Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

「失われた時を求めて」を読む 3 「快感」のありか、そして「思い出」 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その3

2023-05-31 15:46:15 | 「失われた時を求めて」を読む

「失われた時を求めて」を読む 3 「快感」のありか、そして「思い出」 《第1篇 スワン家の方へ(1)第一部 コンブレー》 その3

2023.5.31


 

 ときには寝ているあいだにおかしな姿勢となった私の股(もも)から、アダムの肋骨からイヴが生まれたように、ひとりの女が生まれることがあった。いまにも味わおうとする快感からつくり出された女なのに、その女が私に快感を与えてくれていると想いこむ始末である。身体のほうは、私自身のほてりを女の身体のほてりと感じて、それと一体になろうとするが、そこで目が覚める。今しがた別れたこの女と比べると、ほかの人間がずいぶん縁遠い存在に思えるのも当然で、私の頬はいまだ女の接吻にほてり、身体は女の胴体の重みでぐったりしていた。ときにその女が実際に知っている女性の目鼻立ちをしていようものなら、なんとしてもその女を探し出そうとやっきになる。旅に出て念願の都市をこの目で見れば、夢の魅力が現実に味わえると想いこむ人と同じである。すこしずつ娘の想い出も消えてゆき、夢に出てきた娘のことはもう忘れている。

 


 初めて読んだのは、井上究一郎の訳で、この最初の部分は「ときには睡眠の途中で、あたかもアダムの肋骨からイヴが生まれたように、一人の女が私の腿の寝ちがえの位置から生まれてきた。」とあったので、どう解釈していいのか戸惑ったものだ。「私の腿の寝ちがえの位置」とは何なのか? とずいぶん悩んだ。首が「寝違える」ことはあるけれど、腿(もも)が寝違えるなんてありえない。とはいうものの、今朝、起きたら、膝が「寝違えた」らしくて、ものすごく痛くて歩けないほど。しばらくして治ったけれど、まあ、そういう「寝違え」は、あるよね。でも、それじゃ、痛いだけで、「快感」にはほど遠い。

 それが、今回読んでいる吉川一義の訳では、「おかしな姿勢となった私の股(もも)」となっていて、あっさり疑問氷解。

 井上訳では「もも」を「腿」と表記しているが、吉川訳では「股」としている。原語がなんであるのか分からないので、悲しいが、「腿」はどちらかというと「もも」から「あし」にかけてを指すし、「股」は「もも」とも読むし、「また」とも読む。つまりは、井上訳では、なんとなく、膝の周囲をイメージさせるのに対して、井上訳では、「また」に近い部分をイメージさせる。つまりは、井上訳のほうが分かりやすいということだ。

 夢の中で、寝返りをうっているうちに、「また」のあたりが、むずむずと快感を感じてきたのを、「ひとりの女が生まれてきた」と例えたわけだ。これが「膝あたり」だと、痛いだけになってしまう。

 それにしても、「アダムの肋骨からイヴが生まれたように、ひとりの女が生まれることがあった。」という表現は二重の比喩になっていて、巧みだ。「アダムの肋骨からイヴが生まれたように」という直喩は、ストレートに、「性の起源」を示し、「ひとりの女が生まれてきた」という暗喩は、快感というものの不思議さを示している。

 夢の中で、「わたし」と「おんな」は、体を重ね、「わたし」は快感を味わうのだが、やがて味わっている当の身体は、「わたし」か「おんな」か判別がつかない状態となるという。そういうわけのわからない感覚が、夢にはあって、おもしろい。


 人は眠っていても、自分をとり巻くさまざまな時間の糸、さまざまな歳月と世界の序列を手放さずにいる。目覚めると本能的にそれを調べ、一瞬のうちに自分のいる地点と目覚めまでに経過した時間をそこに読みとるのだが、序列がこんがらがったり、途切れてしまったりすることがある。かりに眠れないまま明けがた近くになり、本を読んでいる最中、ふだん寝ているのとずいぶん違う恰好で眠りに落ちたりすると、片腕を持ちあげているだけで太陽の歩みを止め、後退させることさえできるので、目覚めた最初の瞬間には、もはや時刻がわからず、寝ようと横になったところだと考えるかもしれない。眠るにはさらに場違いな、ふだんとかけ離れた姿勢、たとえば夕食後に肘掛け椅子に座ったままでうとうとしたりすると、その場合、大混乱は必至で、すべての世界が軌道を外れ、肘掛け椅子は魔法の椅子となって眠る人を猛スピードで時間と空間のなかを駆けめぐらせるから、まぶたを開けるときには、数ヵ月前の、べつの土地で横になっていると思うかもしれない。

 


 ここの最初の部分は、今度は、井上訳のほうがいい。こうなっている。


眠っている人は、時間の糸、歳月や自然界の秩序を、自分のまわりに輪のように巻きつけている。

 


 ずいぶん雰囲気が違うなあ。吉川訳は、「手放さずにいる」となっているところを、井上訳では「輪のように巻きつけている」となっている。こういうのは、やっぱり原語で確かめたいものだが、「時間の糸」を「手放さない」という能動性より、「巻きつけている」のなんとなく受動性が勝っているほうがいいように思う。なんだか、こっちのほうが、蚕の繭みたいなイメージで魅力的だし。

 まあ、吉川訳に従おう。起きている間は、ぼくらは時間の糸を基本的には手放さない。つまりは、時間の流れにそって正確に過ごしている。もっとも、ぼくの場合、ときにぼんやりして、自分のいる場所や時間を忘れてしまうこともあるが、まあ、それも、いっときのことだ。しかし、プルーストによれば、人間は、寝ているときも、その「時間の糸」を手放さないのだという。だから、眠りの中でも、いつも自分がいつの時間を生きているのかを把握しようと努力する。けれども、それが大混乱してしまうこともある。

 この引用部分のさいごのくだりは、H・Gウェルズの「タイム・マシン」を踏まえたものだと「注」にある。プルーストは、1871〜1922、H・Gウェルズは、1866〜1946だから、なるほど同時代人なのだ。こういう「注」が充実しているのが、岩波文庫版の特徴だ。ありがたい。

 プルーストが「タイム・マシン」に関心をもったのは当然のことで、「失われた時を求めて」は、全編が「タイム・マシン」への憧れに満ちているともいえるわけである。

 

ベッドで寝ていても、眠りが深くなり、精神が完全に弛緩すると、それだけで精神は寝入った場所の地図を手放してしまう。すると夜のただなかに目覚めたとき、自分がどこにいるのかわからないので、最初の一瞬、私には自分がだれなのかさえわからない。私は、動物の内部にも微かに揺らめいている存在感をごく原初の単純なかたちで感じるだけで、穴居時代の人よりも無一物である。しかしそのとき想い出が── 私が実際にいる場所の想い出ではなく、私がかつて住んだことがあり、そこにいる可能性があるいくつかの場所の想い出が──まるで天の救いのようにやって来て、ひとりでは脱出できない虚無から私を救い出してくれるのだ。かくして私は、何世紀にもわたる文明の歴史を一瞬のうちに飛びこえるのだが、すると、ぼんやりとかいま見た石油ランプや、つぎにあらわれた折り襟のシャツなどのイメージが、すこしずつ私の自我に固有の特徴を再構成してくれるのである。

 


 夜中に目覚めたとき、自分が誰だから分からなくなるというような体験をぼくはしたことがないが、プルーストは何度もしたのだろう。そのとき、「私は、動物の内部にも微かに揺らめいている存在感をごく原初の単純なかたちで感じる」というのだ。なんとも、魅力的な部分。もしも、ぼくらが、ゾウリムシなんかの「存在感」を「原初の単純なかたち」で感じることができたら、どんなにおもしろいだろう。

 深い眠りの中で、精神が弛緩してしまうと、目覚めたときに、自分が何ものであるか分からなくなってしまい、一匹の動物でしかなくなってしまう。その「絶望的」状況から、自分の精神を救ってくれるのは、「思い出」なのだ。そう「思い出」こそが、自分を「構成」しているのだ。

 こうして読んできて、つくづく思うのは、「自分」というのはいったい何なのだろう? ということだ。こんなことは、さんざん言い古されてきたことで、今更問うべきことではないのだろうが、しかし、たとえば、50年まえの自分と、今の自分が、「同じ人間」であるという確証は、どこで得られるのかといえば、やっぱり「思い出」にしかないということになるだろう。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本近代文学の森へ 243 志賀直哉『暗夜行路』 130 夜泣き 「後篇第三  十八」 その2

2023-05-27 13:57:28 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 243 志賀直哉『暗夜行路』 130 夜泣き 「後篇第三  十八」 その2

2023.5.27


 

 一週間は至極無事に過ぎ、そして八日目の夜になって、もう皆床に就いてから赤児が泣き出し、どうしても、それを止(や)めなかった。乳首を含ませるとちょっとの間泣き止むが、直ぐまた泣いた。臍(へそ)を調べて見たが、どうもなく、もし虫にでも刺されているのではないかと、着物を総て取更(とりか)えてみたが、それでも泣き止まなかった。原因が分らないだけに変に不安を感じた。熱を計ると、少し高かった。
 「どうだろう、Kさんに来てもらおうか」
 「そうね。その方がいいかも知れませんわ」直子も不安そうにいった。
 しかし間もなく、赤児は泣き疲れたように段々声を落して行って、しまいに泣き止んだ。そして安らかな呼吸(いき)をしながらよく眠入(ねい)った。
 「どうしたんだろう?」謙作はほっとするような気持で直子を見た。直子は、
 「よかったわ」といった。
 「よう夜啼きちゅう事をされる《やや》はんがござりまっせ」と仙がいった。そして仙は天井に「鬼の念仏」を張るといいといって、それを勧めた。
 赤児は続いてよく眠っていた。皆は出来るだけ静かに自分たちの寝床へ還った。謙作は独り二階の書斎に寝ながら、やはりなかなか眠むれなかった。そして直子もきっと眠むれずにいるだろうと思った。産褥にいる直子は昼間も時々眠っていたからなお眠むれないに違いなかった。しかし赤児を覚ます恐れから彼は降りて行く事も出来なかった。

 

(注)鬼の念仏=大津絵の有名な画題の一つ。鬼が法衣を着て、傘を負い、奉加帳.鉦(かね)、撞木(しゅもく)をもっている。子供の夜泣きを防ぐためのおまじないに使われた。〈岩波文庫・注〉

こちらに画像があります。

 


 ここから、この小説はいきなりドラマチックな展開をみせる。生後一週間という赤児は、丹毒という病気に冒され、死んでしまうのである。この経緯を志賀直哉は、こと細かに描いていく。読んでいて苦しくなるほどだ。

 現在の日本人の平均寿命は、男性が81歳、女性が87歳だが、大正時代は、男女ともに50歳に満たなかった。それは、乳幼児の死亡率が非常に高かったからで、みんな50歳で死んだということではもちろんない。

 お七夜とか、七五三とかいったお祝いも、そういう乳幼児の死亡率の高さゆえに、みなある種の感慨をもって祝われたのだろう。

 明治、大正の文学者でも、子どもを亡くした人が多い。有名なのは島崎藤村で、彼は小説「破戒」を書くために幼い子どもを餓死させたなどと言われるが、それは乱暴な話で、経済的困窮の中で小説執筆に没頭し、子どもが栄養失調で死亡したということだろう。縮めていえば「餓死させた」となるわけで、そういわれても仕方のないことかもしれない。室生犀星も長男を幼くして失い、その悲しみから「忘春詩集」が生まれた。また、中原中也も子どもを失い、自分もその悲しみを抱えて死んでいった。

 志賀直哉も、結婚後、転居を繰り返したあげくに住んだ我孫子で、長女慧子を失うという体験をしている。この体験が、この部分に生かされているそうである。直謙の死に至る経緯が、詳細をきわめるのも、そのためだろう。

 ところで、仙が言い出した「鬼の念仏」だが、岩波文庫の注によれば、大津絵の代表的な絵だという。なるほど、調べてみると、この絵はどこかで見た覚えがある。この絵が、夜泣きに効くとは知らなかった。ぼくの長男も、夜泣きがひどくて往生したのだが、それを聞いた父が、この絵を逆さにして枕元に貼っておけと、自分で描いた(のだと思う)鬼の絵を持ってきてくれたことがある。その絵が鬼だったことはよく覚えているが、どんな鬼だったかははっきりとは覚えていない。ひょっとしたら、この大津絵をまねたものだったのかもしれない。少なくとも、鬼の絵が夜泣き封じになるということは、父が勝手に思いついたことでないことは確かなようだ。


 彼は気を更(か)えるために気楽な本を読んでいた。暫くすると階下の茶の間でボンボン時計の十二時を打つのが聴こえた。そして赤児はまた泣き出した。直子と看護婦と何かいってる声がして来た。彼は二階を降りて行った。
直子は床の上に坐って赤児を抱いていた。赤児は出来るだけの声を出して泣いていた。
「時計、どうか出来なくって? あれで眼が覚めたのよ」直子は謙作を見上げ、腹立たしそうにいった。
「止(と)めておこう」
「ええ、そうして頂戴。──あの時計、これから使わなくてもいいわ」と直子はいった。
謙作は茶の間へ行って時計を止めて来た。直子は切(しき)りと乳を呑まそうとしたが、赤児はなかなかその乳首を口に含もうとはしなかった。
「とにかく、近所の医者にでもちょっと見せておこうじゃないか。Kさんといっても今からでは遠くて少し気の毒だし、それにまた直ぐ泣き止むだろうと思うし」
「ええ……」
「そんなら早速、俺が自分で行って来よう」

 


 「ボンボン時計」が生きている。この時計に直子は八つ当たりしているが、それが、どこか謙作への怒りにも思える、というのは深読みすぎるだろうか。

 「時計、どうか出来なくって? あれで眼が覚めたのよ」という言葉には、自分で気づいてどうにか出来ないのか、といった、謙作に対する非難めいた語気があるし、あの時計のせいだ、というのは、煎じ詰めればあんな時計を買ったあなたのせいだ、となりうる。しかも、謙作が「止めておこう」というと、そうしてくれというだけでは足りなくて、「あの時計、これから使わなくてもいいわ」とたたみかける。そこまでその時計を目の敵にするのは、直子の切迫した心情故だろうが、どこかに、謙作への怒りを抱えているともとれる。

 直子は謙作のなにが気に食わないのか、といっても、ほんとうに謙作が「気に食わない」と書かれているわけではない。ただ、感じられるというだけだ。まして、その原因がどこにあるのか、と考えても、明確に答はでない。

 こうしたことは、結婚生活を何十年か経験すれば、だれにだって思い当たるフシはあるだろう。妻、あるいは夫の、まったく理由が分からない「不機嫌」などは、結婚生活のいたるところに転がっている。

 ただ、謙作と直子は、まだ結婚してそう年月が経っていない。それでも、子どもの具合が悪いという事態に直面して、気分が動揺しているにせよ、直子の謙作への不満が噴出しているように感じられるのだ。この子の具合が悪いのは、あなたのせいだ、と言わんばかり。その不満あるいは怒りはどこから来るのか。もうすぐ子どもが生まれようとしているのに、夜中に鞍馬の火祭見物に出かけてしまうような謙作に対する怒り、と、考えられなくもない。


 謙作は台所口から直ぐ戸外(そと)へ出た。戸外は風の少しもない、曇った真暗な晩だった。彼は歩いたり、馳けたりしながら行った。近所の医者としては、彼は、五町ほどある御前通(おんまえどお)りに仕舞屋(しもたや)のような格子の填(は)まった家で、ただ「医」とした軒燈を出してある家きり知らなかったので、そこへ行った。二、三度叩くと戸の内(なか)から、
「何御用」という女の声がした。


 しばらく、声だけのこの女とのやりとりがあり、やがて女が出てきた。


 「お待たせ致しました」女は寝間着姿で、瘠(や)せたせた脊(せ)の高い見すぼらしい女だった。
 医者は中で着物を更えていた。これも見るから見すぼらしい小男で、年は謙作よりも少し上らしく、薄い天神髭を物欲しそうに生やしていた。医者は帯をしめながら、
 「どんな御様子ですか?」といった。
 「ただ無閤と泣き続けるだけで、原因が分らないのです」
 医者は今になって、かえって忙しそうに出て来て、
 「お待たせしました」といった。
 「こんなに晩(おそ)くお願いして──」
 「いや。それじゃ直ぐお供致しましょう」こんな風にしきりと調子よくしようとした。
 少し酒に酔っているらしかった。謙作にはこの医者が如何にも頼りなく思われた。気の毒でもやはりK氏を頼めばよかったと思った。途々(みちみち)医者は生後幾日目かとか、母親に脚気(かっけ)の気はないかとか、そういう事を少し訊いた後で、何時から京都へ来たか、そして何のために、というような要らざる事まで訊き出した。謙作はなるべくそういう話を避けるために医者よりも一卜足先に歩いた。小さい医者はそれに遅れまいと息を切りながら、ついて来た。


 出てきたのは、「見すぼらしい」女と医者。

 医者の話をうるさがって、さっさと先を行く謙作を、息を切りながらついて来る「小さい医者」の姿が鮮明にイメージされる。最初に出てきた女が、背が高い女だったことで、更にこの医者の「小ささ」が際立つ。細かいところだが、志賀直哉のうまいところだ。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本近代文学の森へ 242 志賀直哉『暗夜行路』 129 「総て順調」? 「後篇第三  十八」 その1

2023-05-16 10:15:33 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 242 志賀直哉『暗夜行路』 129 「総て順調」? 「後篇第三  十八」 その1

2023.5.16


 

 総(すべ)て順調に行った。謙作は時々眠っている赤児を覗きに行った。しかし、それは一種の好奇心のようなものからで、これが自身の肉親の子であるという事は、どうも、しっくり来なかった。彼は何か危っかしい感じで、抱いて見たいとも思わなかった。直子の方はもう本統に母親になり切っていた。乳の時間が来て、寝ながらそれをやっている時の様子などには如何にも落着きがあった。そして赤児も安心し切って鼻を埋める位に吸いついている所などを見ると、謙作はそれを大変美しい物のようにも思うし、またどうかしてそれが白い乳房にえたいの知れぬものが喰い入っているような感じで気味悪く感ずる事もあった。それはこれまでこういう生れたての赤児を見る機会が彼にはほとんどなかったからでもある。


 生まれたての赤ん坊を見て、「奈良の博物館の座頭の面」みたいだというようなことを言っていた謙作だが、そんな笑えない冗談も口をついて出るほど、なんとなく、この赤ん坊が気に入らないといった風情だった。生まれたての赤ん坊に、そうした「変な感じ」を持つのは、謙作に限ったことではないにしろ、そこになんだか、謙作特有の感覚が感じられる。それが謙作の出生に関わっているのだろうということは容易に察することができる。

 「総て順調」だったにもかかわらず、謙作の中の一種の違和感は、どうしても拭いきれない。時々赤ん坊を覗きにいくが、それは愛情からではなくて「好奇心」からだといい、しかも「これが自身の肉親の子であるという事は、どうも、しっくり来なかった。」とまで言うのだ。

 我が身を引き裂いて生まれてくる赤ん坊が自分の子であるということは、母親には疑いようもない事実だが、父親にとっては、それは、突然目の前に現れる何か得体の知れないものでしかない。それが「自身の肉親の子」であるということを父親が実感するには、いったい何が必要なのだろうか。

 もちろん、謙作は、直子の「浮気」などを疑っているわけではない。それは100パーセントないことは分かっているはずだ。ここでの問題はそういうことではなくて、もっと生物学的な問題である。子どもが生まれる原因は、自分にあることは事実だし、それ故に子どもは生まれてくる。しかし、「あのこと」が、ここにこうして生身の赤ん坊が出現したということと、直接につながっているのだという実感がないのだ。

 一般的にいえば、謙作の「しっくり来ない」という感じは、そういうことだ。けれども、この場合はそれだけではない。謙作は、自分の本当の父が実は祖父であるということを、まったく知らずに大人になった。そしてある日、それを知らされた。その衝撃は、計り知れなく大きい。自分が父だと疑うこともなかった人が、突然父ではないと知らされた。この人は父ではなかったのだ、と知ったとき、謙作にとっては、父と子という関係は、永遠に理解不能なものとなってしまったのではなかろうか。

 その謙作が、今、目の前にいる赤ん坊が、「自分の肉親の子」であるということを素直に受け入れられないとしても、少しも不思議ではないだろう。自分が祖父の子であるなんてまるで思ってもいなかったことが事実であったのだから、今自分がこの赤ん坊の父ではないというようなまるで思いもつかないことが、ある日、事実であると告げられることが絶対にないとはいえないだろう、そう謙作は、どこかで思っている、あるいは感じているのかもしれない。

 

 敦賀の方からは誰れも出て来なかった。母はもう少し後でなければ出られず、直ぐ飛んで来るはずの伯母は持病の神経痛で動けずにいるという便りがあった。しかし直子は別にそれを淋しがらなかった。お七夜という祝い日が近づき、早く名を命(つ)けねばならなかったが、なかなか気に入った名が浮ばず、結局直子の直と謙作の謙とを取って、直謙(なおのり)としたが、赤児には何か厳(いか)めし過ぎて、気に入らなかった。「もっともいつまで赤坊(あかんぼ)でいるわけでもないから」と彼はそれに決めた。

 

 「総て順調」というわりには、なんだか、ことはすんなりとは進まない。直子の実家から誰も来ないということは、「順調」とはいえない。直子の母や伯母が、それこそ「飛んで来」てこそ、この赤ん坊が真に祝福されていることの証であろう。

 赤ん坊の命名にしても、「直謙」なんて、いかにも安直ではないか。最初からそう決めていたのならともかく、気に入った名が浮ばなかったので、しょうがないので、そういう名を思いついたといった感じで、しかも、「厳めしすぎて気に入らない」。喜びをもって、命名するという雰囲気がどこにもない。すべてイヤイヤやっている感じだ。

 もっとも、この「厳めしすぎて気に入らない」というのはよく分かる。だから、生まれた赤ん坊には、なるべくカワイイ名前をつけようとする。しかし、その子が「いつまでも赤ん坊でいるわけではない」のも事実で、その結果、将来、カワイイ名前のオバアチャンが続出することになる。それくらいなら、「厳めしすぎて」も、「いつまでも赤ん坊でいるわけではない」からそのほうがいいやという判断も、極めてまっとうなもので、そのことを非難してもしょうがないのだが、謙作が「それに決めた」という口ぶりが、どうにも、情熱に欠けるのである。

 ただ、命名というのは、なかなか難しいもので、これに決めたと思っても、その名前がその子になじむまでには、ずいぶんと時間がかかるものだ。そういうことを思えば、この時の謙作の「情熱のなさ」といったようなことも、それは情熱がないのではなく、誰もが感じる難しさなのだとも言えよう。

 しかし、こうした赤ん坊をめぐるなんとなくギクシャクした感じが、この後の展開の伏線になっていることは確かである。

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする