スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

クリスマス・プレゼントの悲しい消息…

2007-01-06 04:23:07 | コラム
12月に入るとクリスマス商戦も本格的になる。町のショッピングセンターには、今までこの町のどこにこんな数の人がいたのか?と目を疑いたくなるくらい、たくさんの人で溢れかえっている。

クリスマス・プレゼントを誰にあげるのか? 人によりけりかもしれないが、だいたい家族や親しい友人にあげるようだ。家族と言えば、祖父母、両親、配偶者、兄弟姉妹、子供、孫といったところだろうが、家族関係がなにぶん複雑なスウェーデンだけに、親といっても、肉親のほかに義理の親がいたり、兄弟姉妹といっても、血の繋がっていない兄弟姉妹がいたりするから、プレゼントあげる潜在的な対象は、かなり幅広い気がする。

12月は日本では師走というけれど、スウェーデンでは皆がクリスマス・プレゼント探しに奔走している時期ようだ。商業主義に乗せられてかは知らないが、ちょっと行き過ぎのような気もする。ピークはもちろん20日から23日頃だろうか。クリスマス・プレゼントをあげるこの習慣は、子供にとっては日本のお年玉のようなもので、大人にとってはお歳暮をあげる感覚と似ているのだろうか?といっても、付き合いのために贈ったりすることはなく、あくまで家族や親族の間に限られていると思うけれど。

みんなプレゼントに何がいいか、あれこれと頭を悩ましているようで、研究棟の喫茶ルームでも、雑談の話題になったことが一度以上はある。特に困るのは10代の男の子へのプレゼントのようだ。この年頃の男の子でテレビゲームに熱中し、マンガやアニメにもはまっているなら、それに関連するものがいいと、ふと思われるかもしれないが、実際のところ、彼らのオタク度は凄まじく、そんなものだったらもう既に買っているか、インターネットでダウンロードしているから、素人の大人が1週間も悩んでプレゼントを選んだところで、彼らの満足度の足元にも及ばないだろう。服を贈ったら、って? これほど、この年頃の子供をがっかりさせるプレゼントはない、という噂を耳にしたことがある。いっその事、Absolute Vodkaでも与えて、泥酔させて、クリスマスの間、大人しく黙ってもらったほうがいいかもしれない。(冗談です…)

合理性を重視すれば、欲しいと思われないものにお金をかけるよりも、あらかじめ何が欲しいかを伝えておく、もしくは聞き出したほうが、お金と時間の節約になるだろう。実際、スウェーデンでもある程度、親しい間柄や、毎年プレゼントの交換をするような間柄では、お互いに希望を伝えるようだ。合理性、ということで付け加えれば、スウェーデンでは、プレゼントに買った店のレシートを添えて贈ることも珍しくない。レシートがあれば、もらった服のサイズが違った場合でも、もらった人がその店に自分で出向いて交換してもらえるのだ。もし合うサイズがなければ返品だ。私の同僚のNiklasは炊飯器をもらったことがあるが、そんなもの自宅で使わず(ただでさえ狭いアパートの:-)邪魔になるだけなので、レシートを添えて返品する、と言っていたことがあり、当時、炊飯器を持っていなかった私が買い取ったことがあった。
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さてさて、クリスマスが終わり、新年が近づく頃になって、スウェーデンの街角には大きな広告ポスターが登場するようになった。クリスマス・プレゼントを開ける男の子の写真だ。プレゼントの服を見て喜びを取り作っているものの、内心では「Helt vidrigt!(全く凄まじい限りだ!)」と落胆を隠し切れない…。そんな彼の苦笑いが、いかにもコミカルなのだ。別のポスターでは、60代のおじさんがプレゼントを開けているが、そこにはIpodが…。何に使っていいのか分からないこのおじさん、内心では「Fasansfullt! (たまげた!)」と叫ぶ。

そして、ポスターの下端には「Det är tanken som räknas. Sälj dina oönskade julklappar!(大事なのはプレゼントを贈る、という気持ち。要らないプレゼントは売りに出そう!)」と続く。そう、これはインターネット・オークションの会社の宣伝なのだ。

この広告を見て、私は正直言って、衝撃を受けた。商業主義もここまで来たか!と。みんな貴重な時間とお金と精神を大いに費やして、クリスマスプレゼントをお互いに贈りあっているけれど、そのうちの一部(大部分?)は、結局こうしてすぐに手放されて、売りに出されてしまうようになるかもしれない。これじゃ、誰が得をしているのか分からない。商品を作っている企業と売っている商店、それにこういったオークション・サイトぐらいだろうか…?


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