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日本近代文学の森へ 269 志賀直哉『暗夜行路』 156  直子の思い  「後篇第四 十」 その1

2024-09-26 10:59:15 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 269 志賀直哉『暗夜行路』 156  直子の思い  「後篇第四 十」 その1

2024.9.26


 

 列車に乗り込もうとした直子を、ホームへ突き落とすという、およそ信じられない暴挙に出た謙作だったが、直子のケガはそれほど大したことはなかった。そうはいっても、「二、三日は起上る事が出来なかった。」というのだから、「大した事はなかった」と言ってすませられることでもない。


 直子の怪我は大した事はなかったが、腰を強く撲(う)っていて、二、三日は起上る事が出来なかった。謙作は一度直子とよく話し合いたいと思いながら、直子が変に意固地になり、心を展(ひら)いてくれないためにそれが出来なかった。
 直子の方は彼がまだ要(かなめ)との事を含んでいると思い込んでいるらしいのだが、謙作からいえば、苛々した上の発作で、要との事などその場合浮ぶだけの余裕は全くなかったのだ。
 「お前はいつまで、そんな意固地な態度を続けているつもりなんだ。お前が俺のした事に腹を立て、あんな事をする人間と一生一緒にいる事は危険だとでも思っているんなら、正直にいってくれ」

 

 直子は謙作に対して心を閉ざしてしまっていて、とりつく島もない。まあ、そりゃそうだろう。走りだした列車から突き落とされるなんて経験、そんなにめったに出来るものじゃない。口を利きたくないのも当然だ。

 謙作は話し合いたいと思うが、「直子が変に意固地になり、心を展(ひら)いてくれない」ためにできなかった、という。まるで「直子が悪い」とでもいいたげな書き方だ。

 さらに、謙作は「苛々した上の発作で、要との事などその場合浮ぶだけの余裕は全くなかったのだ。」と書かれる。「事実」としてはそうだろう。突き落とす瞬間に、「このやろう、要と寝たりしやがって!」なんて思ったわけじゃないだろう。苛立ちの発作で、あんなことをしたと思っている。それもそうだろう。けれども、なぜ謙作は苛立っていたかといえば、列車に乗り遅れそうになっている直子に対して苛立ったというのではなく、その日は、朝からずっと苛立っていたのだ。それはなぜかと言えば、結局「要のこと」に行き着く。けれども、そのことに気づいていない、というか、気づいていないと思っている。

 その上で、更にトンチンカンなことを言う。「あんな事をする人間と一生一緒にいる事は危険だとでも思っているんなら」なんて、まったく直子の心中を察していないことになる。そんな単純なことじゃないだろう。

 だから、謙作の言い草や態度に耐えられなくなった直子は、珍しく長々と反論するのだ。

 


 「私、そんな事ちょっとも思っていないことよ。ただ腑に落ちないのは貴方が私の悪かった事を赦していると仰有りながら実は少しも赦していらっしゃらないのが、つらいの。発作、発作って、私が気が利かないだけで、ああいう事をなさるとはどうしても私、信じられない。お栄さんにも前の事、うかがって見たけれど、貴方があれほど病的な事を遊ばした事はないらしいんですもの。お栄さんも、近頃はよほど変だといっていらっしたわ。前にはあんな人ではなかったともいっていらした。そんな事から考えて貴方は私を赦していると仰有って、実はどうしても赦せずにいらっしゃるんだろうと私思いますわ。貴方は貴方が御自分でよく仰有るように私を憎む事でなお不幸になるのは馬鹿馬鹿しいと考えて、赦していらっしゃるんだと思う。その方が得だというお心持で赦そうとしていらっしゃるんじゃないかと思われるの。それじゃあ、私、どうしてもつまらない。本統に赦して頂いた事には何時まで経ってもならないんですもの。それ位なら一度、充分に憎んだ上で赦せないものなら赦して頂けなくても仕方がないが、それでもし本統に心から赦して頂けたら、どんなに嬉しいか分らない。今までのように決してお前を憎もうとは思わない。拘泥もしない。憎んだり拘泥したりするのは何の益もない話だという風に仰有って頂くと、うかがった時は大変ありがたい気もしたんですけど、今度のような事があると、やはり、貴方は憎んでいらっしゃるんだ、直ぐそう私には思えて来るの。そしてもしそうとすればこれから先、何時本統に赦して頂ける事か、まるで望がないように思えるの」

 


 まことにもっともである。この中で直子は非常に鋭い指摘をしている。「貴方は貴方が御自分でよく仰有るように私を憎む事でなお不幸になるのは馬鹿馬鹿しいと考えて、赦していらっしゃるんだと思う。その方が得だというお心持で赦そうとしていらっしゃるんじゃないかと思われるの。」というところだ。「その方が得だ」というところ、謙作の心にうちを正確に把握しての言葉だ。

 謙作にとっては、「心の平安」が第一で、それを得ることこそが「得」だと思っている。だから、直子の過ちという重大事においても、そのことで自分の平安が乱されることを何よりも怖れたから、「許す」とか「拘泥しない」とか言ったわけだ。自分が心の底で本当に直子を許しているのかいないかは考えずに、とりあえず「許す」と言っておき、あとは、何とか「自分だけ」の力で、乗りきっていこうと考えたのだった。

 そこを見抜いていた直子は、「それじゃつまらない」という。この「つまらない」は、もちろん「おもしろい」の反対語ではない。「それじゃぜったいに嫌なの」ぐらいに強くとっておきたい。

 直子は、そんな自分だけの損得勘定でこの問題を解決する(あるいはしたつもりになっている)のではなく、いちどほんとに自分を「憎み」、憎んだうえで、許せるなら許してほしい。許せないならそれはそれで仕方がない、と言うのだ。少なくとも、「憎む」というステップがないと、「何時本統に赦して頂ける事か、まるで望がないように思える」というのだ。

 これはよく分かる。言葉の上だけで「許す」なんて言われても、それで「許された」なんて誰も思えない。言葉はどうとでもなるからだ。けれども、「行為」は瞬発的なだけに嘘がつけない。それを「発作」のせいにするのも、「言葉」によるまやかしだ。だから「許す」にしても、まずはほんとうに「憎んだ」うえでのことにしてほしい。そうじゃなきゃ、あなたの「言葉」は信じられないと、直子はいう。

 よく分かる。よく分かるのだが、それでは、「憎む」とはどうすることだろう。言葉で、「実はお前を憎んでいる」と謙作が言ったところでどうしようもない。それもまた「言葉」に過ぎない。では「ほんとうに憎む」ということは、「行為」としてどう現れるのか。暴力だろうか、あるいはすくなくとも「言葉の暴力」だろうか。

 直子の言い分は、十分に正当なものだとは思うが、実際のところ、「憎む」にしろ「許す」にしろ、それがいったいどういう内実を持つものなのかについては、やはり明確に把握できてはいないのだと思われる。そして、それは直子に限らず、誰にとっても、把握しきれないもの、心の闇のようなものなのだ。

 直子の言葉に、謙作は、「じゃあ、そうしよう」なんてとても言えない。言ったところでどうしたらいいか、謙作にも分からないだろう。だから、謙作はこんなふうに言う。


「それだから、どうしたいというんだ」
「どうしたいという事はないのよ。私、どうしたら貴方に本統に赦して頂けるか、それを考えてるの」


 さて、謙作は、これに対してどう答えるのだろうか。

 

 


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木洩れ日抄 110 お財布忘れて

2024-09-24 20:56:38 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 110 お財布忘れて

2024.9.24


 

 やっと涼しくなったので、今日こそはと思って、鎌倉へ出かけた。カメラは何にするか、レンズはどれを使うかといろいろ考えたが、まだ早いとは思うけど、英勝寺のヒガンバナの様子でも見てこようかと思って、上大岡から地下鉄で戸塚まで、それからJRで鎌倉へ、といういつものコース。

 ところが、地下鉄車内で、ふとカバンの中に財布が入っていないことに気づいた。ポケットを探ったら10円出てきたけど、現金が10円しかないとなると、英勝寺の拝観料が払えない。英勝寺は小さな尼寺で、入口に尼さんがいて拝観料を払うのだが。PayPayなど見た記憶がない。やっぱり現金のみだろう。ああ、どうしよう、尼さんに頼んで今度来たときには倍払いますから何とか入れてくださいと頼もうか、なんかOKしてくれそうな気もするけど、あまりにカッコ悪いしなあ、と、あれこれ考えた。

 たぶん、円覚寺なら、受付も大きいから、PayPayとかSuicaとかが使えるかもしれないけど、北鎌倉となると、どうしたって、浄智寺には行きたい。しかし浄智寺の受付も、PayPayやっている雰囲気じゃないから、現金だけだろうなあ。ああ、どこかに500円玉でも落ちてないかなあなどと思っているうち、まあ、スマホで電車には乗れるから、とりあえず、江ノ電に乗って、海でも撮ろうと決めた。

 江ノ電は、そんなに混雑してなかったので、稲村ヶ崎あたりまで行ってみようかと思ったけど、雲が多いので、海もイマイチな感じがして、そうだ、あんまり好きじゃないけど長谷寺なら、商業主義的で、自動チケット売り場もあるから、Suicaあたりで決済できるはずだと思って、久しぶりに長谷で降りた。さすがに、インバウンド人気で、人通りも多い。歩いているうちに、そうだ、長谷寺に行く前に、ぼくの好きな光則寺によっていこう。たしか、あそこは拝観料が無料だったはずだと思って、そっちに向かった。

 しかし、光則寺は、受付はないけど、山門の下に賽銭箱のようなものが置いてあり、「入場料」(ってとこがおもしろいね。長谷寺に比べると商売っ気ゼロ。)100円を入れてくださいと張り紙があった。そうだった。何度も来ているのに忘れてた。でも、ここでは知人主催で、落語会もやったことあるし、住職とも多少面識がある。こんど来たとき、倍払おうということにして、入った。ここの庭は、雑然としているところがいい。英勝寺と似ている。

 あちこち写真を撮っているうちに、そうだ、この寺には、元同僚(この方が、ここでの落語会を主催したのだ。)の息子さんのお墓があるんだった。お彼岸だし、お参りして行こうと思った。お寺の裏に広がる墓地は結構広く、息子さんのお墓は前にもお参りしたことがあるのに、探すのに苦労したけど、なんとかお参りをすますことができた。

 お参りをおえて、庭においてある大きな石に座って、コンビニのおにぎり食べながら、しみじみと元同僚の息子さんを偲んだ。なくなったのは、15年も前。ずいぶんと時が経ったものだ。財布を忘れたのも、結局ここへ来るためだったのかもしれないと、ふと思った。

 長谷寺は、Suicaで支払えたけど(400円)、やっぱり、おもしろくなかった。光則寺や英勝寺の趣がなく、観光の寺だ。観音像は立派だけど、境内にオシャレなレストランなんかいらない。

 長谷寺を出るとき、江ノ電でも撮りながら帰ろうと思って、それまで使っていた50mmf1.2のレンズを外して、ズームレンズにかえようとしたら、ズームレンズの片方の(フィルターつける方じゃない方)の、レンズキャップが外れない。どんな力を入れても外れない。こんなことは初めてだったが、ま、しょうがない。もうメンドクサイから写真は今日はおしまいということにして、長谷駅に行ったら、ホームで、何人ものジイサンが一眼レフを構えて電車が入ってくるのを待っている。黄色い線は越えてないけど、なんか、身を乗り出した彼らの姿が、いい年してみっともなく感じて、江ノ電なんか、いいかげんにしておいたほうがいいなあと思いつつ、帰途についた。キャップが外れなかったのも、江ノ電なんかやめておけということだったのかもしれない。

 ちなみに、外れないキャップをどうにかしてもらえないかと、帰りがけに、ヨドバシに寄ったら、売り場のオニイサンが、思い切り力を入れてもやっぱりはずれない。おかしいなあ、こんなの初めてですよ。これ以上力を入れると、レンズを壊してしまう可能性がありますから、修理に出されたほうがいいと思いますよというので、修理のカウンターに持っていったら(と書いたけど、実際には、修理に出すにもヨドバシのポイントカードがあったほうがいいから、忘れてきた財布をとりに家にもどってからまたヨドバシにいった。メンドクサイことである。)、そこのオニイサンもうんうんやっていたけど、ダメですね、じゃあ、修理に出しましょうといいながら、もう一度、ちょっとキャップに触ったら「あ、とれた!」っていうので、びっくりした。ぜんぜん力を入れてないのにみごとに外れた。そうか、力を入れすぎたから外れなかったのかと思ったけど、不思議なことである。

 まあ、なんだかんだと、近頃は、何をやるにしても思い通りにはいかない。若いころの倍の手数がかかる。こうやっているうちにも、どんどんと年を取っていくのである。

 

 


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木漏れ日抄 109  『光る君へ』──発見と感動

2024-09-23 19:22:33 | 木洩れ日抄

木漏れ日抄 109  『光る君へ』──発見と感動

2024.9.23


 

 昔は、大河ドラマはあんまり見なかった。歴史物が苦手ということもあったが、セットがチャチというのも理由の一つだった。山道を歩いているのに、明らかに板の上を歩いている音がするといったチャチさが我慢ならなかった。

 ポツポツと見るようになったのは、『龍馬伝』あたりからだったろうか。『真田丸』も見た。その後、また見なくなって、『鎌倉殿の13人』に至って、初めて本気で見た。「予習」までしたくらいだ。それまで「武士」とか「武家政治」とかいったことを、なんとなく知っているつもりでいたが、「予習」していくうちに、そうか、「武士」ってこういうふうに発生したのね、というような発見に満ちた本が何冊もあって、すごく勉強になった。そのうえで、『鎌倉殿の13人』を見ると、鎌倉武士というものがそれまでのイメージとぜんぜん違うものに見えてきて、楽しかった。(というか、ぼくの勉強不足にもほどがある、だよね。)

 しかし、その勢いで見た『どうする家康』は、安手のCGばかりで、なんとかの戦いとかいっても、いつも同じ山中で数十人が戦っているばかりで、これならかつての戦国ものの大河のほうが数段マシだと思われた。ただ、家康の人物像には新しい知見が盛り込まれていたようで、おもしろかった。

 で、今回の『光る君へ』である。平安時代の大河なんて、しかも、紫式部が主人公なんて、いったいどんな変なドラマができるのかと思うと見る気がしなかった。大昔の、長谷川一夫だったかが光源氏を演じたらしい映画が見てもいないのに思い出されたりして、げんなりするばかりだった。

 ところが、青山高校時代の教え子の娘さん(見上愛)が、なんと彰子中宮役に抜擢されたと聞いて、これは見なければ、せめて、まだ新人の見上愛が、彰子中宮などという大役をどう演ずるのかだけでも見届けなければ、と思って見始めたのである。
見始めて数回で、これが稀代の名作であることを確信した。すでに、35回を終えたドラマだが、とにかく、ぼくには発見と感動の連続である。

 書きたいことがありすぎて、どこから書いたらいいのか分からないほどだが(だから、これからポツポツと時々書いていくことにするが)、何よりも、ぼくがびっくりして感動したのは、「紫式部が、『源氏物語』を書いている」シーンである。なんだそんな当たり前のことかと思われるかもしれないが、自慢じゃないが(十分自慢だけど)、ぼくは、『源氏物語』を今まで2回原文で通読してきたのである。さらに自慢すれば、「桐壺」とか「若紫」とかは、その一部ではあるが、何十回となく授業で読んで来たのである。一時間でたった2〜3行について細かく読むことさえしてきたのである。「桐壺」冒頭なんかは、今でも暗記できるほどなのである。(ま、元国語教師ならそれぐらい当たり前だけど。)

 そのぼくが、このドラマを見るまで、紫式部が筆を持って「源氏物語」を執筆しているシーンを想像したことすらなかったことに気づいたのだ。紫式部が、『源氏物語』の作者であることは、確かなことだ。一時は、「宇治十帖」の作者は紫式部ではないと与謝野晶子が言ったりしたことがあったが、それも今では大方否定されているようだ。

 『源氏物語』の作者は紫式部であり、『枕草子』の作者は清少納言である。『蜻蛉日記』は、藤原道綱の母が作者であり、和泉式部は『和泉式部日記(あるいは和泉式部物語)』を書いた。そんな文学史的な「常識」を、何の疑いもなく、古文の授業ではとうとうと話してきたのに、彼女らが、それらの文章を「書いた」のは、何故だったのか、どこから「書く」ための紙を手に入れたのか、などということに思いを巡らせたことがなかったのは、いかにも不可解だった。

 その不可解さを、大学時代の旧友に話したところ、彼の反応も、さすがにぼくほどではなかったけれど、似たところがあった。

 日記はともかく、物語となると、『宇津保物語』にしても、『夜半の寝覚め』にしても、『浜松中納言物語』にしても、多くの物語の作者は、いろいろ説があるけど、定説がないからねえ。だから、物語って、「まずそこにある」ものとして考えちゃって、誰が何のために書いたかというようなことは、昔はあんまり話題にならなかったんじゃないかなあと彼は言う。

 ぼくらが源氏物語の読書会をやったのは、大学時代のことで、それからもう50年以上も経っている。源氏物語などは、もう研究されつくされてしまっているんじゃないかと大学時代はなんとなく思っていたけど、実は、その後、様々な研究がなされてきたのだった。それも知らずに、旧態依然たる「源氏物語観」から抜け出せないままに、『光る君へ』を見て、愕然としたのも当然だろう。

 ちなみに、ぼくらが大学生だったころの文学研究のトレンドに、「分析批評」というのがあって、それは、文学作品の歴史的な背景とか、作者とかいったものを「無視」して(ちょっと乱暴な言い方だが)、とにかく「文章そのもの」だけを、純粋に、分析的に読んでいくという研究方法だった。『古文研究法』で有名な小西甚一先生などがその急先鋒だった。(先生の講義も直接伺った。)だからというわけでもないだろうが、『源氏物語』に関しても、紫式部本人にスポットを当てて研究するということはあまり盛んではなかったのかもしれない。その影響もあってか、あえて、「作者」に注目しなかったのだ、と一応言い訳することはできる。

 『光る君へ』には、もちろん史実とは認めがたいフィクションも多くある。しかし、これはフィクションでしょと思ったことが、実は学問的に裏付けられていることが非常に多いことを知って、びっくりしたのだった。

 これは、気鋭の国文学者山本淳子の『紫式部ひとり語り』(角川ソフィア文庫)や『枕草子のたくらみ』(朝日選書)を読んだことにもよる。これらの本を読んで、そうか、こんな研究があり、こんな論文の書き方があったのかと感嘆するとともに、脚本家の大石静がこれらの研究を熟読していることも確信したのだった。

 それにしても、『源氏物語』は2度も通読したのに、『枕草子』を通読したことがないという不勉強がいけないのだが、清少納言が「はるはあけぼの…」の段を「1枚の紙」に書いて、定子へ渡すために、御簾の下から差し入れたシーンの美しさに、思わず息を飲んだ。そうか、この文章は、こんな思いで書かれ、こんなふうに定子に渡されたのか、と思うと、心がふるえた。実際にはその通りではなかっただろう。これは「一つの説」に過ぎないのかもしれない。しかし、十分にありえたシーンだろう。

 『枕草子』が、今では文庫本でも手軽に読める時代とはまったく違って、「出版」ということもなく、紙も簡単には入手できない時代、文章を書くということの意味も今とはまったく違っていたのだ。そんなことは当たり前のことで、ぼくだって、そのくらいのことは「知って」いた。けれども、「知っている」ことが、単なる「知識」であっては不十分なのだ。「ありありと、体験したかのように知る」ことが大事だ。だからこそ、歴史ドラマには意味がある。と同時に、危険性もある。歴史考証がいい加減だったら、「誤った知識」が定着しかねない。フィクションとしての「歴史ドラマ」の限界もあるわけである。

 今回のドラマにも危うい点がいろいろある。視聴者が「フィクション」であるということの意味をしっかり理解せずに、そのまま「史実」として受け取ったら困るという点もある。昨今のSNSの反応などを見るにつけ、その点の理解が驚くほど浅いことにも驚かされているのだが、それはまた別の機会にしたい。

 ぼくがこのドラマを見始めたころの最大の興味は、見上愛の演技にあったことはすでに書いたが、もうひとつが、紫式部がいったいどのようにして「文学(物語)」に目覚め、どのようにして『源氏物語』執筆に到ったのかという大きなテーマを、脚本家の大石静がどのように描くかということだった。いわば「文学の誕生」の物語である。こんなテーマの大河ドラマがかつてあっただろうか。

 そして結論的にいえば、見上愛は、ぼくの想像を遙かに超えた演技力で彰子中宮を演じつづけているし、『源氏物語』は、見事に誕生し、さらに『紫式部日記』が、なぜ彰子の出産シーンから書き起こされたのかまで「解明」されている。見事なドラマというほかはない。

 まだ、最終回までは、時間がある。最後の最後まで、しっかり見届けたいと思っている。

 

 


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日本近代文学の森へ 268 志賀直哉『暗夜行路』 155  謝れない謙作  「後篇第四 九」 その2

2024-09-03 15:10:01 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 268 志賀直哉『暗夜行路』 155  謝れない謙作  「後篇第四 九」 その2

2024.9.3


 

 謙作とお栄は、次の駅で降りた。駅には、末松から電話がかかっていたので、それに出たところ、直子は軽い脳震盪を起こしたらしいが、ケガはないとのこと。謙作とお栄は、京都行きの電車に乗って、引き返した。


 謙作はどうしてそんな事をしたか自分でも分らなかった。発作というより説明のしようがなかった。怪我がなく済んだのはせめてもの幸だったが、直子と気持の上が、どうなるか、それを想うと重苦しい不快(いや)な気持がした。


 謙作はなぜ直子を突き落としたのか自分でも分からないという。それを説明するには「発作」としかいえないと思う。癇癪の発作だ。癇癪は、突発的で理不尽なものだから、その発作なら、いちおう説明がつく。しかし、その説明は、自分自身を納得させるには有効かもしれないが、他者を説得するにはどうだろう。

 お栄は、謙作の「発作」の原因が、自分にあるのではないかと気をまわす。


 「謙さん、何か直子さんの事で気にいらない事でもあるの? 貴方は前と大変人が変ったように思うけど……」
 謙作は返事をしなかった。
 「それは元から苛立つ性(たち)じゃああったが、それが大変烈しくなったから」
 「それは私の生活が悪いからですよ。直子には何も関係のない事です。私がもっと《しっかり》しなければいけないんだ」
 「私が一緒にいるんで、何か気不味(きまず)い事でもあるんじゃないかと思った事もあるけど……」
 「そんな事はない。そんな事は決してありません」
 「そりゃあ私も実はそう思ってるの。直子さんとは大変いいし、そんな事はないとは思ってるんだけど、他人が入るために家(うち)が揉めるというのは世間にはよくある事ですからね」
 「その点は大丈夫だ。直子も貴女(あなた)を他人とは思っていないんだから」
 「そう。私は本統にそれをありがたいと思ってるのよ。だけど近頃のように謙さんが苛立つのを見ると、其所(そこ)に何かわけがあるんじゃないかと思って……」
 「気候のせいですよ。今頃は何時(いつ)だって私はこうなんだ」
 「それはそうかも知れないが、もう少し直子さんに優しくして上げないと可哀想よ。直子さんのためばかりじゃあ、ありませんよ。今日みたいな事をして、もしお乳でも止まったら、それこそ大変ですよ」
 赤児の事をいわれると謙作は一言もなかった。


 謙作は、自分の苛立ちは「私の生活」が悪いからで、直子には関係のないことだと言い張るわけだが、直子の過ちを知らないお栄には、そういうしかないということだろう。しかし、案外これが謙作の本音なのかもしれない。

 直子が過ちを犯したことは事実だが、それはあくまで「過ち」であり、それを謙作は「許している」と思っている。いや、「許すべき」だと思っている。その上で、自分の中に起きた不快感を、自分だけの力でなんとか克服しなければならないと思っている。その心の中の作業においては、直子は「関係ない」のだ。自分だけの問題なのだ。自分だけの問題として取り組み、乗り越えたいのだ。

 謙作の中には、「しっかりしなければならない」という強迫観念がある。自分の出生にどんな暗い秘密があろうとも、それに負けまいとして生きてきた。だから、自分の周囲にどんなことが起ころうとも、自分は「しっかりした自分」を保持して、生きていかねばならない。直子が何をしようと、それが「過ち」に過ぎないならば、それを「許し」、そこから生じる不快感をなんとか自分の力で払拭し、「しっかり」と生活しなければならない。決して、そこで、女遊びなどに走ってはいけない。

 直子の告白の直後に、当の直子に「お前は退いていてくれ、今後顔出しするのは邪魔になる」と言い放った気持ちは、その後もずっと続いているのだ。この極端な「自己中心主義」。「自分さえよければそれでいい」という意味の「自己中心主義」ではなくて、何事も、「自分だけ」の問題として捉え、「自分だけ」の問題として解決しなければならないという、強迫めいた意識。これはいったいどこから来ているのだろう。

 これはあくまでもぼくの推測だが、やはりキリスト教道徳があるのではないだろうか。性欲の問題で、信仰を捨てた謙作だが、それでも、女遊びに明け暮れる日々から脱出しようとしてもがいた。信仰は捨てても、そこで植え付けられた厳しい道徳観念は、謙作の心に深く根をおろしていたのだろう。

 神の助けを借りなくても、自分のことは自分で始末する、そんな「しっかりした自分」を作り上げてやる、それが謙作のいわば「意地」だったのではなかろうか。

 直子は、駅長室に、末松と一緒にいた。

 

 駅長室では末松と直子と二人ぼんやりしていた。直子は脚の高い椅子に腰かけ、まるで訊問前の女犯人とでもいうような様子で凝(じ)っとしていた。
 「まだ医者が来ないんだ」末松は椅子を立って来た。
 直子はちょっと顔をあげたが、直ぐ眼を伏せてしまった。お栄が傍へ行くと、直子は泣き出した。そして赤児を受取り、泣きながら黙って乳を含ませた。
 「本統に吃驚(びっくり)した。大した事でなく、何よりでした。──《おつも》、如何(どう)? 水か何かで冷したの?」
 「…………」
 直子は返事をしなかった。直子は自分の身体(からだ)よりも心に受けた傷で口が利けないという風だった。
 「どうも、あれが実に困るんです。乗遅れるといって、四十分で直ぐ出る列車があるんですから、少しも狼狽(あわ)てる必要はないんですが、僅(わず)か四十分のために命がけの事をなさるんで……。しかしお怪我がないようで何よりでした」
 「大変御面倒をかけました」謙作は頭を下げた。
 「嘱託の医者が留守で、町医者を頼めばよかったのを、直ぐ帰るというので、そのままにしたのですが、どうしましょう。近所の医者を呼びましょうか?」
 「どうなんだ」謙作は顧みていった。
 「少しぼんやりしてられるようだが、かえって、直ぐ此方(こっち)から医者へ行った方がよくはないか」
 「それじゃあ、折角ですが、私の方で、連れて行きます。大変御厄介をかけ、申訳ありません」
 末松は俥(くるま)をいいに行った。
 謙作は直子の傍(わき)へよって行った。彼は何といおうか、いう言葉がなかった。何をいうにしても努力が要(い)った。直子の決して寄せつけないというような態度が、謙作の気持の自由を奪った。
 「歩けるか?」
 直子は下を向いたまま点頭(うなず)いた。
 「頭の具合はどうなんだ」
 今度は返事をしなかった。
 末松が帰って来た。
 「俥は直ぐ来る」
 謙作は直子の手から赤児を受取った。赤児は乳の呑みかけだったので急に烈しく泣き出した。謙作はかまわず泣き叫ぶまま抱いて、駅長と助役にもう一度礼をいい、一人先ヘ出口の方へ歩いて行った。

 


 毎度のことながら、巧い文章だとは思うのだが、ここでは、どうも「視点」が定まらない。この小説は第三人称の小説だから、謙作の「視点」一本で進むわけではないが、その都度、微妙に「視点」を移動させている。それが効果的な場面ももちろんあるが、ここでは、混乱のように感じてしまう。

 「ぼんやりしていた」直子のことを、志賀は、「まるで訊問前の女犯人とでもいうような様子で凝(じ)っとしていた。」と書くわけだが、ここは、明らかに「謙作の視点」をとっている。つまり「謙作にはこう見えた」という書き方だ。

 直子は「被害者」であり、「加害者」でもなければ、まして「女犯人」でもない。「訊問」されなければならないのは、わびなければならないのは、謙作のほうだ。それなのに、直子はぼんやりと、訊問を待っている、ように、謙作には見えるというのだ。

 それは、謙作が直子に対して、申し訳ないという感情に支配されているのではなく、むしろ難詰したい気持ちでいっぱいだったことの現れであろう。どうして、無理矢理乗ってこようとしたんだ、どうしてオレの言うとおりにしなかったんだ、と次から次へと出てくる非難の言葉を、ぐっと飲み込んでいるからこその「見え方」だ。

 それにしても、この「比喩」は、残酷な比喩で、志賀直哉という人の酷薄さを見せつけられる気がする。

 その一方で、お栄の言葉にも返事をしない直子を、「直子は自分の身体(からだ)よりも心に受けた傷で口が利けないという風だった。」と書く。ここは、「謙作の視点」とは微妙にずれる。むしろ、直子の気持ちを汲んでの「見え方」である。このずれかたが、どうも気持ち悪い。すっきりしない。

 謙作は直子の「傷」をもちろん感じ取っているのだ、悪いことをしたと思ってはいるのだ、ということかもしれないが、そこがこの後に生きてこない。それが「混乱」と感じる理由である。

 とにかく、謙作は「悪いことをした」と思っているのかもしれないが、それが態度に、言葉に出ない。素直に、「すまなかった。癇癪を起こしてしまって。どこか痛くはないか。大丈夫か。」と言えばいいのに、それが言えない。

 むしろ、駅員の言う、非難がましい言葉こそが、謙作の心に共感をもって受け入れられる。謙作も同じことを思っていたに違いない。直子が命を賭けたのは、「40分」のためではない。赤ん坊への「乳」のためだ。そのことの切実さを、謙作は理解しない。しようともしない。だから、謙作は直子から赤ん坊をむしりとるように受け取ると、乳を飲みかけだった赤ん坊を「かまわず泣き叫ぶまま抱いて」、「一人先へ」歩いていってしまうのだ。まるで、復讐をするかのように。乳なんかに拘るからお前はあんな目にあうんだ。赤ん坊なんて、これでいいんだ。そう、謙作の後ろ姿は叫んでいる。

 一言の詫びも言えないのは、「直子の決して寄せつけないというような態度が、謙作の気持の自由を奪った」からだというように書いてあるが、それでも、まず、直子をいたわる、心配する、わびる、言葉ぐらいは言えないわけではなかろう。そんなときに「気持ちの自由」なぞ、微塵も要らぬ。

 まあ、こんなふうに読んでくると、この謙作という男の今風に言えば「好感度」は、だだ下がりで、(今までだって、「好感度」は、低かったわけだが。)この男はいったいこの先どうしようというのだろうと心配になる。

 直子は、こんな男にどこまでついていけるのだろうか。それも心配になる。結論は、もう出ているのだが、それはそれとして、もうしばらく心配しながら、読んでいくこととしよう。

 

 

 

 

 


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