スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

渦中のデンマーク(3)-移民・難民政策 編

2006-02-06 23:51:52 | コラム
週末に中東にあるデンマークの大使館が相次いで焼き討ちにあっている。繰り広げられるデモの多くは、平和的なものであるのだけれど、一部の過激派が民衆の怒りを政治的に利用して、暴力的に導こうとしているようだ。レバノンではスウェーデン大使館が、デンマーク大使館と同じ建物に入っているために、被害をもろに食らっている。それから、中東に出回るデンマーク製品の主要なものの一つに、Arlaの酪農製品が含まれている。Arlaというのは、スウェーデンとデンマークの酪農生産者による協同組合で、デンマーク側では既に生産量が激減している。

今回の風刺画のいさかいは、国王でもイエス・キリストでもゴシップや風刺画の題材にしてしまう北欧の国々にとってはなかなか理解しにくい話だ。一方で、その事件の背後には、デンマーク社会のイスラム教に対する絶え間ない不信感があったのではないか、ということだ。つまり、デンマーク社会自体に、そもそも潜在的な火種があったのだ、という見方がある。それはこういうことだ。

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海峡を挟んで向かい側同士の国だけに、とかく比較されがちなデンマークとスウェーデンだが、顕著な違いの一つは、見知らぬものに対する寛容さ、だといわれる。国民性の比較でいうと、一般にスウェーデン人は控えめで、自分たちのことを自慢したり、ひけらかしたりするのを好まない、そして、他人とのコンフリクトを避けたがる、と言われる。新しい文化が入ってきて、それがスウェーデンの伝統と抵触する事態になっても、意外と簡単に妥協して受け入れたり、寛容性・理解を示しがちだ、とも言われる(もしくは、少なくとも不信感を表立って表現したりはしない)。これに対し、デンマーク人は保守的で、自分たちの“こだわり”を簡単には捨てようとしない。

このような国民性の比較は、もちろん容易ではない。国民一人一人それぞれだから、どうしても“平均的”デンマーク人とスウェーデン人の比較になってしまう。じゃあ、その“平均的”って何? 国民の1割でも、ある共通の特徴を示せば、それがその国の国民性に数えられるのか?などいろんな問題もあるが、ある一かたまりの人々が長い間、別々の地域で住んで、文化を形成してきたことを考えれば、二つの国の人々の行動や考え方のパターンに違いが見られるようになっても、おかしくない。

さて、この国民性の違いが顕著に見られるようになったのが移民政策においてだ。スウェーデンでもデンマークでも、60年代や70年代は高度経済成長を背景に、深刻な労働力不足が生じ、イタリア人やユーゴ人を始めとする労働移民が歓迎された。しかし、80年代、90年代になると、労働需要が飽和するようになった一方で、紛争や貧困などによる、難民が受け入れが多くなってきた。働き盛りの若者が多く、しっかり働いてくれた労働移民とは異なって、難民は年齢層も子供から高齢者まで多様で、しかも教育水準も低いケースが多いから、受け入れられ先では国の生活保護に支えられることになる。

そんな中、スウェーデンでも国の“お荷物”になる難民の受け入れを制限し、むしろ、積極的に追い返すべきだ、という声が聞かれるようになったり、外国人排斥運動などが突発的に顕著になったりしたこともあったが、一時的なものに留まってきた。人道的な配慮からの難民の受け入れは重要だ、という考え方が依然支配的だった。典型的な例としては、経済恐慌に襲われた91年から94年の間に、8万人に上る難民をボスニアから受け入れ、彼らの多くに国籍まで与えたのは、驚きに値する。

一方、デンマークでは外国出身者、特に、中東系のイスラム系の移民・難民に対する不信感が強まってきて、難民流入や移民の認可の大幅な制限を求める声が強まっていった。現在、政権を握っている自由党に閣外協力をするデンマーク国民党は、人気取りの右翼政党といわれ、まさにこれを公約に掲げて票を集め、2001年の選挙で大躍進した党なのだ。


党首のPia Kjaersgaad(写真)は、2001年の選挙では、とりわけ“イスラム文化の脅威”を訴えていた。これに対し、隣国であるスウェーデン国内でもこの党の偏見的プロパガンダに対する懸念の声が上がっていた。そして、このデンマーク国民党が、とかくこの党と姉妹党のように思われているスウェーデン国民党(自由党)と党首対談をするTV生中継が行われた。この席で、スウェーデン国民党の党首が思いっきりデンマーク国民党の選挙ポスターをちぎり捨てる、という事態まで発生した時には、私も一緒に見ていた友人と仰天したのを今でも鮮明に覚えている。(そのパフォーマンスは、その後スウェーデン自由党の支持率を引き上げた。)

現在、デンマークの移民政策は、EUのなかでも一番制限が厳しい、というデータもある。一つの例としては、国籍取得を目的とした“偽装結婚”を恐れるあまり、国際結婚にも支障を来たす事件も起こっている。例えば、デンマークの男性と結婚した韓国人の女性に、デンマークでの居住ビザが下りず、この新婚夫婦はスウェーデンで居住ビザを取得し、スウェーデン南端の町マルメに引越。そこから毎日、橋を渡ってデンマークに通勤する羽目になった、というエピソードはスウェーデンで大きく報じられた。(たしか、これも2001年くらいの話だったと思う。それにしても、この例からも、スウェーデン政府の移民政策がデンマークのそれと対照的であることが分かる)

デンマーク国民党は、さらなる法案を提出予定のようだ。たとえば、これまでは社会統合政策の一つとして、アラビア語やその他、移民の言語による社会情報の提供が公共機関によって行われてきたが、それを廃止する、というもの。それから、犯罪を犯した移民・難民は、デンマーク国籍を返上の上で、国外追放。その家族も同様。それから、デンマーク政府に批判的な発言をしたイマーム(イスラム教の牧師)は即刻追放。などなど。

しかし、移民や難民をはじめとする外国人に対する、このような嫌悪感は、何も一部の人気取り政党だけに特有なのではなく、デンマークの人々に幅広く行きわたっているようだ。主要政党であるデンマーク社会民主党ですら、現在の移民・難民政策を維持することを主張している。このような話を総合するに、この背後にはデンマークの国民性が反映しているのではないか、という主張にも一理ありそうな気がする。

こんな風に、移民や難民、特にアラブ系の人々に対する感情は、二国で大きく異なる。“移民・難民の受入国の社会への統合”はスウェーデンでもまだまだ不十分と言われるが、デンマークはそれよりもまだ遅れているどころか、政府自身にその意志が見られないようだ。さらなる顕著な例は、スウェーデンではストックホルムを始めとして、主要な町の多くにイスラム教のモスクが立てられているのに対し、デンマークではコペンハーゲンですら、ほとんど見られない、ということだ。

元に戻って、風刺画の話だが、アラブ人やイスラム教徒を見下す風潮は、デンマーク社会一般に広く浸透していて、今回の風刺画掲載もたまたまデンマークで起こったのではなく、その潜在性が以前から蓄積されていたのではないか、ということだ。

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以上で、風刺画事件に関する記事はひとまず終わりにします。以前から、デンマークとスウェーデンの対照的な移民・難民政策について、書いてみたかったので、いい機会になりました。