2006年9月18日 皇太子トンガ訪問見送り
オランダから帰国後の雅子様は、国民の期待とは真逆の方向に進み始め
ました。静養から帰られたのだから、きちんと公務が出来るようになっている筈だと、誰もが考えていたのです。
しかし、雅子様は相変わらず地方公務にはお出になりませんでしたし、より一層愛子様にかかりきりになるように。
皇太子殿下がトンガに行く折にも同行せず、お見送りだけです。
雅子様としては「自分が嫌だと思った」事は絶対しない・・・そんな決意をオランダでされたのではないかと。
9月には、チッソの元会長で雅子様の祖父、江頭豊氏が亡くなりました。
通常、こういった場合、通夜や葬儀には出席しないものですが、雅子様は皇太子様と愛子様とお通夜の席に着きました。
これには回りの反対が相当ありました。
「雅子様のおじい様はチッソの元会長で未だに水俣事件は解決していません。そのような方のご葬儀に家族そとってお出ましになるのはよろしくありません。行かれるなら雅子さまだけで」と宮内庁には言われたのですが、雅子様は「私の大事な祖父よ。という事は殿下の祖父でもあるんですけど」と反論、
「恐れ多い事を・・・・」現場が真っ青になるなか、とうとう雅子様は皇太子様と愛子様を連れて通夜にご出席。
それだけではありません。
翌日の葬儀にはご夫妻で参列されたのです。世の中には水俣病患者やその遺族は多数おり、解決したわけではありません。むしろ泣き寝入りの方が正しい見方です。
雅子様は皇太子妃という立場よりも「小和田家の娘」の立場をとり、皇太子様や内親王もそういう立場に忌避図られました。
日頃は雅子様はを「チッソ」とは関係ないように見ていた人でも。この一件で改めて雅子様が江頭豊氏との血のつながりを感じた人もいた事でしょう。
2006年9月26日 江頭豊死去に伴い弔問
2006年9月27日 江頭豊葬儀
香淳皇后の葬儀には出席しなかった雅子様は、ご自分の身内には通夜や葬儀まで出られる。
そういった行動が皇族としてどうなのかとは考えが至らないのでした。
2006年10月8日 学習院幼稚園運動会
10月には愛子様の運動会があり、皇太子夫妻は一般の父兄席を陣取って、大笑いしながら写真を撮影していました。
周りの保護者にはそれは許されなかったのですが。
2006年10月14日 学習院初等科運動会見学
それから幼稚園生は、学習院初等科の運動会も見学しました。
園児たちは席でおとなしく座って競技を見なくてはならないのですが、愛子様は、立ち上がったりきょろきょろしたりと落ち着かず、回りをはらはらさせました。
この初等科の運動会には、佳子様の応援に紀子様もいらしていたのですが、一方的に
「久しぶりね」とお声をかけた雅子様は、少々お疲れ気味の紀子様の真横で延々と話しかけていました。
それというのも、雅子様は人見知りで、取り巻はあれど、本当に会話が出来る人がいなかったからです。
落ち着きがあるかどうか、黙って座っていられるかどうか、そんなものはどうだっていいのです。要は愛子内親王が楽しんでいれば。
雅子様にとって大事なのはそこでした。
オランダと言えば、イギリスの葬儀レセプションでボッチ今上に元女王も王妃も塩対応でしたね。
「あ~マサコは葬儀に来ておきながらも不義理をするとは。人間性の問題では無いのか?容認するナルヒトも情けない。」と静養時のことを思い出して不愉快だったのではないかと思います。
プロの報道記者ならもっと自然体で美しい写真が撮れるはずです 敢えて写りの悪い失敗作の写真を発表して紀子樣を貶めていますね ずっとこのやり方で本当にソーカはやり口が幼稚で意地がとことん悪い!
それでも隠しきれない愛子さんの異常ぶりですが
これ、普通のまともな人間はそうしたいからってしません。
そんなことしたらどうなるか、想像できるからです。
でもわからんのよ、異常だから。で、それになんなく乗っちゃうナルが・・・痛い…
愛ちゃんは捕まえておかないとヤバいみたいですね。
でもまだまだ序の口…お店が開けるほど恥ずかしいことが途切れることなく現在に続きます。
そしてたぶんこれからも今世が終わるまで。
バチ、あたれ!
今回もまたツッコミどころ満載すぎてもう…。こんな身体をクネらして直立不動の出来ない内親王を今も尚「ご優秀」と崇める信者たち、ホント何を見ているのでしょうね。
雅子さんは、香淳皇后の葬儀は欠席なのにチッソ祖父の葬儀は家族で参列するだなんて、どれだけ皇室を貶めたら気が済むのでしょうね。悠仁親王をご出産直後の紀子さまに「あら、久しぶり」と言って、産後の身体を労わる言葉も態度も無いだなんて、呆れました。ゴユーシューでツッコミどころ満載過ぎます。
半島夫人と大陸夫人、おまけにコリアンプリンセス、紀子妃ばかりが苦労している。本当に辛い。