岡村雞守斎
圓
(半切二分の一)
●
先日の「まくりの書展」で入手した
岡村雞守斎先生の作品です。
「円」の中に、まるで人がたたずんでいるよう。
周りの円の上部が切れているので
そこから天上の風が吹き込んでくるようでもあります。
この書全体に、透明な風が吹いています。
その風に吹かれているようなたたずまいの落款も素晴らしい。
こんな感じに書けるようになるには
いったいどれくらいの時間を必要とするのでしょうか。
ため息が出るばかりです。
岡村雞守斎
圓
(半切二分の一)
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先日の「まくりの書展」で入手した
岡村雞守斎先生の作品です。
「円」の中に、まるで人がたたずんでいるよう。
周りの円の上部が切れているので
そこから天上の風が吹き込んでくるようでもあります。
この書全体に、透明な風が吹いています。
その風に吹かれているようなたたずまいの落款も素晴らしい。
こんな感じに書けるようになるには
いったいどれくらいの時間を必要とするのでしょうか。
ため息が出るばかりです。
広瀬淡窓(ひろせ・たんそう)の詩より
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君汲川流我拾薪
(君は川流を汲め、我は薪を拾はん)
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広瀬淡窓(1782~1856)は江戸後期の儒学者。
この漢詩の全文は以下の通りです。
休道他郷多苦辛 道(い)うを休(や)めよ 他郷 苦辛多しと
同袍有友自相親 同袍 友あり 自(おのづか)ら相い親しむ
柴扉暁出霜如雪 柴扉(さいひ) 暁に出ずれば 霜 雪の如し
君汲川流我拾薪 君は川流(せんりゅう)を汲め、我は薪(たきぎ)を拾はん
●
口語訳するとだいたい次のような感じです。(一海知義の訳を参照しています。)
異郷で暮らすと辛いことが多いなあなんて言うなよ。
一枚の綿入れを一緒に着るうちに友もでき、自然に親しくなるものだ。
粗末な門扉を開けて塾の外に出れば、まるで雪のように真っ白に霜がおりている。
(今日も寒さは厳しいけれど)さあ、元気を出して、君は川の水を汲んで来たまえ、
私は薪を拾ってこよう。(そして朝餉の準備だ。腹一杯食ったら、今日も勉強だ。)
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儒学者たる広瀬淡窓の元に集まった塾生は三千人を超えたと言います。
「学問」をするには、こうした、暖かい師弟や友人関係が必須ということなのでしょうね。
「教育」の本来のあり方がここにはあります。
果たして、今の日本の教育は、このあり方に沿っているのでしょうか。
斎藤茂吉
少年の心は清く何事もいやいやながら為ることぞなき
(半紙)
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木原先生に触発され、茂吉の歌集「白き山」を読んでいて
発見した歌。
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今、ぼくは中1の生徒を教えているのですが
教科書の文章を要約する作業などをやらせると
「いやだあ!」「めんどくさい!」と言う声があちこちから聞こえてきます。
けれどもそれも束の間、
すぐに静かになって
みんなノートに向かって真剣に鉛筆を走らせる。
苦手な子も多いのだろうけど、
その姿は「いやいや為る」という風ではないのです。
茂吉が、少年のどういう姿を見てこの歌を詠んだのかは分かりませんが
やっぱり、どんなに時代が変わっても
「少年の心は清く」というのは本当のようです。
それに引き替え、ぼくみたいなジジイは
何を為るにも「いやいや」で、
まったく恥ずかしいことであります。
寄席文字「三遊亭萬橘」
(さんゆうてい・まんきつ)
この12月に行われる「弁天寄席」のために書きました。
今回は1枚書いて決まり。
寄席文字もこれで、噺家さんは5人目。
最近は、ちょっと慣れてきました。
今回もトレースなしで
今は、文字の入る枠だけを鉛筆で書き
その中に収まるように寄席文字字典の字を見ながら書いています。
前回の「春風亭昇吉」よりもできはいいかも……
でもまだまだ修行中。
次は誰だろうって、ちょっと楽しみ。
こんな機会を与えてくださった「弁天寄席」に感謝です。
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第5回「弁天寄席」は
12月5日(木)午後2時から6時まで。
カフェレストラン girino にて。
(251-0035 藤沢市片瀬海岸2-7-16)
小田急片瀬江ノ島線徒歩3分。
山本進先生の落語に関するお話の後
三遊亭萬橘師匠の高座を2席。
その後、お食事です。
参加料は3500円。
落語のみの場合2000円です。
定員30名の予約制です。
ご興味のあるかたは
0467-23-3935(藤本)までご連絡ください。
宮沢賢治「東岩手火山」より
気圏オペラ
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詩集『春と修羅』に入っている詩「東岩手火山」の中に
「私は気圏オペラの役者です」という詩句があります。
木原先生はその中から「気圏オペラ」という言葉を取り出して書いています。
「気圏」は賢治の好んだ言葉。
「大気圏」のこと。
自分はその大気圏の中で
繰り広げられるオペラに出場している役者なのだということでしょう。
壮大なイメージですね。
そう考えれば、小さなことのにクヨクヨするなんて
ばからしくなってきます。
役者なら役者らしく、自分の役を演じきらねばならない。
そんな気持ちにさせられます。
木原先生は、そうした思いを力強く表現していて
心打たれます。