古今和歌集 春上
二条后
雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ
半紙
黒文字楊枝
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雪の積った冬景色の中に、春がやって来てくれたよ。
谷間で春を待つ鶯の涙も寒さに凍っていたが、
それも今こそ解けて鳴き声を聞かせてくれることだろう。
『日本古典文学全集』
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古今和歌集の「春上」の三番目に置かれた歌。
二条后(藤原高子)の初春のお歌、と、詞書きにあるとおり
作者は二条后と呼ばれた藤原高子(こうし・たかいこ)。
在原業平との悲恋が『伊勢物語』に伝説的に描かれています。
『古今和歌集』は、正岡子規の酷評以来、おもしろくない歌集と思われてしまいましたが、
昭和になって、大岡信によって、その魅力が再発見されました。
世間的にはどうか知りませんが、ぼくにとってはそういう経緯がありました。
それほどに大岡信の『紀貫之』(1971年刊)という本は衝撃的でした。
何事も固定観念に縛られてはダメということですね。
この歌は、一度読んだら忘れられない鮮烈なイメージを持っています。
なんてたって、「鶯のこほれる涙(鶯の凍った涙)」っていうんですから。
なかなか思いつかないイメージです。
もちろん、鶯が涙を流すこともないし、まして、その涙が凍ることもない。
けれども、なんという可憐なイメージでしょう。
古今集の中でもカワイイ歌ナンバーワンですね。
前回の寂然の歌は、「氷が解ける」イメージを、煩悩からの脱却に重ねていたのですが、
この歌は「釈教歌」ではないので、そういう比喩はないわけですが、あえて「釈教歌的」に読めば、
厳しい煩悩と闘いながら暮らしている最中に、突然のように希望の光が射してきた。
その暖かい光(仏の教え)に、苦難の涙も消えていくよ。
というように読むこともできますね。
こうした読み方は「正しく」はないでしょうし、
また道徳的で説教臭いとも思われるでしょうが、
ぼくらは、いつも自然から、何かを学んでいるのだとしたら、
こうした歌からも、生きる知恵を学ぶことがあってもいいのではないでしょうか。