日本近代文学の森へ 288 志賀直哉『暗夜行路』 175 「非常な努力」 「後篇第四 十九」その1
2025.8.24
謙作は、とうとう登山を断念して、寺へ帰ってきた。その姿に、お由は驚いた。
彼は十時頃、漸(ようや)く寺へ帰って来た。よく途中で、参ってしまわなかったと思うほど、彼は疲切っていた。玄関の板敷で赤児を遊ばせていたお由が、入って来た謙作の様子を見、謙作に声をかけるよりも、驚きから、「お母ァさん、お母ァさん」と家の中に向って、大声に呼立てたほど、謙作の様子も顔色も悪かった。
寺の上さんも驚いた。直ぐ離れに寝かせたが、熱が高く三十九度── 暫くすると、それが四十度に昇った。頭を氷で冷す一方、直ぐ麓の村へ医者を呼びにやり、ついでにその使に京都への電文を持たせてやった。それは謙作が譫言(うわごと)にたびたび直子の名を呼んだからでもあった。
ここで注目しておきたいのは、前の章(十八)の記述が、ほぼ謙作の視点で書かれているのに対して、この章は、視点は謙作をやや離れて、第三者の視点になっているようだということだ。この「視点」の問題というのは、小説にとっては非常に重要な問題で、一般には「一人称視点」「三人称視点」というように区別される。実験的な作品では「二人称視点」も使われることがあるが、まあ、あんまりない。(多和田葉子の作品にあった。)
「一人称視点」を厳密に守るとなるとけっこう大変で、主人公(「私」でも「彼」でもかまわないが)の見た光景しか書けないことになる。当然、他人の心の中は書けない。「ぼくは彼女が好きでたまらない。でも、彼女がぼくのことをどう思っているか分からない。」というような書き方になる。
いっぽう「三人称視点」は、別名「神の視点」とか「全知視点」とか呼ばれているとおり、誰の心の中も書くことができる。「彼は彼女が死ぬほど好きだ。しかし、彼女は彼のことなどまるで眼中になかった。」なんてことが平気で書ける。つまり「作者」あるいは「語り手」は、「神」の位置にいるから、なんでも知っているのだ。
ふつうの小説は、この二種類の視点が、入り交じっていることも多く、そのあたりが小説を読むおもしろさでもあるのだ。
いわゆる「私小説」では、当然のことながら、「一人称視点」で書かれる。ただ誤解しちゃいけないのは、「一人称視点」だからといって主人公が「わたし」とか「ぼく」とかいった一人称で示されるわけでは必ずしもないということだ。例えば田山花袋の『蒲団』は、「私小説」だと言われているが、「わたし」ではなく「渠(かれ)」が主人公の人称として使われている。
で、この『暗夜行路』はというと、主人公は「謙作」と呼ばれ、それは作者である志賀直哉と同一人物ではない。だから「私小説」ではないのだが、その多くの部分では、「謙作」は限りなく「志賀直哉」に近い人物となっていることもあり、それゆえに、『暗夜行路』は、「自伝的小説」と呼ばれることもあるわけだ。その辺が、微妙で、またおもしろいところだ。
ここでの「視点」に注目すると、「よく途中で、参ってしまわなかったと思うほど、彼は疲切っていた。」という部分では、「彼」を「私」に置き換えても問題ない。「よく途中で、参ってしまわなかった」というのは、謙作の思いであり、それは「第三者」が知り得ないことだからだ。だからここの「彼」は「私」でもいいのだ。
しかし、その謙作を見たお由が、驚いたあと家の中に向かって大声で叫んだ部分で、「謙作の様子も顔色も悪かった。」というのは、明らかに第三者(ここでは「お由」)から見た(つまり視点)光景である。寺の上さんが、医者を呼びにやったり、直子への電文を持たせたりした、とか謙作が譫言で直子の名を呼んだ、という記述もみな「三人称視点」で書かれているのである。この辺に注意したい。
さて、医者はどうなったのか。
村の医者が来たのは夜八時過ぎだった。上さんとお由とはそれまで幾度(いくたび)、戸外へ出て見たか知れない。日が暮れると、ほとんど人通りのない所で、それが、いつもと全く変りない静かな夜である事が、あたかも不当な事ででもあるように二人には腹立たしかった。要するに二人とも、親切者には違いなかったが、女二人だけの所で、もし謙作に死なれでもしたら大変だと思うのだ。とにかく、早く医者に来てもらい、この重荷を半分持ってもらいたい気持で一杯だったから、提灯と鞄を持った使を先に、巻脚絆草畦穿(まききゃはんわらじば)きという《いでたち》の年寄った小さな医者の着いた時には、二人の喜び方は一卜通りではなかった。
この部分では、「語り手」は、上さんとお由に入りこんで、その心の中を書いている。二人とも親切者には違いないが、謙作が重荷で、はやく厄介払いをしたいのだ、という分析は、謙作のものではないだろう。謙作は意識不明ではないが、うつらうつらしているという状態だ。ここは、「語り手」が(まあ、志賀直哉といってもいいが)、それが、上さんとお由の心の中をするどく剔っているということになる。親切と見える人たちの心の中にもエゴイズムがあるということを、志賀は見逃さないのだ。
「先生が見えましたよ。もし! 先生が見えましたよ」
先に一人走って来たお由が、彼の枕元に両手をつき、顔で蚊帳を押すようにして、亢奮しながら、こう叫んでも、謙作は薄く眼を開いただけで、何の返事もしなかった。しかし医者が入って来て、容態、経過を訊ねた時には、声は低かったが、案外はっきりそれに答えていた。鯛の焼物──五、六里先から、夏の盛に持って来るのだから、最初から焼いてあるのをまた焼直して出す、──それが原因らしいという事は、側(そば)に寺の者のいる事を意識してか、少し曖昧にいっていた。医者は一卜通りの診察をした後、特別に腹のあちこちを叮嚀に抑え、「此所(ここ)は……?」「此所は……?」と一々訊ねて痛む場所を探した。結局急性の大腸加多児(かたる)で、その下痢を六神丸で無理に止めたのがいけなかったと診断した。そしてヒマシ油と浣腸で悪いものを出してしまえば、恐らく、この熱も下がるだろうといった。下痢の事は使の者に聞いていたので、医者はそれらを鞄の中に用意していた。
浣腸はほとんど利目(ききめ)がなかった。ヒマシ油の方が三、四時間のうち利くだろうし、とにかくそれまでこの離れにいて見よう、出た物を調べる必要もあるからという医者の言葉だったので、寺の上さんは早速医者と使いの男へ出す、酒肴の用意をするため、庫裏の方へ行った。
「何をされる方ですね」
医者は次の間へ来て胡坐(あぐら)をかき、其所(そこ)に置いてあった既に冷えた茶を一口飲んで、お由に訊いた。
「文学の方(ほう)をされる方ですわ」
「言葉の様子では関東の人らしいな」
「京都ですわ」
「京都? ほう、そうかね?」
医者とお由がこんな話をしているのを謙作はそれが自分とはまるで関係のない事のように聴いていた。
「……どうですやろ」小声になってお由が訊くと、医者も一緒に声を落し、
「心配はない」と答えた。
医者が来たということを興奮して叫んでも、謙作は返事をしなかったというのは、先ほどの「分析」が謙作のものであったかもしれないとの思いを抱かせるが、どうなんだろうか。謙作の心のうちを書かないのは、やはり「三人称視点」だからだろう。
それにしても、鯛の焼物だったとは! 20キロも遠くから、暑い盛りにおそらく歩いて運んできたのだろうから、刺身じゃなくても傷むのは当然かもしれない。
「大腸加多児」という病名は今では使われていないが、このころの小説にはときどき出てくる。今で言えば「感染性腸炎」あたりだろうか。
謙作は半分覚めながら夢を見ていた。それは自分の足が二本とも胴体を離れ、足だけで、勝手にその辺を無闇に歩き廻り、うるさくて堪らない。眼にうるさいばかりでなく、早足でどんどん、どんどん、と地響をたてるので、やかましくて堪らない。彼は二本の足を憎み、どうかして自分から遠くへ行かそうと努力した。夢という事を知っているから、それが出来ると思うのだが、足はなかなか自分のまわりを離れてくれない。彼の考えている「遠く」というのは靄(もや)の中、──しかも黒い靄で、その中に追いやろうとするが、それは非常な努力だった。段々遠退いて行く、遠退くにつれ、足は小さくなって見える、黒い靄が立ちこめている、その奥は真暗な闇で、其所まで、足を歩かせ、闇に消えさせてしまえば、それを追払えると思うと、もう一卜息、もう一卜息という風に力を入れる、それには非常な努力が要った。そして、一っぱいにそれが張ったところで、ちょうど張切ったゴム糸が切れて戻るように、消える一歩手前で、足は一遍にまた側へ戻って来る。どんどん、どんどん、前と変らずやかましい。彼は何遍でもこの努力を繰返したが、どうしても、眼から、耳から、その足を消してしまう事は出来なかった。
それからの彼はほとんど夢中だった。断片的には思いのほか正気のこともあるが、あとは夢中で、もう苦痛というようなものはなく、ただ、精神的にも肉体的にも自分が浄化されたということを切りに感じているだけだった。
翌朝早く年とった医者は帰り、代りに午頃、食塩注射の道具などを持った余り若くない代診が来たが、その時は、熱は下がったが下痢するものが米の磨汁(とぎじる)のようで、手足の先が甚(ひど)く冷え、心臓の衰弱から、脈が分らない位になっていた。大人の急性腸加多児としては最も悪い状態で、代診はもしかしたらコレラではないかと心配していた。とにかく、早速強心剤の注射、それと食塩注射。太い針を深く股に差し、ポンプで徐々に食塩水を流込むのだが、その部分だけが不気味に脹れあがり、謙作は苦痛から涙を出していた。
不思議な夢だ。二本の足だけが勝手に体を離れてどんどん行ってしまう。自分の周りでうるさい地響きをたてる。闇のなかで、その足を追い払おうとするのだが、それには「非常な努力」を要した。
この「非常な努力」という言葉が深く印象に残る。謙作の一生は、この一言に尽きるとさえ思えてくる。謙作のまわりでやかましい音をたてる二本の足。どうしても追い払えない二本の足。それは、自分の足だが、自分から分離していった足だ。その足を消し去りたい。その足から自由になりたい。その一心で、謙作は「非常な努力」を、「もう一卜息、もう一卜息」と頑張ってきたのだ。
そんな中、直子がやっと到着する。
いよいよ、この小説の本当の最後だ。