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一日一書 1639 寂然法門百首 24

2020-06-29 13:46:20 | 一日一書

 

猶如秋月十五日夜

 

おぼろけの人をばいかが名に高き今宵の月のかげにたとへん
 

 

半紙

 

 

【題出典】『涅槃経』二
 

【題意】 猶如秋月十五日夜

  秋の月が、十五夜に清浄円満で曇りなく、すべての衆生に仰ぎ愛でられるように、(純陀長者、あなたもまた我々に尊敬される。)
 

【歌の通釈】

いいかげんな人を、どうして名高き今夜の八月十五夜の月の光にたとえるだろうか。純陀長者は凡人ではなく、たとえられるのは当然のことだ。

【語釈】

純陀=仏の最後の供養をした弟子。

【考】

『涅槃経』で、純陀長者は十五夜の月にたとえられる。おぼろ月ではないが、純陀はおぼろげないいいかげんな人ではないから、澄みきった十五夜の月にたとえられるのももっともなことである。「十五夜」は和歌的伝統美であるが、仏典の中に「秋月十五夜」という句を発見し、仏の時代にも極めて美しいものとしてあることを知った。伝統美が仏の世界から続くという感慨があるように思われる。


(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


 

寂然は、仏典を読みながら、そこに「秋月十五夜」という句を発見して喜んだのだろうと、「全釈」は言う。その発見の喜びから、歌が生まれていると。

「釈教歌」というジャンルについては、教師をしているころから知識としては知っていて、新古今和歌集を扱うときなどは、ちょっと触れたことがあったような気がするが、どうせ、仏教の教えを和歌に置き換えただけの、あんまり面白くない歌なのだろうぐらいの考えしかなかった。しかし、こうしてゆっくりと「釈教歌」を読んでいくと、仏教という外来の思想・宗教を、わが身の感性を通して我が物にしようというその真摯な態度に心打たれるものがある。

 

 


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日本近代文学の森へ (157) 志賀直哉『暗夜行路』 44 プロスティチュート 「前篇第二  三」その2

2020-06-28 13:37:37 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (157) 志賀直哉『暗夜行路』 44 プロスティチュート 「前篇第二  三」その2

2020.6.28


 

 幼い頃の記憶を書いていくことで、小説を書くという謙作の仕事は、初めのうちは順調に進んだが、やがて、それもうまく行かなくなってきた。

 

 仕事がうまく行かなくなるに従って、生活の単調さが彼を苦しめ始めた。彼の一日一日は総て同じだった。昨日雨で、今日晴れたという他は一日一日が少しも変らなかった。彼は原稿紙の一角ごとに日を書き、それを壁へ貼っておいて、一日一日と消して行った。仕事が出来る間はまだよかったが、気持からも健康からも、それが疲れて来ると、字義通りの消日(しょうじつ)になった。誰からも一人になることが目的であったにしろ、今はその誰もいない孤独さに、彼は堪えられなくなった。下の方を烈しい響をたてて急行の上り列車が通る。烟だけが見える。そしてその響が聴えなくなると、暫くして、遠く弓なりに百足(むかで)のような汽車が見え出す。黒い烟を吐きながら一生懸命に走っている。が、それが、如何にものろ臭く見えた。あれで明日の朝は新橋へ着いているのだと思うと、ちょっと不思議なような、嫉ましい気がした。無為な日を送っている彼自身の明朝までは実際直ぐだった。間もなく汽車は先の出鼻を廻って姿を隠す。

 

 ここのところの、列車への思いが面白い。こんなふうに煙をはく蒸気機関車に引かれる列車を自宅から眺めることができるなんて、今から見れば、羨ましい限りだが、まあそんなことはともかく、いかにものろ臭い列車が、明日の朝には新橋に着くということが、「ちょっと不思議なような、嫉ましい気がした。」というのは、気分としてはよく分かる。自分はといえば、「無為な日を送っている彼自身の明朝までは実際直ぐだった。」というわけだから、その差は歴然である。

 登山などをしているときにも、こうしたことは感じるもので、重い足を一歩一歩前に出していくということは、ひ弱なぼくには辛くて苦しい以外の何ものでもなかったのだが、それを続けていくと、大きな山を二つも三つも越えてしまう。下山して、その越えてきて道筋を目で辿るとき、なんとも「不思議」な思いにとらわれたものだ。あんなに長い距離を、あんなにノロノロ歩きで踏破できたのかという感慨は、この時の謙作とは逆の心境ではあるが。

 これを「継続は力なり」などという教訓に収斂させてはつまらない。無為に過ごす時間は短く、有意に過ごす時間は長いということでもない。尾道でゴロゴロしていた10時間と、列車が新橋まで走っていく10時間は、同じ長さだ。列車が走り続けたということが「継続」ならば、ゴロゴロしていたというのも立派な「継続」だ。

 問題なのは、謙作という人間が過ごす時間と、列車が走る時間とが、生み出すものが違うというだけのことだ。列車が生み出す「距離」に匹敵するものを、謙作は生み出したいのだろうが、そんな比較は無意味だ。無意味だけれども、「嫉ましい」と感じる。そこが面白い。

 謙作はそれでも、東京に帰ろうとは思わなかった。なんとかこの仕事をし遂げようと決心するのだった。

 


 或る北風の強い夕方だった。彼は何処か人のいない所で、思い切り大きな声を出して見ようと思った。そして市(まち)を少し出はずれた浜へ出掛けて行った。其処には瓦焼きの窯が三つほどあって、それが烈しい北風を受け、松の油がジリジリと音を立てながら燃えていた。強い光が夕閤の中で眼を射た。彼は暫くぼんやりそれを眺めていたが、暫くして海辺の石垣の方へ行って、海へ向ってその上へ立った。しかし彼にはうたうべき唄はなかった。彼は無意味に大きい声を出して見た。が、それが如何にも力ない悲し気な声になっていた。寒い北風が背中へ烈しく吹きつける。瓦焼の黒い烟が風に押しつけられて、荒れた燻銀(いぶしぎん)の海の上を、千切れ千切れになって飛んで行く。彼は我ながら腹立たしいほど意気地ない気持になって帰って来た。

 


 なんだかやけに悲壮感が漂うが、しょぼくれた声しかでない自分に、「腹立たしいほど意気地ない気持」になる。

 北風に中で、大きな声を出してみようなんて芝居がかったことを考えたのは、せめて自己陶酔にでも浸りたかったということだろうが、みじめな結果に終わるのも致し方ない。中学生じゃないんだから。
それはそれとして、この海岸の描写は見事なものだ。「瓦焼の黒い烟が風に押しつけられて、荒れた燻銀(いぶしぎん)の海の上を、千切れ千切れになって飛んで行く。」なんて、やっぱり名人芸としかいいようがない。

 その名人芸の後で、こんなヘンテコなエピソードが出て来る。

 


 「旦那さん、銭は俺(わし)が出しますけえ、どうぞ、何処ぞへ連れて行ってつかあさい」こんな上手な事をいう百姓娘のプロスティチュートがあった。丸々と肥った可愛い娘で、娘は愛されているという自信から、よく偽りの悲しげな顔をして、一円、二円の金を彼から巻き上げた。
 或る長閑(のどか)な日の午後だった。彼は向い島の塩田を見に、渡しを渡って行った帰り、島の向う岸まで出て、日頃頭だけしか見ていない百貫島を全体見るつもりで、その方へぶらぶらと歩いて行った。或る丘と丘との間のだらだら坂へかかると彼は上から下りて来る男と女の二人連れを見た。その一人がそのプロスティチュートらしかった。彼は何気なく竹藪について細い路へ曲った。そして十間ほど行った処で立止り、振りかえって、往来の方を見ていた。その娘だった。派手な長い袖の羽織を着て、顔を醜いほどに真白く塗っていた。そして何か浮れた調子で男へ話しかけながら通り過ぎた。男は中折れ帽を眼深く被った番頭という風の若い男だった。

 

 どうということはないシーンなのだが、ここに出て来る「プロスティチュート」という言葉に躓いた。何のこと? と、英語の不得意なぼくは、すぐに調べたら、「売春婦」のことだったのでびっくりしてしまった。とんまな話だが、まさか「プロスティチュート」なんていう観念的な響きのする言葉が「売春婦」を意味するとは。

 そういえば、ちょっと前にJRがキャッチコピーで「デスティネーション キャンペーン」とかいうのをやったとき、「デスティネーション」を「デスティニイ(運命)」の親類だろうと勝手に思って(まあ一種の親戚ではあろうけど)、ずいぶん深刻なキャンペーンだなあと不思議に思ったことがある。

 それにしても、なんで志賀直哉は、こんなところで「プロスティチュート」なんて言葉を持ち出したのだろうか。当時のはやりだったのだろうか。大正時代というのは、結構外来語が持てはやされたような気もする。大正時代ではなくても、昭和のころは、「妻」のことを「ワイフ」なんていうオジサンがずいぶんいたけれど、最近はとんときかない。

 ところで、この百姓娘の「プロスティチュート」の「偽りの悲しげな顔」にほだされて、「一円、二円の金」を巻き上げられたというのは、どういうことなのか。ただ、可愛そうだから金をくれてやったということなのか、それとも、その「プロスティチュート」と遊んだのか。よく分からない。

 分からないけれど、その娘が、他の男と連れだって歩いているところをつけていって、派手な羽織を着ているだの、顔を醜いほど白く塗っているだの、浮かれた調子で話しているだの、となんとなくイチャモンをつけるような書き方に、うっすらと「嫉妬」めいた気分が入っているようにも感じられて、面白い。

 「暗夜行路」は長編小説じゃなくて、短編の寄せ集めみたいなものだと言われることがよくあるようだが、それには一理あると思う。緊密な構成をもつ長編小説なら、こんな「プロスティチュート」のエピソードなんていらない。この娘が後で重要な役割を果たすというならともかく、そんなことはなさそうだし。

 しかし、こうした不要のようなエピソードの一つ一つが、妙な実感と魅力を持っていることも確かで、たとえば、この百姓娘の「プロスティチュート」を主人公にした短篇は簡単にできそうではないか。そういう想像をかき立てるほど、この「プロスティチュート」の百姓娘は、輪郭がくっきり描かれている。

 そういう目でみると、この「暗夜行路」のいたるところに、「短編小説の種」が転がっていることに気づかされるのである。

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (156) 志賀直哉『暗夜行路』 43 音の情景 「前篇第二  三」その1

2020-06-19 10:46:57 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (156) 志賀直哉『暗夜行路』 43 音の情景 「前篇第二  三」その1

2020.6.19


 

  謙作の尾道での生活が始まった。

 

 謙作の寓居は三軒の小さい棟割長屋の一番奥にあった。隣は人のいい老夫婦でその婆さんに食事、洗濯その他の世話を頼んだ。その先きに松川という四十ばかりのノラクラ者がいて、自分の細君を町の宿屋へ仲居に出して、それから毎日少しずつの小使銭を貰って酒を飲んでいるという男だった。
 景色はいい処だった。寝ころんでいて色々な物が見えた。前の島に造船所がある。其処で朝からカーンカーンと鉄槌(かなづち)を響かせている。同じ島の左手の山の中腹に石切り場があって、松林の中で石切人足が絶えず唄を歌いながら石を切り出している。その声は市(まち)の遥か高い処を通って直接彼のいる処に聴えて来た。
 夕方、伸び伸びした心持で、狭い濡縁へ腰かけていると、下の方の商家の屋根の物干しで、沈みかけた太陽の方を向いて子供が根棒を振っているのが小さく見える。その上を白い鳩が五、六羽忙(せわ)しそうに飛び廻っている。そして陽を受けた羽根が桃色にキラキラと光る。
 六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、また一っ、また一つ、それが遠くから帰って来る。その頃から、昼間は向い島の山と山との間にちょっと頭を見せている百貫島(ひゃっかんじま)の燈台が光り出す。それはピカリと光ってまた消える。造船所の銅を熔かしたような火が水に映り出す。
 十時になると多度津(たどつ)通いの連絡船が汽笛をならしながら帰って来る。紬(へさき)の赤と緑の灯り、甲板の黄色く見える電燈、それらを美しい縄でも振るように水に映しながら進んで来る。もう市からは何の騒がしい音も聴えなくなって、船頭たちのする高話(たかばなし)の声が手に取るように彼の処まで聞えて来る。


 いい文章である。最初の一段落だけで、謙作の住む長屋のあらましがはっきりと分かる。隣の婆さんに食事、洗濯の世話を気軽に頼めるのだから楽なもんである。もちろん、タダじゃないだろうが、それほどの額でもあるまい。謙作が金持ちだからというだけではなくて、何か、こうした生活がごく普通に成り立ってしまうというのんきな世界は、現在ではほぼないだろう。

 松川という「ノラクラ者」にも、そののんきな世界が垣間見える。謙作だって、親の金でこんなところに一人で住んで、小説を書こうというのだから、「ノラクラ者」には違いがない。

 家から見える景色の描写も素晴らしい。特に「音」が効果的だ。造船所から聞こえてくるカーンカーンという金槌の音、石切人足の歌声、千光寺の鐘の音、多度津通いの連絡船の汽笛の音、そして、静かになった町に響く船頭たちの高話(大声で話すこと)の声。それらが、目に入る情景を緊密に結びつけ、また情景に奥行きを与えている。

 それにしても、こうした音が坂道の途中にある謙作の家に聞こえてくるということは、いかに、当時の世の中が静かだったかという証である。「前の島」がいくら近いとはいえ、その金槌の音や人足の歌が聞こえてくるというのは、驚きだ。

 そして特に、静寂が訪れた町に「手に取るように彼の処まで聞えて来る」船頭たちの声が印象的。しずかな町の息づかいが聞こえてくるようだ。

 謙作の部屋はどんなだったか。ずいぶんと細かい描写が続く。

 


 彼の家は表が六畳、裏が三畳、それに士間の台所、それだけの家(うち)だった。畳や障子は新しくしたが、壁は傷だらけだった。彼は町から美しい更紗の布を買って来て、そのきたない処を隠した。それで隠しきれない小さい傷は造花の材料にする繻子(しゅす)の木の葉をピンで留めて隠した。とにかく、家は安普請で、瓦斯ストーヴと瓦斯のカンテキとを一緒に焚けば狭いだけに八十度までは温める事が出来たが、それを消すと直ぐ冷えてしまう。寒い風の吹く夜などには二枚続の毛布を二枚障子の内側につるして、戸外(そと)からの寒さを防いだ。それでも雨戸の隙から吹き込む風でその毛布が始終動いた。畳は表は新しかったが、台が波打っているので、うっかり坐りを見ずに平ったい薤(らっきょう)の瓶を置くと、倒した。その上畳と畳の間がすいていて、其処から風を吹き上げるので、彼は読かけの雑誌ちぎひばしを読んだ処から、千切り千切り、それを巻いて火箸でその隙へ押込んだ。

                             *(注:カンテキ=「しちりん」のこと。関西地方の方言。 八十度=華氏80度。摂氏では26.7度ほど)

 

 外の世界は、あっさりと描きながら、この小さな部屋の様子は、微に入り細に入り書き込んでいる。壁の傷を隠すために、「造花の材料にする繻子(しゅす)の木の葉」なんか持ってくるなんて、芸が細かい。このあたりは、事実をそのまま書いたのだろう。とてもフィクションではここまで書けない。

 こうして、なんとか尾道での生活を始めた謙作は、「計画の長い仕事」にとりかかる。それは、「自分の幼時から現在までの自伝的なもの」であった。つまりは自伝的な小説ということだろう。

 謙作の頭には幼いころの思い出が次々と浮かんでくるのだが、中でも、妙に印象的な思い出がある。


本郷竜岡町の家へ引移ったのは父が帰朝して間もなくの事だった。ある時女中に負ぶさって父の食パンを買いに上野の山下の方へ行った帰途、池の端で亀の子を見ていると、通りすがりの綺麗な奥さんが、彼が女中の背中で持たされていた食パンを包みのままツイと引き抜いて持って行ってしまった事、


 これだけのことだが、なんとも、不思議なことがあるものだ。今の世の中で、背中におぶさった幼児(も、実はほとんどいないが)が持っている食べ物を、「ツイと引き抜いて持って行ってしまう」人なんているだろうか。どう想像力を働かせても、そんな人を思い浮かべることができない。その「綺麗な奥さん」がどうのこうのというよりも、時代の空気みたいなものを感じるといったら大げさだろうか。

 その点、次のようなエピーソードには普遍性がある。そしてこの「暗夜行路」全体の問題にもつながるものがある。


そしてそれらは、何れも毒にも薬にもならないようなものが多かったが、ただ一つ、まだ茗荷谷(みょうがだに)にいた頃に、母と一緒に寝ていて、母のよく寝入ったのを幸い、床の中に深くもぐって行ったという記憶があった。間もなく彼は眠っていると思った母から烈しく手をつねられた。そして、邪慳に枕まで引き上げられた。しかし母はそれなり全く眠った人のように眼も開かず、口もきかなかった。彼は自分のした事を恥じ、自分のした事の意味が大人と変らずに解った。この憶い出は、彼に不思議な気をさした。恥ずべき記憶でもあったが、不思議な気のする記憶だった。何が彼にそういう事をさせたか、好奇心か、衝動か、好奇心なら何故それほどに恥じたか、衝動とすれば誰にも既にその頃からそれが現われるものか、彼には見当がつかなかった。恥じた所に何かしらそうばかりはいいきれない所もあったが、三つか四つの子供に対し、それを道徳的に批判する気はしなかった。前の人のそういう惰性、そんな気も彼はした。こんな事でも因果が子に報いる、と思うと、彼はちょっと悲惨な気がした。

 

 

 

 

 


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一日一書 1638 寂然法門百首 23

2020-06-18 10:03:03 | 一日一書

 

菩薩清涼月遊於畢竟空

 

雲晴れてむなしき空にすみながらうき世中(よのなか)を廻る月かな
 

 

半紙

 

 

【題出典】『華厳経』四三
 

【題意】 菩薩清涼月遊於畢竟空

  菩薩の清涼なる月は、究極絶対の空に澄んで(光を垂れている迷いの三界を照らす。)
 

【歌の通釈】

雲が晴れて虚空に澄みながらも、憂き世の中を廻る月よ。(煩悩が晴れて究極絶対の空に住みながらも、憂き世の中を廻る月であるよ。)


【考】

菩薩は究極絶対の空に住みながらも、衆生を救うために三界の憂き世をめぐる。これを、秋の「月」が晴れた大空に澄みながら、下界を照らすことになぞらえて表現したもの。澄みきった崇高な秋の月が善く地上を照らす姿に、菩薩の利他の行の姿を見る。


(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


 

「清涼月」というのは、どうしても日本では「秋の月」のイメージになりますね。「華厳経」では、必ずしも秋という限定はないのですが。

この歌を知ると、秋の月に、「菩薩」を見るようになるのかもしれません。


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一日一書 1637 一日物云はず蝶の影さす 尾崎放哉

2020-06-16 13:47:01 | 一日一書

 

尾崎放哉

 

一日物云はず蝶の影さす

 

半紙

 

 

静謐な時間が流れています。

 

 

 

 

 


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