日本で、東京と大阪が互いに対抗意識を燃やしていがみ合い、東京弁や大阪弁といった、かなり異なる方言を使っているように、スウェーデンにも西と東の対抗意識があるのだ。もちろん、これは首都のストックホルムと第二の都市ヨーテボリのこと。
お互い笑って済ませられるアネクドート(笑い話になる逸話)がいくつもある。たとえば、ストックホルム人が言うには「出張でヨーテボリ空港に降り立ったときは、時差のため、時計を10年戻さなけりゃならない」。 最新の流行は、新しいものに敏感なストックホルムからまず浸透し、それがヨーテボリにたどり着くまでに10年もかかる(!?)ということ。確かに、 ストックホルムは地下鉄が走っているのに、ヨーテボリはオンボロの路面電車で満足している!
逆に、ヨーテボリ人に言わせれば「ヨーテボリこそがスウェーデンの表玄関」なのだ。つまり、ヨーテボリは、文化の先進国、イギリス、フランスに向かって開けており、新しいものはここから入ってくるのだ。中世でも、当時の先進国ドイツのハンザ同盟はまず、ヨーテボリに商館を建てていたし、スウェーデン版の「東インド会社」もヨーテボリで創設された。ヨーテボリ人にとってみれば、ずっと東に位置するストックホルムは単に東方への防波堤。その向こうには、冷徹なロシアが広がっているだけ(正確にはフィンランドがあり、その向こうにロシア)。冷戦中も“ソ連が攻め込んで来たら、トットとくれてやる端っこの町”だった。
メンタリティーも大きく違う。関西人が陽気で人懐こいように、ヨーテボリ人もユーモアがあって陽気なことは有名だ。悲しいことでも、くよくよせずに、笑ってはね飛ばす気軽さ。これは、ヨーテボリ方言にまさに現れている。スウェーデン語を勉強した人なら分かるかもしれないが、スウェーデン語特有の上下抑揚をさらに強調し、しかも語尾を常に上げ調子で言い切る。(この点、ノルウェー語の特徴と共通しているのではないかと思うが、まだ未確認) ストックホルム人がおしゃれ好きで、いつも流行を意識し、よそよそしくツッパって、常に忙しくしているのに対して、ヨーテボリ人は造船業と船乗りたちの労働者の町。人生どうにかなると、気楽だ。そんなこともあってか、スウェーデン人の有名な作家やコメディアンには、ヨーテボリ出身の人がたくさんいるのらしい。
そんなヨーテボリ人の誇りは、町の中心の大通り。通称「Aveny(アベニュー)」と呼ばれ、パリのシャンゼリゼ通りを真似たとか(ははは、パリ人に笑われてしまう!)。そして、その突き当たりにある噴水の広場「Götaplatsen(ヨータプラッツェン)」の階段に腰掛けて、開けた町の風景を眺めながらのんびりと日向ぼっこをしようものなら「ああ、ここは小ロンドン (Lilla London)」という錯覚にも陥ってしまうのだ(あ!今度はロンドン人に笑われてしまう)。
GötaplatsenからAvenyに向けての眺め
ヨーテボリの大学に通い始めてから1年半、そしてヨーテボリに移ってきてから半年。ヨーテボリが大分、気に入ってきました。
お互い笑って済ませられるアネクドート(笑い話になる逸話)がいくつもある。たとえば、ストックホルム人が言うには「出張でヨーテボリ空港に降り立ったときは、時差のため、時計を10年戻さなけりゃならない」。 最新の流行は、新しいものに敏感なストックホルムからまず浸透し、それがヨーテボリにたどり着くまでに10年もかかる(!?)ということ。確かに、 ストックホルムは地下鉄が走っているのに、ヨーテボリはオンボロの路面電車で満足している!
逆に、ヨーテボリ人に言わせれば「ヨーテボリこそがスウェーデンの表玄関」なのだ。つまり、ヨーテボリは、文化の先進国、イギリス、フランスに向かって開けており、新しいものはここから入ってくるのだ。中世でも、当時の先進国ドイツのハンザ同盟はまず、ヨーテボリに商館を建てていたし、スウェーデン版の「東インド会社」もヨーテボリで創設された。ヨーテボリ人にとってみれば、ずっと東に位置するストックホルムは単に東方への防波堤。その向こうには、冷徹なロシアが広がっているだけ(正確にはフィンランドがあり、その向こうにロシア)。冷戦中も“ソ連が攻め込んで来たら、トットとくれてやる端っこの町”だった。
メンタリティーも大きく違う。関西人が陽気で人懐こいように、ヨーテボリ人もユーモアがあって陽気なことは有名だ。悲しいことでも、くよくよせずに、笑ってはね飛ばす気軽さ。これは、ヨーテボリ方言にまさに現れている。スウェーデン語を勉強した人なら分かるかもしれないが、スウェーデン語特有の上下抑揚をさらに強調し、しかも語尾を常に上げ調子で言い切る。(この点、ノルウェー語の特徴と共通しているのではないかと思うが、まだ未確認) ストックホルム人がおしゃれ好きで、いつも流行を意識し、よそよそしくツッパって、常に忙しくしているのに対して、ヨーテボリ人は造船業と船乗りたちの労働者の町。人生どうにかなると、気楽だ。そんなこともあってか、スウェーデン人の有名な作家やコメディアンには、ヨーテボリ出身の人がたくさんいるのらしい。
そんなヨーテボリ人の誇りは、町の中心の大通り。通称「Aveny(アベニュー)」と呼ばれ、パリのシャンゼリゼ通りを真似たとか(ははは、パリ人に笑われてしまう!)。そして、その突き当たりにある噴水の広場「Götaplatsen(ヨータプラッツェン)」の階段に腰掛けて、開けた町の風景を眺めながらのんびりと日向ぼっこをしようものなら「ああ、ここは小ロンドン (Lilla London)」という錯覚にも陥ってしまうのだ(あ!今度はロンドン人に笑われてしまう)。
GötaplatsenからAvenyに向けての眺め
ヨーテボリの大学に通い始めてから1年半、そしてヨーテボリに移ってきてから半年。ヨーテボリが大分、気に入ってきました。