スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

スウェーデンの非同盟中立の変遷(1)

2007-05-16 07:49:39 | スウェーデン・その他の政治

日本で繰り返し繰り返し巻き返される問題が、憲法と第9条の問題であるように、スウェーデンでも終わりの尽きない論争がある。

非同盟中立、の問題である。

スウェーデンの安全保障政策は、非同盟中立に基づいてきた。正確に言えば、平時に非同盟主義(alliansfrihet)を貫くことで、戦時に中立(neutralitet)を保てるようにするのである。

第二時世界大戦後はヨーロッパは冷戦に突入する。東西両陣営のどちら側にも属さないのではあるが、西側がスウェーデンに攻め込んでくることはほぼありえないので、仮想敵国は常にソ連とワルシャワ条約機構軍。

ソ連と国境を接し、しかも第二時世界大戦では2度もソ連に侵攻され領土を奪われたフィンランドほどの切迫感はないにしろ、スウェーデンでもヨーロッパが再び戦場になることを想定して、徴兵制のもとで国の規模に比して大規模な国防体制を確立させる。ちなみに、中立非武装中立はもちろん同義ではない。中立をいくら掲げてはいても、それを裏付ける実力がなくては、絵に描いた餅、だとスウェーデンでは考えられた。そのため、国防軍の役割は非同盟中立をもっともらしく仮想敵国にアピールするための抑止力であった。

兵器の調達も自国で行わなければならず、自国での生産が始まる。小さな国のため、自国での必要分を賄うためだけに兵器の開発・生産を行っていたのでは、多額の開発費の元が取れない。そこで、兵器の輸出が始まるが、次第に主要な輸出産業の一つになっていてしまうのである。それから、東西両陣営が核兵器を突きつけてお互い睨み合っている真っ只中にいる恐怖から、スウェーデンでも核武装論が50年代にもっともらしく論じられたという。

さて、非同盟中立の建て前ではあるが、次第にNATOとの協力関係が始まっていく。始めは兵器開発の技術交換という形で始まる。スウェーデンだけで自国の兵器開発をしていても、国際的な最先端からは遅れを取ってしまうので、主にアメリカの技術協力を必要としたのだろう。(その一方で、アメリカのベトナム戦争や帝国主義的態度をスウェーデンは大きく批判していた。兵器技術協力とは別問題、と割り切った外交を展開していたのがスウェーデンの面白い所) 政府の解釈は、非同盟中立と兵器技術協力は両立する、ということだった。

冷戦の終結ともに、スウェーデンを取り巻く環境は一変する。それと共に経済危機に見舞われたため、90年代には次第に国防軍の縮小が行われた。国防軍の任務は ①侵略に対する防衛、②国連軍といった形での国際平和活動、であったが、次第に②のほうへ重点が移っていく。

95年に停戦合意に至ったボスニアには、国連の要請を受けて平和軍(SFOR)を派遣するが、実際の指揮権はNATOが握っていた。また、その後、同じく旧ユーゴのコソボにも平和軍(KFOR)を派遣するが、これもNATOの指揮下。2003年のアフガン戦争後はこれまた国連のマンデートのもとで平和維持軍を派遣するが、これまたNATO指揮下。こういった現実を前に、スウェーデンの国防軍は、装備や指揮系統、要員教育など、NATOスタンダードに合わせる努力を既にしてきている。このようにNATOとの関係がますます強まっている。そういえば、2006年夏のレバノン危機の後に国連マンデートをもとに、スウェーデンは駆逐艦をレバノン沖に派遣したが、この指揮もNATOだった。

一方、国防軍自体の規模はこの間もドンドン縮小されていき、事実上、国防のための兵力は国内にほとんどない。総動員をかけても、数ヶ月で10000、1年かかって最大の65000の兵力が召集できるのらしい(2006年時点)。ただ、外的な脅威がない今日、それでも別に構わない、というのが世論の大勢だ。むしろ、躍起になっているのは国際任務以外に存在意義がなくなってしまった国防軍のほうで、盛んにPR作戦に出たりしている。

むしろ、可能性が小さくなった外的脅威に対抗するためには、スウェーデンだけで国防軍を組織するよりも、NATOに加わって、集団安全保障の枠組みの中で備えをしたほうが現実的、と政府は考えつつあるようだ。1994年にNATOと「平和のためのパートナーシップ」を締結し、情報の共有や共同軍事演習などを行ってきている。(つづく)