日本近代文学の森へ 285 志賀直哉『暗夜行路』 172 「自分のこと」がいちばん分からない 「後篇第四 十八」その1

2025.7.20
山登りは延期になり、数日が経った。竹さんの家の状況は分からないし、竹さん自身の消息も分からない。謙作は竹さんのいないことを淋しく思ったが、とにかく、山登りの連れを他に探してもらうことにした。
謙作は竹さんの帰るのを待って山登りをしようと思っているのではなかったが、竹さんとの約束が駄目になると、つい億劫な気持で、延していたが、こう天気続きで今度降り出すとまた降り続きそうにも思われ、今の間に山登りをしてしまおうと思った。そして帰ると、彼は早速寺のかみさんに山の案内者を頼んだ。
「連れはどうでもいいから、なるべく、明日の晩という事にして下さい」
「そうですか? 一人に一人の案内人は無駄なようにも思いますが、天気が変ると、あの時出かければよかったというような事になるかも知れませんからね。……まあとにかく、案内人の都合を訊合(ききあ)わして見ましょう。いいお連があるかも知れないし」
「そうして下さい」
庫裏の土間に立って、二人がこんな事をいっている所に、戸外(そと)から巻脚絆に草鞋(わらじ)穿きの若い郵便脚夫が額の汗を拭きながら入って来た。彼は尻餅をつくように框(かまち)に腰を下ろし、紐で結んだ一卜束の手紙を繰り、中から二、三通の封書を抜きとり、其所(そこ)へ置いた。
「どうも御苦労さん。今日あたりは《えらい》だろうね。お茶がいいかね。水がいいかね」
「水を頂きましょう」
「砂糖水にしようか」
「すみません」
謙作は郵便脚夫が手紙の束を繰る時、ちょっと眼で直子の字を探したが、勿論まだ返事の来るはずはなかったので、
「それじゃあ、連があってもなくても、なるべく明日の晩という事にして下さい」台所へ行く上さんにこう声をかけ、自分のいる離(はなれ)の方へ引還そうとした。
「そうそう」
郵便脚夫は急に何か憶い出した風で、上着のボケットを一つ一つ索(さぐ)って、皺(しわ)になった電報を取出すと、「ええと……時任さんは貴方(あなた)ですね」といった。
謙作はドキリとし、不意に、直子が死んだと思った。自殺したが、居所が分らず、今まで知らす事が出来なかったのだ。彼は自分の動悸を聴いた。
「お宅からですか?」コップを載せた盆を持って出て来た上さんがこういった。その如何にも暢気(のんき)な調子が謙作を一層不安にした。
「オフミハイケン、イサイフミ、アンシンス、ナオ」
「ありがとう」謙作は郵便脚夫に礼をいい、無意識にその電報をいくつにも畳みながら、自分の部屋へ還って来た。
何故、そんなにドキリとしたか自分でもおかしかった。彼は電報の返事を全然予期しなかった事が一つ、それに手紙を出してしまうと、もっと早くそれをいってやるべきだった、というような事をこの二、三日切(しき)りに考えていた、更に竹さんの家(うち)の不快(いや)な出来事が彼の頭に浸込んでいた、その聯想が電報で一遍に彼の頭に閃いたのだ。何れにしろ、馬鹿気た想像をしたものだと彼は心に苦笑したが、「とにかく、これでよし」と、彼は急に快活な気分になった。そして何度か電報を読み返した。
直子への手紙を出してから、謙作はとくにそこのことについてそれほど心配しているふうでもなかったが、郵便脚夫から電報を渡されると、ドキッとして、「直子が死んだ」と思った。
このあたりの書き方にはびっくりする。
ドキッとして、すぐに「直子が死んだ。」と思ったのは、渡されたのが電報だったからだ。電報というのは、やっぱりドキッとする。それはごく普通の反応だ。
しかし、それに続けて「自殺したが、居所が分らず、今まで知らす事が出来なかったのだ。」と断定するところがすごい。「自殺」はいいとしても(別によくはないが)、その後の、「居所が分らず、今まで知らす事が出来なかったのだ。」というのは、ずいぶんと飛躍した推測だ。自殺は、すぐに、川への身投げか、海への入水か、とにかく、遺体が見つからないという状況を連想する。その連想のあり方に驚かされるのだ。
そして「彼は自分の動悸を聴いた。」と続く。「自殺だ」→「やっと遺体が発見されたのだ」→「ドキドキした」となるわけだが、それをいっさいの心理的描写を抜きにして、妄想的断定を書いた後に、自分の身体の動揺を書く。それを、将棋の駒でも置くように、ポンポンと並べる。
と、こう書いて、最初はアップしたのだが、アップしてすぐに友人から電話があり、そりゃおかしいんじゃないかとの指摘があった。「自殺して、遺体がなかなか発見されなかった」というんじゃなくて、「居所」というのは謙作の住所のことで、それが分からなかったから、「今まで知らすことができなかった」のであって、謙作からの手紙が来たので、やっと「居所=謙作の住所」が分かって、電報がきたのだ、ということじゃないか? ってことだった。
まさにその通りだ。なんで「居所」を、直子の「遺体」だと思ったのだろうか。まったくとんでもない勘違いだ。友人の指摘が正しい。で、この辺を全面的に書き直そうと思ったけど、以前にも、こういうぼくの勘違いがあったので、まあ、そのまま残しておこうと思った。そういうわけで、この部分でのぼくの「驚き」は、勘違いからくる「驚き」であることを確認しておきたい。
「Yoz Home Page」に収納するときは、この部分は修正したいと思います。
そうしておいて、「コップを載せた盆を持って出て来た上さん」を登場させて、「お宅からですか?」と暢気な調子でしゃべらせる。その「暢気な調子」が「謙作を一層不安にさせた」と書く。このような対比的な書き方で、謙作の不安をいっそうあおることになる。
しかし、その後の謙作の動作や心理の描写をいっさいしないで、いきなり電報の文面を示す。ここがまた尋常じゃない。
不安になりながら、おそるおそる電報の文面に視線を投げる。その謙作の目に飛び込んでくる言葉。この一連の流れの中に、いくらでも心理的動揺を示す表現を入れることができるのに、それを志賀はしない。完全に空白にする。
思えば、それこそが現実なのかもしれない。現実というのは、あっという間に襲ってきて、ぼくらを呆然とさせる。そこに心理的な表現の入る余地はないのだ。
電報を「無意識にいくつにも畳みながら」部屋に戻った謙作は、そこではじめて、自分のこころの動きを反芻して、「苦笑」することになる。なんで謙作は、いきなり「自殺」とか、「遺体が見つからない」とかいった連想をしたのかが、ここで明かされるわけだ。竹さんの事件が、そういう連想を生み出したのだと、謙作は納得する。「とにかく、これでよし」として、「急に快活な気分になった」謙作は、電報を何度か読み返す。電報を読み返す謙作の姿に、謙作の安堵がいたいほど感じられるのだ。
その晩、彼は蚊脹の中の寝床を片寄せ、その側(そば)に寝そべって、久しぶりに鎌倉の信行に手紙を書いた。彼は自分がこの山に来てからの心境について、細々(こまごま)と書いてみるのだが、これまでの自分を支配していた考が余り空想的であるところから、それから変化した考も自分の経験した通りに書いて行くと、如何にも空虚な独りよがりをいっているようになり、満足出来なかった。そういう事を書く方法を自分は知らないのだとも思った。そしてそれよりも直子かお栄の手紙で自分の旅立ちを知り、心配しているかも知れない信行を安心さすだけの手紙を書く方がいいと思い直し、五、六枚書いた原稿紙の手紙を二つ折りにして、傍(わき)のポート・フォリオヘ仕舞込んだ。
〈注〉ポート・フォリオ=書類入れ。(ずいぶん、ハイカラな言い方を使っていたものだ。)
謙作は信行に手紙を書く。信行にはこの旅について、なにも言ってなかったのだ。その手紙を書きながら、「自分の経験した通りに書いていく」と、それが「空虚な独りよがり」を言っているような気がして満足できない。そして謙作は、こう思う。「そういう事を書く方法を自分は知らないのだ」と。
ここは、非常に大事なところだ。「そういうこと」とは、つまりは「自分の心境」だ。自分の気持ちがどうであって、そこからどう変化して、今に至るかという経緯は、ほんとうなら、謙作自身が一番よく知っているはずだ。それなのに、それを「経験した通りに」書いていくと、どうも違うなあという気持ちになる。満足できない。そして「そういう事を書く方法」を自分は知らないのだというのである。
これは痛切な述懐で、志賀直哉自身、そのことを充分承知したうえで、その方法を探り続けていたのではないだろうか。『暗夜行路』が、いわゆる「私小説」とは一線を画しているのは、その故であろう。といって、「私小説」が、この方法に無自覚であったとは言えないとも思うのだが、その辺の研究は山ほどあるのだろう。
この小説を書くことの根本的な問題について、古井由吉が、講演でこんなふうに語っている。
本来小説は、書き手が熟知というか、ほんとうによく知っていることを書く、これがあるべき姿ですよね。それこそ筆も豊かになるし、展開も力強く、細部も満ちる。日本で、明治三十何年に自然主義が発生したときに、人はそういうふうに考えた。自分がよく知っていることを、偽りや虚飾なく書くと。そこからいつのまにか私小説というものが出てきて、日本の文学の主流みたいになる。自分がよくよく知っているのは「自分のこと」だから、自分のことをありのまま、虚飾なく書くことが文学のまことだ、そういう論理なんです。でも、この論理に落とし穴があることはわかるでしょう。自分のことが、いちばんわからないんですよね。
それでも仮に、自分のことは、ほかのことに比べればつぶさに知ってると、そういうところから出発しましょう。で、書きはじめますね。書いてるうちに、どうも自分が考えたことと文章が違う、そういう疑惑にとりつかれる。これが最初のつまづきです。ところが、これがまた逆転するんですよ。一所懸命書いてると、文章のほうに、文章としての現実味が出てくる。それに照らしあわせて、自分が思っていたこと、自分が自分について知っていたことは、はたしてそうなんだろうかと、逆に自分の知っていたつもりのことに疑問をいだきだす。思っていることは書いていることに、もちろん影響を与えるし、書いたことがまた跳ねかえって、思っていたことを揺するんですね。いままで思いこんでたものが、書いてみると違った光で見えてくる。これがゆらりゆらり揺れて、網渡りみたいなものになる。で、この場合も最後には、転ぶ寸前にゴールに倒れこむ。
小説の終わりというものは、ある程度のキャリアを経れば、書いてるうちにおのずから興奮はあるでしょう……絶望の興奮ってやつかな、それに疲れもたまってくる。疲れと興奮のないまぜになったものに悼さして、わあっと駆けこむ。ぽとりと落とす。
「読むこと、書くこと」(平成十四年六月二十二日早稲田大学第一文学部文芸専修課外講演会/「早稲田文学」平成十四年九月号)『書く、読む、生きる』草思社文庫・2025年刊所収
この古井由吉の文章は、そのまま『暗夜行路』という小説の格好の解説となっているように思える。
「自分のこと」がいちばん分からない、という認識は、志賀の根底にあったと思う。だから時任謙作という主人公を設定し、そこに「自分のこと」を注ぎ込んだのだが、書けば書くほど分からなくなってくる。そのうち、古井のいう「逆転」が起きて、「文章のほうに、文章としての現実味が出てくる」といった事態が生じる。それと「自分」をどう重ね、どう離れるか、といった難題に苦しんだ結果が、完結までの26年ということではなかっただろうか。とにかく、『暗夜行路』の結末は、「これがゆらりゆらり揺れて、網渡りみたいなものになる。で、この場合も最後には、転ぶ寸前にゴールに倒れこむ。」がぴったりくるのであって、古井は、ここを『暗夜行路』を頭において書いたんじゃないかと思われるほどである。この文章は、『暗夜行路』の最終章で、ふたたび参照できるかもしれない。
「もうおやすみですか」と襖の外から声をかけ、寺の上さんが顔を出した。丁度いい連(つれ)があり、明晩十二時頃から頂上行きをするからと、それを知らせに来たのだ。
「どうもありがとう。そうしたら、明日はせいぜい朝寝をするから、戸を開けないようにして下さい。昼寝が出来ないから、なるべく寝坊をしておくのです」
「承知しました」寺の上さんはなお、敷居際に膝をついたまま、声を落し、「それはそうと、竹さんのお上さんはとうとう死んだそうですよ」といった。
「そうですか。…•••そしてその男の方は?」
「男の方は助かるかも知れないという……」
「それから、竹さんの事は何か聴きましたか」
「その竹さんですが……殺した奴が覗(ねら)いはしないかと皆大変心配しているそうですわ」
「変な話だな。殺した奴はまだ捕まらないのですか」
「そうなんです。山へ逃げ込んだらしくてね」
謙作は不快(いや)な気がした。
「しかし竹さんを覗う理由は何にもないじゃありませんか。そんな馬鹿な事はないでしょう」
「そんな奴はもう気違いみたようなものですからね。やはり、竹さんも油断はしない方がいいですよ」
「それはそうに違いないが、竹さんは大丈夫ですよ」
「ああいう人ですから、そりゃあ大丈夫とは思いますけど……」
謙作は腹立たしい気持になった。そして、「この上竹さんが、またやられる……そんな馬鹿な事があって堪(たま)るものか」と思った。
明日の山行きは決まった。竹さんのお上さんは亡くなってしまった。お上さんの情夫は重症を負ったがどうなったかは分からない。殺した男は、逃げてまだ捕まっていないが、竹さんを今度は狙うんじゃないかと皆が心配している。どうして竹さんが狙われなきゃいけないんだと、謙作は腹をたてる。確かに変な話である。しかし、謙作が腹を立ててもしょうがない。しょうがないけど、やっぱり腹立たしい。それは分かる。
このエピソードは、古井由吉の言う「綱渡り」みたいなものなのかもしれない。
そして「第四 十八」は次のように終わる。
翌日(あくるひ)、謙作は出来るだけ朝寝をするつもりだったが、癖で、いつも通り、七時過ぎると眼を覚ました。前夜、信行への手紙を書き、少し晩(おそ)くなったところに、竹さんの不快(いや)な話を聴き、また一方では、自分の手紙を見た直子の事など、それからそれと考えると彼は寝つかれなくなった。遠く鶏の声を聴き、驚いて時計を見ると、二時少し廻っていた。
彼は眼は覚めたが、このまま起きてしまっては恐らく四時間も眠っていないと考え、無理に眼を閉じ、もう一度眠ろうとしたが、ただうつらうつらとするだけで、本統には眠れず、それでも十時頃漸く床を離れた。頭が疲れ、体もだるかった。今晩の山登りは弱るに違いない。しかしこの調子ならかえって昼寝が出来るかも知れぬと思った。