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一日一書 1589 寂然法門百首 16

2020-02-29 20:37:57 | 一日一書

 

如蓮華在水

 

水の面(おも)にいづる蓮(はちす)の色はみなこの世のほかのものとこそみれ
 

半紙

 

【題出典】『法華経』

【題意】 如蓮華在水 

(菩薩が世間の俗事に染まらないことは)蓮華が泥水の上に咲いているようなものだ。

 

【歌の通釈】

濁った水面に咲く花の色(地から湧き出る菩薩)はみな、この世の他のものと見えるよ。

【考】

煩悩に染まらない地湧の菩薩の出現を、泥水の上に咲く崇高な「蓮」の開花によって詠んだ。「蓮葉の濁りにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく」(古今集・夏・一六五・遍昭)は、この法華経題の箇所をふまえて詠んだもの。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


泥水の上に咲く信じられないほど清楚な蓮の花を一度でも見た者は、やはり驚きを禁じ得ないでしょう。ここに、「蓮」と「泥・水」との対比が生まれ、さまざまな比喩を生み出すわけです。

「地湧の菩薩」というのは、上掲書によれば、「『法華経』湧出品で、娑婆世界の下の虚空から出現した無数の菩薩のこと。」という。ここで「虚空」というのは、おそらく「虚空無為のこと。三無為または六無為の一つ。無為とは因縁によって造られたものでない、生滅変化とかかわらない常住絶対なものであるから、さまざまな障碍しょうげを離れた、この障碍のないところにあらわれた真如(永遠普遍の真実)を虚空無為という。」(仏教語大辞典)を指すのでしょう。難しいですが、少なくとも猥雑な「この世」とは隔絶した純粋な世界とでもいうべきものでしょう。そこから湧き出た「菩薩」とは「もと釈尊の前生における呼称。大乗仏教が興って以後、修行の末、未来に仏になるときまった者の意に用いるようになったもの。」(仏教語大辞典)ということになりますが、ここに出て来る「地湧の菩薩」というのは、昔からの釈迦の弟子のようです。

どこまでいっても、分からないことだらけなのは、「法華経」をちゃんとぼくが読んでいないからで、まあ、ここでは、泥水の上に咲く蓮の花は、この世のものじゃない、という意味だけをとっておきます。

キリスト教の方でも、特にカトリックでは「聖母の無原罪」という教義があります。聖母マリアは、常人とはちがって、原罪がないという考え方で、これもある意味、「地湧の菩薩」に似ているところがあります。

神聖極まるものは、この世の汚れから自由であり、隔絶している、という考え方は、この世の汚れがそれほどまでに深刻なものだという認識を背景にしているのではないでしょうか。汚れないのない存在に対したときの、己の絶望。その絶望ゆえにこそ、「あこがれ」は生まれ、「信仰」も生ずる。

泥水の中からスッと空中に直立して、大きな清楚な花を咲かせる蓮の花のイメージは、しかし、「汚れ」と「崇高」の隔絶よりも、もっと神秘的な「融合」を示唆しているともいえるのではないでしょうか。

人間ならぬ神そのものである「イエス」は、「子」として、「人間」から生まれたのでした。とすれば、聖母マリアは、「人間」でも、「神」でもない、独特な存在であり、この蓮の花のイメージでいえば、「泥水」ならぬ「水」ということになるのかもしれません。そんな勝手な想像を逞しくしていると、また不思議な気分になってきます。


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一日一書 1588 ひらひらと月光降りぬ貝割菜・川端茅舎

2020-02-25 22:00:56 | 一日一書

 

川端茅舎

 

ひらひらと月光降りぬ貝割菜

 

半紙

 

 

夢のように美しい句。

 

 


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一日一書 1587 楽寧 カレンダー

2020-02-24 13:28:46 | 一日一書

 

楽寧

 

カレンダー

 

 

通っている書道教室での課題「カレンダーを作ろう」ということで。

「楽寧」の意味はよく分からないのですが

まあ、「楽しく、静かに」とか、「静かな楽しみ」とかいったところでしょうか。

 

 

 


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日本近代文学の森へ (145) 志賀直哉『暗夜行路』 32 リアルな現実 「前篇第一  八」 その1

2020-02-23 10:21:48 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (145) 志賀直哉『暗夜行路』 32 リアルな現実 「前篇第一  八」 その1

2020.2.23


 

 暫く上方の旅をしていた宮本という謙作よりは年下の友達が、松茸の籠を下げて訪ねて来た。


 謙作が家でこの宮本と話をしているとき、清賓亭から電話がきて、お加代がこっちへこないかと誘ってきた。聞けば、緒方もいるらしい。謙作は、緒方と一緒に家にこないか、こっちには松茸があるからというのだが、加代子はめんどくさがって承知しない。それで、謙作は、宮本と一緒に清賓亭に出かけていく。

 清賓亭では、緒方がお鈴とお加代相手にウイスキーを飲んでいた。

 急に緒方が言った。

 

「オイ、君々」と緒方はお鈴の膝を叩いて、「橋善の天ぷらで日本酒を飲もう」といった。
「天ぶらは見るのも苦労らしいな」と内気らしく宮本がいった。
「いやかい? そんならよそう」
「本統にそうですよ。陽気の変り目ですから、もしもの事があるといけませんからね」
「この人のいう事は何だか、お婆さん染みてるよ」そうお加代は傍白のようにいった。


 宮本の「天ぶらは見るのも苦労らしいな」というセリフの意味が分からないが、緒方が「いやかい?」って即座に聞き返すので、どうも、「見るのも嫌だ」ぐらいの意味なのだろう。それに対してお鈴が、陽気の変わり目だからもしものことがあるといけないと言うのをみると、天ぷらで食中毒を起こすことが結構あったようだ。今ではあまり聞かないが、それでもそれなりにあるようだ。

 お鈴が、そういう心配をするのを、お加代は「お婆さん染みてる」と評するところがおもしろい。

 ここに出て来る「橋善」は、新橋にあった天ぷら屋で、創業1831(天保2)年の老舗だったが、2002年に休業しているとのこと。ちょっと残念。行ってみたかったのに。

 若い頃はちっともそんなことはなかったのだが、最近は、小説に出て来る場所に行ってみたいと思うようになった。なぜだか分からない。田山花袋の「田舎教師」を読んでいたころには、舞台になっている羽生あたりを小旅行する計画まで立てた。いまだ実現していないけれど、いつか、行こうと思っている。

 小説に、地名やら、店名やらが出て来ると、そこに行ってみたいと思うのは、やはり、それらの土地や建物の実在性が、小説にとって非常に大事だと思うようになったからだろう。土地や建物がそこにかつてあって、そこに登場人物が行った、つまりは、作者がそういうふうに創作したということが、その必然性が、果たしてあるのかということ。単に思いついたとか、本で読んだとかいうことではなくて、作者の実際の経験があって、そうした土地や建物を描いたということが大事だと思える。

 最近ではすぐにAIのことが頭に浮かぶが、例えば、AIが書いた小説には、果たしてその土地や建物(お店、そこで食べた食事なども含むわけだが)にまつわるリアルな記憶がある種の必然性をもって描き込まれる、ということが可能だろうか。

 さて、緒方は例によってベロベロだが、連れてきた宮本も酒が強い。

 


 宮本も酒は強かった。そしてペッパーミントのような甘い酒を一緒に飲みながら少しも酔わなかった。そして変に沈んだ顔をしていた。前夜の夜汽車でよく眠れず、宮本は元気がなかった。
 「どうしたのよ」謙作と並んでいたお加代は、向い合った宮本の俯向き顔を覗込み、
 「いやあね。さっきから一人で悲観ばかりして……」そしてお加代は謙作を顧みた。「全体どうしたの?」
 そういってお加代が身を起した時、何気なくお加代の椅子に手をかけていた謙作の指が背中で挟まれた。
 「寝不足なんだ」こう答えながら、謙作は指を静かにぬこうとした。
 「イキな寝不足じゃ、ないの?」お加代はかえって謙作に誘惑的な眼つきを向けながら、心持、背中に力を入れた。
 「イキなもんか。夜汽車の寝不足だ」謙作は不愛想にいって、ぐいと指を抜いてしまった。その時彼はお加代が不快な顔をするかと思った。が、お加代は如何にも無関心らしくしていた。
 謙作には女からそういう遣方(やりかた)で交渉される事は余り気持よくなかった。それで不愛想に指を引き抜いてしまったが、やはり一方ではそれを後悔していた。こんな事に変な潔癖を見せつけたような自分も気に食わなかったし、―つの機会を見す見すに逃した事も惜しかった。皆が酔っている中で自分だけが酔わずにいるからだと思った。そして気まぐれな心持で、
 「その酒をくれないか」と一度断ったペッパーミントを注がして、それを一卜息に飲んだ。


 もともとお加代に惹かれていた謙作は、ズルズルとお加代と親密になっていく。指が挟まれたとか、抜いたとか、細かい動作が精密に描かれ、その都度の自分の心境も書かれている。どうでもよい情事の断片だが、これだけ精密だと、心を惹かれる。

 


 「隅に置けないわ」
 酔うに従ってお加代の眼はまた美しくなった。脣(くちびる)も美しい色になった。そして動作が段々に荒っぽくなって行った。
 のりの利いた厚いテーブル・クロースに緑色の酒がこぼれたのが白熱瓦斯の下で一層美しく見えた。
 「まあ綺麗だこと、──」こういってお鈴がそれへ顔を寄せると、
 「もっと作って上げよう。ねえ?」お加代はぞんざいにこういいながら、小さい塩の匙を取って、やたらにその酒を撒散(まきちら)した。
 「またそんな乱暴をする」
 「綺麗だって讃めたからさあ」とお加代はお鈴をにらみ返した。
 「全く綺麗だ」と謙作がいった。
 お加代は直ぐ謙作の方を振り向いた。そして、
 「ねぇ──」と顔と顔をつける位までに近づけて首肯(うなず)くような事をした。謙作は今度は故意に、それに応じて、同じように首肯いて見せたが、それが自分ながらちょっと調子がはずれていた。気が差していると、今まで黙っていた宮本が、
 「仲のええ事」と京都訛りを真似て冷やかした。識作には妙に皮肉に響いた。彼はそれに抵抗しようとした。するとなお調子がはずれて来た。彼は 椅子をずらし、お加代の方へ身を寄せながら、
 「僕は君が好きなんだ」といってしまった。

 


 酒の酔いの中で、謙作の自制心はとうとう崩れる。崩れるのだが、どこか醒めている部分もあって、描写自体の崩れはない。あくまで、精密に行動と心理を追っている。

 他愛ない情事のただ中に、「のりの利いた厚いテーブル・クロースに緑色の酒がこぼれたのが白熱瓦斯の下で一層美しく見えた。」の一文が、どこか硬質の輝きをたたえているようで、美しい。


「ありがとう」お加代は謙作の不意な変りようにちょっとまごつきながら、それでも今の荒々しい様子とは、全く思いがけない可愛らしい顔つきをした。
「どうしよう?」謙作の方は大胆になって、肩でお加代の肩を押した。
「どうかしましょうよう」とお加代は甘ったれた声をした。その時は何時かお加代も自身を取返していた。そして、首を傾け、謙作の胸へ顔をつけてそのまま、凝っとしてしまった。髪の毛が謙作の頬に触れていた。
「こりゃあ、たまらない」お鈴は大きな声で笑い出した。
謙作はお加代の首へ腕を巻いて、顔を寄せて接吻する真似をした。二人は蟀谷(こめかみ)と額とを合していた。しかし脣と脣とは三、四寸離れていた。そしてただ凝っとしていると、酔った皮膚からの温かみが顔と顔の間に立迷っているのが感じられた。謙作は意識の鈍るような快感を感じた。
ふと、その辺が急に静かになったので、彼は顔を挙げた。皆は何時か入口の厚いカーテンを下ろして何処かへ行ってしまった。お加代も少し汗ばんだ顔を挙げた。二人は不意に変に覚めた気持に突きもどされた。笑談(じょうだん)一ついえない気持だった。
「きっと隣りよ」
「行って見よう」
二人は直ぐその部屋を出た。隣りへ入って見たが、誰もいなかった。


 自制心は崩れたとはいうものの、ここまでだ。「三、四寸離れていた」脣は、触れ合うことがない。そして、「酔った皮膚からの温かみが顔と顔の間に立迷っているのが感じられた」というのだから驚くほかはない。

 考えようによっては、何をばかなことをだらだたやってるんだ。さっさと脣を重ねればいいじゃないか、ということにもなるのだろうが、そんなことを言ってもしょうがない。謙作はこういう男だったし、お加代もまたこういう女だった。回りでとやかくいってもはじまらない。

 そういうそれぞれに、独特な感性と生き方みたいなのがあって、それがこうしたいわば「商売女」と「客」の間にも厳然としてあって、それが接触するとき、こういう事態にたまたまなった。たまたまだけれど、それはそれで、真実である。

 真実というよりは、「リアルな現実」である、といったほうがいいだろうか。「リアルな現実」というのは、実に多様で、それこそ人の数だけある。その「リアルな現実」が小説に描かれるとき、やっぱり、小説はおもしろい、と思えるのだ。

 


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一日一書 1586 どこかで春が・百田宗治

2020-02-16 10:20:16 | 一日一書

 

百田宗治

 

どこかで春が

 

半紙

 

 

作者の百田宗治(1893〜1955)といえば、いわゆる「民衆詩派」の詩人として有名で、それだけに歌詞は平明で、感傷を排してどこまでも健康的ですね。1932年ごろから児童自由詩や作文教育の指導に力を入れたそうです。


ところで、この歌詞は、岩波文庫「日本童謡集」(与田凖一編)によると、こうなっています。

 

どこかで「春」が
生れてる、
どこかで水が
ながれ出す。

どこかで雲雀(ひばり)が
啼いている、
どこかで芽の出る
音がする。

山の三月
東風(こち)吹いて
どこかで「春」が
生れてる。

 

大正12年に雑誌「小学男生」に掲載されたということです。三番の「東風」が、あれ? ですね。今ではここは「そよ風」に変わっています。いつ変わったのでしょうか。でも変えないと、今では歌えませんね。

作曲は、草川信(くさかわ・しん)。今まで名前も知りませんでしたが、ネットで調べてみると、「夕焼け小焼け」「汽車ポッポ」「ゆりかごの唄」「緑のそよ風」「誰が風を見たでしょう」など名曲揃い。ぼくはとくに、この歌と、「緑のそよ風」が好きでした。

この「どこかで春が」の合唱はほんとにキレイで、大好きです。

 

 

 


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