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日本近代文学の森へ (81) 徳田秋声『新所帯』 1

2019-01-17 20:35:31 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (81) 徳田秋声『新所帯』 1

2019.1.17


 

 「作者」と「作品」をめぐっては、まだ書きたいことはたくさんあるんだが、このシリーズは、あくまで「日本近代文学を読む」ことが中心なので、いちおう本筋にもどる。といって、田山花袋にいつまでもとどまる気もないので、新鮮なところで、徳田秋声を読むことにする。

 「新鮮」といっても、徳田秋声ほどこの言葉のイメージから遠い作家もないだろう。その代表作といわれる『黴』とか『爛』といった小説の題名が災いしてか、どこか煤をかぶってくすんだような、地味で陰気でジジクサイ印象しかないのかもしれない。それでも、そういった印象があればまだましで、今や、若い人たちにとっては、「誰それ?」ってところだろう。

 そこへいくと、田山花袋のほうは、『蒲団』の「衝撃的ラスト」のおかげで、「変態」の烙印は残念だが、名前だけはけっこう「ああ、あの、蒲団にもぐって女の匂いを嗅いだ人ね」レベルで知られている。それが幸いなのかどうかわからないが、まあ、いまだ「有名」だということは、花袋もあの世で喜んでいるのかもしれない。

 かつて高校の国語の授業でも、真面目に文学史が扱われていた時代には、「自然主義」の説明のあとに、その作家として、徳田秋声の名前はかならず出てきて、読んだことはないけれど、名前だけは知っているという世代の人も少なくはなかったはずだ。

 そもそも日本の近代文学者の中で「名前だけは知っている」以上の知られ方、つまり、「ちょっと読んだことある」程度の作家っていうのがどれくらいいるものなのだろうか。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、志賀直哉、ときて、あとは、、、どうもおぼつかない。今、名前を挙げた4人の共通点は、ほとんどの国語の教科書に載っているということであって、このことがなければ、彼らだって、どれだけの知名度を獲得できていたかしれたものではない。

 話はそれるが、今、一部でちょっとした話題となっているのは、高校の国語で、古文は必要かどうかということだ。古文なんて、大人になって何の役にも立たないんだから、高校で必修にする必要なんかない。やりたいなら選択にすればいい、という人がたくさんいるらしいのだ。そのことをめぐって、先頃、シンポジウムも開催されたようで、そこでどういうことが議論されたのか、興味津々ではあるのだが、いずれにしても、もし古文を「必修」からはずしたら、それこそ、『源氏物語』はおろか、『平家物語』も、『徒然草』も、『奥の細道』も、何もかも一切合切まとめて「知られなくなる」ことは目に見えている。

 あのシチメンドクサイ古文を、「ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり」なんて意味不明な音の羅列を子守歌として聞いた経験もなくなれば、高校時代の「苦痛」は半減するに違いないが、生涯で二度とそういう「幸福な」時間を味わうこともないだろう。

 それはそれとしても、授業で扱う、ということの意味は、将来それが「役に立つ」かどうかというセコい観点から早急に論じるべきものではないとうことだけはとりあえず言っておきたい。

 「自然主義」がそもそもどういうものかよく分からないまま、言葉だけ覚えて、その作家として、とうてい読む気になれそうもない『黴』とか『爛』とかいう小説を書いたらしい「徳田秋声」という名前も頭の片隅にしまいこんだまま忘れてしまっても、たまたま金沢へ新幹線で観光旅行にやってきて、道を歩いていたら「徳田秋声記念館」なんてものがあって、あ、そんな人たしかいたなあ、と思うのは、「授業でやった」からこそだ。それがなければ、徳田秋声は、五木ひろしみたいな北陸の歌手だと思われてしまうかもしれない。

 「ちょっとでも知っている」ということは、それだけでは何の役にも立たないようだけれど、実は、とても大事なことで、いわば「引き出し」のようなものだ。「知らない」ということは、名前も知らないシャッターのおりた商店のようなもので、中に入っていきようがない。「ちょっとでも知っている」ということは、シャッターが上がっていて、入ろうと思えば入れる商店で、しかも、その店の名前に聞き覚えがあるとなると、更に入りやすくなる。入ってみると、実に素敵な商品が並んでいる、かもしれない。がっかりするかもしれないけど、「素通り」するよりマシである。

 もし、古文どころか、高校の国語の授業から、漢文も、現代小説も、みんな姿を消して、履歴書の書き方とか、始末書の書き方とか、条例の読み方とか、クレーム対応の仕方とかしかなくなってしまったら、大人になって生活には困らないかもしれないけれど、シャッターがみんな降りた商店街を歩くような実にアジケナイ人生になってしまうに違いない。

 こんなことばかり書いていたら、いつになっても、「徳田秋声店」に入れないので、とにかく扉をあけて中に入ってみよう。あいにく、自動扉じゃなくて、かなりさびた重い扉だけど。

 

 新吉がお作を迎えたのは、新吉が二十五、お作が二十の時、今からちょうど四年前の冬であった。
 十四の時豪商の立志伝や何かで、少年の過敏な頭脳(あたま)を刺戟され、東京へ飛び出してから十一年間、新川の酒問屋で、傍目もふらず滅茶苦茶に働いた。表町(おもてちょう)で小さい家を借りて、酒に醤油、薪に炭、塩などの新店を出した時も、飯喰う隙が惜しいくらい、クルクルと働き詰めでいた。始終襷がけの足袋跣のままで、店頭(みせさき)に腰かけて、モクモクと気忙(きぜわ)しそうに飯を掻ッ込んでいた。
 新吉はちょっといい縹致(きりょう)である。面長の色白で、鼻筋の通った、口元の優しい男である。ビジネスカットとかいうのに刈り込んで、襟の深い毛糸のシャツを着て、前垂がけで立ち働いている姿にすら、どことなく品があった。雪の深い水の清い山国育ちということが、皮膚の色沢(いろつや)の優れて美しいのでも解る。

 


 徳田秋声の『新所帯』の冒頭である。一読、スッキリした印象を受ける文章である。主人公と思われる「新吉」について過不足なく、書かれている。花袋の『田舎教師』も、こうした客観的な記述から始まるけれど、こちらの方は、感傷性がそぎ落とされている感じがして、文章に透明感がある。

 数字もきちんとあっていて、気持ちがいい。新吉と小作の年齢も明示され、14+11=25というのもすがすがしい。なんでそんなふうに感じるのかというと、これまで読んできた泡鳴も花袋も、数字が明示されないために、いつもどこかで、あれ、この時この人何歳だっけ? これ何年前のことだっけ? と、ただでさえ数字に弱いぼくは、いらつくことが多かったような気がするからだ。そこへきて、このように、数字がピタリとあった記述を読むと、あ、この作家って頭いいんだな、と、ぼくのような頭の悪い人間は思うわけだ。

 新吉の故郷がどこであるかは書かれてないが、「雪の深い水の清い山国」とあって、秋声の故郷である金沢あたり、あるいは北陸のどこかを頭においているのだろう。ちなみに、この小説は『蒲団』や『泡鳴五部作』などとは違って、自分のことをナマに書いているのではなく、秋声の家の近くの酒屋の夫婦がモデルになっていて、その夫婦の生活ぶりに、自分の生活を投影しているのだということだが、それはおいおい分かってくるだろう。

 新吉の「縹致(きりょう)」がいいというのが印象的。明治41年の作だが、当時「ビジネスカット」というのがあったというのが驚きだ。どういう髪型なのかわからないが、「刈り込んで」とあるので、いわゆる「角刈り」みたいなのだろうか。関西風に言うと「シュッとした」男ということになるだろう。

 その新吉に結婚話が持ち上がる。恋をしたのではなくて、「そろそろ結婚してはどうか」と、話を持ちかけた者がいたのだ。


 お作を周旋したのは、同じ酒屋仲間の和泉屋(いずみや)という男であった。
「内儀(かみ)さんを一人世話しましょう。いいのがありますぜ。」と和泉屋は、新吉の店がどうか成り立ちそうだという目論見のついた時分に口を切った。


 「いいのがありますぜ。」という口ぶりが、ザラっとした印象を与える。明治41年ごろの「結婚」の実態の一端がここにすでに見え隠れしているのだ。題名は『新所帯』、つまり「新婚家庭」ということで、新吉、お作の、「新婚生活」の内情が語られるというのが、この小説だということになる。




 

 

 

 

 

 

 

 

 


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