴(やつ)も可哀そうだ、一度は行って見てやらなければ……という気はあっても、さて踏み出して行く決心が出来なかった。明日(あす)は明日はと思いながら、つい延引(のびのび)になってしまった。頭脳(あたま)が三方四方へ褫(と)られているようで、この一月ばかりの新吉の胸の悩ましさというものは、口にも辞(ことば)にも出せぬほどであった。その苦しい思いが、何でお作に解ろう。お作はとてもそういうことを打ち明ける相手ではないと、そう決めていた。
「それで、私が帰れば、お国さんは出てしまうんですの。」お作はおずおず訊いた。
 新吉は、口のうちで何やら曖昧なことを言っていた。
「義理だから、己から出て行けと言うわけにも行かないが、いずれお国にも考えがあるだろう……。それでお前はいつごろ帰って来られるね。」
「もう一週間も経てば、大概いいだろうと思うですがね……でも、お国さんがいては、私何だかいやだわ。阿母(おっか)さんもそう言うんですわ。小石川の叔母さんだけは、それならばなおのこと、速く癒(なお)って帰らなければいけないと言うんですけれど……。」
 新吉は、二人の間(なか)が、もうそういう危機に迫っているのかと、胸がはらはらするようであった。
「どちらにしても、お前が速く癒ってくれなければ……。」と気休めを言っていたが、そうテキパキ事情の決まるのが、何だかいやなような気がした。


 いくら冷たい心の新吉とはいえ、やはり流産のことはこたえていたのだ。並々ならぬ苦悩を味わったけれど、その苦悩をお作に話す気にはなれなかった。「お作はとてもそういうことを打ち明ける相手ではないと、そう決めていた。」とあるわけだが、なぜ「そう決めていた」ということになるのだろうか。流産をしたお作を哀れにも思い、見舞いに行こうと思いつつ、それでも足を運べなかったのはなぜなのか。ああでもないこうでもないと新吉はなにを一月も苦しい思いをしたのか。その辺がどうも判然としない。

 お作は自分の苦悩を打ち明ける相手ではない、と決めたというのは、お作を妻として扱っていないということになる。苦しみを分かち合う相手でないとしたら、それは妻とはいえないだろう。結局のところ、新吉は、お作との結婚に満足していないばかりか、後悔しているのだ。流産のことを考えると、病気になりそうなくらい苦しいけれど、お作は自分の何倍も苦しいだろうということに思い至らない。苦しんでいるのは自分ばかりではなくて、お作こそ苦悩の真ん中にいて、その苦悩をこそ二人は分かち合わなければならないはずなのに、新吉の思いは「自分の苦悩」にだけ向いている。そして、お作は、そんな苦悩を理解できる人間ではないと、新吉は見くびっているのだ。

 お作は苦しんでいる。だから可愛そうだ。だが、オレはお作より、もっと高度な苦悩を抱えている、そう思っているのかもしれない。そしてその「苦悩」を理解してくれるのは、もっと頭のいい別の女だと考えているのかもしれない。それがお国かどうかは別にしてもだ。

 お作が元気を取り戻して家に戻ってくることを、新吉は恐れている。それはお国との別れを決定的なものにするだろうからだ。かといって、お作と離縁して、お国と一緒になる決心もついていない。「テキパキ事情の決まるのが、何だかいやなような気がした。」という表現は、そんな中途半端な新吉の気分をよく表している。

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (104) 徳田秋声『新所帯』 24  省略の美学

2019-04-22 14:55:35 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (104) 徳田秋声『新所帯』 24  省略の美学

2019.4.22


 

 お作のところから帰ってきた新吉は、お国の「自堕落」な姿に幻滅する。腹のなかでは、もうこの女とは縁を切ろうと思っているが、それをそのまま言うわけでもない。当然、ふたりは気まずくなるわけである。


 療治が済むと、お国は自分の財布から金をくれて按摩を返した。近所ではもうパタパタ戸が閉るころである。
 お国はいつまでも、ぽつねんと火鉢の前に坐っていたが、新吉も十一時過ぎまで帳場にへばり着いていた。
 寝支度に取りかかる時、二人はまた不快(まず)い顔を合わした。新吉はもう愛想がつきたという顔で、ろくろく口も利かず、蒲団のなかへ潜(もぐ)り込んだ。お国は洋燈を降したり、火を消したり、茶道具を洗ったり、いつもの通り働いていたが、これも気のない顔をしていた。
 寝しなに、ランプの火で煙草を喫(ふか)しながら、気がくさくさするような調子で、「アア、何だか厭になってしまった。」と溜息を吐(つ)いた。「もうどっちでもいいから、早く決まってくれればいい。裁判が決まらないうちは、どうすることも出来やしない。ね、新さん、どうしたんでしょうね。」
 新吉は寝た振りをして聴いていたが、この時ちょっと身動きをした。
「解んねえ。けど、まア入るものと決めておいて、自分の体の振り方をつけた方がよかないかね。私(あっし)あそう思うがね。」と声が半分蒲団に籠っていた。「そうして出て来るのを待つんですね。」
「ですけど、私だって、そう気長に構えてもいられませんからね。」と寝衣姿(ねまきすがた)のまま自分の枕頭(まくらもと)に蹲跪(つくば)って、煙管をポンポン敲いた。「あの人の体だって、出て来てからどうなるか解りゃしない。」
 新吉はもう黙っていた。


 「近所ではもうパタパタ戸が閉るころ」という時間の表し方が当時の住宅の風情を伝える。おそらく雨戸を閉めているのだろう。こうした隣近所の「音」が、生活を彩っているわけで、昨今の機密性の高い住宅では、味わえない風情だ。

 ぼくが幼い頃、お三の宮の夏の祭礼のときなど、家の前にまで夜店がたちならび、そこをガヤガヤ話ながら通る人たちの下駄の音が楽しく響いたものだ。雨戸の音も木の音、下駄の音も木の音だ。

 「ぽつねんと」火鉢の前に座るお国と、帳場に「へばり着いている」新吉。「ぽつねんと」とは「ひとりだけで何もせずにさびしくいるさまを表わす語。」(日本国語大辞典)で、最近はめっきり見なくなった言葉。「へばりつく」は「⑴べったりと物がくっつく。こびりつく。ねばりつく。⑵ずっとある物のそばにいる。いつもある人に寄り添う。くっつく。」(日本国語大辞典)の意だが、ここではもちろん⑵の意味だが、⑴の意味の雰囲気も併せ持つ。帳場にいるしかない新吉の心境がよく伝わってくる。

 お国は「くさくさするような調子」で話す。この「くさくさする」がいい。「腹をたてたり憂鬱(ゆううつ)だったりして、心がはればれしないさまを表わす語。くしゃくしゃ。むしゃくしゃ。」(日本国語大辞典)の意だが、今は「むしゃくしゃする」の方が一般的だろうが、「くさくさする」と「むしゃくしゃする」では微妙に違うような気がする。「むしゃくしゃする」より、「くさくさする」ほうがより内面的で、より女性的な感じがする。男はあんまり「くさくさ」しないのではなかろうか。

 この「くさくさする」という言葉を聞くと、ぼくの頭にはなぜか杉村春子の顔が思い浮かぶ。たぶん、溝口健二の映画『赤線地帯』あたりに登場する杉村のセリフにあったのだろう。この言葉から立ち上がる気分、そしてその気分を醸し出す環境は、今では映画の中にしかないようだ。

 この辺の、地の文と会話のつなぎかたも絶妙だ。「あの人の体だって、出て来てからどうなるか解りゃしない。」とある後に、改行して、「新吉はもう黙っていた。」とだけ書く。この「間」あるいは「省略」がすばらしい。小説のお手本だ。


 翌日(あした)目を覚まして見ると、お国はまだ寝ていた。戸を開けて、顔を洗っているうちに、ようやく起きて出た。
 朝飯が済んでしまうと、お国は金盥(かなだらい)に湯を取って、顔や手を洗い、お作の鏡台を取り出して来て、お扮飾(つくり)をしはじめた。それが済むと、余所行(よそゆ)きに着替えて、スッと店頭(みせさき)へ出て来た。
「私ちょいと出かけますから……。」と帳場の前に膝を突いて、どこへ行くとも言わず出てしまった。
 新吉はどこか気がかりのように思ったが、黙って出してやった。小僧連は、一様に軽蔑するような目容(めつき)で出て行く姿を見送った。
 お国は昼になっても、晩になっても帰らなかった。新吉は一日不快そうな顔をしていた。晩に一杯飲みながら、新吉は女の噂をし始めた。
「どうせ彼奴(あいつ)は帰って来る気遣いないんだから、明朝(あした)から皆で交り番こに飯をたくんだぞ。」
 小僧はてんでに女の悪口(あっこう)を言い出した。内儀さん気取りでいたとか、お客分のつもりでいるのが小面憎(こづらにく)いとか、あれはただの女じゃあるまいなどと言い出した。
 新吉はただ苦笑いしていた。


 いつまでも寝ている、ということは、「自堕落」な印象を与えるものかもしれないが、ここでの「印象」は、あくまで新吉の目から見た「印象」だろう。「ようやく起きて出た。」という表現には、新吉の心情がこもっている。

 「戸を開けて、顔を洗っているうちに、ようやく起きて出た。」という、一切主語を省略する表現にも注目したい。「新吉が戸を開けて、新吉が顔を洗っているうちに、お国はようやく起きてきた。」と書けば正確だが、そういうのは日本語じゃない。前後関係でわかり切ったことは、主語は省く。『源氏物語』以来ちっとも日本語は変わっていないようだ。

 お国がすっと出て行ってしまい、夜になっても帰らないという展開は、前夜から予想されたところだが、お国の心理の描写を一切せずに、お国の気持ちを見事に表現している。お国自身の気持ちを直接に描かず、その周囲の反応から浮き上がらせているところもうまいものだ。

 お国は、別に自堕落な女であるわけではなかろう。もちろん、新吉とできることなら疎ってみたいという気持ちはあったろうが、それも控えめで、露骨に誘惑したわけでもない。誰かに添わねば生きていけない女というものに、さすがの新吉もあわれを感じたこともあるのだ。

 蓮っ葉だけれど、それでもどこか内向的なお国の姿は鮮やかで、深く印象に残る。





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一日一書 1537 道は無窮なりさとりても猶行道すべし・道元

2019-04-21 21:13:55 | 一日一書

 

道元

 

道は無窮なりさとりても猶行道すべし

(道は果てしない。悟っても、なお修行しなくてはならぬ。)

 

35×45cm

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (103) 徳田秋声『新所帯』 23  リアリズムの神髄

2019-04-15 11:25:36 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (103) 徳田秋声『新所帯』 23  リアリズムの神髄

2019.4.15


 

 別れ際、お産のときはきっと来てくださいよと、目に一杯涙をためて小声で言ったお作のことが、東京への電車の中、新吉の頭によみがえる。


 腕車(くるま)がステーションへ着くころ、灯がそこここの森蔭から見えていた。前の濁醪屋(どぶろくや)では、暖(あった)かそうな煮物のいい匂いが洩れて、濁声(だみごえ)で談笑している労働者の影も見えた。寒い広場に、子守が四、五人集まって、哀れな調子の唄を謳(うた)っているのを聞くと、自分が田舎で貧しく育った昔のことが想い出される。新吉はふと自分の影が寂しいように思って、「己の親戚(みうち)と言っちゃ、まアお作の家だけなんだから……。」と独り言を言っていた。
 汽車は間もなく出た。新吉は硬いクッションの上に縮かまって横になると、じきに目を瞑(つぶ)った。中野あたりまでとりとめもなくお作のことを考えていた。あまり可愛いと思ったこともないが、何だか深く胸に刻み込まれてしまったようにも思えた。そのうちに、ウトウトと眠ったかと思うと、東京へ入るに従って、客車が追い追い雑踏して来るのに気がついた。
 飯田町のステーションを出るころは、酔いがもうすっかり醒めていた。新吉は何かに唆(そその)かされるような心持で、月の冴えた広い大道をフラフラと歩いて行った。


 新吉はお作の家族のことを田舎者として軽蔑するが、自分だって田舎者なのだ。お作のところほど貧しくはないが、都会の金持ちじゃない。まあ五十歩百歩といったところ。それだけに、お作やその家族への近親憎悪的な侮蔑に念が強い。

 階級というのは不思議なもので、金持ちの家に生まれた者は、鷹揚に育つためか、かえって差別感が希薄だったりする。中途半端なに貧しかったり、田舎者だったりすると、ちょっとでも自分よりも「下」に見えると露骨に差別感が剥き出しになるものだ。

 お作の家族を、田舎くさい、土くさいと軽蔑しながら、ふと、我が身を省みて、「ふと自分の影が寂しいように」思う新吉は、お作の家が、結局のところ自分にとっての唯一の「親戚(みうち)」なのだと気づくのだ。そのことで寂しい「自分の影」が少しは明るくなるわけではない。むしろますます色濃く暗くなっていくのだが、それでも、「みうち」という観念は、新吉の慰めにならないわけでもないのだ。

 三鷹あたりから乗ったのだろうか、新吉の頭には「中野あたり」まで、お作の面影がちらつく。「あまり可愛いと思ったこともないが、何だか深く胸に刻み込まれてしまったようにも思えた。」──冷たい新吉の心にも、いつの間にかお作の「可愛くない」面影や姿や言動が、「深く刻み込まれてしまった」ような気がするというのだ。なんだかちょっとほっとする。

 列車が東京にちかくなるにつれて混んでくる。今の中央線の様子と比べても、基本的には変わらないのが面白い。飯田町駅は、当時の中央線の起点。今では、当時の牛込駅と統合されて飯田橋駅となっている。こうした鉄道事情も詳しく調べると面白そう。



 店では二人の小僧が帳場で講釈本を読んでいた。黙って奥へ通ると、茶の室(ま)には湯の沸(たぎ)る音ばかりが耳に立って、その隅ッこの押入れの側で、蒲団を延べて、按摩に腰を揉ましながら、グッタリとお国が正体もなく眠っていた。後向きになった銀杏返しの首が、ダラリと枕から落ちそうになって、体が斜めに俯伏(うつぶ)しになっていた。立ち働く時のキリリとしたお国とは思えぬくらいであった。貧相な男按摩は、薄気味の悪い白眼を剥き出して、折々灯の方を瞶(みつ)めていた。
 坐って鉄瓶を下す時の新吉の顔色は変っていた。煙管を二、三度、火鉢の縁に敲(たた)きつけると、疎(うと)ましそうに女の姿を見やって、スパスパと莨を喫(す)った。するうちお国は目を覚ました。
「お帰りなさい。」と舌のだらけたような調子で声かけた。「少し御免なさいよ。あまり肩が凝ったもんですから……あなたもお疲れでしょう。後で揉んでおもらいなすってはどうです。」
 新吉は何とも言わなかった。
 しばらくすると、お国は懈(だる)そうに、うつむいたまま顔を半分こっちへ向けた。
「どうでした、お作さんは……。」
「イヤ、別に変りはないようです。」新吉は空を向いていた。
 お国はまだ何やら、寝ぼけ声で話しかけたが、後は呻吟(うめ)くように細い声が聞えて、じきにウトウトと眠りに陥ちてしまう。
 新吉は茶を二、三杯飲むと、ツト帳場へ出た。大きな帳面を拡げて、今日の附揚(つけあ)げをしようとしたが、妙に気がイライラして、落ち着かなかった。おそろしい自堕落な女の本性が、初めて見えて来たようにも思われた。
「莫迦にしてやがる。もう明日からお断わりだ。」



 実家でいじらしいまでに甲斐甲斐しかったお作の面影がまだ頭の中に残っている新吉には、家で按摩に腰を揉ませながらぐったりとして寝ているお国の姿が「自堕落な女」として映る。対照の妙である。

 このシーンの描写は、ほんとうに見事という他はない。茶の間の隅に蒲団を敷いて按摩に腰を揉ませているお国の姿は、「立ち働く時のキリリとしたお国」との対照もあって実にリアルに感じられる。リアリズムの神髄といっていい。

 新吉の心の動きも手に取るように伝わってくる。「煙管で莨を喫う」という行為がこんなにも人間の心理を的確に表現できるなんて驚異的だ。そういえば、歌舞伎なんかでも、煙管は欠かせないなあ。タバコが映画にも登場しにくくなっている昨今では、演出もさぞ困ることだろう。





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