Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

日本近代文学の森へ 264 志賀直哉『暗夜行路』 151  疑惑  「後篇第四 八」 その1

2024-07-06 19:41:49 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 264 志賀直哉『暗夜行路』 151  疑惑  「後篇第四 八」 その1

2024.7.6


 

 その後平和な日々が過ぎたが、あくまでそれは表面的なもので、夫婦の仲は悪化し、謙作の生活はすさんでいった。


 その後、衣笠村の家(うち)では平和な日が過ぎた。少なくも外見だけは思いの外、平和な日が過ぎた。お栄と直子との関係も謙作の予想通りによかった。それから謙作と直子との関係も悪くはなかった。しかしこれはどういっていいか、──夫婦として一面病的に惹き合うものが出来たと同時に、其所(そこ)にはどうしても全心で抱合えない空隙が残された。そして病的に惹き合う事が強ければ強いほど、あとは悪かった。
 妻の過失がそのまま肉情の剌戟になるという事はこの上ない恥ずべき事だ、彼はそう思いながら、二人の間に感ぜられる空隙がどうにも気になる所から、そんな事ででもなお、直子に対する元通りなる愛情を呼起こしたかったのである。病的な程度の強い時には彼は直子自身の口で過失した場合を精しく描写させようとさえした。

 

 「夫婦として一面病的に惹き合うものが出来たと同時に、其所(そこ)にはどうしても全心で抱合えない空隙が残された。」というのは、いったいどういうことなのか、分かりにくい。「病的に惹き合うものが出来た」とはどういうことなのか。直子の性的過失を、観念的には赦そうとしながら、謙作という男の肉体は、そこにどうしようもなく性的な刺激を受けてしまったということらしい。まあ、安物の恋愛小説なんかにはよくある設定である。

 その分かりにくさは、すぐに具体例によって解消される。いわく「病的な程度の強い時には彼は直子自身の口で過失した場合を精しく描写させようとさえした。」というのである。その「描写」を会話で再現しないだけましだが、それにしても、醜悪な行為である。そうした痴態を、志賀は平然と書く。これが岩野泡鳴だったら、こんなことではすまないし、別に驚きもしないだろうが、あの「高潔さ」を何となくイメージさせる志賀直哉だから、そしてこの小説が「私小説的」なところがあるので、なおさらびっくりする。

 自分でも「恥ずべきことだ」と認識しながら、そういう痴態を演じてしまう人間というもののどうしようもなさ。そこから志賀直哉は目を離そうとしない。これを冷徹なリアリストと呼ぶべきだろうか。


 直子がまた妊娠した事を知ったのは、それから間もなくだった。彼は指を折るまでもなく、それが朝鮮行以前である事は分っていたが、いよいよ直子との関係も決定的なものになったと思うと、今更、重苦しい感じが起って来た。

 

 直子の妊娠と聞いて、謙作はすぐに「指を折る」。(「指を折るまでもなく」と書かれているが、心の中で折っているのは明白だ。)「要の子ではない。自分の子だと確認する。けれども、それは果たして「確信」だったろうか。自分が朝鮮に行く前に、直子と要が二人で会っていないという保証はどこにもない。男は、これは自分の子だという確信をなかなか持ちにくいものだと相場は決まっている。

 それはそれとしても、その後にくる「いよいよ直子との関係も決定的なものになったと思うと、今更、重苦しい感じが起って来た。」とはどういうことなのだろう。

 「直子との関係も決定的なものになった」というのは、直子と自分が生まれてくる子どもの親であるという関係が、「決定的」なものになったと思ったということだろうか。それなら、「重苦しい感じ」ではなくて、「晴れ晴れした感じ」とか、「嬉しい感じ」とか、そういった親になる喜びではなかろうか。それがなぜ「重苦しい」のか。

 それは、やはり、生まれてくる子どもの父親が自分ではなく、要ではないのかという疑いを拭いきれなかったからだろう。だから「決定的」なのは、親が自分だということなのではなくて、とにかく、直子と自分の間に子どもが生まれ、それが誰の子であれ、その子を自分たちの子どもとして受け入れなくてはならないという意味での「決定的」なのだ。まわりくどい言い方しかできないが、そうでもいうしかない。

 あるいは、そういうこととは別に、子どもが生まれることによって、直子との関係が今までとはまったく異なった新しい段階に入ったという意味での「決定的」なのかもしれない。


 謙作の心は時々自ら堪えきれないほど弱々しくなる事がよくあった。そういう時、彼は子供のようにお栄の懐(ふところ)に抱(いだ)かれたいような気になるのだが、まさかにそれは出来なかった。そして同じ心持で直子の胸に頭をつけて行けば何か鉄板(てついた)のようなものをふと感じ、彼は夢から覚めたような気持になった。


 今風に言えば、「出た〜、お栄!」といったところだろうか。結局のところ、謙作にとっての「女」とは、自分の母であり、母の代わりであったお栄であったので、その「愛」は、「その懐に抱かれる」以外の何ものでもなかったのだ、と、結論づけたくなるほどだ。

 お栄に「母」を感じた謙作は、その懐に抱かれることを夢見て、あろうことか結婚の申し込みをする。けれども、それが断られると、直子と結婚していちからやり直そうとしたのだが、そこでも直子に求めたのは「母」であった。しかも、その母親は夫を裏切り、あろうことか、夫の父と過ちを犯してしまい謙作を生んだ。その上、謙作を捨てて、謙作にとっては祖父にあたる「実の父」の家にあずけてしまい、その祖父の妾であったお栄が謙作を育てる、という、まあ、ありえないほど複雑な事情を抱えている謙作なのだが、それだけに、直子の過ちは、自分の母の過ちと重なり、生まれてくる子が万が一にも自分の子でなかったとしたら、いったい自分の人生はなんだったのかと、世をはかなむのは当然のことだろう。そういうすべてを含んでの「重苦しさ」であったはずなのだ。

 だからほんとうは、謙作は直子を赦すことなぞできるはずがないのだ。そうしたことを理解しないで、ここだけ読んだ読者は、なんだこの甘ったれ男が! ってことになるだろうが、そこは十分に忖度しなければならないところだろう。

 室生犀星などは(実在の人物だが)、謙作よりももっとひどい境遇に生まれた。加賀藩の足軽組頭が女中に手をつけて生まれた犀星は、生後すぐに近くのお寺に預けられ、犀星は生涯実の母に会えなかった。もらわれていった雨宝院というお寺の住職室生真乗の「内縁の妻」赤井ハツの私生児として戸籍登録され、ハツに育てられたのだが、このハツという女は片っ端から貰い子をして、その子たちを虐待し、小さい頃から働きにだして金を稼がせ、自分は酒だ役者だと遊び暮らした女だ。犀星は粗暴に育ち、小学校3年のとき、事件をおこして(小学校で先生の来るまえに、教卓の上に座って切腹のマネをしていたところを、やってきた先生に叱られ、先生が「やれるもんならやってみろ」と言ったところ、ほんとうにナイフを腹に突き刺したとかいう事件。不正確かもしれません。)退学となり、以後学校というものに行っていない。犀星は死ぬまでそのハツを恨み、自分の文学を「復讐の文学」と呼んだのだった……なんてことを書いていたら切りがないのだが、本当の話だ。

 謙作の境遇なんか、それに比べれば屁でもないといえばいえるが、人間というものは、そんなに簡単に理解できるものではないのだということは、肝に銘じておきたい。そしてそのことを何よりもよく教えてくれるのが文学というものなのだ。

 

 

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本近代文学の森へ 263 志... | トップ | 一日一書 1741 寂然法門百... »
最新の画像もっと見る